麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子供に期待するなら・・・

年少児のクラスで歌唱指導をしていた時のことです。口を上下に積極的に開ける子もいれば、半分しか開けない子もいます。そこで子どもたちに聞きました。「もし、みんながお母さんになった時、自分の子どもに大きな口を開けて歌ってほしい? 半分しか口を開けない子がいい?」。すると「大きく口を開けて歌う子がいい」「じゃ、まず、口を開けて上手に歌えるお母さんになれるように頑張ろうね」というと、みんな、一生懸命、口を開けます。

e0143522_18421549.jpgレッスンの途中、「声が違うから直して」と言われただけで「ギャー」と泣いてしまった子には、「もしお母さんになって、子どもに「ダメよ」と注意したら、いきなり「ギャー」となく子が欲しい? それとも泣かずに直せる子がいい?」と聞くと「泣かないで直す子」という答えが返ってきました。

私たちはみな、自分ができないことも「自分の子ども」には「やってほしい」と思う願望があるのかもしれませんが、子どもに何かをさせるためには、まず、親御さん自身ができる必要があります。子どもたちにも「まずみんなが歌上手で賢い人になろうね」と伝えました。

しかし、中には、「親ができないこと」を子どもが頑張る例もあります。そこで、おやつの時間に「瑠音先生は泳げないけど、瑠音先生の子どもは泳ぎが上手なの。それはね、泣いても、嫌がっても毎週、瑠音先生が水泳教室に連れていったからなの。お母さん、お父さんが苦手な時には、一生懸命、頑張って通わせることもあるのよ」とお話しました。

近い将来、音感を習得した子どもたちが「お母さんは歌えない」とか「音が分からない」と批判することがないように、お母さんたちは自分にできないことを頑張ってほしいから、一生懸命、通わせたのだと言えるように、教えました。

今、「下剋上受験」というテレビドラマが放映されています。中卒のお父さんが、娘を中卒にしないために、一緒に勉強して、偏差値41を72にあげて中学受験を乗り越えたという実話がもとになっているそうです。ドラマではなく原作を読みたいと購入したところです。教育の基本は「子どもにだけ努力させるのではなく、親も一緒に努力する」ことで、親子で成長することかもしれません。
by k-onkan | 2017-01-31 18:42 | 幼児 | Comments(0)

やったのは誰だ!?

特別練習の昼休み、教室に戻ると純子先生から「これは麻奈先生が見た方がいいです」とグランドピアノの鍵盤を見せられました。そこには、一番高い音域の「ドレミファソラ」の白鍵が下げられ、蓋と鍵盤の間に赤いボールペンを詰め、鍵盤が動かないようにしてあったのです。

e0143522_17164114.jpg「この部屋にこんなひどいことをした人がいるのになかったことにして、歌の練習なんか、できない。だれ?」と言っても、みんな「ぼくじゃない」「知らない」の一点張りです。一人ずつ、目を見て、「やった?」「やらない」と確認すると、数名、目線が合わせられなかったり、パチパチして怪しい子もいましたが、疑わしいというだけでは責められません。

真偽は定かではありませんが、「ジョージ・ワシントンのお父さんが大事にしていた『桜の木』を切ってしまったことを正直に告白して褒められた」という偉人伝のように、私も楽院の子どもには正直に「自分がやった」と言って欲しいと思いました。そこで、「絶対に怒らないから」と約束し、「みんなの前で言えないなら、あとで内緒でもいいよ」と言ったのですが、誰も答えません。いろいろ聞き出すと、「ピアノの近くKくんがいた」とか「ぼくはMくんだと思う」「Sちゃんたちを近くで見た」などの意見もありましたが、結局、やった人はわかりませんでした。

温情に訴えても無反応だったので、「楽器にこんなにひどいことをする人におやつなんか出したくない。正直にごめんなさいをしないなら、今日はおやつはなし!」と言ってみました。「えぇぇ?」と一斉に大ブーイングのまま、午後の練習を始めました。

途中、独唱の練習になると、「ねぇ。本当に今日はおやつはなしなの?」と1年生の甥Kが私のところにやってきました。そして、「麻奈先生が朝、ピアノを使った時に、ふたを閉めて赤いボールペンが落ちちゃったのではない?」と私の心がぐらつくようなことを言い始めました。しかし、どんな偶然が重なっても、絶対に入らない場所にペンは挟まっていたのです。

