麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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土下座で済ませる!?

子どもたちが作った「たこ足糸電話」や「エコー電話」を持って公園に行った後、4人は、自分たちで考えた鬼ごっこを始めました。そこで、私たち大人は家に戻ることにしました。時間は2時40分過ぎたったのですが、すでに日が落ち始めたので、「3時には帰ってきてね」と伝えました。「えぇ?4時にしようよ」「遅すぎ。寒くなるし、暗くなるし、晩御飯を作る時間が必要だから。3時」と伝えて帰りました。でも、約束しても「帰ってこない」ことは想定内でした。その時、子どもたちがどうするか、を観察したかったのです。

e0143522_1448462.jpg約束の3時。私とYくんママは、温かい部屋でお茶を飲みながら、まったりと大人の時間を過ごしながら、「やっぱり、帰ってきませんね」とうわさをしていました。すると、ガヤガヤとよく通る声が近づき、「遅れてすみませーん」「ごめんなさ~い」と笑い声がしました。それは約束より30分遅れた「3時半」でした。

男児特有の冗談で乗り越えるつもりなのが見え見えだったので、「これが仕事で3時の約束だったら、土下座でも許されない、仕事はクビだな」とネチネチいうと、土下座の格好をして「もうしわけありませ~んでした」「おゆるしください」と笑いで怒りをおさめる作戦のようです。そのプライドのない姿に、私もあきれて笑ってしまったので、怒り続けることはできません。

そんな中、真面目な凸凹っこYくんは、「ぼくは、何度も『時間だよ』って言ったんだ。お母さんにも電話したのに…」と言い出しました。お母さんの携帯には着信履歴がありましたが、温かい部屋でのおしゃべりで、まったく気づきませんでした。でも、大人と連絡が取れなかったことが、かえってよかったのかもしれません。

小さい頃から教えてきた生徒の性格は、私が一番よくしっています。きっと、公園ではリーダー格の6年Sくんが最年少である3年生Kくんを味方につけて「大丈夫だよ。少しくらい遅れても……」と遊び続けたはずです。4年生のMくんもそれに同意して遊びに参加したのでしょう。真面目なYくんだけが「約束を破る友だち」にヤキモキしてお母さんに助けを求めたけれど、応答がなかったので、結局みんなと一緒に帰ってきたという形になりました。

「ぼくは言ったのに」というYくんに、「そういう時は、一人でも、帰ればいいんだよ」と4年生のMくんがポツリ。「え?いいの」「ボクはそうするよ。約束を守らなければいけない時はね」と大人発言です。私もYくんママも「確かに」と思いました。

グループのリーダーとその取り巻きが、「約束を破ること」に決めたからといって空気に合わせて一緒に付き合うことはないのです。一人でも、約束が守りたければ守ればいいのです。たとえ、いっときは仲間外れにされても、「約束」が大事なら、自分の判断で抜けて帰ることもできた方がいいと思います。Mくんが帰らなかったのは、自分で「怒られても仲間と一緒に遊ぶ」と自分が決めたからでしょう。最近は、幅広い年齢層の子ども同士で遊ぶ機会がどんどん減っていますが、大人が授けた知恵よりも、大勢の子どもの経験から、吸収することも、また、本当に大切なことなのです。

その後は、「モノポリー」のゲームをしました。モノポリーはアメリカで流行したボードゲームで、土地の売買や他人との交渉などが必要な高度がゲームです。私がこのゲームに初めてであったのは18歳でアメリカに留学した時のことでした。当時、未成年だったこともあり、お酒が出る場所には一切、出入りできなかった留学生仲間が週末になると、集まってこのゲームをしたものでした。

このゲームは、自分の駒が止まった土地が誰にも所有されていなければ買うことができます。土地を買えば、次に誰かが止まった時に賃料を得られます。反対に、自分が誰かの所有地に止まれば賃料を払います。同じ地区の土地を全て所有できると、賃料は倍になり、そこに家やホテルを立てられます。家やホテルは更に高い賃料が取れるのです。

ただし、同じ地区の土地は偶然、手に入らないので、自分が欲しい土地を持っている相手と交渉してお金を出したり、交換したり、時に「1回は止まっても無料にするから」と条件を出して、交渉をするのです。このゲームは、世の中の仕組みが分からないと、楽しめないので、小さな子は大人とチームにして、上級生も二人で一組にして遊びました。

ゲームの中の地名はアメリカの名前ですが、これを日本の地名に置き換えると、社会の勉強ができます。土地は同じ大きさでも、場所によって値段が違います。高い土地もあれば、安い土地もあります。地価が安いと家賃やホテルの料金は安く、地価があがれば、家賃やホテル代金も高くなります。

