麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子供の成長がさびしい!?

今日は甥たちの中学校と小学校の入学祝いを理由に、妹と四人でランチに出かけました。兄甥Yも中学生になれば、家族より友達とのつきあいが増えて、口うるさい伯母とは出かけてくれなくなるかもしれません。そこで、小学6年最後の日にシュラスコの食べ放題に挑戦することになりました。

e0143522_2030167.jpgYは身長が170センチを越え、身体の大きさだけ見ると「高校生」に間違えられることもあります。でも、本当に12歳なので子供料金を払いました。男の子がよく食べることは想像していたのですが、私の身長を超えてから一緒に外食するのは、初めてです。この期の男の子は、「パクパク」ではなく、「ガブガブ」と飲むように物を食べるのだと、実感しました。

思えば、弟甥が生まれることから、二人でアメリカ旅行をしたのは、Yが6歳の時、弟甥が生まれた直後でした。アレルギーがあるので、行く先々で具合が悪くなって吐き戻すYに、自分のことは後回しにして献身的に世話をしたつもりでしたが、日本にいる妹に電話をする度に「お母さん、まぁちゃんったらひどいんだよ。『こんな簡単な問題を間違えて、とか、すぐに怒るんだ』」と涙ぐんで言いつけているのです。

それなのに、言葉が通じない異国では、寂しさに負けて、私の膝に乗ってくる、そんな臆病者のYが、今や全身が筋肉でできた巨人のようです。これほどまでに、あっという間に子供は大きく成長してしまうのだと少しさみしくも感じます。とは言え、これから、中学、高校、大学と成長すれば、今日のこの日さえ「小さくて可愛かったね~」と思い出す日が来るのかもしれませんが――。

その後は、Yの希望で「カラオケ」に行きました。楽院の卒業生とカラオケに行くと、昔、一緒に合唱をした曲をみんなが歌いますが、甥と行くと、いまどきの子どもが歌う曲が分かり、また新しい体験です。その後、一家は帰っていくはずだったのですが、前日に幼稚園時代の友達の家に泊まり、自由を満喫した兄甥が、「にぃには家にいない方が、いいでしょ?もう一日、Kちゃんを一人にさせてあげようか?」と我が家に泊まりにくることが決まりました。

兄弟でいると、気づくと兄が話題の中心となり、弟は後回しになってしまうことが多いものです。たまに兄がいないと弟が両親を独り占めできて心が満たされるようなのです。ところが、兄だけ私の家で楽しい思いをするのは気にいらないと思ったのか、「Kちゃんも、泊まるから」と言い出しました。春休みの午後のひと時を、一瞬、甥たちと楽しく過ごすもくろみが、一転して、三食作って、食べさせるという予定外の合宿のような苦行が始まったのでした。<つづく>
by k-onkan | 2016-03-31 23:24 | 我が家のこと | Comments(0)

大人だって怒るんです!

最近、2歳児のレッスンを始めた地方の先生から「子供にくみし易いと思われていると感じる」というご相談をいただきました。2歳児は、本来、一番、物事を吸収する時期でとても賢いものです。動物的な勘に優れ相手によって自分の態度を変えることさえできたりします。ただ、言葉で意思表示ができないため、大人は「まだ小さくて、何も分かっていない純真無垢な存在」とその秘めた能力を見逃しがちです。

e0143522_1957316.jpgさて、この先生はなぜ、2歳児に侮られたのでしょう。一つは、優しい声に原因があるかもしれません。大人は、幼い子供に物事を理解させようと思うと、ついたくさんの言葉を並べてしまうものです。しかし、その声が柔らかないと、機嫌を取られているように感じて、見下す原因になることがあるのです。

私は、相手が二歳児でも、ダメなことをしたら、怖く低い声で「ダメ」といいます。たいていの子供は、そこで、自分の行動を抑制しますが、それでも、受け入れない時には、「ダメと言ってもするなら、先生はレッスンをしたくない」とピアノを弾くのをやめて帰る真似をしてみせることもあります。子供に負けないほど、子供じみた態度を演じるのです。

