麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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正しいことが正しいとは限らない!

キャンプファイヤーを終えて大広間に行くと、初参加のTくん(3年)の前に仁王立ちの4年生のYくんがいます。腰に手をやり、「ダメじゃないですか」という声がしました。Tくんは少し涙ぐんでいるように見えました。「どうしたの?」と聞くとYくんの弟が「説教タイム」と教えてくれました。男子班はスタンツに「ダンスと組体操」をしたのですが、何かうまくいかないことがあったようです。

e0143522_18174240.jpgYくんが鼻持ちならない嫌な子に見えてはいけないので、少し経緯を説明しましょう。スタンツは、各班の団結力と班長の企画力、指導力を問うキャンプファイーの出し物です。1年生から6年生まで、縦割りの中で全員が参加できる種目を用意して、限られた時間に班員に教え、上手にできたら、東京に戻り、「ただいまコンサート」で保護者に見せるのです。「その時にできない子がいると、保護者が残念な気持ちになる。だから、ちゃんと教えよ」。木下先生に言われているので、子どもたちはみな一生懸命、練習します。

毎年、合宿に参加している小学生には、恒例のスタンツですが、初参加のTくんには、難しいことがたくさんあったのでしょう。班長も最初は細かく教えていましたが、Tくんにばかりダメ出しをするのもはばかられ、はっきりとは言っていないように見えました。そこで、自身が発達障害を持つYくんなら空気を読まない特性から気を使わずにTくんに接せられるのではないかと思い、4日目から「Tくんを教える係はYくん」と任命しました。Yくんが手本を見せて班長が手をもって言葉で説明して教えるようになって、やっと、他の子と似たことができるようになりました。

Yくんは本番前に、「これで完璧です。本番は絶対にその通りにやってください。そうでないと怒りますよ」と言ったようです。ところが、本番はできなかったので、「説教」になったようです。発達障害の特性なのか、単にYくんが自分がやると決めたことは絶対にやるので、Tくんにもそれを求めているのかもしれませんが、一生懸命、頑張っても、できないことはある、このことをYくんに教える必要を感じました。

私は「一生懸命、頑張るのは大事なこと。でも、一生懸命、やっても、できないこともある」というと、「そうなんですか?」といいます。「みんなは、5年も6年も合宿に来ているけれど、Tくんははじめてで、できないこともあるわよ」というと、「でも、練習の時はできたんです」といいます。できるようになったことをやらなかったらから叱っているという意味のようです。確かに私たちも「できないことをしなさいと言っているわけではない。できるようになったことは、全力を尽くしてきなさい」と、普段から言っています。

仕方がないので、Yくんに「練習の時に一回だけ、できても本番で成功するとは限らないでしょ。だから、音楽会の時は何度も何度も、それは、たくさん練習するでしょう?それでも、失敗することはあるよね。本番で失敗したら、それは、もう怒っても仕方ない。次に頑張るしかないのよ」と説明しました。その上で、「Yくんだって今は立派になってみんなのお手本をしているけれど、それは5年半も勉強したからで、Tくんは1年しか通っていないんだから、同じことをするのは難しい」と説明しました。

「Yくんだって最初から、なんでもできたわけじゃないのよ。4歳半で体験にきた時は、『ぎんなんの色分け』ができなくて、お母さんの名前を呼んで泣いていたじゃない。2歳だった弟の方が絶対におりこうだったわよ」と昔の様子を伝えたのです。その後だって、少しずつ音感ができるようになったけれど、「ぶどうジュースが飲みたかった~」とか「チハル〈仮名〉と幼稚園で遊べなかった~」とか、わけのわからないことを言って音感の勉強をさせるのがとてもたいへんだったのよ」と話ました。すると、「えぇ? そうなんですか?僕はちっとも覚えていません」と言います。でも、自分が子どもだったころの恥ずかしい話にも少し嬉しそうにしていました。

