麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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いい子ほど、打たれ弱いかも!?

来年2月に行う合同音楽祭のために、毎週、地方に出かけています。今年、とても気になるのは独唱に選ばれた中で、涙を流して、最終的に選抜からもれるお子さんが結構いることです。木下先生は、自分が選んだ独唱児が、本番で間違いなく力を発揮できるように、「その口の型は違う。唇に力を入れてはダメだ。先生の唇を触ってごらん」と声をかけます。

e0143522_12212654.jpgすると、「注意を受けたこと」にショックを受けて、涙をこぼして、立ち直れなくなるのです。私は、独唱を選んでいる途中で涙を流した子は、木下先生に「危ないから外してください」とお願いしています。何年か前のことですが、独唱の出番直前に、「怖い」と言って泣いた独唱児がいて、舞台スタッフに迷惑をかけたことがあるからです。

たとえ、幼児、児童の音楽祭といっても、プログラムに名前を載せ、楽団員に楽譜を渡したら、その演奏をしないと先に進めません。幼児であっても「自分の出番」という責任を果たさないと、大勢の人に迷惑をかけてしまいます。

そのときは、「泣いても歌わないと終わらないから、行きなさい」と、心を決めさせ、送り出したと記憶しています。幼児が大人と違うのは、怖がっていても、いざとなれば練習通りにできることです。でも、子どもの涙に負けて、「そんなにいやなら、やらなくていい」と、大人が強さを見せられないと、いつまでも、困難に乗り越える習慣は身につきません。独唱に出演するお子さんには、プレッシャーに負けない強さが必要です。

独唱に選ばれるお子さんは、大人の言葉を注意深く聴ける優秀なお子さんだから、選に入っているのです。その反面、「褒めて育てる」が流行っている現代社会では、優秀な子ほど、叱られたり、注意される機会がなく、「それは違うよ」と言われるだけで、自信を失ってしまうのかもしれません。

しかし、園の代表という輝かしいチャンスを得るということは、他のお子さんより、個人的に長く指導されたり、注意をされる可能性もともに存在します。涙でチャンスを逃す才能のある子もいれば、努力して、先生の注意を受け入れて改善してでも、独唱に出たいと強い思いがある子の方が、安心感があるのです。

長年の平等教育によって、「願えばかなう」「頑張れば結果が出る」と子どもが思いがちですが、実は、世の中には、願ってもかなわないこともあれば、頑張っても結果が出ないこともあるのです。そのことを、「子どもだから」と隠すのではなく、どんな才能があっても、どんなにうまくいかないことがあっても、地道に努力できる人が結果を出せるのだと、伝えていきたいものです。
by k-onkan | 2016-10-31 23:19 | 教育 | Comments(0)

愛されていれば失敗も怖くない

小さい子どもにピアノを教えている卒業生から、「最近は、できないことが少しでもあると傷ついて、投げやりになる子が多い」という話を聞きました。これが、最近よく聞く「立ち直る力=レジリエンス」が大事ということなのでしょう。

e0143522_19194749.jpg私も保育園で音感を教えている際に、少しでも自分の評価が下がると、涙を流して抵抗する子に出会います。それだけ、「失敗したくない子ども」が増えた実感はあるのです。音感のレッスンを通して、「失敗しても、この世の終わりではない。また、頑張れば、評価が上がるから、泣くより、一生懸命、頑張る」ことを教えています。

大人の中には、自分のストレスやトラウマによって、子どもが失敗することを極端に嫌う人がいると感じます。そういう人は、なるべく、子どもに失敗させないように、間違う前に手を貸すことを、愛情だと感じているように思います。

ですが、子どもは「正しい答」だけを求められてしまうと、「正解を出せない時」「失敗した時」に極度の不安を感じるものです。それは、ちょうど、「失敗したら見捨てられる」、そんな気持ちに近いかもしれません。

