麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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言葉がなくてもわかること

恒例の津の教室に指導に出かけました。今回は、7カ月のRちゃんとの新たな出会いがありました。7カ月の赤ちゃんはまだ口をききませんが、絵カードや歌い聴かせに対する反応や手指の発達を見ながら、聴覚や視覚、運動能力がバランスよく発達しているかどうかを観察します。木下式は「音感教育」という名の聴覚訓練なので、中でも耳の発達はよく観察します。

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私がはじめて出会う赤ちゃんに必ず行うことがあります。それは、そのお子さんの名前を呼んで耳元で鈴を「チリン。チリン」と鳴らすことです。たいていの赤ちゃんはその音源を探そうと目を動かします。その様子をみて「ちゃんと年齢相応に耳を使っていること」を確認するのです。

赤ちゃんは必ずといっていいほど、音源を見つけると目を輝かせます。まるで「あ、これが鳴っているのか」と確認しているかのように見えます。口をきかなくても、赤ちゃんの目の先に何があるかで、「何を探しているか」「何を欲しているか」を判断することもできます。

赤ちゃんクラスのお稽古で、赤ちゃんたちが一番、喜ぶのは、音感かるたのメロディーを歌って聴かせる時です。歌(メロディー)を聴くのは、言葉を聴くのと同じ脳の部位が働くと聞いたことがありますが、特に木下式の発声はよく通る高い声なので、声量を落としても、赤ちゃんには受け止め易いようです。

一般の方の中には赤ちゃんや障害を持つ人、病気で言葉を失ったご老人などと、意思の疎通が図れないと考える方も多いようですが、言葉がなくても、理解できることがあります。それは目や身体の動きから、分かることがあるのです。そこで、大人の私たちが、意識的に目や身体の動きに興味をもって観察するも大事だと思います。

私たち大人は、子どもと付き合う時につい「言葉」で指示を出して、物事を理解させようと思ってしまいます。言葉は理解できる人には簡単ですが、語彙が乏しい乳幼児には、決して分かりやすいものではありません。手本を見せたり、手をそえたり、声の質などで感覚的に教える方が、分かりやすいのです。

赤ちゃんクラスでもう一つ、好まれるのが「絵カード」です。単語をリズムにのって、カードをサッサッとめくっていくと、赤ちゃんの目はカードにくぎ付けになります。この時、単語は高めの声で、母音を意識して伝えます。30枚程度のグループを三種類ほど、行いますが、その間、たいていの赤ちゃんは、目をそらすことなく、カードを見つめています。目の焦点を合わせる練習にもなっているのだと感じます。

カードを行っていると「ものには名称がある」ことを乳幼児がきづき、まわりの大人がしゃべる言葉に興味を持って、自分も似たような音声を発するようになっていきます。

赤ちゃんクラスに5か月、通っている1歳9か月のTちゃんは、絵カードを見ると、真似をしようとする姿があります。それに伴って、ふだん、何気なく口にする単語が増えてきました。

最近は、2歳になっても、まったく言葉を発さないのは「ふつう」だと言われます。ですが、それは充分に単語やお話、歌など言葉に興味を持つきっかけを与えられてない可能性もあります。たいていのお子さんは、耳が聴こえて、まわりの大人との関わりがあれば、少しずつ、自分も言葉を発するようになるものです。

言葉が早いか、遅いかは問題ではありませんが、赤ちゃん自身が言葉をためる材料があるか、ないかは、その後の言語力に大きな影響があります。賢く育てるというのは、「有名な学校に入学できるかどうか」「難しい問題が解けるかどうか」ではなく、自分が考えていることを自分の言葉で説明したり、なにか考えたりすることができるかどうかが重要だと感じます。そして、その一番の土台の部分が、乳幼児に言葉に興味を持つ機会があるか、ないかではないかと感じるのです。
by k-onkan | 2015-08-31 13:32 | Comments(0)

好意とおせっかいの間で・・・

e0143522_20214324.jpg夏休み最後の週末が違づき、6年生の甥Yから「今年の夏休みは、カラオケに行かなかったなぁ」という残念そうな声がありました。そして、「今度、絶対にカラオケにいこうよ」と私にお誘いがかかりました。つまり、「お金を払ってくれる大人」を探しているのでしょう。

