麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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森嶋勉氏「チャットチャットスポーツ塾」の講座に行きました

数日前の祝日、「チャットチャット・スポーツ塾」という障害児の運動指導をされる森嶋勉氏の講座を受けに出かけました。身体を動かすことが苦手な子供には、どんなにみんなが楽しいというドッチボールや大縄飛びも、「ボールが遠くまで飛ばなかったらどうしよう」「自分が縄にひっかかって皆に迷惑をかけたら」と考えるだけに憂鬱になります。私自身、運動が苦手で、団体競技は遠くから見ているタイプでした。ですが、音楽をする上では、運動感覚も大事な要素であったことから、子どもの頃は、父から縄跳びや平均台の特訓を受けたものでした。(詳しくは「折れない子どもを育てる」をお読みください)。

e0143522_13251153.jpg森嶋氏「スポーツはみんなのもの」という信念で、障害があってもできることを見つけ、それぞれの能力を引き出し、子供が頑張る力、社会で他の人と関わる力をつけています。森嶋氏の瞬間的にその子を観察して必要なことを課題として与える才能は、歌唱指導する時の木下先生のそれに共通するものを感じます。スポーツ塾に通うお子さんたちからは「お顔が怖い」と言われるそうですが、それが「父性」というものだろうと思います。そういえば、木下先生も私が子どもの頃、我が家に遊びにきた同級生に「麻奈ちゃんのパパが怖い」と言って泣かれたものでした。

最近は、優しい男性が増えて「子供だから」「女性だから」と気を使って話しかけたりしてくださる人も多いですが、父性とはそうした媚びた様子ではなく、ただ黙々と自分の仕事に向き合う、そんな姿です。気難しそうで近寄りがたいものがありますが、これこそ、今の日本の教育、療育、家庭に足りないものだと感じます。

中でも、感激したのが、スポーツ塾に通うお子さんはできることが増えると、小さい子と組んで課題をすることがあるというお話でした。最初は、「小さい子とやると、自分の思い通りにはできない」「誰かと一緒に何かするのはたいへん」「なんでこんなことをしなければいけないのか」と他人のせい、先生のせい、メタ認知(自分の行動・考え方・性格などを別の立場から見て認識する活動)が低くて、文句ばかり口にしていた子が、小さい子がうまくできないと「ごめん。もっと上手に渡してやれば、飛べたのに」と誤りの言葉を口にすることがあるといいます。そして、最後には「誰かと一緒に何かやるって面白いなぁ」というそうです。人は何かができるようになることも喜びを感じるものですが、もっと幸せなのは、「誰かの役に立っていること」を感じる瞬間なのだと私は確信しました。

講座の中で、障害を持つお子さんたちが一生懸命、体育器具に取り組む画像を拝見しながら、私は心の中で危機感を覚えました。なぜなら、最近、定型発達(健常児)のお子さんの中に身体障害があるのではないかと心配になるほど、自分の身体、手指を操れないお子さんが、年々、増えているからです。

最近は生後2か月から保育園に預ける方が増えて、それに比例して、子供たちの運動能力、音楽能力の低下を如実に感じています。本来なら、目を見て話しかけたり、スキンシップをしたり、這い這いやゴロゴロして体の軸を作って五官を鍛えるべき時期に、朝から晩まで集団でただ動物のように時間を過ごしているお子さんも残念ながら大勢います。それが、6年間、続いたらまっとうに体が発達しないのも仕方がないことでしょう。

発達障害は身体障害と言われることがあるため、治療のために運動に力を入れている学校も多くあります。運動に力点を置いて育てられた発達障害のお子さんは、最初は勉強などで定型発達の子に遅れていても、やがて学習面で秀でてくることもあるのです。これは、「定型発達に生まれたから何もしなくてもいい」と安心している場合ではなく、定型発達でも、発達障害でもそれぞれ、自分ができることを最大限しなければ、社会の一員として役に立つ人間にはなれないということかもしれません。