「どんなにYくんが一生懸命、Tくんに教えあげても、いくら正しいことでも、あまりしつこくお説教をすると、Tくんが「いじめられた」と思うかもしれない。お家に帰って、「Yくんに厳しくされた」と言ったら、お母さんも「Yくんがいじめた」と、思うかもしれないでしょう?」。相手の受け止め方によって、いろいろな可能性があることを説明したのです。(まさか、翌日、Tくんのお母さんに「僕はTくんを叱りました」と言いに行くとは予想もしていませんでした。いじめたんではない、という説明だったのでしょうか?真相は誰にもわかりませんが・・・)

その後、Tくんだけを被害者のようにしてしまうと、「自分は新参者だからできなくて当たり前。責める方が悪い」とできないことを他のことのせいにさせてしまうので、「Tくんも小学校でよくできるからと言って、人の悪いところばかり指摘している場合じゃないのよ。世の中に出れば、君より優秀な人は大勢いるのよ。自分より、できる人に出会って何か指摘されるたびに、涙に逃げるのはずるい!ちゃんと頑張りなさい」と伝えました。

言いにくいことではありますが、「自分の中で、一生懸命やっていれば、結果はどうでもいい」と思わせるのは何かが違うような気がしたのです。勉強の期間が短いことは確かにハンデではありますが、最大限の努力を見せないと、一緒にいる他の子にも申し訳ありません。ですから、言いにくいことも、はっきりと子供に伝えました。子どもたちはそれぞれ、事実を事実として受け止め、恨みっこなしで眠りにつきました。
by k-onkan | 2015-07-31 18:14 | 楽院だより | Comments(0)

いい班長が大人になったらー

毎年、子供達を見ていますが、いつの時代も、いい班長もいれば、残念な班長もいます。そして、縦割りの社会での「いい班長」は学校で求められる「いい子」とは、かなり違うかもしれません。ただ、先生に言われたことをするよりも、まわりを見通して考えて行動する必要があるからです。

1年生から5年生までが時間通りに行動できるようにするには、班長の手腕が問われます。たとえばただ、優しいだけで、小さい子の面倒ばかりみていると、その子たちは、いつまでも自分のことはできるようになりません。その上、人の面倒を見ていて自分のことができずに、遅れたらきっと叱られるでしょう。

時間通り模範的な行動をしたいと思うあまり、小さい子のことを足手まといに感じたり、八つ当たりしたのでは、班長失格です。学校の優等生タイプに多いのですが、自分が何でもできる分、小さい子やできない子を攻めすぎると独裁的な班長になってしまうこともあります。すると、「音楽ができても、頭が良くても、人として優しくないのはダメ」と叱られることになります。

そして、今年の女子班の班長たちのように、優しく穏やかで敵を作らないタイプも私としてはありがたくありません。「先生は少しぐらい、班員から、『キツイ』と言われても、きちんと時間通りに全員に用意させたり、「これは、こうしよう」と主導権を持ってスタンツを指導したり、小さい子ができないことを、できるようにする行動力のある班長がありがたい」と教えました。「人とうまくやりたい」「他人のことをいうと、自分も言われるから、何もいわない」と思っていると、人当たりがいいだけで、グループはまとまりません。
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私がパッと「いい班長だったなぁ」と思うのが、6年生の山田和樹くんです。今や、世界の指揮者となった和樹先生を君付けで呼ぶのは、申し訳ありませんが、この話はそうでないと雰囲気が出ないのです。

彼は楽院に通っている間は、決して目立つタイプではありませんでした。真面目な優等生でしたが、どちらかというと木下先生が得意なタイプの男の子ではありません。木下先生はイタズラをしても、『いわゆる男の子らしい子』が理解しやすいのでしょう。

そんな和樹くんの面白さを私たちが知ったのはキャンプファイヤーのスタンツでした。当時、人気だった「ちびまるこちゃん」を「ちびまるおくん」ともじって、自らちびまるおくんに扮し、我が家の家族を全員登場させて、面白いストーリーに仕立てていました。そのアイディアの面白さに、彼の隠れた才能を感じたと木下先生は「わたしの音感教育」の中に書いています。