しかし、子どもの人生は、子どものものです。大人は子供に危険がないように安全を見守りながら、子どもの失敗する権利、間違う権利、注意される権利を奪わないでほしいと思うのです。子どもは「経験」からしか学べないものです。どんなに言葉で「正しいこと」を説明しても、実際は、子どもたちは「悪いこと」をして、初めて大人がいう「正しいこと」の意味を肌で感じて理解できるのかもしれません。

子どもが0~1歳の頃は、あまりに、何もできないと意欲がなくなり、楽しんで学べなくなることもあります。そのため、新しい事柄は、大人が手を貸したり、やり方を教えることもありますが、一度、できるようになったら、いつまでも、大人が手や口を出さずに、子どもが間違えたり、あえて違うことをするのも、見守ることも大事だと思います。

好奇心がある子は、「正解を出さなかったら、どんなことが起きるか」ということも興味があります。だから、わざと間違えたりして、失敗も体験してみます。こうした経験がある子は、失敗してもくじけません。また、親から愛されているという絶対的な確信がある子も、小さい失敗は恐れないですし、叱られることも、受け止めて、消化できるようです。とどのつまり、立ち直り力も、親御さんから、どんな風に育てられたか、どんな愛情を受けたか賜物なのかもしれません。
by k-onkan | 2016-10-30 23:18 | 幼児 | Comments(0)

卒業生ママ、頑張れ!

楽院にはお母さんになった卒業生たちが通う望クラスがあります。このクラスで瑠音先生から厳しい言葉がありました。それは「毎日の日常の中で、日々、望クラスでしていることをしなければ意味がない」ということでした。

e0143522_11324938.jpg卒業生でお母さんになった人は、漠然と、「楽院の望クラスに通いさえすれば、瑠音先生の二人の息子のように育つ」と信じているようです。しかし、楽院のレッスンは、週に1回、たったの2時間です。それ以外の時間は、家庭で親御さんや親族と過ごすのです。その際、いかに刺激を与えたか、どうかで、乳幼児の発達は異なります。

自慢に聞こえるかもしれませんが、瑠音先生が働きながら子育てをしていた時も、子どもが起きている時間は絵カードで相手をしたり、しゃべりかけたり、自分が話すことがなくなると、歌を歌ったり、と、とにかく刺激を与えていました。

そして、これは家族で仕事をして恵まれていたからですが、親が忙しく働いていた時間も、甥たちは常に誰かに相手をされて過ごしました。それほど乳幼児期に「刺激を与える」ことが大事で、「ただ、ぼんやり過ごすこと」に弊害があるかを知っていたからです。

若いお母さんには、たいへんなことかもしれませんが、たとえば、「絵カード」を二種類、したとしても、時間にしたら、たった3分のことです。0~1歳児が好む本は、1冊1分程度で読み終わるでしょう。1回に3冊読んだとしても、3分。それを、朝昼晩3回読んだとしても、時間にしたらたった10分です。それだけのことが、毎日、できないとしたら、「子どもを賢く育てたいと願う親としては勤勉さが足りないと感じるのです。そして、卒業生だからこそ、本当のことをはっきりと伝えました。

卒業生と付き合うと、私たちには「がっくり」くることがたくさんあります。なぜなら、2歳から育てたお母さんたちが「こんなことも知らない」「あんなことも分かっていなかった」と思い、「もっと、教えておくべきだった」と反省することばかりだからです。

その上、お母さんたちの長所や短所、そして、どんな両親にどんな風に育てられたか、私たちが、一番よく知っています。一般のお母さんにするように、私たちが「言葉を選び、傷つけない言い方で優しい先生」を演じていると、油断することを知っています。

たとえば、不器用で真面目なお母さんは、子どもと関わる際に、その真面目さゆえに課題をきちんと終わらせることばかりに目が向き、子どもの心を読み取らずに、嫌がっている子どもに無理に何かをさせたりしそうだと、想像ができます。

誰にでも優しくてやわらかな雰囲気を持つお母さんは、子どもの感性を育てるのは上手ですが、子供の頃、コツコツ取り組むことが苦手だったため、わが子育てでも、知育教育の重要性はあまり感じていないこともあったりします。