私もつきあいで友人とカラオケに行くことはありますが、実は得意ではありません。一般の方のように「歌ってストレス発散」ができず、一曲、一曲を真剣に聴くか、意識的に聴かないようにすると、かえって疲れるからです。ですから、せっかくの休日に「自分から行きたい」と思うことはまずありません。第一、普段からこれだけ大きな声を出しているのですから、十分、ストレス発散もしていますし・・・。

そんな話をすると、Yが「友達とカラオケに行っても『そこは(普段の歌唱指導の身振り手振りを真似して)もっとこんな風に…』と教えたりするの?」というではありませんか。甥の思い込みに大笑いして、「生徒でもない大人に「声が違う、音程が悪い」なんて。そんな失礼なことは、いくら私でも言うわけないじゃない」と答えました。すると「えぇぇ?そうなの?誰にでも、『ラぁ』って手本を聴かせるのかと思ったよ」と衝撃を受けたようです。

甥の誤解ももっともなのかもしれません。子どもは普段、親しみを持っている大人が一歩、社会に出ると「よそいきの顔」があるなど想像などしないものなのでしょう。思えば、17歳で我が家にやってきた卒業生Aも、私の友人と一緒に食事した際、年上の友人に気を使う私を見て、「普段のように、もっと堂々としている麻奈先生の方がいい…」とがっかりされたものですが、楽院にいる間は『音感の先生』をしていても、学生時代の友人にとっては、いつまでも年下で手助けが必要だった後輩なのだと、高校生に説明したのですから、六年のYをはじめ、小学生の生徒たちも同じように考えるのも無理はないかもしれません。

そこで、合唱の時間に、「もし、麻奈先生がお友だちとカラオケに行ったら、『声が違いますよ』とか、『音痴ですよ』って友だちに言うと思う?」と聞いてみました。すると、子どもたちは、じっと考えながら、「言うと思う」との答えが返ってきました。

「じゃぁ、たとえば、レストランでピアノを演奏している人がいて、あまり上手じゃなかったとして、山崎先生は指導をされると思う?」と聞くと、全員がうんうんと首をふって、「すると思う」というのです。山崎先生はすかさず、「お月謝をいただいていないのに指導しないわよ」と教えてくださいました。

たとえ、「教える技量」を持っていても、相手が「教えてほしい」と思っていないのに指導することは「おせっかい」になります。子どもにはこうしたことを意識的に教えておく必要を感じます。悪気はなく、人におせっかいをして煙たがられたり、トラブルになることもあるからです。特に、発達に凸凹がある自閉症スペクトラムのお子さんは、よくも悪くも素直な分、本当のことは何でも言いそうなので、特に注意して教えています。

そこで、「みんなが、歌を歌ったり、ダンスを踊るのが得意だとしたら、それは小さい時から、楽院に通って、できるのが当たり前になっているからよ。だから、学校で、お友達から「教えて」と言われない限りは、「あなたは音痴ですよ」とか「声が違うよ」と言ったりしたら、嫌われるわよ。楽院の合宿で、小さい子に教えてあげるのは、一緒に音楽を学ぶ仲間だから、いいけれど、よそで、おせっかいを焼いてはダメよ」と説明したのでした。

とはいえ、好意とおせっかいの間は微妙であり、大人でもその判断は難しいものがあります。私のカラオケの話に戻すなら、お友達の歌があまりに調子やリズムが外れて、自分が耐えられないほどの苦しみを感じたら、さりげなく一緒に歌って正しい音程やリズムを見つける手伝いをすることはありますが、あくまで親しい友人限定です。それでも、ずいぶん、鼻持ちならない奴だとは思われているかもしれませんが……。
by k-onkan | 2015-08-30 23:17 | 児童 | Comments(0)

年上の呼び捨て、禁止!

