麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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妥協するな!の意味は・・・

私の父の口癖には、「妥協をするな」という言葉があります。父は、この言葉を音楽の演奏でも、大掃除の時も、料理を作る時でも、何にでも言うのです。たいていの方は「そこまで、突き詰めなくても」と思われるかもしれませんが、私たち姉妹や甥たち、そして、長くつきあう楽院の卒業生は、「妥協するなと言うわりには、結構、ツメが甘い」ことを知っているので、木下先生の「妥協するな」は「その時々のいい加減なことをせずに、最善を尽くせ」という意味だと解釈しています。

e0143522_20253394.jpgたとえば、音感を教える際の「妥協をするな」という言葉は、「子どもの能力を過小評価して、大人が簡単にあきらめるな」「理解できないのは子どもが悪いのではなく、大人に指導力がないことがほとんだ」と言うことです。これもまた、教えるなら、最善を尽くして教えよ!ということです。庭掃除の「妥協するな」なら、イヤイヤ手を動かすのではなく、一生懸命、打ち込んで、お正月を気持ちよく迎えられるように掃除をせよということかもしれません。

そういう父に育てられた私は、大人になった今でこそ、「やるなら、きちんとやらなければ」と前向きに取り組みますが、子どもの頃は、毎度、毎度、聞かされる「妥協するな」を「毎度、毎度、うるさいなぁ」と思っていたのです。ところが、最近、そんな私も「妥協するな」と憤りを感じることが増えてきました。

最近も、幼児教育の関係者から、「最近の子どもは大人が「~してはいけない」と言っても言うことをきかないんですよね。時代でしょうか…?」と他人ごとのように嘆くのを聞いて、「幼児とつきあう大人が妥協してどうするの?」と思ってしまいました。

そして、ふと気づいたのです。木下式を実践する幼稚園、保育園の園長先生は、長年、木下先生と関わる気概をお持ちの方ばかりなので、園児のしつけに関しては、妥協なくされているということを。

もちろん、音感教育に関しては、本部の私たちが、「このやり方はいけない。改善が必要」等、指導することはありますが、園児たちの日常の姿勢や取り組み意欲については、余計な口出しをしたことはないのです。つまり、妥協なく、「ならんことは、ならん」を教えられる園長先生の園だから、木下式が実践されているということでもあります。たぶん、木下式云々以前に、当たり前のしつけができていないことが、園児たちのためにならないことをよくご存知であり、幼児のために、最善を尽くす方が、木下式を理解してくださっているということなのだと思うのです。
by k-onkan | 2015-09-30 23:24 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

頑張れる子のことも認めなければ!!

月3回、指導にうかがう保育園での指導も半年が経過しました。最初の頃は、鉛筆の持ち方も色彩名を知らなかった年少の子供たちも、少しずつ、音感かるたの意味づけを記憶して、ピアノの音をよく聞いて声を出す習慣が身についてきました。それに伴って、園児の歌声も「音感教育を受けた成果」を感じられるようになっているとのご感想をいただきました。

e0143522_02156.jpgそんな中、特に嬉しかったことがあります。それは給食の先生から「子供たちが口を大きく開けて『給食、いただきます』と言うようになった」とのご報告があったことでした。この先生の母語はスペイン語で、自ら、スペイン語を教える仕事もされていた方なのです。はじめて日本語を学んだときには、一生懸命、口元を見て学ぼうとされたそうですが、外国の方と比べ、日本人は口まわりの動きが小さいのです。そうした経験を持つ方だからこそ、幼児の口まわりの変化に気づいてくださったのでしょう。木下式は、歌上手を育てるために言語訓練を行うため、普段の話し方も「アエイオウ」を意識し、滑舌がよくなっていくのです。

さて、保育園に通うようになって、今年で2年目ですが、私が保育園でとても気になることがあるのです。それは、保育園では、「一番、手がかかるお子さんに指導が集中すること」です。これは、保育士の先生の責任というより、保育士の教科書にそれが好ましいと書かれているからかもしれません。

ですが、実際に大勢の子供たちを預かると、大人の手を欲している子供は特定の一部だけではありません。もちろん、クラスの中には、必ず、個別に支援を必要とするお子さんがいます。ですが、教科書どおりにその子だけを指導することは、いつまでも、その子の発達を妨げ、自立できなくしてしまうこともあるのです。