ですが、私が、彼をいい班長だと記憶しているのは、スタンツではなく、山登りの用意をさせていたときのことです。班員を自分のまわりに集め荷物を広げさせ、「こリュックに長袖、いれるぞ。次はタオル、おやつ」と目の前で班員を指揮をします。

確実に、全員が入れたことを自分で確かめながら、自分も荷物を作ります。この方法なら、下の子の面倒をみつつ、自分のことも同時にできます。管理の仕方も入れていきます。ふだん、話を聞キモらしやすい低学年でも荷物をなくす心配はありません。なんて、賢く班員をまとめるのだろうと、思ったものですが、その姿は、今が舞台でオーケストラをじょうずにまとめる様と重なるのです。

さて、毎年、思うのは、子供の頃に、年下の面倒を見ることを経験しておくことは、将来、必ず、必要になると感じます。最初は下手でもいいのです。慣れれば必ず上手になるのですから。
by k-onkan | 2015-07-30 19:30 | 楽院だより | Comments(0)

責任をもって見ますので

今日は、山登り。いつもより早めに支度をして、子供達は、山へ出かけました。毎年、荷物の整理をすると事件は起こります。女子班は「缶詰が一個しかない」「缶詰を食べるためのお箸やフォークが入っていない」など小さな問題が見つかりました。

缶詰は、山登りなどの際に「合宿所のおにぎり弁当では足りない」という子供の要望で始めたものです。そのため、幼いお子さんは小さな果物の缶詰をデザートにもっていたり、それぞれ、工夫があります。二個、必要なのは、帰りもお弁当をもって出かけ途中で遊んで帰ってくるからです。
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少食のお子さんには缶詰は二個も必要ないかもしれませんが、他の子にあって、自分にないと不安になったり、悲しくなるのが子供です。たとえ、用意が無駄になっても、できればみなと一緒なだけ、持ち物を用意していただくことは子供の不安を取り除くためには大事だと思います。特に幼児部のときは、一方的に世話をされていましたが、児童部にあがると友達と一緒に行動し、私たちはなるべく手を出さずーそれでも、結局、最後は手を貸すことになりますがー行動します。そのは、小さな子には大きなプレッシャーでもあります。合宿のしおりにも書いてありますが、ご家庭で自分の荷物を作る際に、「〜はどこにあるの?」と練習すると、少し余裕 ができるかもしれません。

反対に、荷物が多すぎて困ることもあります。男子班は、朝起きると、初参加のTくんが「メガネがありません」と言いだしました。班員はTくんが楽院に入学して日が浅いことから、皆でよく気をつけて観察しており、「昨日、どこそこに置くのを見た」と「洗面のときに、置いているのをみた」など目撃情報は多いのですが、有益な情報はありません。

そこで、純子先生も手伝って大きな荷物の中を探して見つけると「それは予備です」。「ここにケースが!」というと空っぽで中々みつかりません。班長は、「ふとんの間に、なにか光っている透明の破片があります。特殊な形だからもしかすると、めがねなのでは?」と探偵ものの読みすぎのような推理まで始めます。ーご安心ください。それは、幼児が踏んでしまったのCDケースの端の爪がお布団の下に入り込んでしまっただけですから。ー

結局、星野先生が「最後にその棚にポンと置いていた」という場所を再度、探すと、棚の上に乗せたメガネは下に落ちて、友達の大きなリュックの中に入ってしまっていたことがわかりました。昔から、親御さんが予備を入れてくださるのは、「何かあった時に子供が辛い思いをしたらたいへん」という親心です。しかし、予備が多ければ多いほど、管理が難しくなりますし、子供も「予備があるから」と思うことで、意識を持ってものを取り扱わなくなると感じます。

合宿中は何かあれば、必ず、対応策を考え、子供にかわいそうな思いをさせることはありません。親御さんの中には、「人に迷惑をかけないように」と、それは細やかに気遣いをしてくださる方もありますが、一度、外に出たら、親御さんができることは、ほとんどありません。だからこそ荷物を過不足なく持たせるのは、手元を離れた我が子が、なるべく、スムーズに行動できるためだと、ご理解ください。
by k-onkan | 2015-07-29 22:00 | 楽院だより | Comments(0)