新学期を迎えるにあたって、あるお母さんからうれしいメールをいただきました。それは、「合宿から帰ってから、弟が兄を「Yちゃん」と呼ぶようになった」ということでした。そこには「合宿で麻奈先生が『お兄さんを呼び捨てはダメ』と言ったから」と書いてありました。私は「そういえば、そんなこともあったなぁ」と懐かしく合宿のことを思い出しました。

e0143522_124839100.jpg合宿では、私たちは上級生の男子を呼び捨てにします。だんだん生意気になる年頃は、「~ちゃん」「~くん」では指示が通らないことが増えるからです。しかし、私たちが「呼び捨てだから」と下級生が真似をしたらたいへんです。

実は、それについて苦い経験があるのです。今から20年以上前のことになりますが、私たちが呼び捨てで呼んでいたZくんをみなが親しみを込めて、呼び捨てにしてしまっていたのです。ですが、ある男の子がある日を境に神妙に「Zくん」と呼び始めたので、理由を聞くと「お父さんから叱られた」という話だったのです。私たちはそこではじめて私たち―先生―が呼ぶのと、子どもでは、立場が違うことを説明する責任を感じたのです。

今回は特に幼児班が男児ばかりで、「生意気なことが格好いい」と思いそうなメンバーだったので、「先生たちがお兄さんを呼び捨てにしても、子どもは自分より年上の人を呼び捨てにするのはダメ」と禁止したのです。

ついでに、「たとえ、兄弟でも、お兄さんを呼び捨ては格好わるい」と教えたのです。S兄弟は二学年違いなのですが兄のYくんは発達障害があったことから、幼い頃はなんでも弟の方が先にできるようになってきました。そのため、弟には「兄」というより「同級生の兄弟」という感覚なのかもしれません。兄が弟を「Kくん」と呼ぶのに対して、弟はまわりの大人と同じくように呼び捨てでした。

私は日頃から、それが気にはなっていたのですが、実際、弟の方が勝っているうちは改善させるのは難しいと感じていたのです。兄弟と言えども、動物の世界と同じで、実力が物をいいます。今回の合宿では兄のYくんの音楽的な成長が著しかったので、好機が到来したとも言えます。「Kくんもお利口なところはたくさんあるけれど、楽院のことに関しては、兄貴の方が上よ。それなのに、呼び捨てにするなんて絶対におかしい」と教えました。

「たとえば、ユウセイくんのことを「にぃに」と呼ぶ弟のカイチが「ユウセイ」って呼んだら、「何もできない癖に生意気だなぁ」と思うでしょう?」と説明しました。弟のKくんは兄甥Y をすごく慕っているので納得がいったようです。その後、合宿で兄に対してどのように呼び方が変化したかはわかりませんが、家庭でも「Yちゃん」と呼び続けていたことがとても微笑ましく感じるのです。

さて、日本もアメリカ的になり、兄弟姉妹であっても、名前を呼び捨てにしたり、兄姉弟妹という感覚は持たせたくないという家庭も増えています。すが、やはり、年功序列の感覚はどこかに残しておかないと、自分より年上の人を慕ったり、年下を可愛がったりする習慣は簡単には身に付きません。人間はその権利は平等ですが立場によって、やはり、いろいろ異なることがある、そんな当たり前のことは、子どものうちに教えておきたいと思うのです。
by k-onkan | 2015-08-29 12:48 | 児童 | Comments(0)

兄の思いに涙・・・

今週―8月の最終週―から楽院の授業は始まりました。参加した子は約3週間ぶりですが、もっと小さいお子さんの中には1ヶ月ぶりのお子さんもいます。毎年、夏休み明けに感じるのは、親御さんと充分に、幸せな時間を過ごしたお子さんは成長を感じますが、「塾」に「夏期講習」にとスケジュールに追われるお子さんの中には、「音感かるた」の意味づけやメロディーの存在さえ、忘れてしまうお子さんもいます。そんな中、とても微笑ましいことがありました。

e0143522_1841045.jpg年長のIちゃんは小学校受験をめざし、お稽古事や夏期講習に忙しく、今年の合宿には参加できませんでした。そのため、「きっと、きっと、音感のことは忘れているに違いない」とひそかに心の準備をしていました。

ところがいざ、レッスンが始まると、夏休み前より記憶は確実になっていました。家庭でどなたかが、熱心にかるたのメロディーを覚えさせてくださったようです。「休みの間、どなたかピアノの練習を見てくださったでしょう?」と声をかけると、「お兄ちゃん」という答えが返ってきました。

Iちゃんには年の離れたお兄さんがいて、幼い頃から楽院に通っています。とても素晴らしい美声の持ち主でしたが、幼稚園受験、小学校受験の度に長期に亘って欠席されたことから、今一つ、音感能力が伸びなかったという残念なことがありました。そのお兄さんが、音感能力の基礎になる「メロディーパターン」を時間がある時は妹に復習させていたというのです。