このことを説明するために「東京都の市町村の地価ランキング」を調べ、「東京で一番、高いのは、どこか知っている?」というと「銀座」と答えた子どもがいました。「何区?」というと「中央区」と答えます。このゲームで一番、最後の土地は、日本でいうと「中央区の銀座」で、一番、安い土地は「新島村」に置き換えて考えてみました。

このゲームは、幼い内は本当の面白さは分からないと思います。一番の面白さは相手との交渉と、自分の持っている物の価値や、これから、稼ぐお金を想定しながら、いかに、自分のプラスになるかを考えるからです。私は、はじめて、このゲームに出会った時、それまで「18歳にしては大人だ」と言われていた自分がいかに世間知らずかを知りました。相手の言葉を信用し過ぎて財産をどんどん手放す結果になったかと思えば、依怙地になって誰とも交渉せずに孤立して、結局、破産したり、など、社会で生きるために、自分で考え交渉して、選ぶ、そんなことを疑似体験できるのです。

ゲームの面白さが分かった頃、私はYくんを誘ってカレーを作り始めました。じゃがいもの皮向きをお願いしている間に、どんどん、野菜を切って、肉を切りました。Yくんにカレールーの箱を読ませて、玉ねぎを炒めてもらったり、灰汁を取ったりなど、をさせました。ピアノや歌などが飛躍的に成長したことで、人との関わり方、世間話の内容など、他の面でも成長を感じることができました。その反面、じゃがいもの皮をむく手先の不器用さを見て、手指を使う体験は、今後も、意図的に継続していかなければと感じたのでした。

することがなくなると、手持ち無沙汰になり、屋内でボール遊びをしたり、暴れ出す男児には、次の課題を与えました。みかんの汁を使って、画用紙に筆で、みんなにメッセージを書く、「あぶりだし」です。みかんやリンゴの汁で書いた文字は、熱を加えると、糖分が炭化するために、文字が浮かびあがります。これは、砂糖水でも文字は浮かぶのですが、塩水では、反応しない、のだそうです。

子どもたちは私にも、メッセージをくれました。「先生としてナイスフォロー」「歌もピアノも頑張ってください」「今日は来させてくれてありがとうございました」「これからもよんでください」と、それぞれの性格が分かるものでした。特に、凸凹っこYくんの「先生としてナイスフォロー」はなんだか、おかしく、思わず、笑ってしまいました。反対に弟のKくんは、「歌もピアノも頑張ってください」という他人事のようなメッセージで、「Yくんのおまけ」という意識なのかもしれないと感じ、「一人だけでもっと可愛がる時」も大事にしなければいけないのかも、と思ったのでした。

帰り際に「あぁ、泊まりでもよかったな」と言われたので、即、「イヤです。勘弁してください」と答えました。それほど、楽しんだということで、最大の賞賛の言葉ではありますが、子どもを1日10時間も預かり、その間、好奇心を満たし続け、何かをさせ続けるためには、大人は最大限の神経を張り巡らして、子どもを観察します。それが夜中まで続くと、合宿と変わらなくなってしまいます。一人では、無理です。「お泊りは、夏の合宿でしているでしょう? 年末年始はこれ以上は、無理」と伝えました。

昔は、子ども同士が仲良くなると、誰かの家庭に遊びにいったり、誘ったり、そんなことが多くありました。しかし、今は、そうした親しいお付き合いや親戚関係もなくなり、子どもたちは、人と関わることに飢えているように感じます。大人にとって、面倒なことを排除することで、楽になっても、子どもがいろいろな体験をして当たり前に育つという機会は失わせているのかもしれません。

次の長期休暇は、男子班ではなく、女子班を我が家に招き、一日、一緒に何かをする日を作らなければと思いを巡らしながら、今年も、子供たちに、大いに楽しませていただくいい年だったと、つくづく感じています。

一年間、本当にお世話になりました。来年も、また、「先生としてナイスフォロー」と言われるように、頑張っていこうと思います。
by k-onkan | 2016-12-31 14:48 | 児童 | Comments(0)

料理も、絵画も、いつも通り!!