大人気がないと思われるかもしれませんが2歳児のうちに子供中心 に慣れさせると、その後に躾をするのは、どんどん難しくなります。言葉で理解させるより、2歳児の真似をして駄々をこねたり、すねたり、怒ったりする方が、こちらの気持ちを理解させられる場合があるのです。

私たちは未発達のうちは、自分にだけ感情があり、まわりの人が我慢していることに気づかなかったりします。しかし、2歳児であっても、自分以外の他人の感情を知らせることは、大事なことです。また、あまりに身勝手な時、身の危険がある時には、大人気がなくても感情をあらわにしてでも、真剣に叱るべきときは存在します。

卒業生が母になり、「言葉が分からない1歳児」だと思ってなんでも受け入れている内に、危ないことを躊躇なくどんどんするようになってしまいました。お母さんは、子供時代に自分がたくさん叱られたからこそ、わが子はなるべく、叱らずに育てたいと思っていたのかもしれませんし、子供も「お母さんは、自分を叱れない」と感じとっていたのかもしれません。

しかし、ある時を境に子供がいうことを聞くようになったというのです。それは、「いろいろなものに触るのが好きになった頃に、タクシーの中でドアノブに触れて、ドアを開けてしまった」時からでした。お母さんは思わず、手を叩いて真剣に「危ないでしょ!」と叱ったそうなのです。以来、甘く見ていた息子も、このお母さんの言葉を聞くようになったといいます。

卒業生は、タクシーの運転手さんにひらあやまりをしながら、自分が真剣に叱り育てないと、我が子が死ぬこともあると、腹を括ったようです。子供との付き合いは、ただ、楽しいだけ、ただ、微笑ましいだけではありません。時に、愛情があるからこそ、叱ってでも止めるべきときはあることを、子供と向き合う時間があるお母さんほど、早く気づくのかもしれません。
by k-onkan | 2016-03-30 23:56 | 子育て | Comments(0)

教育はとっても大事だと思う

この20数年間の教育によって、いろいろな分野で「教えること」が難しくなっているように感じます。若い方は、「頭ごなしに言われたくない」「まず、自分の意見を聞いてほしい」と言われると、「そういうもの?」と思わなくもないのですが、社会できちんと働き、納税してきた大人から見ると、「何をいつまでも、甘えたことを…」と感じることも理解できます。私はイソップ物語の「ずるいこうもり」のように、大人の言い分も子どもの気持ちも理解するという卑怯な立ち位置にいるのかもしれません。

e0143522_10254893.jpgけれど、子供を守るためには、社会人としての責任を果たすことだけは、伝えなければと思っています。「子供だ、子供だ」と思っている相手も、いつか成人します。いつまでも社会や親に甘えて働けなかったり、人の世話になっていたりしないように育てなければと感じるのです。親はどんどん年老いていきますし、社会はいつまでも全ての弱者に手を差し伸べられるだけの財源はなくなっていきます。

私がはじめてアメリカへ行ったのは31年前です。その時まで、私は日本がいかに優秀な教育システムを持っていたかを実感したことはありませんでした。けれど、アメリカには自分の国の言葉の読み書きができない人が存在したり、九九を知らない大学生がいたりしたものです。特別な私立小学校に通わなくても、公立小学校で教わった読み書きや九九だけはできれば、教育システムとしては、とても恵まれていたと感じます。

そして、個人的には、30年前にアメリカで感じたことを、日本の教育に感じるようになりました。小学校のスタート地点に立つ前から6年の差があり、家庭で塾に通わせたり、補完プリントをさせたりする余裕がなければ、将来、どんな職種につきたいかという選択肢はどんどん狭まっていきます。

やはり、教育はなくしてはならないとても大事なものだと思います。働いてお金を稼ぐことも大事ですが、それをするためには、最低限の読み書きそろばんの知識が必要だと感じます。教育の世界に問題が生じれば、生じるほど、「きちんと教育をしなければ」と思う大人が増えていくことを願っています。
by k-onkan | 2016-03-29 23:23 | 教育 | Comments(0)