乳幼児の時期に「頑張ること」は子供ではなく、相手をするお母さんに求められています。子供は大好きなお母さんが相手をしてくだされば、どんなことも「楽しい遊び」です。知育でも、歌でも、お話でも、どんなことも学びにしていくでしょう。乳幼児の時にお母さんが毎日、時間を決めて相手をされた子供は、成長すると、日々、自主的に勉強したり、ピアノの練習をするなどの生活習慣が生まれます。幼い時期に、大人が手間を惜しんで、小学生になったからといって、子どもにだけ「自分から勉強する人になって」と願うのは、ずいぶん、虫のいい話だと私たちには感じるのです。

何より、卒業生のクラスで私たちが、がっかりするのは、自分自身の姿なのです。一般のお母さんたちの前では、言葉を選んで行儀よく、優しい先生の「ふり」をしても、卒業生のお母さんたちは、私たちが本気で叱って子育ての助言をすることを求めているため、私たちの地の姿が露呈してしまいます。それでも、小さな子どもたちが立派になったら、きっとお母さんたちも、「立派なお母さん」になれると信じて、毎週、お相手をしているのです。
by k-onkan | 2016-10-29 23:31 | のぞみクラス | Comments(0)

動物から人間への初期教育!

子どもを「動物扱いするのか」とお叱りを受けそうですが、私が0~1歳までの乳幼児を「動物から人間にする」ために、絶対に教えなければならないと思っていることがあります。それは、大人に「ダメ」と言われたら、やっていることをストップできるようにすることです。

e0143522_10534147.jpg動物の調教でいうと「まて!」です。幼児教育の世界では、「ストップ&ゴー」「NO GO」等、いろいろな呼び方がありますが、これを失敗すると、幼稚園や小学校へ送り出しても、先生の言葉が理解できず、集団行動ができず、野生人のようになってしまいます。

1歳児であろうと、発達障害を持つお子さんであろうと、相手が「言葉を理解している」と信じて目を見て話しかけ育てれば、たとえ、0歳でも「ダメと言ったら、ストップする」ことはできるものです。また、たとえ、障害を持つ子であっても、丁寧に指導すれば必ず「ストップ&ゴー」はできるようになるものです。しかし、残念ながら、たいていの場合、子供の後ろから、ついて回るだけで、子どもが「悪いことをさせないように」押さえつけてしまうだけです。それでは、何が「していいこと」「悪いこと」かを理解することはできません。

幼い子や、発達障害を持つお子さんは、いろいろなことに興味を持っています。そこで、子どもの目線の先を見ながら、次は何をしそうかを観察しつつ、命の危険がない限りは、子どもが興味を持ったことを経験させて、その上で、「これは、汚いからダメ」「これは、楽しいね」と、一つずつ、丁寧に、何度も何度も知らせるのです。「子どもが理解できている」と信じて話す大人の語調(声のトーン)であれば、子どもは、必ず理解するようになります。

いつまでも「言葉が分からない」「いうことを聴かない」というお子さんは、その前に、「言葉が分かる人間扱いをしていない」「子どもの気持ちを汲み取っていない」のかもしれません。それでは、いつまで経っても、子どもと意思疎通は、できるようにならないかもしれません。
by k-onkan | 2016-10-28 23:48 | 乳児 | Comments(0)

大事なのはバランス!

幼児期の子どもには、自分が好きなことを見つけ、それにとことん集中する環境はとても大事です。しかし、誰でも、好きなことが見つけられるわけではありません。まず、興味と好奇心にあふれた子に育て、子どもが「やってみたい」と思ったことを自在にできる器用な身体や手指を育てておくことが先かもしれません。

e0143522_10103918.jpgまた、いくら子どもの自主性を重んじるからといっても、所属する社会で、個々人が身勝手でいいわけがありません。人が大勢いる社会では、絶対に守らなければいけないルールは存在して、それを理解できないと、社会で迷惑だと判断されることもあります。

残念なことですが、「教える仕事」をして25年、「子どもの自主性を重んじる」という名のもと、「自分がしたくないことはしなくていい」と成長した人が、子どもから大人まで、とても増えてきたと感じます。