緊張に負けないで

今朝は、ボタボタいう雨の音で目が覚めました。気づいた女子班の班長が、うれしそうに「どうするんですか」と言いに来ました。マラソンのことのようです。そして、「すべったらいけませんよね」と言いながら小さい子に(良かったね)と声をかけていました。マラソンがなくなることを祈っているのでしょう。

私は、その様子が少し癇に障り「まだわかりません」と答えました。山の天気は変わりやすく、これまでもマラソンの時間になれば雨が上がったことは多くあったからです。とりあえず、屋内で準備体操を終わった頃には青い空が出て、私たちの念の方が強かったようです。マラソンでは、これまで何年もブービー賞だった3年生が真剣な顔で走り、下級生より早く走れるようになっていました。

今日のメインは、合唱の練習です。今年の暗誦班長は4年生のYくんです。前日から、緊張で何度もトイレに行っていましたが、暗誦班長の役目である歌詞の復唱が始まると自信のある模範口語を出し、木下先生から褒められていました。

午後のレクリエーションは、虫取りにハンターゲーム。小学生が幼児を連れて、行動しました。今年の尾瀬は、例年より暑くいつもいるトンボがいませんでした。その代わりに、大きなとのさまバッタがたくさんいました。小学生は一生懸命、網を使って幼児のために虫を捕まえていました。都会の子供達でも、毎年、網を使っているとだんだんと虫取りが上手になるようです。
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その後は、飯盒炊さんで、カレーを作りました。ナイトウォーキングが怖い子供はあまり食が進みませんでした。実は、何年か前、大学生の三人の先輩が肝試しをして以来、合宿では肝試しの代わりにナイトウォーキングをしています。

けれど、昨年、子供たちがポツリと「何も出てこなかった。出るかと思ったのに」ともらしました。なぜなら、楽院なら、「出ない」と言っても何か一つくらいは出ると心の準備をしていたのかもしれません。

二年続けて何も出ない夜の散歩では子供たちにも申し訳ないので、今年は、合宿所の裏にある林を使って、短い距離を一人ずつ歩いて、お札をもらってくることになりました。幼児、小学1年など、配慮が必要なお子さんは大人が引率してロウソクのある道を歩いたので、ご心配なく。

後の小学生は静かに、怖がりつつ、しかし、全員、自分の弱い気持ちに負けずに、行って帰ってきました。中でも、心因性嘔吐の症状を持つお子さんが小さな妹が一人でいったことから、最初は嫌がっていましたが、なんとか嘔吐をせずに一人で歩くことができました。マラソンに、肝試し。苦手なことも、自分で心を決めて乗り越えることで、他にもいい影響があると願っています。
by k-onkan | 2015-07-28 23:23 | 楽院だより | Comments(0)

今年の尾瀬は暑い!

出発式では、メソメソしていた初参加の年中児たちも、バスの中では楽しそうにしていました。幼児部は、初めての割にはよく馴染んでいるようで、バスの中でもよくしゃべります。そこで、恒例の自己紹介をしました。いつもの「ぼくの名前は○○です。○○くんと呼んでください」というバージョンではなく、「ぼくのなまえは、○○です。みんなからは、「○○くん」と呼ばれています。一番好きなのは「○○」です。よろしくお願いします」。幼児も自分で考えて自己紹介をします。

ただ、初めて参加した年長のHくんは、恥ずかしかったのか、何も話そうとしません。ですが、ちゃんと皆と同じことをしておかないと、お兄さん、お姉さんが名前を覚えられず、面倒を見たり、優しくしたりできないから、自分がやりたくなくても、「これは、しなくてはならないこと」と教えました。心が決まれば、みんなと一緒になんでもできるのです。ただ、普段、「やりたくない」というとやらなくて済むのかもしれません。
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「大好きな人は?」というと、幼児はみな、「おかあさん」といっていましたが、小学生にはクラスの仲良しの子でも言うのかと思いましたが、気を使って、「家族と先生です」と言ったりします。そういうことを言いたくない子は、「茨城にある宇宙ステーションに興味があります」と上手につないだり、学校で参加したイギリス旅行の話をしていました。