親には責任がある!と思う

最近、「勉強が苦手なら、身体を動かす仕事をすればいい」と考える親御さんが多く存在することを知りました。しかし、個人的には、身体を動かす仕事についても、本が読めなかったり、漢字が読めなかったり、計算ができなかったりするのは何かが間違っているように感じます。私は建築業を営む友人に、そのことをぶつけてみました。

e0143522_050204.jpg友人の会社には、いろいろな人がいるようで、私のブログにはとても書けないような話もたくさん教えてくれます。それでも、友人は「どんな困ったヤツもうちの会社は引き受ける」といいます。そういう人が働いてくれることで、ビルや道路ができるのですから。

それでも、誤解を恐れずにいうと、私は自分が育てた子どもが最後に彼の会社のお世話にならないように育てたいと思っています。それは、勉強が苦手な人が他にすることがなくて、する仕事だからではなく、いい年になっても社会に甘えて非常識なことをする大人には育てたくないからです。

友人の会社は高学歴な人との関わりも多くあり、その上で、「学歴は全然、あてにならない。学歴があっても甘ちゃんではダメ」といいます。普段、キツイと言われる私が「厳しいなぁ」と頭を抱えるほど、友人の言葉は切れ味がいいのです。そして、一貫して「親が悪い」といいます。

友人が子どもの頃、家業の手伝いをしていたお母さんはとても忙しかったといいます。そのため、小学校の頃から朝は、自分と妹の食事の用意をして、手に手をとって、走って学校へ行ったそうです。遠足や運動会の時にも、手作りの弁当など持っていったことはなく、当時は、そのことをいやだと思ったこともあるのかもしれませんが、それでもお母さんに感謝しているのは、本を読む人に育ててくださったことでした。

そして、友人の話を聞いて、やはり思うのです。大人がどんなに仕事が忙しかろうが、どんなに生活がたいへんだろうが、親になったからには、子供をどうにか、まっとうに育てなければならないのです。本を読める人に育てるのもいいでしょう。家事ができるようにするのも役に立つでしょう。人の面倒を見られるように育てるのもいいでしょう。人と関わる術を見せるのもいいかもしれません。商売をする家なら、接客のノウハウを教えるのもいいでしょう。でも、子供だからと、何もさせずにただ放っておいては、何もできない、アマちゃんに育ってしまう可能性もあるのですから。
by k-onkan | 2016-03-28 23:47 | 親業 | Comments(0)

富山へうかがいました!

富山県にあるA幼稚園の50周年の記念式典・祝賀会にうかがいました。50年の歴史を映像で拝見し、その後、理事長先生のご挨拶、表彰式、祝辞、そして、卒園生でピアニストとなったYさんがリスト作曲「メフィストワルツ」の演奏がありました。

e0143522_21361440.jpgこの方とは初対面でしたが、8年前の音楽祭の際に、各園の卒園生から原稿をいただくという企画があり、メールでお話をしたことがあったのです。祝賀会でお隣の席にしていただき、話がはずみました。

「「ドドドドどろんこだ」という歌は今でもありますか? 今でも全部、覚えています」というお話をいただいたので、楽しい祝宴の中、父がこの曲を作曲した理由をご説明しました。「音楽家の両親のもとに生まれた私は、知らず知らずのうちに「ドレミファソラシド」を口ずさむ子どもでした。しかし、私の幼馴染たちは音楽に馴染みがなく、「ドレミファソラシド」を教えるのが、とてもたいへんだったのです。だから、「ドレミはみんなの仲良しさん」を作ったのです」。

話は一気に盛り上がりました。小さいお子さんに音楽を教えた経験がある人が誰でも一度はぶつかる壁が、「どのように『ドレミファソラシド』を教えるか」だからです。Yさんは幼児期の子どもに音楽の基礎を教える木下式に、とても興味をもってくださったようです。