また、その間、問題なく発達していたお子さんも「自分も構ってほしい」と思って、わざと正しくないことをしたり、手を抜くこともあります。これでは問題なく発達していたお子さんまで手助けを必要とするお子さんになり、すべてがどんぐりの背比べになってしまいます。

私は、音感の指導をする際に担任の先生にお願いしていることがあります。それは、クラスの中に、特別に手をかけたいお子さんがいたら、さりげなく後方から手助けをすること。そして、特定の子ばかり特別に構うのではなく、「できているはず」と思っている月齢の大きなお子さん、理解力のあるお子さんにも目を向けることです。当たり前のことを問題なく頑張るお子さんも認められ、褒められるべきだと思うからです。

さて、半年の折り返し地点を過ぎ、後、どれくらい子供たちが成長するか分かりませんが、少しでも、多くのお子さんが、歌を歌えるようになったことで、自分に自信を持てるようになればと願っています。
by k-onkan | 2015-09-29 23:28 | 幼児 | Comments(0)

やるなら正しく!!

ある教室で1年生の男児の歌唱指導をした時のことです。その男の子はとてもいい声なのですが、口型作りが遅いため、軽快感のある曲が酔っ払った人の歌のように聞こえてしまいます。つまり、音程が不確かなのです。口型を指導して、意欲を持って素早く発声に臨むようにと指導したのですが、あまり変化がありません。

e0143522_23153993.jpg勝手な想像ですが、普段から大人に口うるさく言われても、のらりくらりと受け流しているうちに、まわりが諦めて、自分のやり方が通る生活に慣れているのかもしれません。ですが、指導を引き受けたお子さんに好き勝手な歌い方を許して発表会に出したら招聘してくださる教室の先生に申し訳がありません。

そこで、本気にさせるために、「曲を変えよう!」と提案しました。男の子は、びっくりしたようですが、これは「教える側」として決して妥協できないところなのです。この子が、どうしても、この曲を歌いたいと思うなら、これまで指導された「歌唱のルールー口型作りや発声の仕方」」を守り、この曲を歌うべきです。しかし、どうしてもルールを守れないなら、指導者側が我慢できるレベルの簡単な曲に変えることも考慮しなければなりません。
結局、「本気で曲を変えるかもしれない」と危機感をもって、自分から口型を正して歌うようになって、やっと、軽快感のある歌い方に変化したのです。

本人が自分で、心を切り替え、最初の曲を上手に歌えれば、実はそれが、一番好ましいことです。なぜなら、音楽会の二か月前に曲を変えて負担になるのは、子どもだけではなく、教える先生にもたいへんなことだからです。

もちろん、音楽会前にはやむなく、曲を変更することもあります。たとえば、急に成長して変声期が到来して、努力しても声が出ない時期には、失敗するとわかっていることに挑戦させて失敗させたりはしたくありません。

舞台に立った経験がある人なら、それがいかに緊張するかをご理解いただけると思いますが、たとえ、子供であっても、自分の力が及ばずに失敗すると長く自己嫌悪に陥ることもあるのです。ですから、練習は手抜きをせずに、本気で取り組むことを教えたいですし、それでも、失敗する可能性はあるのです。

こうした指導をすると、「子どもを脅かして、やりたくないことをやらしている」と思われる方もあるかもしれません。しかし、これは脅しではありません。音楽会に出るなら、指導に耳を傾けなければなりません。

それぞれの世界には、それぞれのルールがあり、そこに所属するなら守らなくてはならないことです。木下式なら正しい口型によって正しい音程で歌うことは鉄則であり、これを守らずに発表会に出ることはできません。そして、「曲を変える」と言われたお子さんは、音感の先生の本気度は理解できたと思うのです。
by k-onkan | 2015-09-28 22:22 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

この可愛さが一生分の親孝行かも!?