毎年、夏の合宿のバスの中で、自己紹介の口上を教えるのは、外の世界でも役に立つよう、そして、普段交流のない、幼児と児童が仲良くする儀式です。しかし、今年は、講習会の最終日、切実に若い人に口上を教える大切さを感じていました。なぜなら、二人の若い保育士さんが「マナ先生」といって、私の目の前でモジモジしています。「なぁに?」というと、横から他の先生が「そういうときは、子供たちがマナ先生のために描いたものです。これは、園長からです、と言わなくちゃ…」と教えていらっしゃいました。

何世代も同居する大家族や、地域に根付いて助け合ったり育てあったり、親御さんが気をつけたり教えるなどが珍しくなった今、若い人は、就職してはじめていろいろなことを習うのかもしれません。しかし、できれば、子供のうちに、なるべくいろいろな経験をさせておきたいと思うのです。

子供の自己紹介が終わった後は、茜先生に質問タイム。「好きな曲はなんですか?」「音楽祭で独唱した曲です」。「ピアノの曲ならなんですか?」とか、「好きなテレビ 番組は?」など、いろいろと聞いていました。「得意なことはなんですか?」といった3年生のMくんは「そんなの絶対にピアノにきまっている」と皆に突っ込まれて、「ピアノじゃなくってってこと」というので、「そういうときは、ピアノ以外で得意なことはなんですか?」って聞くのよ」と質問の文章を一緒に考えました。

そのなかで、ルネ先生が、意地悪な質問をしました。「好きな人はいるんですか?」。小学生の女の子たちの 気持ちを代弁したのです。茜先生が真面目に困っていたので、「おかあさん、っていえばいいのよ」と助け舟を出しました。子供の質問だからと言ってなんでも全て答えることはありません。子供だって高学年になれば上手にはぐらかす術を持っているにですから。

さて、今日は各班でキャンプファイアーの出し物を練習して、お風呂にはいり、その後は工作で吹き矢の筒をビニールテープで飾り、スポーツ吹き矢の競技を楽しみました。吹き矢で求められる呼気の強さは、発声にも必要なものなのです。夕食の後は、班長たちが考えたゲームをして、子供たちは興奮していました。最後は、金魚体操をして、喉のためにヨガのライオンのポーズ。そして、心を落ち着けるゲームをして寝る準備をしています。

子供たちは誰も病気にもならず、元気いっぱいです。あまりの楽しさにギャーギャー大騒ぎをしたり、集団行動の習慣がない幼児がふらふらと行動して危ないことをする都度、「話を聞きなさい」と注意することもありますが、男の子というものは、毎年、そんなものだと思います。


初日は、楽しいことばかりで子供たちはみなとても楽しそうです。けれど、明日から、マラソン、合唱(音感)、お化け大会など、楽しいことばかりではなくなります。でも、みんなで仲良く助け合えば、乗り切れるはずです。私たちは、子供が寝静まったら、夜の散歩の下見に丘を登って散策する予定です。今年の尾瀬は思いのほか、暑くて、ちっとも涼しく感じないのですが、天気がいいのは何よりです。
by k-onkan | 2015-07-27 21:11 | 楽院だより | Comments(0)

合宿に向けて

何年か前になりますが、合宿の説明会をした時に、あるお父さんが「尾瀬に行ったら、過保護にせずに、危険なことも自分で体験して感じて学ばせてほしい」と言われたことがありました。そのお子さんは、年中で初参加でした。

e0143522_1757361.jpg何回も合宿に参加した子なら、自分で危険な場所にも気をつけられるかもしれません。ですが初めての参加なら、自然の中のルール、宿泊所周りの危険など、まず、大人が教えなければいけないと感じます。子供に自立的にいろいろなことを考えて行動させるためには、まず、一緒にいる年長者から、いろいろ見聞きして、覚えて、それが、やがて、自立へとつながっていくのだと思います。