その気持ちを想像して、私たちは実は、涙が出そうになりました。きっと「自分は長期の休みの度にメロディーパターンを忘れてしまって、つらかった。だから、妹だけは、麻奈先生に叱られないようにしておいてやろう」という愛情を感じるからです。

Iちゃんに「お兄ちゃんは『麻奈先生に叱られないように』って言っていたでしょう?」と聞くと、「麻奈先生に叱られると困るからってやってくれたの」という答えが返ってきました。

「自分ができなくて困ったことを次の世代が困らないようにすること」。これが、いい親、いい先輩、いい指導者になる秘訣のような気がします。子どもの頃、叱られてばかりだったKくんが、妹思いの頼り甲斐あるお兄さんに成長していることを感じられて、なんだか、とても微笑ましい気持ちになったのでした。
by k-onkan | 2015-08-28 18:41 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

子どもの行動の責任は

最近、中学生の男女が誘拐して殺害されるという痛ましい事件がありました。中学1年と言えば、この前まで小学生だった12~13歳の子どもたちです。その子がどうして夜中に子どもだけで外にいたのだろう。なぜ、大人はだれも気にも留めなかったのだろう。私の「なぜ?」は止まりません。

e0143522_1341262.jpg思えば、中学生だった私たちの門限―はっきりとあったわけではないですが―は6時ごろ、つまり、「暗くなる前には家に帰れ!」ということでした。たまに暗くなっても帰っていないと「コラ!」という怒鳴り声が家の中に鳴り響きました。

高校生になって、塾やおけいこごとに自分でいくようになって、9時ごろだったでしょうか。今はもっと遅くまで塾やお稽古ごとが開いていると思いますが、それでも未成年者が11時を過ぎて外を出歩いていたら、補導の対象になるはずです。

アメリカは州によって異なりますが、12歳未満の子どもを一人きりにすると親が罰則を受けます。たとえば、大型スーパーに買い物に行く際に、「子どもが寝ているからかわいそう」と車内に置いていったら、間違いなく親がつかまるでしょう。

6年前、当時6歳だった甥Yと二人でアメリカを旅行した際に、空港でトイレに行かせようとして、アメリカ人の友人から強く叱られたことがありました。トイレには変質者がいることもあるために、一時でも目を離さないのが保護者の責任だというのです。旅行中は、女子トイレに一緒に入り、個室でも他に見ていてくれる大人がいない限りは連れて入ったことを覚えています。欧米にはそれほど、子どもの安全を守るのは「親の責任」という国もあるのです。そういう国で暮らした経験がある私には、やはり、夜中1時から5時に12~13歳の子どもたちが外にいたことに違和感があるのです。

この事件を受けて、最近、お母さんになった卒業生がこんなことをつぶやいていました。「これまではどんな事件も「子どもの側」で話を聞いていたのに、自分が親になったら、「事件にあった子の親はどんな気持ちだろう」と考えるようになった。でも、年頃の子どもは親の言うことはきかないだろうし、塾やおけいこごとで夜遅くなることもある。どうやったら、この事件を防ぐことができないのだろう。自分が子どもの時は、悪いことをすると、近所のおせっかいなおばさんが、親に密告されたり、コンビニのおじさんが「こんな時間に外に出るものではない」と説教されて、正直、わずらわしいと思ったけれど、今思うと守られていたんだね。そういうことも大事だと思うようになった」。

「親の立場」になって考えると、大人がうるさく言っても言うことをきかない子どもの気持ちも分かるでしょう。ですが、幼い子どもはまだお母さんが大好きで、その言葉に忠実な時期があります。親の言うことを「うるさいなぁ」「うざいなぁ」というまでには、長い時間があります。幼い頃に「夜に外に出るのは、決して、安全でないこと」「子どもが親より先に逝くことはとても悲しいこと」を教えられる親御さんであれば、たとえ、子どもが少々、生意気になっても、夜中に自分の家から逃げ出したりはしないように思うのです。外に何かを求める子には、多かれ、少なかれ、家庭に居られない理由があります。まず、自分の家に居場所があるように育てることは、地域や社会で子供を守る以前に大事なことのように私には思えるのです。

私は、卒業生が親になって、「大人の目線」になっても、自分が子どものころに「大人はうざい」と思った「気持ち」は忘れないで欲しいと思っています。そして、自分が「うざい」と思われない親になる努力―それでも完璧な大人などいないのですが―をすることが、子どもと互いに理解する上で大事なのではないかと思うのです。
by k-onkan | 2015-08-27 23:04 | 子育て | Comments(0)

過去を利用して子育て上手に!