ゴールデンウィークを前に、保護者のみなさんに体を使って家族で楽しく体を使うことをたくさんしてくださるようにお願いしました。どんなに木下式のカリキュラムで感覚を統合したり、運動能力を高める要素があったとしても、日常生活の中でやり残していることをすべて解消することはできません。親御さんにも、ご家庭で、十分に子供と関わっていただかなければ、どんな優れた教育法でも、これ以上の進化はさせられないかもしれません。
by k-onkan | 2015-04-30 13:23 | 発達障害 | Comments(0)

頭のよしあし以上に大事なこと

年中のMくんは、毎年、4月ごろにメソメソと泣きます。ちょうど1年前も1ヶ月、メソメソしましたが、できることが増えて自分に自信を持てるようになってやっと泣かずに取り組むようになっていましたが、学年があがりピアノのレッスンや歌唱指導が始まったため、時間が長くなった不満を泣いて訴えているようです。

e0143522_1942176.jpg毎週、引率するお祖母ちゃまはMくんの不甲斐ない様子に「この子には何か大きな問題があるのではないか…」と受験塾の模試を受けさせたそうです。ところが成績がとてもよくて驚いたと言われます

私たちは、実はMくんが頭がよいことは知っていました。音感かるたの意味づけの記憶の仕方、空間認知能力、物事を整理してまとめる力など、音感能力の定着の仕方を見ればすぐに分かります。ですから、お勉強ができるのも当然です。反対に「思いのほか勉強ができる」と喜ばれるお祖母ちゃまに、私たちは驚いてしまいました。

そして、どんなに成績が悪いよりも、もっと心配しなければいけないのは、音感の授業を泣かずに取り組めないことです。なぜなら、それは頭のよしあし以前に、人間としての問題だからです。

Mくんが泣いている理由は「自分よりも、いい声の子がいる」「長時間、頑張ると疲れる」「お腹の底から声を出すと疲れる」「新しい課題でできないのが心配」「先生に間違いを指摘されるのがイヤ」などです。

ですが、私たちが子供に向き合わせていることは社会に出たら、「能力があること」以上に大事なことです。たとえば、自分より優秀な人がいるからやる気になれない、全力で打ち込むと疲れる、疲れることはしない、慣れ親しんだ仕事しかできない、顧客に文句を言われるのが嫌…。そんなことを言っている大人は社会の一員として働けないでしょう。

反対に、多少、能力が不足していても、一生懸命、努力することをいとわず、人に負けてもコツコツと努力できたり、新しいことに黙々と取り組める人は不器用でもいつか自分の居場所を見つける日がくると感じます。

頭のいい子は、体を使うこと、自分の心を強く持つことが苦手です。そして、頭を使って、体や心を強くすることから逃げようとしてしまいます。ですが、どんなに頭がよくても、最後は、くじけずに頑張る力があることが大事なのだと思うのです。詳しくは、拙著「折れない子どもを育てる」をお読みください。
by k-onkan | 2015-04-29 23:40 | 幼児 | Comments(0)

子どもが可哀相・・・かも

年中児のクラスともなると課題も増えて、レッスン時間が長くなります。そのため、クラスが終わると帰宅ラッシュ直前。でも、一生懸命、音感の勉強を頑張った子どもはロビーで一息ついて絵本を眺めたりしたくなるようなのです。年長のMくんも毎週、終わるとロビーで絵本を見てのんびりして、中々、帰り支度を始めません。私はそれがとても気になるのです。Mくんが帰りに使う電車はとても混む上に、Mくんは「いつも通り」ができないと過剰にお母さんを責めるタイプです。「電車が混む時間だから早く出なさい」。私は毎回、Mくん親子に声をかけています。

e0143522_10234794.jpg
子ども―特に幼児期の男児は、必要なことは必要なとき、一度に一つのことを言われないと、言葉の意味を受け止めていないことがあります。いくらお母さんが普段から、「ラッシュは電車が混む」と話題にしても、レッスンの帰りの「今、この時」に「電車が混む」と体験と共に教えないと男の子には真の理解が難しいのです。