暮れの30日には、凸凹の気質を持つ生徒の親子を集め、我が家でお絵描きやボートゲーム、料理や実験など、合宿の「楽しいところ」だけを「お泊りなし」で行う計画を立てていました。しかし、参加予定の1年生が胃腸炎にかかったとのご連絡があり、急遽、6年生のYくんに声をかけてみました。

e0143522_13543981.jpg毎週土曜日、レッスンが終わると一緒に遊ぶ仲間が、私の家に来て、Yくんだけ声をかけていないと、年明けにすねるかもしれません。せめて、塾で勉強した後に、晩御飯だけでも一緒に食べられたらと思い、お母さんに連絡しました。幸運なことに、その日から塾が休みで朝から参加できるとのことでした。当日は、自分で早起きをして勉強をしてから出かけると、宣言するほど、楽しみにしてくれたようです。

我が家に着いた子どもたちには、まず石鹸で手を洗わせました。レシピに従って、ピザ生地を作るからです。支援級に通っていると、「理科」と「社会」の体験が少ないと聞いていたので、グループごとにレシピを読んで、材料の分量をはかって、ピザ生地を作ります。理科の実験も料理も、何かと何かを掛け合わせて、違うものに変化したり、材料が膨らんだり、形を変えたりすることに共通点があります。

子どもたちは大掃除した私のキッチンを粉だらけにしながら、大騒ぎで生地をこねます。こねた生地はしばらく寝かせなければなりません。ピザ生地の分量だけでなく、小さなお菓子のパックも袋や箱を開けずに「4人で等分にしたら?」「6人で分けるなら?」という問題を出したり、実際に、37グラムのスナックを6グラムずつに、量って分けて食べたりしました。

理科や社会は、机上の理論や受験勉強のためではなく、生きるために必要な体験を学習していることを感じさせたいからです。そして、理科や社会を教えようと思っても、やはり基本は、指示を読んだり、聞いたりして理解する「国語力」と、いろいろな物の量を足したり、引いたりができる「算数力」だと感じるのです。

ピザが膨らむまでの時間は、「三原色」(赤・青・黄)の水彩画を使って、「誰が、一番、たくさんの色を作れるか」の競争です。子どもたちは、「赤青黄」だけで、全ての色を作れると言われてもピンとこなかったようですが、パレットで色を作ると、いろいろな色を作って自分が描いた枠の中に塗っていきます。

絵でも平素の性質が良く出ます。美しいものを好む6年生のSくんは、複雑な線が入り組んだ枠の中に、淡くて美しい色を次々と塗っていきます。5年生のYくんは単純な線の動きが大胆な模様を作っています。普通の人では思いつかない形は、見る人が見たら評価が高いかもしれません。

4年生のMくんは文字を書いたり、宿題をする時にいい加減なので、絵もおざなりに取り組むのかと思いましたが、自分が美しいと感じる色を全体の中から、好ましい場所をみつけて塗り、美しい色彩の作品が仕上がりました。一番、たいへんだったのは最年少、3年のKくんです。「線を複雑にすると、色を塗る時に塗る場がたくさんできて、たいへんになる」と伝えてあったのに、心の赴くままに、線を描き過ぎて、水彩絵の具を塗る頃にはたいへんになって、飽きてしまい、結果的に一番、茶色が多い作品になりました。

私がはじめて、この遊びを教わったのは私が4年生の頃でした。当日、幼稚園で絵画指導をされていた大垣先生から、両親が教えていただいたた方法で、画用紙に3本の線を引いて、その枠の中に、異なる色を塗っていくのです。年少だった妹は感性豊かなに美しい色を次々と塗りましたが、私と弟は、「赤と黄色は緑・青と赤は紫」という知識があったからか、たくさん線を弾き過ぎたか、いろいろな色をやみくもに混ぜて全体が茶色っぽい作品になりました。「色彩感覚も幼児期の方が鋭い」という話だったのですが、Kくんは一番、年齢が低いのに、物事に対して頭でっかちで投げやりな時期に入っているのかもしれないと思い「もっと、子どもらしくいられるように気をつけなければ」と反省もしました。

絵が仕上がる頃には、寝かせていた生地が膨らんでいました。最後まで、ネチネチといたぶるように、こねていたチームの生地は大きく膨らみ、すぐに飽きたグループは、あまり膨らんでいませんでしたが、それぞれ、トマトソースを塗って好みの具をのせました。Yくんのチームはバランスよく、トマトや玉ねぎ、ピーマンとベーコンをのせたもの、Sくんチームは山のようなチーズにベーコンだけ、という贅沢なピザになりました。子どもたちは、「ピザ屋で買ったのよりも、うまい」と言いながら、あっという間に食べ終わりました。

その後は、糸電話を作りました。小学生なら誰もが一度は、挑戦した理科の実験ですが、2本の糸電話をたこ足にしたり、針金を巻いたものをカップに通して、エコーがかかるようにしたりして、楽しみました。普段、合宿で、女子の面倒しかみない私は、カップにキリで穴をあけようとして、力まかせにカップを裂いてしまったり、穴に糸を通せない男児の不器用さは新鮮でした。<つづく>
by k-onkan | 2016-12-30 13:52 | 児童 | Comments(0)

