麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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家庭でも教えるべきことだから

最近、入学した3歳の女の子は、とても理解力のあるお子さんです。毎日、12時間保育を受けているそうですがモンテッソーリ系の保育園では手先で行う活動を重視されており、静かに話を聞いたり、手先の器用さがあります。また、限られた時間の中で、親御さんもできる限りのことをされているので、学習面には何の問題もないように見えます。

e0143522_22195095.jpgしかし、楽院に入学される際に、一番、気になったことは、お腹の底から声を出すために深く息を吸うことができないこと、「サシスセソ」が「シャシシュシェショ」になる幼児音、そして、大きく体を動かす機会が足りないことにありました。これを、楽院で音感教育を通して、改善していこうと考えています。

幼い頃から、長時間、保育園に通うお子さんを持つ親御さんに気をつけていただきたいことがあります。それは、お子さんが正しい発音を覚える機会は極端に少ないことにあります。子供同士で集団生活をする中で、子供たちは互いを感覚的に理解しながら成長していますが、その際、1対1で言葉の発音を正すことはありません。幼児音があるまま、互いを受け入れます。

また、こうしたことを保育士の先生に丸投げをするのは、正しくはないように思います。なぜなら、「言葉の習得」や「音楽指導」などの特別な教育をすることは、保育士の先生の仕事ではないと、長く言われてきた背景もあるからです。それでも、多くの保育士さんは、できる最大限のことはしているのかもしれませんが、お子さんの言葉を正しく発達させたいと考える方は、やはり、家庭や親御さんもまた、そのことに留意する必要を感じます。

また、よほど、行儀やしつけを重視する園長先生でもいない限り、保育園に通うお子さんの言葉がぞんざいになることにも注意が必要です。保育園の先生たちは、預けられるお子さんが気持ちよく働く親御さんを送り出せるように、寄り添う立場にあります。そのため、気づくと、子供が友達に命令するような言葉遣いで保育士の先生と接することも多くあります。親御さんと離れているお子さんが少しでも寂しい思いをさせまいと、保育園の先生も厳しいことは言わないことの方が多いかもしれません。そう考えると、行儀やしつけが気にするなら、家庭でも指導しなければと思います。

楽院に通うこのお子さんにも、お父さん、お母さんをはじめ、大人に対して語尾を強く物を言うことがないように指導させていただいています。歌が上手になることや、音感ができるようにすることも大事なことですが、それ以前に、親御さんに当たりの強い言い方をして、「ものを教えたくない」と感じるような、ぶしつけな女性に育ててはいけないと感じるからです。
by k-onkan | 2015-10-31 22:16 | しつけ | Comments(0)

子どもより大人次第

最近、2歳6ヶ月の男の子と5歳のお姉さんが体験授業を受けられました。ここ何年か、親元で育てられているお子さんでも、言語力、運動能力の発達が十分でないお子さんが増えて心配していましたが、このお子さんたちは、声が高く言葉も鮮明で理解力がありました。

e0143522_19112179.jpgその理由は、お子さんが何かする都度、的確に言葉をかけるお母さんの言葉にありました。とても鮮明で高く、幼児にも受け止めやすいのです。そのため、幼い弟さんにも、「最近の幼児ならあるのが当たり前」の幼児音がまったくありません。

また、身体も日常的に十分に動かす機会があることが、平均台上でバランスをとって歩いたり、マットの上を転がる様子からも感じました。久しぶりに、私が考える「言葉も運動もバランスよく発達したお子さん」と出会い、未来に少し希望を感じることができました。

お母さんは、「入学して他のお子さんについていけるか」を心配されていましたが、これだけ言葉がはっきりしていれば、歌が上手になって音感が身につく素質は十分にあります。ただし、ついていけるかどうかは、お子さんの能力ではなく地道にコツコツ通い続けられるかどうかです。親御さんが、「楽院に通わせたい」という考えを持って、通学にご協力くださるならば、楽院では責任をもって、お子さんの能力を引き出します。

昔は、「歌なら、自分でも教えられる」という親御さんが多くありましたが、最近は、よほど音楽や歌唱に力を入れている幼稚園、保育園に通わない限り、親御さんの力だけでは、歌上手は育てられないのが現状です。