もう一つ、私がレッスンの後に、子供を早く返したいと思うのは、夕方に幼児を出歩かせたくないからです。この時間帯にいつまでも外にいると、風邪などをひいたり、体調を崩したりしやすくなります。どんなにお稽古ごとがあっても、終わったらなるべく早くお家に帰る努力はしていただきたいのです。

こうことを言うと「うちの子が何時まで出歩こうとよけいなお世話。だったらレッスンをもっと早く終わらせて」と思う人もいるかもしれませんが、「音感教育によってわが子の能力を引き出したい」と思われる保護者には、子どもの能力だけでなく生活態度や健康管理にも心を配っていただきたいのです。

さて、今日もMくんはレッスンが終わり一冊の絵本を手にとりました。私は即座に「読むなら、帰りの電車で座って読んだら」と靴を履かせ、上着を着せ、帰宅の途につけるように導きました。親子はいつもよりスムースに帰ることができました。

ですが、帰り際に一つ気になったことがありました。それは、Mくんから預かった絵本をお母さんがこっそり書棚に返す姿を見たからでした。私はなるばく早く帰れるように、Mくんに「絵本は借りていけばいいじゃない」と助言しました。でも、お母さんには荷物が重くなるなどの都合があり、返されたのでしょう。ならば、子ども本人に「今日は荷物が多いから、今度にしようね」ときちんと真実を伝えなければなりません。子どもは「あるはずのものがない」とだまし討ち(つもりはなくても)にあったような気がして、お母さんを信じられなくなってしまいます。

私が子供と付き合う上で気をつけていることがあります。それは、どんなに上から目線で―教育とはそんなもの―子どもと向き合っても、幼児だと侮って小手先の嘘で言いなりにしたことはありません。これをすると私と子どもの信頼関係が崩れていしまいます。

大人の私でも、できないことがあればできないと伝えますし、ダメなことはどんなに泣いてもダメというでしょう。また、私が間違っているなら、大人でも、先生でも(先生は謝るべきではないという人もいますが)私は子どもに「ごめんなさい」と謝ります。最近は、「他人を傷つけることは言わない」という言葉に縛られすぎた大人が耳に優しい嘘のような言葉ばかりが蔓延していますが、それでは子どもは何を信じたらいいのか分からなくなってしまいます。

私はMくんが電車の中で「みにくいあひるのこは?」と聞いていたら切ないなと感じます。また、もし、「みにくいあひるのこ」のことは一切、忘れていたら、せっかく音感教育で連想力、想像力をつけたことも、普段の生活で失われていると残念に感じます。10歳までの子どもの能力はお母さん次第です。もし、わが子が「話が分からない」としたら、もしかすると、話を分からなくしているのはお母さん自身かもしれません。
by k-onkan | 2015-04-28 23:20 | 幼児 | Comments(0)

お誘いだってあるかも!?

最近、6年生の甥Yもめっきり体が大きくなってきました。それに伴って、小学校の女友だちからのお誘いや連絡が増えているようです。体が小さければ神経質に心配する必要もないのでしょうが、背丈が大人と変わらなかったり、女の子なら初潮があれば「小学生だから」と保護者も安穏に構えているべきではないと感じます。

e0143522_1658636.jpg私の経験からお話すると、小学校も高学年になると発達が早い女の子はテレビや漫画で見覚えたことを男の子に仕掛けたりする時期です。拙著にも書きましたが、15年前の合宿で5年生の女の子は私たちがミーティングの隙に好きな男の子に告白したことがありました。後から、他の女の子たちの非難の声が私たちに届き、それが発覚しましたが、相手の子も「好き」と言ったら本当はキスをするつもりだったといいます。それほど、女の子は5年生ともなれば、映画やドラマ、漫画も身近なこととして理解するようです。中でも、大きなお姉さんがいると、ファッションも小学生とは思えないほど派手になったり、露出が多くなったりします。

反して、男の子は体ばかりが大きくなっても、中身は子供で同級生の女の子の思惑を理解するほど何も理解していません。男の子は「単にクラスメートとして仲良くしている」と思っていると、クラスの女の子全員から、「誰それの気持ちに気づいていたのに、からかった」などと言われて総スカンを食らうこともあるかもしれません。