難しいから品質維持ができている

最近、世の中では「ライセンスビジネス」が流行っているそうです。そういえば、企業の社長に「木下式が流行らないのは、ライセンスビジネスの手法がうまくいっていないから」と指摘を受けたことがあります。せっかく、免状を与えても、それが「教室を開く資格」にはならないから、ということなのでしょう。

e0143522_22344289.jpg私の父は、40年前に、木下式が日本中に爆発的に広まる経験をしました。しかし、残念なことに、広まれば広まるほど、現場の子供のマイナスになっていくことに愕然としたのです。そこで、木下式を実践する幼稚園、保育園には、教諭を指導者として養成し続けること―講習会で勉強を続けることを約束していただいたのです。

それが、木下式の講習会に「検定試験」が生まれた経緯です。これは、一般のビジネスのように「ライセンス」を取らせる目的ではなく、とにかく先生たちに幼児を教える技術を体得してほしいとの願いから生まれています。ですから、ライセンスビジネスとして成り立っていないことこそが、いいことを続けられているということなのかもしれません。

木下式を実践する幼稚園の先生は、就職したらすぐに幼児の前に立って、音感を教えます。初級検定にとおっていませんが、先輩の先生を見よう見まねで教えます。免状を取る以前に、素直に必要なことを吸収して、「先生らしく指導できること」が求められます。当然、検定試験は簡単ではありませんが、あまり厳しいと現場の幼稚園、保育園の先生が園を辞めてしまうというジレンマがあります。そこで、よほどのことがない限り、「不合格」ではなく「追試課題」を与え、問題の課題をできるようになるまで、個別に指導しています。

そのしつこさに抵抗を示す方もありますが、こちらには「初級合格」の免状を与える責任があります。上手に指導できないまま、勉強を終わらせたら、その人のクラスの子どもは、習得できない課題があるまま、卒園していってしまいます。それは、私たちの願いではありません。

この制度のいいところは、それぞれの先生の弱点に付き合えることです。中には、何度も追試課題に合格がもらえなかったことで、とてもいい先生に育った方もいます。反対に、簡単に受かると思っていた卒園生が、いつまでも追試をクリアできず、免状がそのまま、こちらに残ってしまうこともあります。しかし、この厳しさが、爆発的に広がらなくても、今日まで、できる限り子どもにとっていいことを続けてこられた最大の理由だったのだと、気づいた「世の中のライセンスビジネス」の話題だったのでした。
by k-onkan | 2016-12-29 22:34 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

他人の気持ちを想像する練習

私には、この冬休み、一つの企画していることがありました。それは、生徒の中で凸凹の気質を持つ子どもたちを集め、我が家でお絵描きやボートゲーム、料理や実験など、合宿の「楽しいところ」だけを「お泊りなし」で行うことでした。

e0143522_2152532.jpg凸凹の気質を持つ子は、記憶力がよく、勉強ができても、人との関わりに課題があるからです。合宿と違うのはお母さんも一緒に参加して、わが子との関わり方、導き方を見つめ直していただくことが目的でした。

参加の予定は、5年生のYくん母子と弟、そして、1年生のMくん母子です。そこに私の判断で近所に住む4年生のIくんにも声をかけました。Iくんはお父さんがお忙しいため、冬休みなど長期休暇になると、「一人で家にいて何もしなかった」と報告をよく受けるので、時間が許せば声をかけたいと思っているのです。

しかし、一つ心配なことがありました。Iくん以外はみんなお母さんが参加されます。Iくんは1年生の時、生みの母を病気で亡くしています。3年も経てば、他の子がお母さんに甘える姿を見かけても「いつものこと」と流せるかもしれませんが、それでも、一人だけ寂しい思いをさせたくはありません。

そこで、「母子で一緒に参加しても、自分のお母さんとは組まない」というルールにすることにしました。お母さんにとっても、よその家の子どもと付き合って、物事を説明したりすることで、わが子のいいところなどに気づく機会になるかもしれません。また、子どもにとっても、お母さんがよその子の世話をすることで、普段は、感じない感情を持てることもあるでしょう。

でも、一つ心配なことがありました。1年生のMくんは、まだお母さんが大好きな年頃です。きっと「お母さんと組まないルールなのだ」と伝えても、「なんで、お母さんと一緒はダメなんですか?」と尋ねることでしょう。だからといって、私が「Iくんはお母さんが亡くなっているから、一人だけ寂しい思いをさせるのは、かわいそうだから」と本人の前でいうのは、あまりにデリカシーがないと感じます。

そこで、事前に、それぞれのご家庭で「もし、自分のお母さんが亡くなっているのに、他の人が「お母さん、お母さん」と甘える姿を見たら、その子はどんな気持ちがすると思う?」と想像させてほしいとお願いしました。そして、その感想を私に教えてくださるようにお願いしました。