「おやつがないのは、やっぱりいやなの?」「うん」「じゃぁ、Kちゃんがやったってことにして、みんなでおやつを食べる?」というと「それでもいいいよ」と言います。子どもたちに「Kちゃんがやったことにして、みんなでおやつ食べたいって言っている」というと「それは、Kちゃんが、かわいそうな気がするなぁ」という声もあがりましたが、結局、お母さんたちからの差し入れのおやつをいただきました。

本当のところ、「やったことでいい」と言ったKがした「いたずら」なのか、男児数人でやったのか、低学年の女の子たちが触っている間に偶然、起きたことなのか分からないままですが、何気ない気持ちでしたことで、全員が疑われたり、「正直に言わないとおやつが食べられなかったり等、そんな「体験とやりとり」が子ども時代の何かの思い出として、記憶され、間違った行いを是正する一助にでもなればと思ったのでした。
by k-onkan | 2017-01-30 23:15 | 児童 | Comments(0)

頑張っても注意されることもある!

現在、合唱団一の歌唱力を発揮している5年生の凸凹っこYくんですが、以前、「学校の音楽の先生は、君の歌をなんていうの?」と聞いた時に、その答えが「でかい!」だったことがありました。「いい声だな」ではなく「でかい」は、音楽的には評価されていないように感じたのですが、その時は「そうなのね…」と通り過ぎました。

e0143522_1613733.jpgそして、今回、音楽祭の練習をしながら、Yくんの学校の先生の評価の理由に気付かされることがありました。それは、幼児と一緒に披露する二部合唱の練習の時に気付いたことでした。Yくんと4年生のMくんの二人は、メインのメロディー(主旋律)とは異なる高音のメロディーを担当しています。いわゆる、「ハモる」のですが、この時、頑張り過ぎて声が合わなくなってしまうのです。

木下先生から「二人の声が違う」と注意を受けたのですが、Yくんは納得がいかず「え?オレなの?」と私に確認する素振りを見せました。実際、それぞれが少しずつ外れており、音楽ではほんの少しの微妙なズレがあると、正しくないので、「そう。Yくんも、Mくんも、どちらも違う」と直球で知らせました。

これまで、誰よりも先に歌詞やメロディを記憶して、一生懸命、頑張っているYくんには気の毒なのですが、「合唱」は一人で作るものではありません。まして、楽院の「天使のこえ合唱団」は「木下先生の」合唱団であり、木下先生の指揮と手指の表情から「あの動きは力強く歌って欲しいのだな」「あの動作は声を落としてほしいのだな」と読み取ってみんなで音楽を作ります。だから「キノシタの合唱団」なのです。どんなに頑張っていても、木下先生の意図を汲み取らないと、ありがたくないのです。

ですが、1週間前に病気で練習を休んでいる間に、歌詞が変更になったり、自分1人が担当だった高音のメロディーに他の人が任命されていたりして、焦って頑張りが空回りして、かえって、和を乱していました。

その様子に、学校の音楽で先生が「でかい」と指摘されるのも、まわりに関係なく自分だけ大きな声で頑張り、まわりの人から引かれているのではないかと想像しました。「たとえば、木下先生が子どもたちを褒める時に「デカイ」は使わないでしょ? 学校でも「でかい」じゃなくて、「きれいな声」だと言われるようにしてごらん。合唱は自分だけ頑張って声を出し過ぎると、他の人の声が聞こえなくなってしまうから、みんなの声を聴かないとダメよ。

凸凹の気質を持つ子はまじめな頑張り屋です。でも、頑張りが空回りして周囲との協調が失われると、迷惑に思われてしまうことがあります。「Yくんが頑張るのはとてもいいことだけど、まわりの人の分まで頑張り過ぎてはいけないよ。だれか一人が頑張り過ぎることで、まわりが手抜きをしたら、Yくんにも責任があるよ。自分のところだけきれいに頑張って」と伝えたつもりでした。

色々な例を出して説明して、その時は、分かっているように見えたのですが、家に帰って弟の解説で「先生たちは、にぃちゃんをうるさいと思っている」と指摘したことで、更なる混乱が生じたようです。兄は「誤解だ」と反論したようですが、兄弟の議論は更に違う方へ進んだようです。