かといって、親が子供の付き合いのすべてに口出ししたり、管理し過ぎて、持ち物検査をしたり、電話の盗み聞きするのも、良好な関係とは言えず、子供は親に隠し事が増えていくでしょう。親子で互いに言いたいことを言える関係を作っておきたいものです。そのためには、「親が子供のことを口を出すのはいいが、子供は親に余計なことを言ってはいけない」という考え方では信頼は築きにくいと感じます。体が大きくなった子供は少しずつ心や精神も大人に近づいています。時に私たちにとって、耳の痛いことでも、大人も真摯に耳を傾ける気持ちが大事かもしれません。

さて、子供の心は自由であり、親であっても自由にはできないものです。ですが、未成年の内に、深い意味もわからないまま、男女の関係になったりするのは、保護者にも監督責任があります。古い考えだと言われるかもしれませんが、若気の至りや勢いで子供ができてうまくいく人は本当に少数です。このことは、男の子を持つ親御さんも女の子を持つ親御さんも、それぞれの立場で、子供の成長より先に、両親の考えをまとめておいて、早過ぎることはないかもしれません。
by k-onkan | 2015-04-27 23:52 | 思春期・反抗期 | Comments(0)

赤ちゃんも学んでいる!!

恒例の津の教室で「赤ちゃんクラス」を行いました。0歳から3歳までのお子さんには運動、言葉、音楽がとても大事です。これらの課題は内側に何かを貯めるだけでなく、自分から外へ発信する必要があります。この期に知育玩具ばかりを好んでしまうと、体を使う代わりに知恵を使って大人を都合よく動かしてしまうことを覚えてしまいます。赤ちゃんは成長と共に体重が重くなります。すると自分の重さを手指で支えられなくなってしまいます。小回りがきく内に這い這いやぶらさがりなど、体を十分に動かすことが重要です。

e0143522_14165338.jpgうつ伏せや寝返りが打てない生赤ちゃんなら横向きで寝かせて背中をなでたり、足や腕の曲げ伸ばしながら明るく高めの声をかけると、目を輝かせたり笑顔を見せたりします。また、あおむけに寝かせ、お母さんの親指を握らせ、その上からお母さんが補助して少しづつ、起き上がらせて、ぶら下がりを教えるのも、体が小さい内は楽しいものです。なんでも自然にギュッと握るうちに教えましょう。

このとき大事なのは、お母さんが赤ちゃんの目を見て楽しんでいるか、嫌がっているかなどを見極めることです。また、体の部分―指、手首、腕などの筋肉がどのように使われているかも観察します。赤ちゃんの運動は特別なお教室に出かけた時にだけするものではなく、日々の生活の中で、ご家庭の布団などをマット代わりにして、親子で一緒に楽しみたいものです。

最近は住宅事情のため、子供は充分に這い這いせずに歩き出してしまいます。それでも正常に発達する子もいるでしょうが、這い這いを十分にしないと、頭が重くてバランスが悪かったり、高さに危険を感じないなどの問題があり他の運動では代替がきかないこともあります。そのため、歩けるようになっていても十分に這い這いをさせる必要を感じます。這い這いの異常は神経系に異常があるサインだと言われます。先天的に情緒と知的発達に遅れがある子供を比べると正しい這い這いをしない場合が多く、早く問題に気づいたら、這い這いの訓練をすることで症状が軽くなることも知られています。

乳児に這い這いをさせるためにはうつ伏せにする必要があります。うつ伏せをすると吐き戻してしまうという赤ちゃんがいましたが、吐かないように横向きにして背中を撫ぜてみたり、仰向けに寝たお母さんのお腹の上に赤ちゃんをうつ伏せにさせるなどうつ伏せに慣れさせていくことも大事です。無理なく少しずつ、最終的にできるようになることが大事だと思います。