恒例の津市の教室でレッスンがあり、1歳10ヶ月のTちゃんのお父さんが、ベビークラスを見学されました。Tちゃんは1ヶ月前に比べて、更に言葉が理解できるようになり、私が、「次は何をしたい?かるた?ボール?」と尋ねると「カータ」と言ったりします。「かるた、がいいのね」というと、「うん」と頭を振って応えます。そして、私が、「ドレミはみんなの仲良しさん」のメロディーを歌って聴かせると、一緒に歌おうと口型を真似たり声を出して歌うのです。

e0143522_21302160.jpgTちゃんのお母さんは「木下式の指導者になるための勉強」をしている先生でもあります。そのため、毎月、必ず、親子でお稽古に来て、私のアドバイスに耳を傾けます。「教育やしつけが大事と言っても、子どもにも意思があるから、なんでもお母さんの思い通りにさせてはいけませんよ。お母さんがしてほしいこと(教育)を受け入れてもらうためには、Tちゃんが好きなこと(遊びなど)も受け入れて、互いに歩みよらなければ…」等など、お母さんには少し耳が痛いことも、Tちゃんの前で必ずアドバイスをするようにしています。そのため、Tちゃんは「この人は自分が嫌がることはしない」と少しずつ心をひらいてきたように感じます。

お遊びのように見える「母子同伴クラス」のカリキュラムですが、音感教育を始める前に一番、大事なことをしています。それはお母さんが指導者を信頼してお子さんを預けてくださることです。お母さんが信頼できない相手に、子どもは自分のすべてを見せたりはしないからです。

音感の課題には、大きな声を出すことや身体を動かす訓練があります。こうした課題は、信頼した相手でないと自分を見せることができないのです。そこで、お母さんが見守る中で、先生に心をゆるして、自分を出す練習をしているのです。

Tちゃんのお父さまは「麻奈先生と勉強している時の集中力がすごい」と感心してくださったのですが、私は少し心配になりました。それは、木下式を勉強するお母さんがおうちで「麻奈先生と1時間も集中できたのだから、お母さんとも頑張ってほしい」と躍起にならないかということです。私が0歳~1歳児を指導する際には、「やりたくない」と思う直前に訓練が終わるようにしています。しかし、その見極めは「お母さん」には難しいのです。なぜなら、子どもの様子より、自分の「教えなければ」という気持ちが先行して、子どもを観察できなくなるからです。

私は、長年、いろいろな経験をさせていただいたので、子どもの状態を見極めたり、心を瞬時に掴むコツのようなものを心得ています。それでも相手は1歳10か月の幼児です。1時間、集中できる日もあれば、集中できない日もあります。私を試すために、わざと間違えることもあります。そんないろいろな日を経て、子どもは成長していくのです。ですから、子どもに「麻奈先生と1時間、集中したように、日々、集中できたら天才児に育つのでは」と過剰な期待をして、プレッシャーをかけたりはしないでいただきたいのです。

木下式に限ったことではありませんが、子どもに何かを教える時は、お母さん自身が一緒に楽しみ、「子どもから教えてもらう」という気持ちが大事です。誤解がないように申し上げると木下式は「(声の)矯正」はしますが「強制」はしていないのです。木下式は、幼児が自分から学びたくなる状況を指導者が作り出せるように、指導者が指導法や発声を学び、手本になるように努めます。

もちろん、幼児がわざと悪いことをしたり、危険なことをしたら喝を入れますが、それも、決して子どもの意思を無視して厳しくしたり、無理に学ばせたりはしていないのです。しかし、木下式の「厳しさ」を誤解する方は、ここを間違って受け取られるように感じます。

木下式は幼児期に教育を与え、自立させることが目的の音感教育です。しかし、いくら自立を目的とするからといって、1~2歳の子どもに自立を求めたりはしないのです。この時期は手を差し伸べ、教え、愛さなければならないからです。

1歳前後のお子さんの中には、自分でできるようになったことでも、お母さんにやってほしいと甘えることもあります。これはお母さんに対する愛着が育っている証拠。つまり、お母さんを大事な人として認識しているのであって、決して悪いことではないのです。

子どもは、お母さんの体調が悪かったり環境の変化を感じると不安になって甘えることもあります。たとえば、大人でも弱っている時は誰かに優しくしてほしいと思うかもしれません。そんな時、相手に冷たく突き放されたら、「自分を理解してくれない」と悲しく感じるかもしれません。赤ちゃんも一緒です。お母さんがどんな時でも受け止めてくれると確信が持てれば、安心して自分のことを自分でするようになっていくはずです。

最近、「赤ちゃんが甘えん坊で」と悩むお母さんに多く出会います。しかし、1~2歳の可愛さが、一生分の親孝行だと言う言葉もあります。つまり、この可愛さは一生は続かないということです。子どもはすぐに成長して、「お母さんより友だちがいい」とか「お母さん、ダメじゃない」と生意気なこともいう時期がきます。すると、「小さい頃はあんなに可愛かったのに」と思うものです。ですから、今、お子さんが「お母さん、お母さん」と頼ってくる1~2歳の時期を大事にしていただきたいのです。
by k-onkan | 2015-09-27 23:29 | のぞみクラス | Comments(0)