Yくんの弟は「悲しい」と答え、Yくんは「いけない。(答えが)同じだね」と言ったそうです。ここに、定型の弟と凸凹気質の兄の誤差を感じました。どちらも、「Iくんの前でお母さんに甘えてはいけない」という答えに到達しています。ですが、少しニュアンスが違うようです。弟は「悲しい」という感情ゆえに、兄は善悪で「いけない」と理解しています。同じ行動をしても、その考えには差があることを、大人は頭の片隅に置いておく必要を感じます。「いけない」の先に、「どう感じるか」を想像する練習が、社会で凸凹っこが他人と関わるのに必要になることなのかもしれません。
by k-onkan | 2016-12-28 21:51 | 発達障害 | Comments(0)

頑張ると嬉しいご褒美!

楽院の最後の日は、木下先生の号令で大掃除です。昔から、我が家は大掃除や庭掃除の類は、木下先生の号令の下、「みんな一緒に」と一斉行動をします。子どもの頃から、「わずらわしい」と思っていましたが、うるさい指揮官がいることは、一人ぼっちで掃除をするより、はかどるのは事実です。

e0143522_1848351.jpg今年、最後の業務を終え、中学1年の甥Yと二人で、渋谷まで出かけました。先日の成果発表会で頑張ったご褒美にランニングシューズを新調する約束をしていたからです。Yは現在、陸上部で中長距離を走っていますが、先日、都の大会で良い成績を残したことから練馬区の代表として中学駅伝の強化選手に選ばれたのです。しかし、練習で一生懸命、走れば走るほどシューズはすり減り、半年前にプレゼントした靴は見る影もありません。

音楽で欠かせない道具が「いい楽器」のように、ランニングで大事なのは「いい靴」だそうなのですが、「いい道具」はいい値段がするのです。ボロボロになった靴を履くYに「そろそろ、新しくしないと体に悪いんじゃないの?」と声をかけてみましたが、「まだ履けるからいい」と断られました。

楽院の中の、小さな発表会ごときで、私の靴より高いランニングシューズをご褒美にするのは、「甘やかし」と思われるかもしれません。ですが、今回の発表会で本当に、一番、感心したのが他の誰でもなく、身内のYだったのです。

Yはベートーヴェンのソナタ「悲愴」の第一楽章を弾きましたが、これまで取り組んできた練習曲や幼い頃の手指の不器用さを考えると、正直、この曲を弾きこなすレベルに至ってないことは、誰よりも私が感じていました。

レッスン前は、「先生に失礼がないように」と空き時間を利用して4~5時間、弾いている姿を見かけますが、日々の練習は、部活動があり、30分も練習していないと思います。それなのに、本番は「自分の中で、こんなに間違えなかったのははじめて」というベストの状態を出してきたのです。それはまるで、アスリートが競技会に向けて調整したように見えました。

一瞬芸のような練習方法が、果たして、音楽を学ぶ上で正しいかどうかは、これからYが試行錯誤しながら模索していくと思うのですが、「目的」に対して集中して努力する姿に「中学1年の自分はYに負けた」と素直に思いました。そんなわけで、音楽会のご褒美は「新しいシューズにする?」というと、嬉しそうにコクンと首をふったのです。きっと、「壊れたから」ではなく「頑張ったから」、何かを買ってもらう方が、我が家で育つ子どもは、気持ちがいいのです。誰にも文句を言われずに堂々と、使えることを知っているから―。
by k-onkan | 2016-12-27 23:47 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

立派になったから次の課題へ

講習会の検定試験で「怒りモード」に突入した私でしたが、ピアニストの山崎早登美先生をお迎えして指揮法講座の頃には、先生のピアノの音色から、ずいぶん、おだやかな気持ちになっていました。

e0143522_15493226.jpgその中で特に嬉しかったのは、4歳から教えてきた凸凹っこYくんの成長ぶりでした。彼は大勢いる生徒の中で、誰よりも木下式の恩恵を受けた子どもと言えます。入学当初のYくんは、療育センターの先生から「文字の読み書き」も「他人との意思疎通」もできるようにはならないと言われていたのです。しかし、今では長い歌詞を覚えたり、ピアノを弾いたり、イタリア歌曲を歌ったり、和音聴音もできるようになり、ついに卒業生であるお母さんの音楽能力を追い抜かすところまできています。

自閉っこの特性として、咄嗟のことに反応できなかったり、言葉を額面通りに受け取ったり、不思議な勘違いがあったりと、いろいろと難しい面を持っています。ところが、長年、楽院で「木下先生の無茶ブリ」に慣らされてきたためか、幼稚園や保育園の先生たちより、Yくんの方が木下先生の気持ちを汲み取り、素早く反応できるのです。