なぜなら、幼稚園、保育園では「幼児の歌を上手にする方法」を知る教諭、保育士の方は少なく、その指導法も知られていないため、「とにかく、大きな声で元気に歌えば、子供らしくて可愛い」という指導が主流です。そのため、たとえ、自分が正しい音程で歌えるお子さんでも、まわりのお子さんの大きな声で、音程が分からなくなりやすいのです。

本当は、幼児期にこそ、音に耳を傾け、正しく声を出すコツさえ教われば、誰も音痴になどならずに済むはずなのに……。
by k-onkan | 2015-10-30 23:08 | お稽古事 | Comments(0)

富山へ行ってきました

今週は、富山県で、木下式を実践する二つの幼稚園に音楽祭の視察指導のために、木下先生と共に出かけてきました。数日前から、胃に痛みを抱えて、病院通いをしてしまいましたが、なんとか予定通り、日程をこなすことができました。

e0143522_1894289.jpgどんなに具合が悪くなっても数か月前から、皆さんに立てていただいた日程なので、変更すると他の予定に差し障りがあります。予定通り、視察指導をこなせたことでホッと胸をなでおろしましたが、皆様には、私の食事などで多く気を使っていただいてしまいました。忙しさを理由に自分の健康を管理できないのは、まずいなぁと反省中です。

富山では多くの幼稚園がこども園に変わっているようです。その中には、幼稚園の保育時間で通園するお子さんもいれば、長時間保育のお子さんもいるようです。保育時間に差があっても、それぞれのお子さんの能力を十分に、引き出せるように、それぞれの園では、試行錯誤されている様子を感じました。

これは、木下式を実践する幼稚園、保育園、こども園に限ることではありませんが、3歳から6歳の幼児は、いろいろなことに興味をもって、大きな学びの可能性がある時期です。できることなら、一日のほとんどを、ただ、のんびりと過ごすのではなく、メリハリのある生活をして、小学校に入学してから、戸惑うことが少ないように、段階的な準備はしてさしあげてほしいと思うのです。残念ながら、就学準備や、教育やしつけは、これからもっと家庭で行うことは、一般的ではなくなっていくのでしょうから。
by k-onkan | 2015-10-29 23:59 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

よけいなお世話は結構!!

最近、ネットで知り合った方から迷惑なメッセージをいただき、ストレスで胃が悪くなっているところです。いろいろな活動をして、いろいろな場に出入りすれば、様々な方と出会うチャンスがありますが、100人の人と出会ったとしても、すべての人と意見や感情が合うわけではありません。まして、友達になりたい人も、仕事をしたい人も本当にとても少ないものです。

e0143522_20195678.jpgそんな中、面識もない人から、「自分のことを先生と呼ぶブログはおかしい」などと意見されると、「どういう権利を持って、私のブログのタイトルを変えさせようとするのか」と憤りを感じます。よその方が「おかしい」と思うのは勝手ですが、木下式を学ぶ子どもや保護者、教諭の方にとって、それが私の呼び名です。だから、使っている、それだけのことです。

生徒たちにとって、私たち家族に血縁関係があろうが、親子だろうが、そんなことは関係ないことです。子どもたちが、知りたいのは、物を習っている相手を、「なんと呼べばいいか」。それだけです。だから、幼稚園、保育園、教育関係者は、互いを「先生」と呼び合うのだと思います。

まだ、20代で若かったころ、同級生の同僚と「先生」で呼び合うのは恥ずかしいと感じて、お互いを「さん付け」で呼び合った時期がありました。すると、どこで聞いたのか、生徒たちまで真似をして「麻奈さん」「Tさん」と呼びはじめではありませんか。その時、たとえ、未熟であっても、物を教える仕事をしたら教える側は先生であり、習う側は生徒であること。そして、「先生」と呼ばれたら未熟だということは言い訳には、ならず、教える責任を果たさなければならない。だから、恥ずかしくても「先生」でいる努力を続けなければと感じています。