ベビークラスのカリキュラムで幼児が一番喜ぶのは「音感かるた探し」です。メロディーを歌って聴かせると「どこから聴こえてくるの?」と一斉に音源を探そうとします。またどんなに疲れてぐずっている赤ちゃんも、歌えば静かにして注目します。その反応が可愛いのです。

もう一つ好きな課題がありました。それは、身近な単語を知らせる絵カードです。これも機械的に行うのではなくリズミカルに次々とめくりながら、木下式の母音を意識した言い方、高めの話声位を駆使します。三人のお子さんはじっとカードに釘付けで、その集中力は素晴らしいものがありました。言葉を聴くのも歌や音楽を聴くのも同じ効果があると言われます。言葉が分からなくても、たくさん歌を聴かせてあげてほしいと思います。

興味深かったのは1歳5ヶ月のTちゃんです。Tちゃんのお母さんは、現在、木下式の指導法を勉強中。そのため、Tちゃんも教室に来たことがあります。ですが、それが返って「何かさせられたらたいへん」と警戒心を抱かせるのかお母さんの後ろに隠れて何もやりたがりません。そういう時、私はあえて他のお子さんに声をかけて活動します。他の子が楽しそうに取り組んでいると、自分もやってみたいと思うのが子供の心理だからです。

一般にお母さんは、お教室では正しいこと、指示されたことを素直にしてほしいと思うかもしれません。ですが、子供にとってはわざと反対なことをしたり、他の子と違うことをするなど、親御さんが想定できないことをするのもの、また学びなのです。

初めての場所でできないことがあったからといって、お母さんががっかりすることはありません。低年齢の幼児、児童は、家庭でしていることであっても、他人の前ではその力を発揮できないのが普通です。他所でも能力を発揮したり、意思表示をするためには、いろいろな場でいろいろな人と出会い、泣いたり、怒ったり、ぐずったりの経験も必要なことなのです。
by k-onkan | 2015-04-26 23:14 | 乳児 | Comments(0)

5歳の男の子をむかえに

年長の甥Kは、「見守り携帯」を持って1人で地下鉄に乗ってお稽古ごとに行くようになりました。しかし、先日、事件が起きました。「行きはヨイヨイ帰りは怖い」。帰りの電車を乗り間違えたのです。 甥が通う駅では、上りホームに東西線とJR総武線が止まります。必ず、表示で確認するようにと教わってはいたものの表示にはタイムラグや故障があるのでしょう。

e0143522_10245126.jpgKが気付いたのは電車内のアナウンスで「次は東中野」と聞こえた瞬間だったようです。「間違えちゃった」。そこで、暗い気持ちになってシクシクシク。駅のホームで更にシクシクしていると、優しいおばさまが「どうしたの?乗る電車を間違えちゃったの?」と駅員室につれていってくださったそうです。

自分の携帯で瑠音先生に電話をかけたようですが、あいにく授業中で代わりに兄甥が電話に出たようです。「間違えて東中野に来ちゃった。迎えに来て」という情けない 声に最初はいつもの不機嫌な相槌を打っていたのに、突然、「はい。わかりました。すぐに伺います」と声色が変わり木下先生はすぐにKになにかあったとわかったそうですが、同時に、Yがきちんと大人の対応をしたことにも感心したようです。

兄甥が慌てて駅に迎えに行くとソファにはグテッと「やさぐれたK」がいたそうです。Yは20回くらい「すみません。ありがとうございます」と言って赤ちゃん気分のKをお姫様抱っこ(甘やかし過ぎ!)で帰ってきました。最近は、わが子が迷子になっても、「ご迷惑をかけました」と挨拶することも知らない親御さんも増えています。謝る経験をした兄も、自分のために謝ってもらう経験をした弟も、二人ともよい経験をしたと思います。でも、次は電車の色も確認することを教えなければと思います。

授業が終わって職員室に戻った瑠音先生は「お前はよくそんなにヘラヘラしているなぁ」と木下先生にあきれられたようです。しかし、末っ子のテヘペロ精神で「Yがお迎えに行ってくれてよかった」とのこと。子供は何かあった時、一番に母親に八つ当たりをするものです。特に末っ子のKは迎えにきたのが母だったら、自分の失敗が恥ずかしくなり、もっと怒ったことでしょう。