声変わりはスランプのようなもの

私が子供時代には、男の子の成長は女の子に比べ遅く、男の子が在籍中に変声期が訪れることはありませんでした。つまり、合唱団で歌っている間は、男の子はみな美しいボーイソプラノだったのです。しかし、最近の子は成長が早く、5年生にもなると変声期がくる子もいます。甥Yもその一人です。

e0143522_20405558.jpg現在、楽院には3人の6年生が毎週、通っていますが、それぞれ変声期に突入したと感じます。たぶん、中学受験のために、休学している子どもたちも、受験が終わって、私たちに顔を見せる頃には、すっかり声が変わっているかもしれません。

さて、変声期に入ってしばらくは、どんなに音感能力がある子でも、音程がふらついて、調子が外れるようです。なぜなら、自分が出したいと想定する声と、まったく違う声が出て、コントロールが効かないのです。それまでは、何も考えなくても、体が覚えた通りに声を出せば、正しい声で歌えたのに、いきなり、失敗の連続です。「違う声を出すな!」と叱られても、自分でもどうしたらいいか、分からない。変声期はそんなつらい時期なのです。ちょうど、体操選手やフィギュアスケートの選手が、身体の成長によって、それまで難なく跳べていたジャンプが飛べなくなるのと、共通しているかもしれません。

女の子でも、変声期は声が裏返ったり、声が太くなり、子ども時代の美しい輝きがなくなり、ショックを受けますが、それが、男の子になると、もっと気の毒です。なにしろ、美しいボーイソプラノが、どこの誰の声かと思うほど、「知らないおじさんの声」になるのですから。

子どもたちは、変声期に入るか、入らないか、つまり、思春期に合わせて、とても生意気になるものです。私たちが声をかけても、返事をしなかったり、いちいち反抗的な態度を見せたりします。「ボクたちはもう子どもではない」と言わんばかりの態度です。

しかし、声が完璧に変わってしまうと、反抗する気も失せるのかもしれない。最近、そんな風に感じます。その理由は、お互いに協力して、なんとか木下先生から「なんだ?その声は」と叱られない声の出し方を模索する運命共同体になったからです。新しく授かった声域でいかに美しく声を響かせるか、協力して探っています。子どもたちも一日も早く、歌を歌って楽しいと思いたいのでしょう。

在籍中に、変声期が来る男の子には気の毒ですが、私は変声期の悩みまで関われることは、いい面もあると思っています。なぜなら、楽院を卒業して、一番、面倒な時期に入った時に、変声期まで起きたら、歌が得意な男の子には、この世の終わりと感じるほど切ないものであり、そのつらさは経験したことがない人には理解されにくいからです。

私自身、小学6年生の頃、それまで、難なく出た声が裏返るようになりました。それまで、合唱団の一員として頑張っていた自分が、なんだか存在価値がないような気がして、心がささくれ立ったものでした。ですが、その状態になれると、声が出なくても自分ができることを見つけて、皆と協力することを学んだと記憶しています。それは第二声部で下級生が音程よく歌えるように音感能力を生かしハーモニーを取って小さい子が違う声を出さないように気を付けてあげることです。

現在、六年生の男子二人は、そんな修行をしているのだと思います。これまで合唱団のトップ(第一声部)として、他の人の何倍も頑張って歌ってきました。しかし、光輝く場所でなくても、頑張れる場所を見つけることが大事です。一見、地味な裏方(第二声部)でも、「この人がいてくれれば」と言われると、存在意義を見出すことができるはずです。六年生の男の子たちは、現在、コントロールが効かない自分の声と奮闘しながら、人生の縮図のようなスランプと戦っているのです。
by k-onkan | 2015-09-26 23:39 | 児童 | Comments(0)