もし、親御さんが体験から学んでほしいと思われるなら、ご家庭で一緒にキャンプなどする時に、危険がないように見極めながら、安全を確保しつつ経験させていただきたいとお伝えしました。合宿では、大勢のお子さんがいて、一人ひとりに勝手な行動を許すと、団体行動が困難になり、結果的に、それぞれのお子さんを危険にさらすことになってしまうこともあります。ですから、合宿中は、人数確認のために点呼をします。軍隊のようで抵抗があると言われるかもしれませんが、見知らぬ土地で、一人ひとりの安全を守るために必要なことだからです。

昔から幼児教育をしているというと、「幼児期から何かを押し付けて教えるのはかわいそう」と言われます。このお父さんももしかすると、「教えないで、自分から学ぶこと」に重点を置きたかったのかもしれません。ですが、子どもたちは教わることに抵抗を持っているわけではないのです。むしろ、外の世界に出ていくために、必要な情報を欲しています。幼児期の素直な時期には、いろいろなことを吸収するときです。大人が勝手に「無理」だと決めつけて、子どもの可能性をつぶさないようにしたいものです。

明日からの5日間、なるべく、その日の様子をその日のうちに、ブログでお知らせするようにします。
by k-onkan | 2015-07-26 17:42 | 楽院だより | Comments(0)

遊びからも、教えからも学んで!

「幼児期は主体的な遊びから学ぶことが大切なので、木下式のように大人が与える学びは主体的ではない」と批判を受けることがあるという話を耳にしました。

e0143522_0202966.jpgたとえば、子どもが自然の中で何かを見つけ、その生き物には羽があって透き通っているとか、目がキョロキョロとうごくなど、自分で気がつくことで学ぶのは、とても大切なことでしょう、ですが、そうした学びだけが幼児に必要だと言われると、それには抵抗を感じます。子どもが自由な遊びから学ぶように、大人が用意した環境でも教えられることはたくさんあると思うからです。

幼児期の子どもは、いろいろなことに「なぜ?」「どうして?」という疑問を持っているものです。しかし、すぐに「それは(理由)だから(結果)になった」と教えて概念づけないと、子どもが興味を示す瞬間を逃してしまいます。木下式の音感かるたは、幼児の「なぜ、どうして」を利用して、競い合って名称を覚えたり、声を出すため、楽しい中で、がんばる力が育つのです。

最近、3歳のお子さんの体験授業をした際に、その子が「なぜ?」「どうして?」と聞くのにしばらく、つきあったことがありました。すると、お母さんは、「そんなに、子どもの質問に答えていいのですか?」と言われました。もしかすると、「子どもが自主的に考えられなくなるから、大人は答えを教えてはいけない」とどこかで耳にされたのかもしれません。

10歳を過ぎていたら、なんでも、大人が答えを教えてはいけないと思いますが、2~3歳の「なぜ?」「どうして?」は、大事な瞬間なので、見逃さないでほしいのです。

最近、私が尊敬するお母さんのブログに「ひたすら観察」という記事を見つけました。その方はご自身もアスペルがー症候群で、多くの病気を抱えながらも、医師から「一生読み書きはできるようにならない」と言われた自閉症のご子息を自分流の方法で教育し、就労を実現されました。

その方が、子どもの頃に気をつけられたのが、お子さんに「あれ、なに?」と言われたら、何をしていても中断して、答えを与えるということでした。興味を持ったことは「聞いたら教えてもらえる」という情況を作り、頭だけでなく、体も鍛えたそうです。頭だけ、体だけでは、バランスが悪いと、勘で思われたといいます。

何事も大事なのはバランスではないか、と思います。自由遊びの中から得る学びもあれば、周囲の大人から学ぶことも、本から学ぶこともあり、幼児期に大事な遊びは、一つではないと思うのです。そして、子どもが興味を持って取り組むなら、大人が苦手な科目でも、子どもには楽しかったりするのですから。
by k-onkan | 2015-07-25 23:18 | 幼児 | Comments(0)