Kには「優しいにぃにが迎えに来てくれてよかったね」と声をかけました。すると「でもね。にぃには駅にきて、『5歳の迷子の男の子をむかえにきました』って言ったんだよ。ちゃんとアンドウカイチを迎えにきましたって 、言って欲しかったんだよ」と怒っていました。確かにKの言うことも一理ありますが、兄は兄で「電話をかけてくださった人しか名前を知らないかもしれないから」と、迷子 の男の子という表現をしたのかもしれません。日本語は難しいものです。
by k-onkan | 2015-04-25 23:41 | 幼児 | Comments(0)

最初は手を添え!!

最近の親御さんはわが子に物を教えることが得意ではないと感じます。先日も「でんぐり返しができます」とお母さんは言うのですが、その男の子は小さな手を握りしめたまま、前転をしようとします。私はあわてて男の子の手指を広げ、手首に意識をもって回転するように、補助しました。お母さんは「教えると自分で考えなくなると思って、何も教えていない」と言われます。確かに、自分でなんでもできる子供に対して、いつまでも手を貸していたら、自分で考えなくなるでしょう。

e0143522_19251864.jpgですが、幼いお子さんや、初めて何かに取り組む時は、手指や体、頭の使い方のコツを手本を見せるのは大切です。大人は「自分も気づいたらできた」と思うのかもしれませんが、赤ん坊時代のことを覚えてないから、そう思うのです。今できることは、最初は誰かが手を添えてくれたり、見本がいたはずです。こうしたことを考えず、すべてを子供任せにしていると、要領が悪いまま何かをしていたり、正しくない方法で何かを行っていることもあります。子供は簡単にできないことには苦手意識が芽生えてしまいます。

毎週、音感の指導にいく保育園では3歳児にクレヨンで色塗りをさせています。手指が発達している子は色塗りは簡単ですが、鉛筆もクレヨンも持ちなれない子や不器用な子は色も薄く、色を塗るのがたいへんそうです。そんな時、私は手を添えて上から圧をかけてあげます。すると、クレヨンのすべりがよくなり、色塗りが得意な子と大差なく塗り終わるのです。

幼児期の能力差は、その子の責任ではありません。何かが早くできたり、よくできるお子さんは、それだけ、いろいろな経験を与えられているのです。反対に、何をやっても遅れる子は、その親御さんに経験を与えられていません。それは子供のせいではないので、なるべく苦手意識を持たせないようにしたいのです。最初に少し、大人が手を貸すと、子供たちは2回目、3回目とコツをつかみ、上手に色が濡れるようになります。できるようになれば、私たちは手を出す必要はなくなるのです。

動物の親も子供が、自分で獲物がとれるまでは、少しずつ、手本を見せます。もし、動物の親が「自分で獲物を取れるようになららないと困る」と言って、いきなり荒野にわが子を置き去りにしたら、その子はあっという間に命を落としてしまいます。最初は手を添えて、手伝うことも大事なことです。大事なことは、最後に大人の手を必要としなくなることなのですから。
by k-onkan | 2015-04-24 23:23 | 幼児 | Comments(0)

真剣になるのも大事な経験

年長のクラスには、毎週、音感のレッスンのために、楽院に近いお祖母ちゃんの家に泊まって通ってくる男の子がいます。お母さんから離れて一人で親戚宅に泊まる目的が楽しいことならともかく、楽院や他の教室に通うことが目的であり、なんだか毎週、顔色が悪いことが気になっています。ですが、どんな事情があっても音感のレッスンに来たら、やるべきことに取り組ませるのが私たちの仕事なので励ましたり、声をかけたりています。

e0143522_15362744.jpg男の子も与えられた課題は一応、取り組みますが、なんとなく心がそこになく無気力な状態です。ノートに無難に音符を書いて、ピアノのレッスンも無難に終えて、集団のレッスンも特に頑張るでもなく時間を過ごしています。私にはそれがたまらなく嫌なのです。そこで、ついに「ライオンの部屋」、つまり木下先生と遭遇することになりました。