さて、世の中にはいろいろな考え方がありますが、私自身、すべての人に自分の考えが100%正しいと思ってほしいとブログで発信しているわけではありません。ただ、48年間、幼児期の感覚教育に携わってきた経験から、「幼児の能力を伸ばすこと」や「幼児に何かを習得させること」について、子どもにマイナスになることはたとえ、他の立場に対してマイナスがあっても、今後も述べていこうと思っています。

そして、万が一、私のブログを間違えて気にいってしまった方がいても、どうか、誰か特定の人間の意見だけを信じ過ぎることなく、自分の頭で考え、答えを見つけてほしいと思っています。私が、世の中で一番、怖いと感じるのは、自分で考えることを放棄した大人が、自分の答えを替わりに出してもらうほど誰かを妄信することです。ですから、楽院を卒業した生徒は、、たとて、目上相手に生意気だと思われても、物おじせずに、自分の意見や考えを述べられるように育ててきたのですから。
by k-onkan | 2015-10-28 20:16 | 自分のこと | Comments(0)

怖いのは、み・ん・な・・・!?

最近、出張が多いため、幼児部のモデルクラスは、瑠音先生が授業を行っています。そのため、これまで「麻奈先生がコワイ…」と泣いていた年中のJくんが「瑠音先生がコワイ…」と涙ぐみながら、毎週、レッスンに通ってきているようです。

e0143522_19185476.jpg瑠音先生は、Jくんに「泣くなら、サメザメ泣かないで、大きな声で泣いたらいいじゃない?」と声をかけたそうです。すると、「いやだ」と言います。その理由は、「大きな声で泣くと、木下先生の部屋に連れていかれると思うから」というのですから、泣いている子どもも、いろいろなことを理解した上で、泣いているのです。

さて、そんな子どもたちに、瑠音先生は「楽院で誰が一番、怖いと思う?」と質問したといいます。すると、子どもたちは口々に「木下先生」「麻奈先生」と言い、Jくんが「瑠音先生」と答えたようです。「じゃぁ、誰が怖いか教えるね」。子どもたちは、ワクワクしながら聞いていました。そこで、瑠音先生は「み・ん・な」と答えました。

子どもたちは「えぇぇ?」と驚いたのですが、「行儀が悪いと叱られるし、一生懸命、やらなくても叱られる」のはみんな同じだと納得したようです。ただ、男性か、女性か、声が大きいか、ふつうかの差で、その日によって、怒り方や印象が違いますが、楽院で叱れることをしたら、どの先生もこわいのは、真実です。

毎回、泣いてレッスンにやってくるJくんですが、実は、歌も音感も年中児としては、とてもよくでき、年長児と同じことを取り組んでいます。そのため、いつも、全力を出さなければならないことが、つらいのだろうと思います。毎回の涙も儀式のようなものかもしれません。思えば、1年生のお姉さんYちゃんも年少、年中と、毎回、泣いていたので、私たちはあまり心配していません。

なぜなら、Yちゃんが泣かずにレッスンに来て、楽しそうに取り組めるようになったのは、小学生になってからだからです。しかし、Yちゃんには、一つだけ心配ごとがあります。それは、弟のJくんがすごい勢いで聴音課題が進み、自分の課題に近づいていることです。

その日も、一緒に聴音課題に取り組みながら、「Jに負けたらどうしよう?」と真剣に心配していたようです。「もし、負けたら、お母さんのお腹の中から、やり直しをしたい」とかわいいことまで言っているようですが、さすがに1年生になった女の子は大きすぎてお腹に戻ることはできません。どうにか、弟が泣いている間に、負かされない努力をして姉のメンツを保ってほしいと願っています。そして、幼い子どもでも、姉弟関係の中で、「弟には負けたくない」「姉に追いつきたい」など、いろいろな感情をモチベーションにして頑張っています。大人の私たちも手を抜かずに頑張らなければと思うのです。
by k-onkan | 2015-10-27 19:16 | 幼児 | Comments(0)