分かった涙ならいい

講習会の中日が終わると、試験を受ける教諭のみなさんが「麻奈先生、見ていただいていいですか」と大行列。ちょっとした人気者のような気がするのが、講習会の初日、二日目の夕方です。今回は特に長い列ができたのは、前日に和樹先生の演奏会に出かけるため、全員で楽院をしめて、会場に出向いたため、受験する先生に練習を会場を貸すことも、お稽古を見てあげることもできなかったのです。2日分のレッスンを若いお嬢さんたちが、こころゆくまで、お付き合いすることにしました。

e0143522_9143021.jpg最後の方が返ったのは7時10分でした。「あ、分かるようになりました。泣いちゃうかも」。やはり、園を代表して、検定試験を受けるというのは、たいへんなプレッシャーなのでしょう。「そんなことくらいで泣かないで、いじめたみたいだから」と私は思いますが、試験の後、「どうして、落ちたんですか?」と泣きながら、聞きにくるよりは、ずっと、ありがたい涙です。

この教育は、膨大な指導体系があり、とても難しいものです。音楽を専門に勉強した人であっても、簡単には分かるようにはなりません。しかし、コツを覚えると、これほど、面白いものはないとも言えます。なぜなら、面白いように、子どもに対する観察力、指導力などに手ごたえが出るからです。音感の指導が上手になると、他のことを教えるのも上手になるはずです。

木下式は、数多くある教育法のたった一つでしかありませんが、そのたった一つの教育法を学ぶと、物を教える基本、大人としての人間力があがります。

木下式は幼児にも、大人にも厳しいので、敬遠されることが多くあります。それでも、40年近く続けてこられたのは、どんなに「木下式をやっているから、職員が続かない。経済的負担が大きい」と言われても、「いいことをするためには、これだけは譲れない」と試験制度を継続し、出来が悪ければ、できるようになるまで、教える代わりに、簡単には、合格を出さない講習会の試験制度に、教員指導の秘訣があるのです。

子どもを教えるのも、若い先生を教えるのも、「分かるようになった」と喜ばれるとこちらも、感激して、一瞬、ウルッと感じることもあります。幼児に比べ、大人にはいろいろな知識や概念がある分、木下式の微妙なニュアンスを受け止めたり、表情を真似たりするのは難しいことです。しかし、素直な心で受け止められる人は、たとえ、年齢が上でも習得が可能ですし、反対にどんなに若くても、頭でっかちでは習得できず、結果、自然淘汰されていきます。どんなに教諭の数が不足していても、子どもに好ましくない影響を与えることを考えると、少しでも、素直に自分から学べる人材を見つけ育てることが大事なことなのだと感じます。

さて、ちょっと優しいことを書いてみましたが、試験では容赦はしません。(なぜなら、その嫌なことを言うのが、私の仕事だからです)でも、実は、追試で宿題をもらって、何回も指導を受けた先生の方が、結果的には、子どもを教える時に、いろいろな手法を引き出しに持てるかもしれないのです。ですから、試験に一度で通ることも大事ですが、もっと大事なのは、試験に受かっても、園児のために勉強し続けるということなのだと思います。
by k-onkan | 2015-07-24 23:13 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

演奏しない人がいたから、もう1回!

講習会初日は、洗足学園音楽大学「レパートリーオーケストラ演奏会」にご招待を受け、協会から大勢で出かけました。曲は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、“海”-管弦楽のための3つの交響的素顔。ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」「管弦楽のための舞踊詩”ラ・ヴァルス“。でした。

e0143522_916750.jpg学生オーケストラということで、会場に制服をきた若い学生が大勢いました。身近でこんな素晴らしい演奏会を簡単に聞けるのは幸せなことです。

最後の曲がはじまって、すぐバイオリンの女性が一人、退場していきました。しばらくすると、また一人。
演奏中に弦が切れると、順番に後ろの人の楽器と交換し、一番後ろの人がステージから出て弦を張り替えてステージへ戻ります。そして、今度は前へと楽器を送るのです。しかし、バイオリンが二人も退場する演奏ははじめてでした。