話は飛びますが、先日、久しぶりに書道のお稽古に出かけることがありました。普段は自分で練習したものを郵送して先生に通信で指導いただいていますが、展覧会の作品は「目の前で書く様子を指導したい」。指導される側として無責任なことをしたくないとの先生の気持ちが痛いほど分かり、時間を調整してうかがったのです。

その時、先生が「展覧会の作品を作るとなったら、少しでもいいものを作りたいと私は思うのだけど、ある生徒さんが『そこまで一生懸命、やらなくても…。自分がそれほど出来のいい作品を残せると思わないし、展覧会が終わった後に作品を飾りたいとも思わない』というの。私にはその気持ちが分からない」と言われました。

私も時間がある時にしか硯に向かわない「不真面目な生徒」です。しかし、展覧会に作品を出すなら、自分の力の中で、少しでもいいものを作りたいという気持ちは理解できます。一生懸命、書道に打ち込む作品を作られる同門の先生方の作品と並んで展示されるからには、あまりに恥ずかしい状態では申し訳ないと感じます。

そして、「全力で何かに取り組む習慣」は、子どもの頃に身につけるものではないかと思うのです。「いい作品を残したいとは思わない」と言われた方は、子供時代から「人並みにすること」がゴールであり、それ以上を求められた経験はないのではないでしょうか。

木下式は父が、いい加減な私に「本気になること」「全力投球で打ち込む」ことを教えるために作った教育法だと思っています。それを、心ここにあらずで自分の力を全く出し切らずに取り組む姿を見るのは、本当に忍びないから、音感を作った「本当の先生」の部屋に送り込みました。

木下先生は半べそで職員室に来た男の子に「お稽古をしない人はここで一人で泊まっていけ」と言ったようです。そして「後で見に行くからな。いつまでも泣いていてはいけないぞ」。男の子は生まれてはじめて怖いものに出会ったのです。

戻ってきた男の子に「わかった?ここの教室で一番、怖いのは麻奈先生でも、瑠音先生でもないのよ」と伝えました。木下先生の指導を受けたことがある女の子たちが「そうだ、そうだ」と深くうなづきます。「麻奈先生だって、「教え方が悪い」って叱られることがあるのよね」というと、女の子たちはもっと首を深くふり、私の言葉を側面支援します。「だから、麻奈先生に叱られても怖くないから大丈夫なんて思っている場合じゃない。お勉強は一生懸命、やらなくちゃ意味がないのよ」と伝えました。

愛されて育った子供であっても、できることが増えると、手抜きを覚えたり、無気力になってしまうことがあります。書道の話ではありませんが、残念ながら、男の子の身近にも「真剣に取り組まなくてもいい」という価値観は溢れているでしょう。

ですが、楽院に通うということは、はなんとなく時間を過ごすのでは自分が持つすべてを発揮することなのです。男の子はそれを、親御さんやお祖母さん、そして、慣れ親しんだ女の先生以外から、はじめて知らされたのだと思います。時に、子供は親御さんや兄弟より、よその人に言われることを真剣に受け止めることもあります。来週、どんな顔をしてやってくるか、その変化に期待しているのです。
by k-onkan | 2015-04-23 23:34 | しつけ | Comments(0)

一人でも大丈夫!!

数ヶ月前から年長の甥Kは一人で地下鉄に乗ってお稽古事に通う練習を始めました。ですが、まだ今一つ確信が持てず、「いやだなぁ。一人で行きたくないなぁ」と泣き言を口にしていたのです。そんなKの姿を見つけた父が「図書館に行く」という名目で一緒に出かけたことがありました。

e0143522_101347100.jpg父は帰ってくるや否や、「こんな危ないことをKにさせるのはお願いだからやめてくれ。背が小さくて券売機にも手が届かない。何度も間違った切符を駅員に交換してもらっていたぞ。一緒でなければ帰ってこられないところだった。とにかくKにはまだ早い」。