弟の言葉も完全に間違ってはいませんが、正解でもありません。確かにYくんが友達の声をかき消してしまうほど、大きく歌う時はあり、それは「違う」と指摘していますが、「うるさい」と言っているのではありません。気を付けて、きれいな声を出しなさい」と言っているのです。そして、独唱では、「素晴らしい、上手だ」と褒められていることは、「褒められて当然なのか」特別な思いは抱いていないようです。

普段、兄ばかりが評価される楽院で、私たちの兄に対するダメ出しに弟の「少し意地悪な気持ち」が加わった解説で、Yくんは「楽院の先生は、ひどいイジメだ」と思ったようです。けれど、社会に出たら、思わぬ誤解から「他人から不当な目にあった」と思ったり、相手の気持ちを読み間違えたりすることが、たくさんあると思います。今、楽院という小さな社会で、理不尽な評価に自分なりに対応したりすることも、理解できないことを、理解する一助になればと思っています。
by k-onkan | 2017-01-29 23:11 | 児童 | Comments(0)

来週は怒鳴ってあげるから・・・

私が声を出せないと知るともっと大声を出させようとするのが、高学年の男子軍団です。望クラスで使っているボールや鉄棒、うんていを勝手に使い遊んだり、「トランポリンでビジョントレーニングがやりたいです」と甘えますが、声が出ない私は練習の合間の遊び相手までする余裕がありません。

e0143522_1822422.jpg「今日は、先生が元気じゃないからいや。また今度!」と断ると、6年生のYくんが「遊びも教育のうちじゃないですかぁ……」と生意気を言って、私を挑発します。しかし、「声は元気のバロメーター」で本当に「声が出ない自分」では高学年男児と本気で対峙するパワーが足りません。

人間は当たり前のあるはずのものが使えなくなって初めて、その有難みが分かり、感謝の気持ちを思い出すものかもしれません。この数日、授業をする度に声を出す課題は瑠音先生に代わってもらっていたので、すっかり役立たずの気分です。高学年男児もそれが分かるから、私が怒鳴りたくなるシチュエーションを作って、大声で怒らせようとしていたのかもしれません。

段々と薬もきき、少しずついつもの声に近づいています。来週のレッスンでは子どもたちが震え上がる「怒鳴り声」が聞かせられると信じ、今週はマスクを着用してなるべく声を出さずに過ごそうと思っています。とはいえ、それでも一般の人より、たくさん声を出しているのかもしれませんが、とにかく、一日も早く自分の声を取り戻したいものです。
by k-onkan | 2017-01-28 23:19 | 児童 | Comments(0)

うがいは声を出そう!!

1週間前の休日、調子が悪く一日、寝込んでしまいました。薬を飲んで回復したのですが、翌日のレッスンではすっかり声が出なくなっていました。木下式を数年受けた子どもであれば、特別に大きな声を出さなくても、自分で取り組み、普段通りの声を出してくれるのですが、1年目の年少児の中で、特に男児はいつもと違う私の声にり落ち着きをなくしてしまい、申し訳ない気持ちになりました。

e0143522_17574895.jpg私はこれまで、どんな風邪をひいても、扁桃腺が腫れても、声が出なくなったことがなく、喉が強いのが唯一の自慢でした。それが「音感かるたの説明」も声が通らず、模範唱も裏声しか出ず、「何かがおかしい」と思いましたが、週の途中に出張の予定があったため、歌唱指導はすっかり高齢の木下先生一人にお任せしてしまいました。

やっと耳鼻科で見ていただいたのは声が出なくなってから5日が経過したときでした。内視鏡で声帯にかさぶたができていることが分かり、それが高い声が出なくなった原因のようでした。「なぜ、声帯にかさぶた?」と思いましたが、ウイルス性の風邪によって急性咽頭炎になったからとのことでした。

これまで、子どもたちに「うがい、うがい」と言ってきましたが、うがいをする時は「最初はゆすぎ、その後、ガラガラと言いながら、最後は声を出す」と3回するのが大事なようです。うがいをしながら、声を出すと声帯の付近も殺菌されるようです。喉に自信があると思っていた私でも、いろいろな病気をいただく時期です。音楽祭の目前に、風邪やインフルエンザにかからないためにも、手洗いとうがいは、本当にまじめにやった方がよいと身を持って体験してしまいました。いろいろとご心配、ご迷惑をかけた皆様に深くお詫びします。
by k-onkan | 2017-01-27 23:53 | 自分のこと | Comments(0)

磨かなければ光らない!