だから、やっぱり怖いのかも

津の教室のレッスンを、近県に住む保育士のT先生が見学に来てくださいました。小西教室のお子さんたちの励みになると思いますので、感想の一部をご紹介しようと思います。T先生は、最初の発声練習のときに子供たちの声がきれいで、ハキハキしていると感じてくださったようです。何より、すごいと言ってくださったのは、小学生の子供たちが、指導されたことをその場で、ぱっと変えられることだと言われます。

e0143522_725119.jpg大人の方に指導すると感じることですが、指導されてすぐに治せるのは、大人には難しく、これが子供時代に音楽を勉強する長所かもしれません。中でも、この子たちは、幼児期から木下式を受けてきたことで、間違ったらその場で指摘され、それを受け止めて改善することを幼いころから取り組んできました。

T先生は、「怖い怖いとお聞きしていたレッスンが、どのようなものかと思っていましたが、失礼ながら、麻奈先生の温かさ、空気が和む感じ、ユーモアを感じました」と言ってくださいました。ご自身でも、歌のレッスンを受ける経験を持っているということで、音楽のレッスンの雰囲気に馴染みがあるのでしょう。もちろん、子供時代なら怖いと感じる気持ちも理解できるとのことでしたが、実は、T先生の前で、「私の本当の怖さ」は出していません。そのことは、教室の先生と子供たちが一番、よくご存知のはずです。

子供たちの様子を観察したり、冗談を言っているうちは、まだ怖くはないのです。指導しながらニコニコしたり、困った顔をして見せたり、なだめたり、すかしたり、機嫌を取ったり、不機嫌にしたり、それができている間は、「先生というお芝居」をしているに過ぎません。私を本気で怒らせるといかに怖いかを知っている子供たしは、お客様がいる前では、ちゃんとよそ行きの顔をして、そこまで本気で怒らせたりはしないのです。

私が本気で叱るのは、「子どもの声が上がりきっていない」とか「音程が悪い」「歌詞を間違えた」など、「できなかったこと」や「失敗」についてではありません。たとえば、皆が一生懸命、取り組んでいる時に不誠実なことや邪魔をしたり、人の努力をばかにする態度をしたり、努力もせずに「どうせ自分なんか」とふてくされた態度をした時や大人に対してあまりに不躾なことをした時、そんな時に、劇的に怖くなるのです。

つまり、子供が音楽から離れて、人間として関りたくないような態度を取ったときに、私は本気で生徒を叱るのだと思います。ただし、生徒と生徒の保護者でない方のことは叱ったりしませんので、ご心配なく。

なぜなら、きっと、その人には、それをする理由がご自身にあるのでしょうから。ただし、生徒や保護者でなければ、感性が合わない方とは関りを持てないので、何も言わずにニコニコ、少しずつ距離を置くことはあるかもしれませんが・・・。
by k-onkan | 2015-10-26 07:23 | お稽古事 | Comments(0)

努力は自分のため!!

毎月、恒例の津市の教室に指導に出かけました。今回は、翌月に控えた音楽会のための歌唱指導がメインとなり、9名の小学生の指導をさせていただきました。今回、劇的に変化していたのが1年生のZくんでした。前回のレッスンで、あまりに無気力にダラダラと歌うので、「今回は独唱をしないでおいたら?」と提案し、その上でしつこく指導した記憶があります。その子の大きな変化に、「きっと、私をすごく怖い」と感じて、「叱られないよう」に細心を払ったことを感じます。

e0143522_626191.jpg「厳しい人がいるから、一生懸命がんばる」。これも大事なことではありますが、「やらないと怖から」とか「やるとご褒美がもらえるからやる」などの効果があることは、諸刃の刃だと感じます。なぜなら、それがないとできなかったり、それがあることで心の負担になったりすることもあると思うからです。本当は、関係なく自分から取り組めることが理想です。

ですが、残念ながら、恵まれた生活をしているお子さんに、自分から貪欲に頑張ることを覚えさせるのはとても難しいものがあります。特に、現代は教育現場で競争をさせることや、個々人のマイナスを指摘することも好まない傾向にあるため、子供自身、何のために頑張るのか理解しづらい背景もあります。「誰のために歌うの? 先生が怖いから歌うの?」「自分が上手になるため……」と確認もするのです。

その上で、9人それぞれに「前回より上手になった」「前回から変化がない」「あなたは毎回、2番の歌詞は上手になるけれど、1番から上手に歌って」とか「声変わりで歌いにくいからこそ、頭を使って情感を込めて」「もっと全力で打ち込まないと、せっかくの美声が台無しよ」などなど、言いにくいこともバッサリ言います。