特に、私が「偉くなったなぁ」と思ったのは、途中から、木下先生がYくんと甥たちの名前を全てごっちゃまぜにした「それは誰?」という名で呼び始めた時のことでした。「ボクの名前は違います」などと四角張ったことを言いもせずに、木下先生と「目線」があうとすぐに立ちあがり、幼稚園保育園の先生たちの前で木下式の「模範口語」や「模範唱」を見せていました。以前は、木下先生の無茶ブリで分からないことがある度に、私に目で合図を送っていたのが、嘘のようです。

後で、Yくんと一緒に講義を聞いていた中学1年の甥Yが、「Yくんは、幼稚園の先生たちに向けた木下先生の「指揮法」の講義を聴きながら、相槌を打ったり、いろいろと言っていたと教えてくれました。木下先生が「指揮者がやってはいけないこと」を注意した時に、「絶対に子どもと一緒に歌ってはいけない」というと、「それ、学校の先生がやっている」と言い、「指揮者が歌っても子どもは上手にはならない。声を出させたいなら、先導をせよ」と言ったときには、「確かに」と、一つずつに反応していて、おもしろかったのだそうです。

木下式によって、音楽能力とそれに付随する聴覚や言葉の能力を引き出したYくんですが、私には心配ごともあります。それは、この音楽の能力を生かして生きるためにも、今後、特別な支援のない学校、社会へ進むに当たっても、音楽だけ高い能力を持っていて安心というわけにはいかないのです。

小さい頃から、音感教育をしてきた生徒については長所短所を含めて、その子が物を吸収する癖のようなものも、私はよく理解していると自負しています。その私の知恵を使って、今度は、Yくんが木下式で培った能力以外の他の科目や社会性、コミュニケーション能力―などを音感と同等に引き上げたいと思っています。それが、入学の時に、「第二のフミくんに育てる」とお祖母ちゃまとした約束を果たすことになると思うからです。
by k-onkan | 2016-12-26 20:47 | 発達障害 | Comments(0)

大人としての責任がある

講習会3日目、午前中の検定試験が終わって、私は豹変して「厳しい顔」を見せてしまいました。それは、講習会の前半で木下先生に教わったことを、何一つ改善しないまま、検定を受ける教諭の姿に、「一体、何を考えて、検定試験を受けているのか?」と憤りを感じたからでした。

e0143522_14505948.jpg楽院の生徒は「麻奈先生が一番こわい」と思っているため、私が多少、「キレて」も驚きはしません。でも、講習会の受講生はかなり驚いたかもしれません。なぜなら、私は幼稚園、保育園の先生にはなるべく、怖い面を見せないようにしているからです。それは、木下式を恐れて幼稚園を辞めたいと考える先生を出さないためでもあります。

しかし、優しい顔を見せていると、子どもも大人も相手も侮って、一生懸命やらないのも世の常のようです。受講生は木下先生が講義をする時と、私が講義をする時では緊張感が違うのです。そのため、木下先生の前だけいい声を出すなど、まるで、楽院の子どものようです。それでも、私があえて、ビシビシ怖くしないのは、社会人として教諭をする大人が「誰かが怖いからやる」というのは、何かが違うような気がするからです。

三期講習会の検定制度は、木下式を実践する幼稚園、保育園の先生が、間違った指導をして、子どもに申し訳ない結果を生まないために、40年近く続けられてきました。「以前より上手になったから」とか「声がいいから」とか「講習会を6回、受けて、受験資格があるから」という理由で試験を受けるのではなく、「子どものために」上手になるための勉強をしないと、試験の意味はありません。ただし、現代の若者に、そんな厳しいことを言ってもピンとこないでしょう。そこで、こんな話をしました。

「あなたたちは、『平等教育』を受けたり、『ゆとり教育』を受けて、他人に踏み込まれたり、苦手なことを頑張るなどという、経験はないかもしれません。けれど、木下式は、『生まれてきた子どもが、将来、困らないように』と、これでもかこれでもか、と相手に踏み込み、先回りして、時に強制もして、幼児期の限られた時期に音感を身につけさせようという教育です。そして、音感教育をする際は、どんなに頭がよくても、歌が上手でも、しつけができていない子どもはダメだと経験で知っているから、しつけ面でもうるさくいうのです。

そういう木下式を指導する先生たちが、『子供に嫌われたくない』とか、『イヤなことを言いたくない』と思っていたのでは、いくら、指導法を勉強しても、成果はあがりません。指導する大人の責任として、時に、子どもに踏み込んで、『絶対にこうしなさい』とか『ダメなことはダメ』と毅然としないと、大人の責任を果たすことになりません。