物を教えて伸びるのは、「素直に先生から大事なこと吸収できる人」です。自分が「ハイ」と言ったら、とりあえず、やってみる。最初からできなくても、それでも、やってみて、自分なりの習得の手順を見つけていく、これが、物を習って、習得するまでの道筋のようなものです。

しかし、最近は先生から「やっておく?」と言われて「どうしようかなぁ~?」と考え込んでしまう大学生もいるといいます。物を教わっている先生から「もう一度やっておく?」と言ったら、それは「まだできていない」という意味です。

先生が、はっきり、「もう一度、やりなさい」と強制しないのは、大学生にもなった生徒には、自分でどうすべきか考えてほしいからで、「やっても、やらなくてもいい」と言われているわけではありません。まして、先生の言葉から、「まだ、できていない」という意味合いを感じられないとしたら、専門的なこと以外に、物を習う基本を知らないということかもしれません。

私自身、「先生」と呼ばれる多くの方々に、反抗的な態度を取る子どもだったので感じることですが、「先生だから」といって、なんでもかんでも、その言葉に従うのがいいとは思いません。子どもであっても、いろいろなことを考え、時に疑問を持ったり、何かを感じたり、考えて、物事を自分で解決できるようにならないと、物を習う意味はないと感じるのです。


結局、先生の言葉を素直に聞いても、そこには本人の意識が必要であり、それを許す先生、という存在も大事になります。なんでもかんでも、「大人のいうことを聴きなさい」と育てると、自分では何も考えない、指示待ち人間が育ってしまいます。子ども時代に大人のいいなりに従ってきた子は、自分がしていることの理由も、それがどんな結果を招くか、想像できないと感じます。

結局、大事なのは、バランスだと思います。子どもたちが成長して、将来、社会で生きるのに困った存在にならないよう、個でも集団でも、適度にバランスよく、自己主張と協調ができるように育ってほしい、そう願っているのです。
by k-onkan | 2016-10-27 23:09 | 教育 | Comments(0)

絵に描いた餅にならないように・・・

10年ぶりに学習指導要領が改訂されるため、幼稚園の現場では、いろいろなことが求められています。これまでの指導する側に「こうあるべき」と示してきたものが、これからは「幼児に身に付けてほしい能力」という形で示されるため、現場の先生方は本当にたいへんだろうと想像します。

e0143522_9502537.jpg私が、個人的に感じるのは、一斉保育をする幼稚園であろうと、子供の主体的学びを引き出すことに重きを置く幼稚園であっても、そこに必要なのは、「人間の気持ちがよく分かり、状況判断に富み、親身になって子供と関わり、子どもの能力を伸ばしたいと願う大人の存在」ということ。

この存在がないと、「子どもの自主性を重んじる」という言葉から、ただの放任幼稚園になったり、「一斉保育をすること」を謳って、先生ができない子の手を持って絵を描かせたり、解答を書かせたりしてしまうかもしれません。そして、残念ながら、多くの幼稚園、保育園では、実際にこうしたことが起きていると感じます。

ですが、そのどちらも、「本来の理想的なあるべき姿」ではなかったはずです。そして、子どもの自主性を重んじながら幼児の力を引き出せる先生は、音感教育などの一斉指導をしたとしても、個々の幼児に必要な課題を見極めて、個人と全体の双方を伸ばすことができるのではないかと思います。

「昔はこういう先生がいた」というと、「昔を懐かしんでも仕方ない」と言われます。ですが、昔、そういう先生がいたのは、先生たちも、いろいろな体験を通して、子どもに伝えたい気持ちがたくさんあったり、いろいろなことを感じたり、感激したり、喜怒哀楽がはっきりしていたのではないかと思うのです。

子どもたちの教育環境を整えるためには、大人の先生たちや子どもを持つ親御さんを変えないと、指導要領だけ変えても、「書いてあるけど、できない」という「絵に描いた餅」になってしまうのではないかと、心配になります。ですが、今、現状を変えないと、本当に子どもたちの未来は明るくないと、残念ながら、強く感じるのです。
by k-onkan | 2016-10-26 23:49 | 教育 | Comments(0)