私が音感を指導する様子を音楽レッスンを受けた方がない一般の方がご覧になると「当たりが強い」「厳しい」と感じるはずです。しかし、音楽の個人レッスンは、生徒を上手にしなければ意味がありません。どんな言い方をしたら、生徒がうまくなるかを考え、手を尽くし、口を出します。はたから見たら「自分なら、そんな言われ方をされたくない」と思うかもしれませんが、レッスンで大事なのは、「生徒が上手になること」、それ以外にはありません。どんなに厳しくても、上手にしてくれる先生がいい先生なのです。反対に、どんなに人間的に優れている先生でも、生徒を上手にできなければ、その先生は「いい先生」ではないと判断されるかもしれません。

9名の子供がいれば、それぞれにいろいろな事情があります。最近、赤ちゃんが生まれて、赤ちゃん返りしている2年生の男の子もいれば、声変わり寸前で大人の言葉に素直に耳を傾けたくない時期の6年生の男の子もいます。いいところを見せようと頑張りすぎてしまう女の子もいれば、中々、本当の自分を出しきらない子もいます。どのお子さんも1年以上、関っているので、いいところも、悪いところも知っています。だからこそ、一番、いいところを、舞台上で出させたいと思って指導はしています。

なぜなら、音楽会を聴く観客にとっては、「その演奏が上手か下手か」しかないからです。お客さんにとって、子供たちのそれぞれの事情は「うまくできなかった時」の言い訳にしかなりません。どんな事情があっても、演奏を聴いて「上手だ」と言っていただけることが大事なのだと思います。

ただし、5~6年の生意気盛りの時代は、全力で頑張ることが格好悪いと思う時期なので少し指導は変えています。小さいこのように「誰のために歌うの?」と聞いたら、「別に~」という答えが返ってくる時期だと、自らの経験で知っているからです。

そこで、「最低限、これまで通わせてくださったご両親、そして、教えてくださる小西先生に申し訳ないことだけはしてはいけない」と口うるさく伝えています。「自分のために頑張れ」と言ったら「別に失敗したっていいもん」という答えがかえってきそうですが「教えてくださった先生が「悪い先生」と思わせていけない」と言われると、真面目に取り組もうとする姿は、まだ素直で可愛いものだと感じます。練習で最大限の力を出しておいたとしても、本番で上手にできるかどうかは、本人次第です。できれば、どの子も、親御さんから「上手になった」と褒めていただけるように、頑張ってほしいと願っているのです。
by k-onkan | 2015-10-25 23:24 | 児童 | Comments(0)

一番こわいのは、マナ先生でしょ?

最近、甥兄弟が、「いかに私が怖いか」を実演して見せてくれます。最近、ストレスがたまるできごとが多いため、もしかすると、身近な甥たちに特に当たりが強くなっていることを批判されているのかもしれません。それでも、なぜか、「大人に生意気なことを言って」と思うより、ずいぶん、冷静に大人のことを観察できるようになったと、その成長を誇らしくも思ったりする伯母バカです。

e0143522_7504679.jpg数日前、出張でいなかった私の代わりに授業をした瑠音先生が「○○くんが、途中で友達に負けたと思った途端、無気力になったから、『イヤイヤやるなら、帰りなさい』と叱った」という報告を私にしていたときのことです。年長の甥Kがニヤニヤ「いつものこと」のように話を聞いていたので、「お母さんもずいぶん怖いね~」と声をかけると、「そんなことないよ。まぁちゃんの方がもっとずっと怖いもん」と言うではありませんか。

「私の方が怖い? そう? 同じじゃない。『ダラダラやるなら来なくていい』というのも、『やるなら一生懸命、やりなさい』っていうのも」。すると、「そんなことないよ。だって、まぁちゃんは、それでも、やらないと、暗い部屋に入って「やるの、やらないの。どっち?」って脅かすもん……」。

なんと、怒っている時の私の声色まで真似て迫真の演技です。「それだって、私だけじゃなくて楽院の先生はみんなやるわよ」「それでも、まぁちゃんが一番こわいんだよ」。という言い方が、あまりに悪気がないので、「そんなものかな」と思ったのです。