イヤならやめなさい

最近、年長の甥Kが、お稽古事の時間になると、「いやだなぁ。行きたくないなぁ」とウジウジ言います。最初は、「一人で地下鉄に乗るのがイヤなのだろう」と不憫に思って、 「頑張って」とか「Kちゃんなら大丈夫」と声をかけていましたが、最近、その姿が目に余るようになってきました。そして、何回かK のウジウジを目にした後、ついに「イヤなら、やめなさい」と瑠音先生(お母さん)のカミナリが落ちました

e0143522_435224.jpgやめなさい」と言われると「いやだ」というKは本当はお稽古事が嫌なのではないでしょう。お稽古の前に、少し機嫌をとったり、構ったりしてもらって、気分をお稽古に向けて、切り替えたいのかもしれませんが、まわりの大人にも都合があって、いつでもKの願い通りにはいきません。末っ子のKもそろそろ大人にならなければいけない時期なのでしょう。

「ダンスも合気道も、お母さんが頼んで始めたお稽古じゃない。Kちゃんが『やりたい』と言って始めたお稽古でしょ? お稽古はお父さん、お母さんが働いたお金やジィジのお金でお月謝を払っているから習えるのよ。やりたくないのに無理に通うのは無駄。いかなくていい」。これまでも何度も話して聞かせたことなのですが、第二子のKはその時は、神妙な顔で素直に受け入れたように見えても、まだまだ、心のどこかで全てを受け入るまでには成長できていないのでしょう。

たいていの親御さんは、「せっかく、続けてきたのに辞めたらもったいない」とか、「もう少しで進級するから」と、子供が嫌がっていたり態度が悪くなったりしても、続けさせることにだけ、躍起になるものかもしれません。ですが、子供自身が「自分のために、していること」として受け止められるないと、いつか「お母さんのために、やってあげていた」と感じるようになってしまいます。そういう気持ちでいると、苦しいことに直面した時に、「お母さんのせい」とか「おけいこごとがあるのがいけない」など責任転嫁して逃れようとしてしまいます。

なぜ、そんなことがわかるか? 」それは、私たちもまた、子供だった時代があって大人やまわりに責任転嫁をして、自分を甘やかした経験があるからかもしれません。そして、これからも、きっと、何度も、「いやだな」」「じゃぁ、やめなさい」「いやだ」「じゃぁ、ちゃんと、やりなさい」というやり取りは、K自身が精神的に成長して、「なんでもなくなるまで続くだろうと思います。

お稽古に行くまではたいへんでも、行けば楽しくできるものです。また、進級したり、新しいことができるようになると、達成感もあります。ですが、時々、疲れている日や頑張るために、大人の応援が必要な日もあります。ここをどう対応するかで、大人になって、困難に立ち向かうタイプか、困難から逃げるタイプになるかが決まるのかもしれません。

今回の最後の〆は、「Kちゃんは合気道もプールも体操もダンスも音感も、もう何もしなくていい。幼稚園もやめなさい。いつも「今日は水泳だ。いやだな」と言ってばかりなのだから幼稚園もいかなくていい。来年、小学校に行くのも、全部やめて何もしないでいいから、家でシマちゃん(ハムスター)とお留守番してなさい」。「いやだ」。

子供に色々なスケジュールがあると、「お稽古事があってかわいそう」「忙しくてかわいそう」と言われることもあります。ですが、子供にとって1番つらいのは、遊び相手もなく、やりたいことも、やらなければいけないこともなく、一日中、テレビやゲーム機に向かってなんとなく時間を潰すことかもしれません。
by k-onkan | 2015-09-25 23:22 | 幼児 | Comments(0)

単語で終わりにしないで!

楽院の望クラスでは絵カードを使って、「動物」「野菜・果物」「乗り物」の名称を教えます。カードを次々とリズムに乗ってめくりながら、「りんご、バナナ、ほうれん草…」と、母音を意識した木下式の語調で、教えることで視覚と聴覚の両方から、言葉を理解させることができるのです。

e0143522_1935122.jpg0歳から2歳のお子さんは、知っている単語が増えることで、日々の生活の中、同じものを見つけるととても喜び、自分から言葉を発したりするようになっていきます。しかし、3歳を過ぎたら、単語を教えるだけでは役不足です。そこで、絵カードを見ながら、「りんごは好き?美味しいよね。リンゴジュースはリンゴをすってこすとできるのよ」とか「じゃがいもって、食べたことある?じゃがいもを切って、油であげるとポテトになるね」などなど、その単語の名称だけでなく、どのように使われているか、身近な例を出して、子どもの興味を引き出しています。