もう一人、お話をさせていただいたのが、マーチングの指導員のN先生です。富山県で木下式を実践するM幼稚園でも鼓笛を教えられているようで、「木下式はすごいと思っていた」とお褒めの言葉をいただきました。

実は、木下式を受けた幼児しか指導したことがない私は、「一般の幼児と何か違うか」がよく分からないのです。先生のお話を私なりにまとめると、一般に低年齢の幼児は楽しい気持ちになるとふざけたり、調子にのったりするものです。そして、一度ふざけてしまうと、真剣な気持ちに切り替えることが難しいようなのです。しかし、木下式の訓練を受けている子どもはそれができる、ということなのかもしれません。

楽しいひと時の最後には、幼稚園、保育園の先生たちが、みんなで歌って踊る微笑ましい出し物がありました。皆様から幸せをいただき、帰路につきました。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
by k-onkan | 2016-03-27 23:35 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

おんぷ書きは反復が大事!

木下式の音感教材は、幼児期に学ぶには、とても分かりやすくできています。たとえば、音感かるたの「みんなであそぼうのミ」は、電車ごっこをする小鳥です。この小鳥の色が「みどり」です。このことが理解できたら、「みんなであそぼうのミ」は、五線の中で緑の線上にある音符を指すことになります。

e0143522_18552956.jpgこれは、A(みんなであそぼうのミ)はB(みどり)であり、B(みどり)は五線の第一線(C)の色であることから、A(みんなであそぼうのミ)は、C(第一線)になる。ということを、音符書きを通して、教えているのです。

簡単にいうと、「みんなであそぼうのミを書こう。みんなであそぼうのミは電車ごっこしている小鳥の色、緑だったね。緑の線を踏んで丸を書こう」と言うことです。この言い方なら、3歳児でも理解して、緑の線の上に丸を書くことができます。

また、音符書きを反復して繰り返すのは、簡単な足し算を地道に何度も繰り返す訓練と似ています。より速く答えられるということは、理解が確実で、間違いがないということであるから、指導者の言葉から、記譜の場所をいち早く見つけられるようにしています。

子どもたちは、この「音符書き」がとても好きです。幼児の特性をあまりご存知ない方から、「勉強をしているような気がするから好きなのでしょうか?」との感想をいただいたことがあるのですが、幼児は、自分で考えて「わかった!!」と感じることで、理解できる喜びを感じるものです。つまり、自己肯定感につながるから、音符書きが好きなのではないかと思っています。小学校に就学前に、「お遊び」のように見える音符書きの訓練を通して、先生の話を聞きながら、大事な情報を聴きとれる子どもに育てておきたいものです。

そして、この訓練で一番、難しいのは、音符を書く幼児ではなく、幼児たちに理解させあれるための先生の語調です。取り決められた用語があっても、それを理解しやすく言う先生もあれば、そうでない先生もあります。平坦で面白みのない語りかけでは、伝えたいことも伝わりません。指導する先生にもまた、幼児と同じように、教えるために、反復して練習する必要があるのかもしれません。

ネット配信が可能になり、写真や映像を遠くにいる方に送ることも簡単になってきました。春休みになったら、木下式の教材の指導方法を、会員限定でネットからお知らせできるように計画したいと思っています。幼児期に、音符書きができるようにすることで、小学校に入ってからの勉強が少しでも楽になるために――。
by k-onkan | 2016-03-26 23:52 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

無心になるためにも幼児期!