別の日のことです。6年生の兄甥Yが書いた作文を「まぁちゃんに見てもらいなさい」「まぁちゃんはいいよ。怖いから」の返答。なんとか、私に作文を添削させたい妹は「まぁちゃんは、お母さんよりずっと、優しいわよ」と説得していました。兄甥も「あのね~。ちょっと一つ、言ってもいいかなぁ」と語尾を強くして私の口真似をするではありませんか。「この言い方がキツイんだよな」。小さいときから関ってきた分だけ、お互いに遠慮がないので、子供の批判も的確です。

そんな話を小学生にすると、小学生の子供たちも、ここぞとばかりに「うんうん。私もマナ先生が一番、怖いよ。麻奈先生に比べたら、木下先生は二番目かな」というではありませんか。普段、一番、長く時間を過ごす私が一番、怒鳴っているということでしょう。

2歳からのおつきあいで小学生にもなれば、なんでも素直に聞いたりはしません。親御さんにするように、わがままを言ったり、甘えたりもします。その中で、時に越えてはならないラインを超えて叱られるのです。特に男児が4~5年になるとどの学年も必ず、「流行り病」のように大人を怒らせたくなるようです。

先日、就職の内定報告に来た可愛い二人のイケメン卒業生も、今でこそ懐かしいですが、10歳前後は本気で木下先生をはじめ、私たちを怒らせたものでした。そう考えると、子供が生意気になったり、大人を批判するのも、成長過程で通るべき道なのだと思います。

さて、「しつけに厳しい」「スパルタだ」と言われる楽院でも、これだけ子供の様子や変化を観察して、叱ったり、諭したり、叱ったりして、どうにか、子供たちを育てています。つまり、しつけは一朝一夕でできるものではない、ということかもしれません。

だからこそ、世の中に、しつけをされないお子さんが増えれば増えるほど、私は怖くてたまらないのです。何が怖いか。それは、大事に育てた子供たちが、「正しくないこと」を面白いと感じて、それに強く魅了されてしまうことです。

高校生にもなれば、どんなに大人が口を挟んで、自分の好きな人と好きなように関っていくでしょう。しかし、幼児、小学生の間は、「しつけが悪いのは当たり前」だと思わせたくはない。だから、喉がかれそうになりながら、毎回、怒鳴ったり、叱ったり、諭したりして、しつけをしているのです。しつけをしないことが当たり前だと思わせないために。
by k-onkan | 2015-10-24 23:49 | 児童 | Comments(0)

子どもの成長を願って・・・

来年2月の東京合同音楽祭のための視察に地方に出かける時期となり、仙台に続いて大阪に行ってきました。毎年、いろいろな幼稚園、保育園を訪問していますが、ここ数年、幼児たちと会話のキャッチボールができなくなっていると感じます。

e0143522_18401946.jpgこれは、私たち大人にも責任があることだと思いますが、最近、気が付くと声を出すより、メールやメッセージで会話をする機会が増えています。また、忙しいと、つい子どもと長い文章で会話をしていないことに気付きます。また、子どもの間違った文法を聞いても、聴き流したり、なんとなく、言いたいことを理解して、素通りしてしまうことも多いのでしょう。こうした環境の変化を考えると、幼稚園、保育園で、これまでと同じ方法で教育しているからと安心していると、同じ結果が出なくなるということでもあります。

20年前、10年前の幼児たちと比べ、成長や発達に変化を感じることから、今年から音楽祭の視察の方法を変えました。それは、事前に音楽祭に出演する団体から、お子さんが言葉を話す映像を送っていただき、その様子から課題曲を決めて、視察の前に練習をしておいていただくのです。この方法を行うと、独唱者の選出はより緻密になります。なぜなら、独唱に選んだ後に歌唱指導を行うことで、「本当に大舞台に一人で送り出しても大丈夫か」を確認することができるからです。