今回、試験を受けた先生は、『麻奈先生は木下先生に比べて怖くないから、試験は受ければ通る』と甘くみたのかもしれません。私も不合格になると、ショックで園を辞める教諭がいるとの園長先生方からのプレッシャーもあり、できれば不合格にはしたくないいのです。それでも、下手な先生を合格させることは、『初級検定』の価値を下げることになり、結果的にそのマイナスは、合同音楽祭の時に、『今年の先生を教えそこなった』と私自身の後悔につながります。だから、簡単には合格させられないのです」

今回の講習会で、つくづく感じたのは、私たち人間は、大人であっても子どもであっても、「自分の好きなこと」を「自分のできる範囲」で、無理なくやっているだけでは、絶対に成長しない、ということでした。子どもに「強制したくない」「子どもに無理強い」したくない、という考えは、私自身も若い頃、そう考えた時期もあったので、気持ちは理解できます。

それでも、これだけ強制されたことも、無理強いされたこともない大人が育ち、子どもたちと関わるようになると、子ども時代は、抵抗を示されても、子どもの好きなことをありのままに受け入れさせることは、毒だと思うようになりました。そして、時に大人の判断で、押し付けでも「絶対にしなければいけないことが存在すること」を教えるのは、大人としての大事な責任だとも思うのです。
by k-onkan | 2016-12-25 23:49 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

なにかを「やった」という意味!

講習会の二日目の今日は、世間は三連休のまんなかの、クリスマスイブです。しかし、妹一家には、散々のクリスマスだったようです。その日はお父さんが休みの土曜日だったので、1年生の甥Kは、講習会をする楽院には来ずに、「家でピアノの練習をして、家庭学習の宿題をする」という約束でした。ところが、家に帰ると、ピアノはいい加減、宿題の筆跡まで違ったそうです。お父さんを追求すると、「やりなさい」と言ってもやらなかったので、仕方なく、問題を出してKが答えた数字をお父さんが書いたというのです。

e0143522_12445626.jpg「家でやることをやるっていうから、楽院に連れていかなかったのに、どういうことなの?」とKは叱られたようです。瑠音先生は、「世の中には、お父さんとお母さんが喧嘩して、お母さんが出ていってしまう家もあるでしょ。もし、お母さんがお父さんに『どうして、ちゃんとKに勉強させておかないのよ」と怒って、お母さんとお父さんが喧嘩をして出て行ったらどうするつもりなの?」。

私たちは、教育の現場にいるので、「やらせる」と言ったら、「やりなさい」と言葉でいうだけではなく、「やるまで」監督して、やったことを確認してはじめて「やった」ことになると考えています。けれど、一般の大人の人は「やりなさい」といわれて子どもがやらないと、どこまで踏み込んでいいのか、分からないのだろうと思います。Kは自分が「やる」といった約束を破ったことで、お父さんが監督不行き届きで叱られるという経験を始めてしたのです。

さて、これは、家庭不和の一歩手前の笑い話なのですが、幼稚園、保育園の先生に音感教育の指導法を教える時にも、これと同じことがいえます。私たちは、講習会の間に先生たちが、幼稚園、保育園に戻って、きちんと指導できるように、なるべく丁寧に、かつ厳しく、教えています。これは、音感を教える先生が、現場でいい加減なことをすると、木下式を学ぶ幼児に失礼だと思うからです。

一方、教諭の方々は、「検定試験に受かりたい」とか、「音楽祭の指揮で失敗したくない」など、いろいろな気持ちから、その場は一生懸命やっても、園にかえって、子どもを指導する時には、うるさい監督者がいなくなるため、中途半端な結果で満足してしまうこともあります。でも、講習会で言われたことを実践しなければ、どんなに、毎日、音感の時間があっても「音感をやっていること」にはならないのと、同じことが言えるかもしれません。
by k-onkan | 2016-12-24 23:40 | Comments(0)

子どものために頑張って!

三期講習会が始まりました。全国の木下式を学ぶ幼稚園、保育園の先生が、木下式の指導法を勉強するために、集まっています。中でも、冬の講習会は、2月に行う東京合同音楽祭の歌唱指導が、メインになるため、出席者もいつもより多くいます。

e0143522_12355213.jpg「幼稚園、保育園で全員が歌唱に取り組む」というと、必ず「歌が好きな子は、いいが、嫌いな子はどうするのだ?」という問題に直面します。私が毎週、教えにいく保育園でも最初は「音感が好きな子はいいが、そうでない子がかわいそう」という言葉が出ました。けれど、幼児期の子どもは「できるようになれば」、だれにでもすきになる可能性を秘めています。そして、実際に、卒園の頃には、「歌が大好き」と言って、誰もが、習った歌を口ずさんでいたりします。