話を聞くから、聴いてくれる

定期的に指導に出向く保育園では、どのクラスでも音感のレッスンの前に、一人ずつ全員から子どもの話をきく時間を作っています。教室に入ると、必ず、誰かが、「麻奈先生、あのね・・・」と話をしたがる子がいて、いつも決まった顔ぶれだからです。けれど、毎回、「話したい子」の話だけ、聴いたのでは、内気な子には順番は回ってきませ。そこで、手をあげて「ハイ」と言って、私が当てたら、好きなことを話せるというルールにしました。

e0143522_15143471.jpg但し、子どもたち一人ひとりの話をきくためには、他の子も静かにしないと、騒々しくて聴こえません。そこで、「お友達の話をよく聞いてね。あとで、質問するから」と伝えています。子どもたちは、「昨日、スーパー言った」で話が終わる3歳児もいれば、「昨日、水族館に行ったんだよ。東西線に乗ってね、その後、ばぁばの家にも行ったよ」と、長い文章を話す3歳児もいます。

話が終わったら、全員に、「Tくんは、どこへ行ったって?」と確認します。「ディズニーシー」、「だれと行ったって?」「「パパとママと赤ちゃん」「ディズニーシーで、何をしたって?」「仮装した」「何になったの?」「ピーターパン」等々。クイズ形式で、質問されると事前に分かっているなら、3歳児でも、人の話を注意深く聞くことができるのです。

音感を教えにいっているのに、子どもとの雑談は、無駄な時間に感じるかもしれません。しかし、どのクラスでも、音感を始める前に、少しだけ、子供一人ひとりに発言時間を与えると、その後、音感のレッスンでは、私の話をよくきいて意欲的に参加してくれるのです。考えてみれば、当たり前のことかもしれません。自分の話を聞いてくれない大人の言葉を素直に聞けるほど、子どもは、我慢強い存在ではないと思うからです。

以前、発達障害の人の状態を改善させるために、一緒に好きなことをすることに効果があるという本を読んだことがあります。砂遊びが好きな人とは砂遊び、勉強が好きな人とは一緒に勉強する。そうして、個々人の好みに合わせた時間を共有することで、他人の気持ちが理解できるようになったりすることもあるようです。

誰かと一緒に穏やかな時間を共有することは、本来、親子が持つ愛着を育むのに似ているような気がします。発達障害を持つ人は、親が愛を伝えているつもりでも、子どもが適切にそれを受け取れずに、その結果、愛着が育みにくいことがあるといいます。

しかし、保育園に長時間、通っているお子さんたちも、一人ひとり、きちんと気持ちを聞いて、共感したり、一緒に楽しい時間を過ごさないと、誰かを思いやったりという感覚は芽生えないのではないかと感じるのです。そのため、音感の時間には、時間が許す限り、一人ひとりの話を聞いたり、一人ひとりの歌声を聴いて、感想を述べる時間を大事にしているのです。それでも、私は他人なので、できれば、子どもと時間を共有したり、楽しいことをとことん一緒にしたり、などは、親御さん、もしくは、親族の方にしてあげていただきたいと思うのです。それが、その子が生きる上での、土台になると思うから――。
by k-onkan | 2016-10-25 15:13 | 幼児 | Comments(0)

嫌がることはしなくていいってホント?