3日にわたる講習会が終わり、皆さん、それぞれ、お帰りになりました。ゆとり教育、のびのび教育を受けた若い先生方と接していると、20年前に比べると、「幼児教育の重要性」を知っている大人はとても減っていると感じています。音感教育についてお話する前に、「なぜ、幼児教育が必要か」をお知らせするところから、始める必要があるようです。

e0143522_1223350.jpgどの分野でも幼児教育に携わる先生は、それぞれ、「小学生では遅い!」と感じる体験を自らされたという共通点があります。先日も幼児期からの作文教育をされている先生のプロフィールに目を通したところ、小学校の教員を20年されていた際に、小学校1年生ですでに6年差があることに気づかれたそうです。放課後に補講授業を行って1年が経過しても、その差が埋まらなかったことから、「幼児教育」の世界に飛び込まれたという話がありました。

私もいろいろな幼稚園、保育園に指導にうかがいますが、同じ学年なのに個々のお子さんにはその学年だけの能力差があります。2歳なら2年差、3歳なら3年差があります。もちろん、生まれ月による月齢差もあるのですが、どのような経験を積んできたか、どんな環境で育っているかによって、成長の度合いが異なっているように見えます。

たとえば、生まれてから、ずっと刺激もなく、大人との関わりも教育もない生活をしているお子さんと、大勢の大人と関わり、多くの言葉に触れる経験をしている子では、成長の度合いは、まったく違うでしょう。その状況が6年続けば、能力に6年差が生じるのは当たり前といえます。できれば、幼児期の脳が柔軟な時期には、遊びも含めて、いろいろな経験や教育も受け、その上で、小学校に入学できたら、と願っています。

先日、ツイッターで、こんな書き込みをみかけました。それは「無心になると心が満たされる。あなたが無心になれるほど何かに没頭することが出来れば、全ての苦しみや悩みや不安を感じる暇がなくなる。だから、やることがない、打ち込めることがないというのは、貧しいことよりも遥かに苦しいことなのだ。仕事をやめた人たちの死亡率が上がるのはこのためだ」。メンタリストの方の言葉でした。

やはり、幼児期は一生懸命、何かに打ち込む経験や頑張る体験が大事だと思います。幼児期にどうやって無心になるかを知らないまま、小学生になったら、無心にはなれません。運動でも、音楽でも、絵でもいいのです。夢中になるための集中力や忍耐力を育てたいものです。

こう書くと、「うちの子はゲーム機に夢中だから」と安心される人もいるかもしれません。しかし、ボードゲームや身体を使って遊ぶゲームと違って、自分から、一生懸命、何かするという意味では、パソコンなど一方的な刺激に夢中になる電子ゲームでは安心できないように思うのですが……。
by k-onkan | 2016-03-25 23:21 | 幼児 | Comments(0)

大人としての覚悟を!!

講習会では、新人の教諭を見かけるたびに、たまにする話があります。それは、私が21歳の頃、アメリカから呼び戻されて木下式に出合った頃の話です。当時の私は、幼稚園の新人教諭より、数年、年上だったと思いますが、「えぇ?こんな、紙芝居お姉さん(音感かるたの説明など等)のようなことを自分がするの?」と思ったものでした。

e0143522_9403740.jpg自分の責任と義務を果たしさえすれば、何でも自由が認められたアメリカ生活から、帰国後すぐだったので、きわめて日本的な教育に、私自身、抵抗がなかったわけではありません。そのため、「こんなことをするために、アメリカから帰ってこさせられたの?」と抵抗したこともありました。

そんな私に母は、「あなたがどう思のも自由だけれど、この教育のお蔭で、あなたたちは学校やお稽古ごとに通うことができて、人並みの生活ができたのよ。少なくとも、アメリカに生かせてもらった年月、仕事を手伝ってもバチは当たらない」と言い渡されました。

若いころは、誰もが自分の言い分ばかり振りかざして、大人の理不尽さばかりに目を向けるものですが、私も例にもれず、大人に食ってかかり、真理に打ちのめされた瞬間でもありました。

実際に、音感を教えるようになった当初は、「ここまで、いろいろなことを決めつけ押し付けなくても、子供はもっとのびのび、自由にさせたら、いい子に育つのでは?」と、現在の若いお母さんが考えるようなことも、考えたものでした。

しかし、日々、幼児と関わっていると、幼児を自由にして好きなように行動させると、残念ながら、大人が夢に描くような結果は出ず、強い子が弱い子をいじめたり、弱い子は告げ口をしたり、賢い子はずるく立ち回ったり、怠けたりするのだと、肌で感じるようになりました。