最近、「子育て」が苦手な親御さんが多くなっていると感じています。私の個人的な感想ですが、彼らには「自分が子どもの頃、どんな風に育ったか」を「まったく記憶にない」「気が付いたら今!」。そんな漠然とした答えがかえってくるという共通点があります。

e0143522_11462936.jpg私は、刺激的な父から刺激的な教育を受けたので、いいことも悪いことも執念深く覚えています。「幼稚園、小学校でいじめられた」という暗い過去も、「木下先生の娘」ということで特別扱いされて得したことも、結構、いまだに覚えています。

私の記憶は自分についてだけでなく、自分のまわりにいた友達―たとえば、楽院に通っていた生徒さんのことも、一緒に合宿に行ったり、我が家に泊まりにきた子なら、どんな親御さんがいて、どんな風に育てられていたかなど、かなりはっきり覚えています。

私は物事を執念深く覚えている分、「こんなことをしたら~が起きるのでは」など考え過ぎるため、臆病なところがあります。つまり、前向きに考えることが苦手です。でも、これが音感教育を通して、子どもたちを育てる上ではとても役に立っています。それは、大人になっても、「子どもの時の気持ち」を忘れられないからです。

たいていの人は、昔のことを記憶していても、立場が変わると、考え方も変わっていくように思います。たとえば、子どものころは「大人なんかうざい」と言っていたのに、大人になった途端、そんなことを忘れて「うざい大人」の役割を果たしたりするのです。もちろん、それが、大人になることであり、大人の役割なのですが、その時に「子どもの気持ち」を忘れないと、もっとうまく子どもと関われるようになると思うのです。

たとえば、悪いことをする子どもに、ただ「それはやってはいけないこと」と教えることも大事ですが、自分も「道を外れた」経験があるなら、「なぜ、そんな気持ちになったか」を考え、「どうしていたら、そちらの道に進まずに済んだか」を考えるのです。そうすれば、自分の失敗を生かして、子育てができます。

そのためには、「自分の恥ずかしい過去」もきちんと子供に伝える潔さは持たなければなりません。大人になった自分を子どもに過剰に、大きく見せようとすると、どんなにいろいろな経験を積んでいても、子どもに心は伝わらないような気がします。結局、相手は子どもでも、「1対1」の人間として、本音を見せられれば子育ては難しくはないと思うのですが。
by k-onkan | 2015-08-26 23:20 | Comments(0)

5か月分の歩み

4月から音感指導を始めて、月に3回、指導にうかがう保育園でうれしいことがありました。それは大人の男性のように低音で話すお子さんも、どうにか「ドレミファソラシド」のすべての発声ができるようになったことです。最初は、「ドレミ」の3つの音がどうにか出せるだけだったので、この5か月は無駄ではなかったと思えます。低い声の子どもを高い声に改善して、歌を歌えるようにする秘訣は、同じクラスの子を手本にして、声の競い合いをさせることにあります。

e0143522_1982321.jpg一般の方は信じられないかもしれませんが、幼児期の子どもは実は「たたかいごっこ」や「競い合い」が大好きなのです。それは、私たちが生きるための「本能的」なのかもしれませんが、仲が良い子どもたちほどコチャコチャと小さなことで争っています。その姿は、どこの幼稚園、保育園、家庭でも見かける姿だと思います。だからといって、教育現場で無用な諍いをすべて認めるわけにはいかないから、それぞれが工夫をこらしています。

たとえば、テレビでよく見かける「ヨコミネ式」では男の子にレスリングをさせる映像があります。「子どもは喧嘩が好き」という特性を理解した上で、「喧嘩をさせるわけにはいかないからレスリング」との説明を聞いたことがあります。レスリングを通して、堂々と向かって発散する時間が与えられていれば、ふだんの生活でいじめたり、いじめられたりはしないだろうと思います。