今日は、3歳の女の子二人にこの絵カードをしました。一人は、幼稚園受験を目指しているCちゃん、もう一人は日本語より英語を使う機会が多いSちゃんです。単語だけなら、Cちゃんが自信を持って答えますが、「じゃがいもって食べたことある?」などと質問すると、分からないようです。ふだん、保育園で食べる料理では、もとの食材の形は見たことがないのでしょう。

Sちゃんは、日本語で「りんご」と言われるより「APPLE」の方が理解できるようです。しかし、日本の幼稚園に入園予定なので、普段、使われる英単語が日本語ではどのような単語になるかを知らせる必要を感じています。

どんなに野菜や果物の名称を教わっても、お母さんと一緒に料理をする経験がないと、自分が食べたことがあるものか分からないのは当たり前です。毎年、必ずといっていいほど幼稚園受験の練習問題に「おうちのカレーの中には何が入っていますか?」という質問がありますが、これは、ただ「じゃがいも、にんじん、たまねぎ」という答えを教え込むより、本当にお母さんが家庭で料理をしているか、そこに子どもが参加しているかを見極める問いのように感じます。

どんなに、いろいろな名称や質問の答えを知っていても、一番、大切なことは子どもが、その単語を知っていることで物事に興味を持って生活できることです。たとえば、野菜や果物の名前を知っていても、それがどんな形や色をしていて食べるとどんな味がして、触るとどんな感触がして、調理するとどんな料理になるかなど、体験で知らないと意味はないと感じます。

これは果物や野菜の名称だけに言えることではなく、たとえば、「動物の名前を知らないから」と一度くらい、動物園に連れていっても、興味を示しません。何より、苦手なカード名を憶えさせられるために行く動物園は、大人の思惑ばかりが先行して、楽しくはありません。せっかく親子で出かけるなら、勉強から離れて家族一緒に楽しい時間を過ごして、その延長線上に「ぞうが大きかったね」「白クマが水の中で泳いでいたね」と、会話をしながら、家族のいい思い出になることの方が真の体験学習なのではないかと思うのです。単語は知らないより知っていた方がいいでしょう。ですが、ただ知っているだけでなく、そこから知識の世界を広げていくことが大事なのではないでしょうか。
by k-onkan | 2015-09-24 23:33 | のぞみクラス | Comments(0)

誰かの時間はタダじゃない!

シルバーウィークの後半は、起業した友人のホームページ作りのお手伝いをしました。友人は私と同じ年でアメリカ時代のルームメートです。昔から日本語より英語の方が得意だったこともあり、ホームページの原稿を作るのが難しいと相談を受けたのです。

e0143522_15454541.jpg平素、木下先生の話を聞いて文章を起こしたり、木下式のホームページの原稿は自分で書くことから軽い気持ちで引き受けましたが、本来なら文章を書くプロの方にお金を払うか、給与を払うスタッフにお願いすべき作業だと思います。

今回、友人のお手伝いをして、何より、一番、強く思ったことがありました。それは、これまで、いかに多くの「木下式に惚れ込んだ方々」が貴重な時間を使って、私をボランティアで教え育ててくださったかということでした。そして、今、私が若い人に自分の時間を使って何かしてあげたいと思うのは、自分が受けた恩義を少しでも次の世代に返したいと思っているからです。

それでも若い人には知っておいてほしいのです。それは、たとえ相手の好意であっても、やはり、その人の時間は無料ではないということです。たとえば、私が自宅に人を招くために2時間かけてお掃除をするとします。その2時間で私が音感指導をするとそこには対価が発生します。もちろん、自分の意思でお客様を招くためにお掃除するのですから、それは私の意思であり、お金に換算することではありません。しかし、その時間は無料ではないことだけは忘れない人でいてほしいのです。

若いうちは、いろいろな大人がいろいろなことを教えようと手を差し伸べ、与えてくれる場面に多く遭遇します。ですが、それを「してもらって当然」と思うようになったら、誰も相手にしてくれなくなってしまいます。そして、自戒も込めて、改めて、自分の時間も他人の時間も「無料ではない」ということを再認識しなければと思います。どんなに親しい友達でも、家族でも、恋人の時間でも、私たちが人のために使う時間は、貴重なものです。それを無駄にしていないか、常に胸に手を当てなければと思ったのでした。
by k-onkan | 2015-09-23 23:44 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

お母さんにもやっぱり責任はある!