音楽祭の指導のため、木下先生と新幹線に乗って東海地方に出かけました。その幼稚園で、とても興味深いことがありました。それは、11月に視察にうかがった時には、「歌うこと」にまったく興味を示さず、全然集中できなかったグループの中に、話声位(話し声の高さ)の高い子が増えて、歌が上手になった子が増えてきたことでした。

e0143522_2304168.jpg一生懸命、取り組んだから上手になったのか、上手になったから意欲に満ち溢れているのかはわかりませんが、子どもは「認められたい」と思うと、自然と取り組む姿勢に意欲が見えるようになるようです。背筋は伸び、手先をピンとして、一生懸命、口を開ける姿に、子どもの向上心が現れています。「もっと早くその姿を見せたら、他の種目に選ぶことができたのに…」と木下先生は残念そうです。しかし、この選別によって「頑張ると、チャンスがくること」を知ったから、努力できるようになったのかもしれません。

思えば11月から3ヶ月。子どもたちは、同じ曲を繰り返し、繰り返し、ずっと練習してきました。一般の人の中には、同じ曲を繰り返し練習することを「飽きる」という人もいますが、音楽は一つの曲を何度も練習して、身体が覚えるまで深く追求することが、とても大事なのです。

私たちの中には、小器用に物事を処理できるタイプもいれば、不器用なタイプもいます。しかし、不器用なタイプであって継続する中で、メロディーや歌詞を覚え、自分から歌えるようになれば、「歌う楽しさ」が分かり、練習の成果があったといえます。

反対に、「声がよく新しいものにパッと反応できる子」が途中で飽きて、集中力を持続できないと、歌えていたはずのメロディーも歌えなくなったりします。それでは、練習の成果がありません。幼い子どもは「1度できたから安心」ということはないのでしょう。

音楽祭に幼稚園として参加すると、一人ひとりが互いを研磨しあうことになります。ちょうど、ダイヤモンドという宝石が磨かなければ光らないように、子どもたちも、ありのまま放置していては、それぞれが持つ資質は引き出されないのかもしれません。

合唱の練習の中で、「他の人より高い声を上げる」ということは、「自分はここにいる」と意思表示をしているともいえます。木下式が「話声位の高さ」にこだわるのは、意欲や自己主張のある子どもほど、声が高まることを経験から感じているからなのです。
by k-onkan | 2017-01-26 23:00 | 音楽 | Comments(0)

たかがお金、されどお金!

最近、1年生の甥Yが瑠音先生から叱られている姿を見かけました。なんでも、楽院に来る途中で回数券を紛失し、落合駅で「お金を払いに来るように」と言われていたようです。そして、叱られた理由は、「これが初めてではないから」でした。「Kちゃんは、90円をたいした金額じゃないと思っているでしょう?」。母親にとがめられると「うん」と悪びれもせずに頷く姿がありました。「90円だってお金は大事なのよ。お母さんはもう払いません。Kちゃんが自分のお年玉で払いに行きなさい」。

e0143522_2123136.jpgKと二人きりの時に聞いてみました。「そんなに何度も回数券を失くしたことがあるの?」。すると「4~5回かなぁ?」。その言い方がなんだか社会経験が豊富で偉そうなのです。「そんなに何度もなくしているの? それはお母さんだって怒るわよ」。

思えば、1年生になってはじめて電車で楽院まで乗り継ぎをしてきた時は、泣きながら「反対の電車に乗ってしまった」とか「降りる駅を間違えた」と言って電話をしてきたものでした。回数券を初めて失くした時は気の毒に思った駅員さんが代わりの切符を渡してくださったそうです。しかし、そうした経験は回を重ねるごとに子どもは少しずつ強くなり、そして図々しくなっていったのでしょう。だからこそ、今は駅員さんから「お母さんに言って90円を払いに来てください」と言われるのかもしれません。

巷では、「150万円を使わされたのがいじめか否か」が取りざたされています。同級生から150万円も巻き上げる子どもがいるのは、とんでもないことだと私も思います。しかし、それ以上に子どもが「150万円」という額が持ち出したり、使ったりしていても、何も気づかない大人たちに、私は疑問を感じるのです。たとえ、どんなに忙しくて、生活に追われていても、やはり、150万円は子どもだけで処理するには、あまりに大きい額だと思うからです。