曲が終わると、和樹先生が「実は、演奏の途中で弦が切れてしまったんです。一台、切れることは、たまにありますが、同じ演奏会で、二台の弦が切れることはめったにない」と説明し、その後、「曲が短くて、戻ってこられず演奏できなかった学生が二人いるから」と急遽、「56番から」と最後の曲をもう一度、演奏したのです。
生徒たちのために、もう一度、指揮をふる和樹先生の気持ちを受け止めた団員は、和樹先生の期待にこたえようと、更に、気持ちを入れて、演奏するのです。和樹先生が若い方たちの持っているすべてを全身で引き出す、素晴らしい演奏を聴かせていただきました。

指揮をするのは、すごい体力がいります。和樹先生も、4曲の指揮をして、本当はとても疲れていたでしょう。ですが、それよりも、その日まで、練習してきた生徒が舞台で演奏できないことに気を使われる、ここが和樹先生の魅力だと感じます。

私たち大人は、「いいものを見せていただいた」とうれしくなりましたが、静かに演奏を聴いていた楽院の子どもたちは、「え?プログラムが終わったのに、またやるの?」とびっくり。特に我慢の限界がきていた年長の甥Kは、心の中では怒っていたはずです。

ですが、楽院の生徒は、実は、「弾いていない人がいるからもう一回」「最後の最後に、もっと上手にできるようにもう一回!」には慣れています。それは、木下先生の平素の練習と通じるものがあるからです。そのため、再度、演奏が始まると聞いて、内心、むっとしても駄々をこねたり、悪い態度をしたりせずに、静かに聴くことができます。それは、年齢が低くても、音楽を学び、ふだん演奏を聴いていただいている経験から、会場で静かにお客さんをすることがどれほど、大事なことかも、肌で知っているからです。

演奏会が終わると、演奏後でお疲れのところを無理を言って、みんなで和樹先生と一緒に写真を撮っていただき、帰ってきました。洗足学園のみなさま、素晴らしい演奏をありがとうございました。
by k-onkan | 2015-07-23 23:14 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

先生たち、頑張って!!

明日から、木下式の三期講習会が開催されます。この教育は、幼児の耳や喉に障害がない限り、指導者の言葉や発声を真似する内に、「先生の目を見て話を聞く」「集団の中で指示に従う」「姿勢よく立ち行儀よくふるまう」「集中して物事に取り組む」などが徐々に身に付いていきます。

e0143522_8372450.jpgその秘訣は三期講習会で、担任の先生方が指導法を学び、実践していること。もう一つは木下式の「音感かるたのルール」にあります。「先生の目を見る」「手はおひざ」「足をバタバタしてはいけない」「歌を歌わない人はかるたに触れてはいけない」。つまり、人の話は目を見て聞く、行儀よくする、責任を果たさずに好きなことだけはできないことを表し、指導者はこれを基に幼児を注意したり、諭したり、褒めたりすることから、集団活動をしていても、一人ひとりのお子さんまで、指導の目が行き届くのです。

幼児には一見、厳しいルールに聞こえるかもしれませんが、これから、小学校、中学校、更には、自立して社会に参加するためには、幼児期に集団のルールを受け入れることも大切な訓練となります。これは、音感教育を習得するためというより、何を学ぶにしても、基本となるのは学習姿勢であるからです。


一般に幼児期に教育することは、時期尚早と考えられることが多くあります。ですが、実は、幼児のお子さんには、大人が驚くほどの能力を備えているのです。木下式が、40年にわたって幼稚園、保育園で採用されてきたのは、音楽能力にとどまらず、言語力、集中力、忍耐力、学習姿勢、知能向上など、さまざまな分野で教育効果が認められているからです。

けれど、どんなに緻密な教育体系があっても、それを実践する先生たちに指導力がなければ幼児の能力を十分に引き出すことはできません。そのため、幼稚園、保育園の先生を集めた講習会が開かれています。昭和54年に始まった三期講習会も、この夏で、117回目を迎えます。暑い中、遠方から上京しての勉強は、たいへんですが、お預かりするクラスのお子さんたちのために、頑張っていただきたいと思っています。
by k-onkan | 2015-07-22 23:35 | 木下式音感教育法 | Comments(0)