少し遠くから帰る電車の中での出来事です。私の目の間には大きなベビーカーを置いたお母さんがひざに2歳後半くらいの女の子を乗せて座っていました。昔から、おしゃべり上手は賢い子といいます。豊富な単語を操りペラペラとよく話すその子は、まさにそのタイプでした。話声位は高く、言葉がはっきりとして、木下式を教えるなら優等生といえるでしょう。しかし、混雑した夕方の電車では大勢の人が迷惑に感じ、女の子が口を開くたびに、誰もがその親子へ目を移します。

e0143522_964996.jpgお母さんも、娘が騒がしいことに気づいているのですが、どうすることもできません。ただ、ただ、押し黙って困った顔をしています。反して、女の子は、しゃべっても、しゃべってもお母さんから無視をされるので、益々、不安になって声が甲高くなっているのです。

本当は、お母さんが「電車の中だから、今は静かにしてね」と声をかければ、きっと、子の子は理解できる力を持っているでしょう。しかし、周りの厳しい視線に痛みを感じて、益々、頑なな様子が見て取れます。

何度目かに女の子がペラペラ話し出すと、そのお母さんはいきなり、ピシャリと音がするほどの刺激で、足を叩いたのです。女の子は、一瞬にして火がついたように泣き出したのです。こんな悲惨な泣き声を聞かせられるくらいなら、うるさいおしゃべりの方がましだったと思うほど、不快な声でした。

驚いたお母さんは、またもや、何の説明もないまま、その子の頬に接吻をして、頭をナデナデしはじめたのです。女の子は、お母さんがやっと、自分の機嫌を取ってくれたので、嬉しくなって、また元気に大きな声で話しはじめます。これでは、この子は、電車の中のマナーも知らないまま、大きくなっていくでしょう。

子供を連れているお母さんは、「しつけをしていない」という他人の冷たい視線に責められているようで、思わず、手を出してしまうのかもしれません。しかし、順序立てて説明していれば、どんなに幼い子どもでも、大人の気持ちを理解できるようになります。しかし、そのためには、その時々、子供に「何が起きているか」という現状の説明、どうしたらいいかという解決法を説明する必要があります。

きっと、この女の子も、きちんと一人の人間として向き合って言葉をかけるだけで、電車でのマナーを理解できる力を持っているはずです。そう思うと残念でなりません。そして、子供を持つお母さんも、少しでも育児書を呼んだり、子供との関り方を学ぶなどすることをお勧めします。ただ、「責められることがつらい」というだけでは、まわりは手を差し伸べて助けられないこともあるのですから。
by k-onkan | 2015-09-22 23:05 | 幼児 | Comments(0)

見守られないとできない!?

今回の旅の一番の目的は、書道の練習をすることでした。数ヶ月後に展覧会を控え、作品の練習をしてきましたが、自宅にいると、なんだかんだと理由をつけては書道から逃れてしまい、一向にはかどらないのです。

e0143522_8324444.jpg純子先生の自宅兼教室には、「書道の部屋」があります。指導の雅号を持つ純子先生は、木下式だけでなく、そこで書道も教えているのです。その部屋にはこれまで作った数々の作品が飾られ、書道のこと以外は考えられない空間になっています。

子供のころから習っているのに、一向に書に集中できないタイプでもこの部屋にカンヅメにされて、目の前で純子先生が見ていてくださると集中して、書けるような気がします。途中、何度か、休憩を入れながら、3時間、練習をしました。私の人生で、一番、長く、一度に練習したと言っても、過言ではありません。だからと言って作品が仕上がるほどの腕前ではありません。どうにか、お稽古を受ける下準備ができたというところでしょうか。

それにしても、私ほどの年齢になれば自分の意思で、自発的に学べてもいいのですが、音感を学ぶ幼児と同じく、「先生が、目の前で見ていてくれるから、サボらずに集中できる自分に、書道は本当に、自分にとっての修行なのだと感じるのです。そして、幼い子どもが、大人に見守られて勉強したい気持ちがよく理解できるのです。

3時間、正座で書道の練習をして、良かったことがありました。それは、前日から、あった首まわりに違和感が正座して集中していた間になくなっていたことでした。正座で背筋を伸ばして、筆をもつ間に、身体を使いながら調整できたのかもしれません。

自宅に帰ったら、お稽古に行く前に、もう一度くらいは練習していきたいものですが、どうなるでしょうか。
by k-onkan | 2015-09-21 23:28 | 自分のこと | Comments(0)