驚いたのは当のKでした。Kの目標は兄Yが年長だったときの姿です。Yが年長の時にしたことは、自分もできるのが当たり前、泣き言は口にしてもそう信じています。それなのに一番、可愛がってくれる祖父からのとんだ妨害です。

妹は父がうるさいのを知っているため、券売機を使わずに済む「回数券」と居場所が追跡できる「子ども携帯」を入手しました。これにいい気分になったKは、「一人で大丈夫」と勇んで出かけていくようになりました。きっと、堂々とお友達のお母さんにドヤ顔で「一人で地下鉄で来たんだよ」と報告していることでしょう。

兄と二人で電車に乗る練習を始めた1年前、「Kちゃんは2の2に乗るんだよ」と暗号のようなことを言っていたものでした。兄の通訳によると「2番線の2号車に乗る」という意味で、間違って反対方向に乗らないようにという兄なりの工夫でした。それが今では「中野か三鷹行きはどっちに乗っても大丈夫。でも、それ以外は反対だから乗ったらダメなんだよ」と祖父に地下鉄のしくみを説明しています。

さて、1歳前後のお子さんを持つ親御さんの中には「日本人に生まれれば、特別なことをしなくても、言葉は遅くてもいつか話せるようになる。それよりも知能を高めて特別に賢くする特殊な教育や外国語教育をしたい」と考えるお母さんが多いのだと最近、気づいて危機感を持っています。ですが、単に意思表示の日本語が話せるというのと、日本語で深く物を考え、書いたり、読んだり、議論したりできるというのは、同じではありません。

たとえば、「中野に行く」という目的を達成するなら、「2の2に乗る」でも「中野行きか三鷹行きに乗る」でも結果は同じでしょう。ですが、後者の方が物事をよく理解している物の言い方ではないでしょうか。

甥たちはどこにでもいる普通の子どもであり、特別な才能に恵まれていると思ったことはありません。ですが、大人と対等に意見を交わしたり、自分なりの考えを述べる国語力は幼い頃から読み聞かせをしたり、物事を説明するなど、「一人の心ある人間」として多くの言葉をかけて育ててきた成果だと思っています。
by k-onkan | 2015-04-22 23:12 | 幼児 | Comments(0)

あんなに可愛かったのに・・・

6年生の兄甥Yは、最近、めっきり背が伸びてきました。数日前、何気なく横に並ぶと、私よりYの背が高いことが発覚しました。これまで「少しは強くなった?」と冗談で手を出して、合気道の上達ぶりを確かめたりしたものですが、今後は自分の身の安全のために手は出さないと密かに思ったのです。

e0143522_14641.jpg弟妹の子どもの中で、一番、私に懐いているのがYです。幼稚園の頃、二人で出かける機会も多くありました。瑠音先生から、「お母さんが一緒にいない時は、一緒にいる人がお母さんの代わり。だからちゃんと言うことを聞いてね」と教えられていたのか、「お母さんがいない時はまぁちゃんが代わりだから、間違って『お母さん』と呼んでもいいよね」と伯母の心をとろけさせるようなことを言ったものでした。

そのYが今ではすっかりヒゲも濃く体格のよい6年生です。もう小さかった頃のように手をつないで横断歩道を渡ることもありません。そう思うと言葉では表せない寂しさがあります。

よく「子どもは3歳までの可愛さで一生分の親孝行をする」という言葉を耳にしますが、確かに幼児期の無邪気な可愛さは何にも代えがたく、その時が過ぎて初めてその尊さに気づくものかもしれません。

小さいお子さんを育てるお母さん方は、日々、いろいろとたいへんなことが多くあることでしょう。ですが、お子さんの今日の可愛さはこの瞬間しかないものです。お子さんを自立させるために、教育すること、しつけることも大事ですが、どうか、お子さんの可愛さに目を留めることも忘れないでいただきたいと思うのです。子どもが大きくなるのは、本当にあっという間なのですから。
by k-onkan | 2015-04-21 23:44 | 児童 | Comments(0)