何より、子供の成長はあっという間です。大人も努力を怠ると、口で勝てなくなってしまいます。幼くてかわいい内に、善悪の区別、人に対する優しさ、自分の好き嫌いに関係なく、行儀よくきける子に育てる大切さを日々、成長する子どもを通して感じるようになりました。

子どもの教育に関わるようになってから観察すると、自由の国アメリカは、実は子供にはとても厳しい国であると気づきました。たとえば、パーティーやレストランなど、フォーマルな席には子どもを同席させませんでしたし、幼い頃から自分の部屋で子ども一人で寝かせます。また、自由にのびのびさせているように見えても、親との約束を守らなかった瞬間に、壁に向かって立たせ、5分間は反省する時間を与えることもあります。その間は、兄弟は話しかけませんし、壁を見ているので、楽しいことがあっても参加できません。

自由の国アメリカは、義務や責任を果たさないと、その自由は与えられません。きちんとした家庭では、そのことを子ども時代に教えるのです。そんな経験もあって、「集団で、みんなと一緒に生活することが多い日本の子どもの幼児期には木下式は、とても有効な教育」と感じるようになりました。

はじめて、木下式と出会った幼稚園、保育園の先生も、もしかすると、21歳の頃の私のように「なんでこんなことをしなければいけないの?」と思っているかもしれません。しかし、皆さんが、就職した幼稚園、保育園では、この教育が長きにわたって採用されています。そして、園児の保護者は、その成果や効果を期待して、その園を選んでいるかもしれません。ならば、その園に務めている間は、自分が受け持つ園児のために、この指導法をきちんと、勉強して、子供に負けないようにするのが、社会人としてのつとめだと、覚悟を決める必要があるかもしれません。
by k-onkan | 2016-03-24 23:32 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

教えるということは上から目線!

先日、何気なく合わせたチャンネルで「プラチナ世代対ゆとり世代」と銘打って、お互いの考えを披露する番組がありました。その中で、年配の女優さんが、着物のたたみ方を知らない若い役者にたたみ方を伝授している際に、いきなり、スマートフォンで動画を撮り始めたことを憤慨する場面がありました。

e0143522_85251100.jpg若い世代は、「一度で覚えられないから、動画を撮ってきちんと覚えたい。それがなぜ悪いのか、分からない」。年配の世代は「動画で覚えるなど、けしからん。何度でも教えを請い、覚えるべき…」。若者は「でも、『もう一度、教えてください』と言ったら、『まだ、覚えてないの?』と文句を言われるに決まっている。それが嫌」と答えていました。

芸事の世界は、「見て盗め」「身体で覚えよ」と言うその世界の流儀のようなものがあるはずです。ですから、いきなり動画を撮影したら失礼ですし、先生のお叱りもごもっともと、個人的には思います。それでも撮影したいなら、無言でいきなりではなく「撮影してもよろしいでしょうか?」と教えてくださる方に、なず、お伺いは立ててみた方がいいと感じます。ダメだと叱られてはじめて、「物を習う世界は、動画ではいけない」と知ることができます。

若い人にとって、写真や動画は身近で、いろいろなものをスマホで撮るのは当然なことかもしれません。たとえば、楽院のロビーには、年間予定表が張り出してあります。成果発表、合宿、音楽祭の特別練習の予定が掲載されています。昔のお母さんはその予定をご自身の手帳に全て、書きこんでいたものです。しかし、最近はすべて携帯の写真で記録されています。仕事に子育てにと忙しいお母さまたちには、手で書くより便利で速く処理できる機器があるのですから、忘れないためには、それも一つの方法です。