木下式は音感教育なので「歌声」によって競い合いをさせます。大人は他人と比べられたりするのを恥ずかしいと感じますが、幼児は「~ちゃんとボクとどっちが上手かな?」と水を向けるとお互いに「絶対に負けるもんか」と頑張り、それまで以上のいい声を出せるようになっていきます。その競い合いが、それぞれを切磋琢磨させるのです。

月齢が小さく言葉の理解が遅れているお子さんが、輝くような美しい声を持っていることもあれば、優秀なお子さんが結構、気が弱く、歌を歌わせると驚くほど小さな声であることもあります。学校の勉強のように「いつも優秀な子」が決まっていないのが、音楽という科目です。

木下式の訓練は歌唱が苦手でも「音符書き」や「身体表現」などの課題があるので、机に向かったり、身体を動かす場面があります。そのため、どの子も何か一つ得意な課題があります。その自信から、他の苦手な課題も克服していくことができるのです、

さて、年長のお子さんが小学校へ入学するまで後8か月です。幼稚園保育園では「遊び中心」だった時間が、小学校になると「学習」がメインになります。その生活に戸惑いを感じたり、自信を失わないで済むように、音感教育を通して、先生の話を静かに聞く、大事な情報を得る、指示を理解して自分で行動するなどの学習の素地は身につけさせておきたいと思っているのです。
by k-onkan | 2015-08-25 23:04 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

不思議なご縁

今年の夏休みは「発達障害」に関する本が2冊、「小1プロブレム」に関する本を何冊か読むことができました。今日はその中から「治ってますか?発達障害 著:南雲明彦 浅見淳子」「あの扉のむこうへ―自閉の少女と家族、成長の物語- 著:藤家寛子」(花風社)をご紹介しましょう。

e0143522_23111386.jpg「治ってますか?発達障害」の南雲氏は、21歳のときに学習障害と分かり、苦しい時期を過ごされましたが、「自分と同じ思いをさせない」をモットーに、共育コーディネーターとして、悩みを持つお子さんや親御さんと対話を繰り返しています。子どものために熱心な活動をされている若い方です。

この本は、「発達障害を持っている人はありのままでいい」と考える特別支援教育の関係者の方には、かなりショックな内容かもしれません。なぜなら、南雲氏のように当事者の中にも「障害があっても『できなくていいんだよ』ということは支援ではなくマイナス」という考え方があることを突きつけられるからです。

ですが、普段から多くの幼児たちと付き合っているからこそ私も実感していることがあります。それは、子どもはだれも「できなくていい」という「特別扱い」は望んでいないのです。むしろ、他の人と同じにできて当たり前と信じています。それは、発達障害の有無に関係ありません。「みんなが上手に歌えるなら、自分も歌えて当たり前」なのです。ですが、歌が苦手な大人が「自分も苦手だから、触れないであげて」と過剰に反応してしまう、これは、実は子供の力を妨げることでもあります。その時は、人より時間がかかって、恥ずかしいこともあっても、できるようになった喜びは何にも代えられない宝物になるのです。

もちろん障害があると、実際に不便なことも多く、できないこともあるでしょう。ですが、さまざまな手法を駆使して、できないことができるようになれば、こんなに素晴らしいことはない、そう思えるさわやかな本でした。

「あの扉のむこうへ」の著者、藤家寛子さんは20代前半で自閉スペクトラムの診断を受け、重い二次障害に苦しんだ方です。その方が自分の子どものころに思いを馳せ「こんな伝え方をしてもらったら…」「こんな接し方をしてもらえたら…」と自閉の子の心の中を可愛い物語として綴っています。

小説なのに子ども向けの作りものではなく現実味があると感じられるのは、どこの幼稚園小学校にも存在する「意地悪な女の子の友達とそのお母さん」が登場するところかもしれません。

私がこの物語を読んで、優しい気持ちになれるのは、作者が障害を持つ自分自身よりも、自分を育てた親御さんに対する思いが込められているからではないかと思っています。ご本人もとても苦しんだはずなのに、それを全て受け止め、消化して、前向きに修行される様子に感動するのです。二冊の本に共通するのは、さわやかな読後感です。個人的な考えですが、発達障害関連の本では珍しいことです。

一般に、発達障害について書かれた多くの本は「発達障害の特性を社会が理解すべきであること」「障害を無理に治そうとせずに、その子の特性をありのまま受け入れること」「できないことは悪いことではなく、それが個性」等、配慮が多く求められますが、私は以前から、それには違和感がありました。