幼児教育に携わっていると、「子どもが嫌がることはしない」という言葉に出合います。けれど、この言葉には、多くの意味が含まれているのです。

e0143522_1444397.jpgたとえば、子どもが「野菜を嫌いだから」と言って、食べなければ、体に必要な栄養素が足りなくなるかもしれません。「友達と一緒に行動するのが嫌い」だからといって、人と行動できなければ、幼稚園や小学校に入って、一人だけ、自分勝手な行動をすることになるでしょう。世の中には「嫌いなことでも、しなければならないこと」は存在します。だからといって、無理やり強制的に何かをさせても、いい結果は出ません。そこで、大事なのが「嫌がっている理由」を見極めること、そして、嫌いなことを好きになる工夫を大人がすることです。

このことを音感のレッスンで考えてみましょう。望クラスに来る子どもたちは楽院を嫌がったりしません。子どもたちの「できること」しかさせないからです。しかし、音感が始まると、「嫌だ」ということがあるのです。そんな時、私は「何が好き」で「何が嫌い」かを観察します。そして、音感のレッスンを嫌がる子どもは、「音感かるたの説明」の言葉の意味を理解できないという共通点を発見しました。

しかし、子どもが嫌がるからといって、楽院に通って「音感かるたの説明」ができないのでは、歌唱力も音感もつけられません。私たちは、お子さんが入学する時、必ず、幼児期の3年で、楽院の生徒として恥ずかしくない歌唱力と音感を付けることをお約束しているからです。

そこで、音感かるたの説明が理解できるようにするための前段階があるのです。「動物カード」「果物カード」「野菜カード」によって単語を教え、声に抑揚をつけて、異なる表情の声で、絵本の読み聞かせをします。絵本やカードによって、「言葉」が理解できるようになって、「音感かるたの説明」を面白いこととして、感じられるようになるのです。

また、音感かるたの説明では、子どもはじっと立って大きな声を出すことになります。この時、まっすぐ立てる体幹や足首が育っていないと、音感かるたの説明は苦痛です。そこで、平均台やトランポリンなどで、身体を鍛えるのです。

望クラスでは、身体を使う課題、頭を使う課題、手指を使う課題、耳と目を使う課題、声を出す課題など、多様です。これは、すべて「音感かるたによる訓練」になるべく、抵抗を示さないための下準備を行っているのです。

子どもが「イヤ」「きらい」と言うときには、必ず、理由があります。たとえば、自分は知らないことを、よその子が当然のように知っていたり、できていたりしたら、1歳児であっても物怖じしたり、抵抗を感じます。その不安が「イヤ」「きらい」と言わせているのです。その気持ちを変えさせるには、人が見ていないところで、親子で楽しい気持ちで影練習をするしかないのです。子どもは自分が経験したことであれば、人前でも自信をもってできますが、経験がないことは心配で泣きたくなったりするものです。

つまり、子どもは、嫌がっている原因を解決しなければ、何かを好きになることはありません。言い換えると、問題が解決できさえすれば、大嫌いが大好きに代わる可能性もあるということです。子どもが「嫌がることをしない」というのは、「嫌なことをさせなくていい」という意味ではなく、子どもがやりたい気持ちになるように、大人が工夫して苦手なことのハードルを下げることであり、そのために、幼児期の教育はあるはずなのです。
by k-onkan | 2016-10-24 23:42 | 教育 | Comments(0)

おばあちゃん世代から苦言を一つ

最近、ママになった卒業生が、大人数で大きな公園にピクニックに行ったという報告を受けました。新米ママたちが子育ての愚痴を言い合ったり、悩みを相談したりしてストレスが解消できたなら、本当によかったと思います。

e0143522_22323147.jpg「公園で1歳児たちが勝手に歩き回ったり、いなくなったりしてたいへんだった」という話を聞いたのですが、一つだけ、長年、大勢の幼児と関わってきたからこその苦言があります。私も瑠音先生も、いえ、楽院の先生は皆、「公園に遊びにつれていったら、子どもが最優先なこと当たり前」だと思っています。ですから、楽院の合宿でも朝から晩まで子どもを飽きさせないことに全力を尽くしてきました。

もちろん、普段、育児に頑張っているママの慰労のピクニックに水を差したいわけではありません。ですが、公園や広い場所に子どもを連れて行ったら、まず、親子で一緒にたっぷり歩いてあげてほしいのです。「あれはなに?」「こっちはなにがあるかな?」と一緒に好奇心をもって楽しめば、1~2歳でも1キロくらいは歩く力を持っています。たいてい、歩けないのは子どもではなく、大人の方だったりします。