ですが、自分が身を持って体得する芸事などは、動画から学ぶものではありません。それは、動画を撮ることに一生懸命になり、教えていただいていることの手元や動き、雰囲気、表情のようなものまで読み取ることができないからです。また、動画を撮ったことに安心してしまうと、「その場で覚えなくても、後で動画を見ればいい」と思うでしょう。けれど、やはり、人間から学ぶのと、録画されたものから学ぶのは、同じではないのです。これは、子供の運動会や学芸会でも、動画を撮ることに一生懸命で、子供の姿を生で見ていないというのと、同じことかもしれません。

この番組の中で一番、気になったのが若い世代から「年配の人の『教えてやる』という上から目線がすでにイヤ。もっと謙虚でいてほしい」という意見があったことに、とても驚きました。ゆとり世代に、教壇をなくして先生と生徒を平等にした弊害は、こんなところにあるのかと感じました。先生も生徒も、大人も子供も対等に育ったので、何かを教わる際にも、「~しなさい」ではなく「あなたはどう思うの?」と言ってほしいということなのでしょう。

さて、現在、楽院では、全国で木下式を実践する幼稚園、保育園の先生が来て講習会をしています。受講する教諭、保育士の皆さんも、「ゆとり世代」に近い年代だと思います。講習会で、「~しなさい」「これが違う」「それはダメ」と言われることにかなり強い抵抗もあるのかもしれません。しかし、それでも、私たちは、嫌われても「このやり方は違う。これはいけない」と言い続けるでしょう。なぜなら、幼児たちの前に立ったら、新人もベテランも関係なく、幼児は先生を信頼して、先生の言葉を聴くのです。その時に、「どうしたらいいかわからない」では、あまりに幼児に申し訳ないと思うからです。
by k-onkan | 2016-03-23 23:51 | 教育 | Comments(0)

短期記憶と集中力と

とっても久しぶりに、卒業生のSちゃんとお話をする機会がありました。Sちゃんは某大手塾、某大学の英語講師をする30代後半の女性です。本当はもう「ちゃんづけ」ではなく、「先生」なのです。でも、たまにお話をする際には、子どもの頃の呼び名のままで呼んでいます。

e0143522_924570.jpgそのSちゃんが興味深い話をいろいろと教えてくださいました。まず、「大学受験がどんどん、変わっていっている」という話でした。知識を単にたくさん持っているだけではだめで、その知識をどこに、どのように使って、解決するのかなどまで、求められる設問が増えているのだそうです。「塾に来なくて、偏差値の高い学校に入る人もいる。だから、誰もが塾へ行けば安心というわけでもない」というお話もありました。

また、学歴が高くても幼児期の教育を受けていない方は「短期記憶」が弱いことがある、という話もありました。「あれと、これと、それとそれ……。と10個伝えても、2個ほどしか受け止められず、仕事が務まらないことから講師を辞める方もある」。社会に出たら学歴とは別の能力が求められるなど、私が知るチャンスがない「幼児教育の重要性」も教えていただきました。

その中で、耳の痛い話もありました。Sちゃんは、小学生の頃、毎週、名古屋から新幹線に乗って、楽院に通ってきたグループの一人ですが、当時、中学受験を目指していたSちゃんは、塾の先生から「東京に音楽の勉強にいく? 受験に受かりたいなら、辞めなさい」と言われたそうです。しかし、Sちゃんは、辞めることもなく、休むこともなく、楽院と受験を両立して、難関中学に入学しました。

当時は全国模試で1位になることもあったSちゃん曰く、「結局、受験は勉強量がものをいいます。でも、何かを休んだり辞めたりして、できるというものでもなくて、いかに集中するかが物をいいました。だから、お稽古を休まないと、受験できないという考え方より、忙しいからこそ、上手に時間を使うことを覚える方が大事」という話でした。

最近、テレビで、「ゆとり世代」の対極に「プラチナ世代(60-80)」がいて、双方には理解できないことが多くあると知りました。私もSちゃんも、その狭間で、どちらの言い分も分かるような、分からないような、ですが、プラチナ世代に育てられたので、その信念に影響を受けつつ、これからは、この二つの世代の間をつないでいく必要を感じたのでした。
by k-onkan | 2016-03-22 23:01 | 教育 | Comments(0)