今でこそ、クラスに2~3人は発達障害を持つ子がいると言われていますが、私が初めて、「自閉症スペクトラム」について学んだのは、今から15年以上前のことでした。当時、教えていたお子さんに「自閉症スペクトラム」の診断がつき、そのお母様から「わが子の障害について知ってほしい」と色々な書物を紹介いただいたのです。その本は、「治ってますか?発達障害」と「あの扉のむこうへ」と同じ「花風社」の本でした。まったくの偶然なのですが、もしかすると、私は最初から、「発達障害があっても発達する」という方針へと導かれていたのかもしれません。
by k-onkan | 2015-08-24 23:09 | 発達障害 | Comments(0)

勉強するには理由がいる!

先日、4年生の男の子をもつお母さんから、「計算の問題に行き詰っている」というご相談を受けました。そのお子さんは発達障害の特性ゆえにとても真面目で、定型発達の子がするような手抜きや要領よくこなすことが不得手です。時間を競う計算問題が得意ではないことも想像がつきます。

e0143522_232434.jpg私はこのお子さんが、小さい頃から音感教育を通した成長過程を見てきました。鉛筆で自在に書いたり、ピアノを弾くことは不可能だと思われた子が、音が消える前に難しい和音やいろいろなリズムのメロディーを書き取り、いい音色でピアノをスラスラ弾けるようになった姿を見ると、「不可能なことはなにもない」と思っています。ただし、乗り越える「ポイント」を見つける手助けや、習得までの時間は必要です。

一般に、「子どもに苦手なこと」があると、「得意なことを伸ばせばいい」と他に希望を見つけようとする傾向を感じます。しかし、どんなに苦手なことでも生きていく上で最低限、必要なことがあります。それは、自分の身体を時代に使えるようにすること、そして、小学校高学年までの読み書き計算です。「音楽」の能力をここまで伸ばせたのですから、他のことも諦めなければ、絶対に乗り越えられると私は信じています。

しかし、そのためには、親御さんの側面支援が必要です。小学校も高学年になると、子どもは小さい頃のように「やればできる」と前向きな考えではいられなくなるものです。それぞれの能力差に子供自身が気づくからです。「どんなに頑張ってもできない」「自分より優秀な人がいる」。その現実を見ると、意欲がもてなくなることが増えてきます。そんな時は将来の希望と重ねて「勉強の意義」を知らせることが大事だと思うのです。

そのお子さんは「電車の運転士」になりたいそうです。とっさの判断を求められる職業は、発達障害の子に適職でないと大人が決め付けることはあまりお薦めできません。たとえ、向いていなくても、子ども本人が「向いてない」と判断できなければ意味がないと思うからです。どんなに「大人の言葉はたいてい正しい」としても、子供の人生だからこそ、子供に答えを見つけさせたいものです。

私なら、「列車の運転士は時間通りに運行するためには、やはり計算ができないと困るわよね」とか「漢字もしっかり勉強しておかないと、休日運行とか繁忙期の特別なお知らせが理解できないこともあるかも」など等、なりたいものになるためには努力が必要なことを教えると思います。いくら、「子供には夢を持たせない」と言っても、努力もせずに願えばかなうなどと思わせるのは心配だからです。

実は、私自身「小学校で勉強する科目は、どんな職業につくにしても生きる上で必要なことだった」と実感したのは、大人になってからでした。「こんなことなら、もっと、はっきり教えてくれたらもう少し真面目に勉強したのに…」と後悔もしました。ですから、余計に「勉強の意義」を伝えておきたいのです。

社会でどんな職業についても、発達障害の有無に関らず、お金をいただき、自分の尊厳を守って社会で生きるために小学校で習うことは最低限、必要です。そして、それは子供と関る大人―先生と呼ばれる人や親御さん―が実感できないまま、子供に求めるのは難しいことでもあるように思うのです。
by k-onkan | 2015-08-23 23:02 | 発達障害 | Comments(0)

口うるさい伯母でごめんなさい!