0~1歳のハイハイの時代は、1日300ー400メートルくらいは、ハイハイをした方がいいと言われています。それをしなかったことを悔やむお母さんの話を聞きますが、ハイハイをしなかったなら、代わりに歩くことが必須です。

幼児期の子どもは好奇心にあふれ、出合う全てのものを「学習」しています。公園に行ったら、「自分がどんな場所にいるのか」、まわりを十分に探検させた上で、落ち着いて食事や休憩にしていただきたいと思うのです。親子でたくさん、動いた後ならば、よほど体力の有り余った子供でない限りは、しばらくは大人と一緒に行動できると思うからです。

それでも、食事が終われば、また、いろいろと動きまわりたくなるのが幼児です。大人数の親子が一緒に活動する時は、時間を決めて大人が交代で子供の遊び相手をするという配慮も大事です。たくさんの友達と集まってもじっとさせられるだけでは、大人には楽しくても、子どもには苦手な集まりにならないとも限りません。

子どもはあという間に大きくなります。「抱っこ、抱っこ」「お母さん、お母さん」と言ってくれる時期はアッという間に過ぎてしまいます。どんな小さいことも、親子の共有するプライスレスな宝物だということを忘れないで欲しいと思うのです。
by k-onkan | 2016-10-23 22:31 | のぞみクラス | Comments(0)

叱るけど心は自由でいて

言葉が未熟な幼な子に、大人のいうことを伝えるためには、子どもが考えていることを見抜く力が必要です。言葉を話さないのに「どうやって、気持ちが分かるの?」と思うかもしれませんが、子どもの目が何を見ているか、子どもが何に触れているか、で、子どもの欲求は分かってくるものです。


e0143522_22332448.jpg最近、こんな出来事がありました。1~2歳児が通う望クラスでは、子どもが身体のパーツを理解できるように、「顔作り」をさせています。顔作りをする前に、漢字カードで「目、顔、頭、口、鼻、頬、顎、眉」と確認そて、自分の目や鼻、耳などを確認してから、顔づくりに取り組みます。その日は、1歳9か月のAちゃんが、ライオンの顔を作っていました。親御さんが、「目はどこかな?」とサポートしていたのですが、途中で、Aちゃんの動きがにぶくなりました。

親御さんは一生懸命「鼻はどこだろう?」と話しかけていましたが、Aちゃんは手に「耳」を持っていました。大人の感覚では、「目を置いたら、次は鼻を置くだろう」という固定概念のようなものがあるかもしれません。しかし、子どもの発想はとても自由で、「目」の次に「しっぽ」をつけてみたり、いろいろなパーツを手に取り、ながめ、子どもなりにいろいろなことに好奇心を持っているようです。単に顔を作るだけでなく、子どもが好奇心や興味を持って、取り組んでいることに、大人は水を差さない方がよい時もあったりするから、幼児の教育は難しいのかもしれません。

私たちは012歳の時期に厳しく矯正したりしているわけではないと思います。いろいろなことに興味を持って欲しいと思っているからです。けれど、「人を叩いたり、投げたりした時は、豹変し「NO」を伝えます。Aちゃんもレッスンを始めた頃に、お友達を叩いてしまい私に怖い声で、私に「ダメ」と叱られたことがあります。

4か月経った今でも、その時のことを覚えていて、毎回、レッスンの度に「麻奈先生」と呼びながらも、私の顔色を窺っています。私がどんなに優しい声で「Aちゃん、こんにちは。おりこうになったね」とネコナデ声を出しても、絶対に、私を侮ることはありません。

1-2歳の時期に、「自分の思い通りにならないことが世の中に存在する」と知るのはとても大事な経験であり、「ダメ」と言われた時に、していることを止められるようにすることは大きな課題です。しかし、基本的な「ルールや躾」ができたら子どもの心には自由であってほしいと願っています。なぜなら、自由な心こそ、音楽や芸術に求められる大切な力だからです。
by k-onkan | 2016-10-22 19:25 | のぞみクラス | Comments(0)