もし、幼稚園・保育園で木下式を実践していて、歌が好きになれない子がいるとしたら、それは、指導する先生自身が「音感を教えること」を苦に思っていることが考えられます。音感を教えるためには、教える先生が、まず、自分ができるようになることが大事だからです。人は自分ができることしか教えられません。40年前から、木下式の講習会が続けられているのは、そうした理由です。

講習会では、1年前は大学生だった若い先生が「もっと大きな声で」「高い声を出して」と求めると、涙が止まらなくなってしまうこともあるようです。しかし、子どもたちの前に立ったら、1年目でも、10年目でも「先生」と呼ばれます。そう呼ばれることに対する責任があるから、大人も努力しなければいけないと思うのです。
by k-onkan | 2016-12-23 23:33 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

キモくてもウザくてもいいさ!

中学1年になる甥Yは、学校で「キモくてウザイ奴」だと言われているそうです。私の可愛い甥に「なんて失礼なことを言うのだ!」と憤慨して話を聞くと「勉強も運動もできるから」なのだとかーー。甥は、現在、陸上部で毎日、部活で忙しく走り、塾にも通ったことがありません。それなのに定期試験ではいい成績を取ることが、「ウザい」と言われる理由のようです。

e0143522_18504874.jpgそんな中で私の最大の関心事は、運動や勉強より、音楽ができることを「カミングアウトするのか?」「卒業まで隠し通すのか」ということなのす。甥の中学校にもピアノを習う男子はいるようで、「ピアノを習っているの?どれくらい弾けるの?」と聞かれることもあるそうですが、私と違ってYは自分からペラペラ話すタイプではなく、相手の話だけ聞いて帰ってきます。

いつの時代も「男のくせにピアノが弾けるなんて、女みたい」という輩がいると思うので、「学校でピアノが弾けることを知られるのは、イヤなものなの?」と聞いてみました。しかし、「友達から『何か弾いてみて』と言われて弾くのは構わない。でも、先生に知られるのはイヤだ」と言います。中学生なりにいろいろと面倒くさい心情を抱えているようです。

さて、ここまで書くと、単なる「甥自慢」のように聞こえるでしょう。しかし、幼児期から児童期まで、教育現場に携わる親族が、細心の注意を払って、手をかけ、目をかけて、育ててきたのです。現在、甥ができていることは、「できているのが当たり前」であり、これが幼児教育で得た貯金です。

中学生になって、少しずつ自分の努力をはじめたばかりです。ここから先は、Yが自分で色々な失敗をしながら、自分の癖や特性を理解して、自分の能力をどうやって発揮するか、失敗や成功する体験から学んでいくだろうと思っています。

私たちが、甥たちを育てる上で、一番、気を付けてきたことは、木下式によって、「高い音楽能力」をつけるなら、それと同等の「運動能力」「勉強の能力」をつけておくこと、でした。音楽だけ跳びぬけてできても、他との差が大きいと、決して自信にはつながらないことは、自分たち自身の体験で知っていたからです。

両親は、「わが子に絶対音感をつけたい」と教育法を考案し、私たちきょうだいに高い音楽能力をつけてくれました。当時、音楽の世界にいた多くの人が、どんなに苦労しても手に入らない「絶対音感」という能力を子ども時代に与えられ、「選り好みさえしければ、私学の音大なら入れる」などいう大人もいたものでした。そんなことを聴いた子どもは世の中をなめてしまいます。でも実際は、「音楽の能力」があっても、それに匹敵する他の能力がないと、生きづらいのです。

学校という子どもの社会で、音楽能力に注目が集まるのは、一年に一度、あるかないかのことです。それより、日々の運動や勉強ができることの方が重要です。何より、クラスで本当に優秀な子は、「運動」「勉強」「音楽」の三点セットが満遍なくできる人でした。

現在、音感を教える孫弟子の保護者に、私たちが口を酸っぱくして言うことがあります。それは、幼児期から楽院に通っていたら、「音楽はできるようになって当たり前」です。その力を身に付けたら、子どもに「努力をすること」を教えないと、宝の持ち腐れになる、このことは、保護者自身も、楽院を卒業した生徒だから、実感として理解できるはずです。

木下式を受けたら、単に「音楽だけが得意な子」ではなく、他の科目に対しても学ぶ楽しさを感じたり、身体を動かす楽しさを知る子に育てて欲しいのです。それは、将来子供が「自分の進みたい道」を見つけた時に自信を持って進める一助は、どんな学校を出たか以上に、「心、身体、頭」の三つが、バランスよく成長していることだと感じるからです。
by k-onkan | 2016-12-22 18:50 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)