甥たちと一緒に出かけると、楽院の合宿や海の家で「いかに大人のふりをしているか」が分かります。私と3人だと、愛されている自信で結構、やりたい放題で、まるで別人のようだからです。やんわりと「ダメ」と言っても聞かないので、本気で「ダメと言ったらダメよ」ということもありますが、それでも、甥Kは甘えた顔と可愛い声で私のご機嫌をとります。その姿に「まぁ、いいか…」と思うのは、私が身内で甥たちを可愛がっているからに過ぎません。他人から見たら「調子がよくて、しつけの悪い生意気な子ども」に見えるでしょう。そこで、翌日、妹に報告をしました。

e0143522_18472827.jpg私はこう見えて苦言を呈するのが得意ではありません。貯めて、貯めて、意を決して言うので、その分、相手を傷つけてしまうことがあります。その時もかなり不愉快な言い方をしたはずです。しかし、教育やしつけについて、誰よりも一生懸命、取り組んできた妹を知っているので、甥たちの欠点は見逃せません。

特にYは、私の身長を追い越し、成人までは後8年です。中学生になって自分の世界を持ったら、大人の言葉より、友達の言葉を信じるようになるでしょう。比較的、素直に耳を傾ける今、教えるべきこと、伝えるべきことは親から教えてほしいと思っています。

最近は未成年が事件に巻き込まれて「親が悪い」などと発言すると、「悪いのは犯人であって親ではない」という答えをよく耳にするようになりました。しかし、未成年のうちは、親御さんにも子供の身を守る責任があると私は思っています。「夜遅くに子どもだけで外へ出ない」「社会には危険がある」「大人を侮ってはいけない」など家庭で言われたか、言われなかったかで、子供の行動範囲は変わるのです。

子供の土台は、家庭の中で両親との生活の中で知らず知らずのうちに形成されるものだと感じます。身内の私が、どんなに口うるさく言っても両親が「気にすることではない」という考えなら効果はないでしょう。ですから、余計、妹には厳しく言うのです。「もう高学年だから、自分に優しい人に対する態度や物言いは失礼にならないように、きちんと教えないと、親が恥をかくわよ」と妹に苦言を呈しました。その時は「ハイ」と神妙に妹が返事をしたので安心していました。

ところが、夕方に、妹を迎えに甥たちが職場に顔を出したとたん、「もう二人とも、まぁちゃんと出かけてはいけないから。二人の態度が悪いって、お母さん、すごく叱られたじゃない」と私の目の前で叱るではありませんか。

甥たちが少し気の毒になったので、「二度と遊びにきてはいけないとは言わないけれど、食べる時は、誰もいないからと言って、お行儀悪く食べると『親のしつけが悪い』と思われるから、ちゃんとしなさい。普段から言われているなら、なおさらよ。それから、電車の中は自分の家の自動車とは違うから、どんなに楽しくても二人で大きな声で話したり、兄弟で物を取り合ったりしてはダメなのね…」

ダメ出しは次から次へと続きます。「Yは帰る時になって「あ、水を飲むのを忘れちゃった」と言いながら帰って言ったけれど、みんながみんな、お母さんや“ばぁば”のように「お茶があるわよ」とか「シャワーを浴びたから何か飲めば?」と気を利かせてくれるわけじゃないのよ。喉が渇いたなら、「水を飲むのを忘れちゃった」じゃなくて、水でもお茶でも飲めばいいでしょう?冷蔵庫を勝手にあけてはいけないと思うなら「麦茶ください」と言ったらいいじゃない。口をきかずに、気づいてもらうことはできないよ」と両親の目の前でダメ出しをしました。

我ながら口うるさい伯母だと思いますが、「大人がニコニコしているからと言って、心の中までニコニコしているとは限らない」。私が子供のころに、このことを学べたのは、私が長子であり、父方、母方の親戚と多く、付き合いがあったからでした。反して、弟妹は他人の家は居心地が悪かったのか親戚と関るのが苦手でした。嫌な経験も少なかった分、大人になってはじめて、誰もが自分を好意的に受け止めないことを実感する経験も多くあったような気がします。

自分自身が、大人になったからこそ理解できるのですが、親戚から我が子を叱られて嬉しい親はいません。それでも、本当のことを言ってくれる人は少ないものです。そして、それを受け入れるか、拒否するかで、その後の子供の成長は異なると思うのです。そして、もし、他人から苦言を呈されるのが、嫌なら、やはり、親が一生懸命、育てることも大事だと思うのです。無責任な放任と、他人任せな教育が、子供を危険な目に合わせることもあるのですから。
by k-onkan | 2015-08-22 18:46 | 自立について | Comments(0)