幼児の中には、個人プレーは得意でも、集団の練習になると、集中できない、行儀が悪いなどの弱点が見える子もいます。せっかく、美しい声をしていても、実力があっても、行儀が悪いと集中できなかったり、本番に大きな失敗をしてしまう可能性もあります。また、せっかく、歌が上手でも、気が弱いお子さんは重責に耐えられないこともあるのです。今年は独唱に選ばれたお子さんの中に涙を流して「独唱をしたくない」と辞退した男の子もいました。「残念だな」と木下先生はがっかりしましたが、本人が「出たくない」というのに、出してもいい結果はでないでしょう。

反対に、声の質では選からこぼれたお子さんが、課題曲の練習の際に、人一倍、一生懸命、取り組んだ様子があり、木下先生は「この子にはチャンスを与えたい」と後から、独唱に選ばれたこともありました。

たかが子どもの音楽祭ですが、子どもも大人も真剣に取り組んでいます。そして、音楽祭は「独唱に選ばれること」がゴールではありません。それぞれ、自分が与えられた種目に自分から取り組み、それぞれ、成功体験を持てることが大事なのだと思います。

毎年、視察が終わると「独唱に選ばれなかった」という理由から音楽祭そのものの出演を取りやめるご家庭も少なからずあるように感じます。ですが、この音楽祭はお子さんの成長を確認するためのものであって、何の種目であっても、お子さんが3年間、幼稚園で頑張ってきた事実に、手を叩いていただきたいと感じます。

また、残念ながら、最後の最後で、独唱に選ばれなかったお子さんがあったら、次に大きなチャンスが訪れた時には、絶対に、それを手に入れられるように、家庭生活の中で、行儀やしつけを教えていただきたいと思うのです。
by k-onkan | 2015-10-23 23:49 | 木下式音感教育法 | Comments(2)

中学年までは禁止します!

楽院の小学生は2~3歳からのお付き合いなので、とても仲がよくレッスンを離れた場所でも、いろいろな交流があります。ですが、最近、少し、気になることがあったので、子どもたちの関わりに少しだけ介入することにしました。

e0143522_12192595.jpg最近、低学年のお子さんたちの間でキャラクターのメダルやカードなどの交換や貸し借りが行われているようです。私たち大人には、「同じ」に見えるものでも、その中には子ども曰く「レア」なものが存在するようです。実際、子どもを持つ大人が「自分の子が欲しがっているレアもの」のために、ネットオークションで、何万円も使って入手するという驚く話もあるので、「子どもがすること」と大目に見ていて、大きな争いごとに発展するかもしれません。

その時代、その時代、子どもの心を虜にする小さなおもちゃがあります。私の子ども時代も弟たちはヒーローの形をした消しゴムやガンダムのカードなどを集めていました。子どもというのは、未熟で物を知らないゆえに、「欲しい」と思うと善悪の区別なく、人のものでも取ってきてしまうこともあります。低学年から中学年にかけては、わが子が親の預かり知らないものを持っていないか、親御さんは観察する必要を感じます。ここで見逃してしまうと、欲しいものはお店から取ってきていいと考える子もいるからです。

もちろん、それぞれ、ご家庭でお子さんの行動を知っている上での、やり取りなら、楽院も介入はしません。しかし、今回は大人が知らない間の貸し借りが存在したので、口を出すことにしたのです。もともと楽院の「音感ブック」には、音感の勉強に関係ないものを持ってきてはいけないというルールが記載されています。ですが、友だちと物を交換したり、貸したり、借りたりする中で身に付く社会性もあると思うので大目に見てきたところもありました。ですが、楽院内の子ども同士のトラブルは私たちにも監督責任があるため、4年生までは禁止にしようと思います。これは、ピアノのレッスンで教本を貸し借りをするのとは別次元の話なので誤解されませんように。

高学年も漫画本の貸し借りをしたり、シールの交換をしたりしているのは、知っていますが、その年齢になれば、たとえ、もめごとになったり、自分の物が返ってこなくても、自分たちで話し合ったり、交渉するなど、解決能力があると思うので、やんわりと見守りたいと思っています。なぜなら、年齢が大きくなっても、いつまでも、大人が過保護に管理していると、子供たちにうるさがられますし、自立の妨げとなると思うからです。もちろん、トラブルがあれば、いつでも介入の準備はありますので、ご心配には及びませんが。
by k-onkan | 2015-10-22 23:15 | 児童 | Comments(0)