子どもを苛めや非行から守ろうと思うなら、たとえ、子どもに「せこい」「ケチ」と言われても、わが子がどれくらいの金額を持っていて、それを誰とどこで、どのように使っているか、だいたいの予想がつけられる親子関係でありたいものです。それが、わが子を不用意な危険から守ることになるかもしれないと思うから――。
by k-onkan | 2017-01-25 21:23 | 児童 | Comments(0)

親も成長していくもの

一週間前、ネット上で「ファミレスで子どもが騒いでも注意しない親は非常識」と若い女優さんがつぶやいた途端、「自分のことを言われているよう」と過敏に反応して、「非常識と感じる人の方」が責められている様子を見かけました。

e0143522_12535143.jpg確かに、一生懸命、子どもの相手をしているつもりなのに、わが子がいうことを聞かずに非常識だと責められることは新米ママにはたまらないことなのかもしれません。けれど、「責められた」と感じる人がいるからといって、「ファミレスで親が一緒にいるのに、子どもを騒がせるべきではない」という事実にも目をつぶってしまうと、子どもは善悪が分からないまま、育つことになります。新米ママは躾が難しくていろいろ大変だと思いますが、それでも公共の場ではわが子の行動を本気で止める努力はしてほしいと思うのです。

この騒動を見て思い出したことがあります。それは、今から3年ほど前のことになります。「お母さんがしつけができずに、公共の場でも、お教室でも荒んだ態度をする六歳児がいる」ということで、楽院に体験に来たことがありました。

その日も、お母さんのいうことをきかず、駅から裸足で「誰のいうこともきくものか」という態度でした。しかし、持っていたおもちゃで一緒に遊ぶうちに、その子が大人のいうことがきけないのでなく、大人が誰もこの子の気持ちを理解して受け止めたり、可愛がったりしていないと感じました。楽院に通っていた間、お母さんとのスキンシップがいかに大事か、本当は子どもが「いい子にしたいこと」を、お母さんに理解いただき、母子関係は少し改善されたように見えました。

どの親御さんのところに生まれてきた子供も、最初は誰もが社会に受け入れられるような「いい子に育ちたい」と思っているものです。しかし、親御さんが、子どもの行動を止められないと、子どもが悪態をついたり、友達に乱暴したり、物を取ったりする子に育ってしまうこともあります。

親になるということは、ただよい人で誰とでも親しくして、敵を作らないだけでは済まないように思います。時に、わが子を守るためには他の人を敵にすることもありますし、周囲に挑んでいく強さも求められます。何より、わが子が社会で愛されるためにわが子をきちんと叱れるのも大事な要素だと思います。

新米のママは、「しつけが難しい」「子育てがたいへん」と思われるかもしれません。けれど、親になった以上、受け身で助けを持つだけでなく、自分から子育てを学ぼうとしたり、助けを求めたりするなどの努力です。子どもがいうことを聞かなくて辛いのは、お母さん以上に、誰からも認めてもらえない子供なのですから。
by k-onkan | 2017-01-24 23:59 | 親業 | Comments(0)

ママに届け!美しい歌声!

特別練習二日目は第一声部で中心に頑張る5年生のYくんがインフルエンザにかかったと連絡がありました。「Yくんがいないと練習にならない!!」と心配しましたが、ふだん、Yくんの陰に隠れ、今一つ本気で取り組まない子どもたち一人ひとりの力を発揮させる有意義な一日となりました。

e0143522_1924041.jpgいつの時代もわが合唱団は、中心的に頑張る子は数名、それ以外は、なんとなく誰かに追従していく子どもが大勢いるのです。しかし、一人ひとりが無気力なまま、本番に臨んだら絶対にうまくいきません。現在、在籍するメンバーで、最善を尽くし、本番を乗り越えるためには、一人ひとりの底力をあげるしかないのです。

今回、思いがけず、Yくんが欠席して、陽があたったのは4年生のMくんです。Mくんはとても素晴らしい声の持ち主ですが、今一つ集中力に欠けるところがあります。そのため、木下先生の指揮を見ていなかったり、指示を忠実に守らなかったりで、評価は今一つです。ところが、Yくんがいないことで、自分が責任を持って真剣に取り組むようになっていきました。

木下先生から「こんなに真剣に歌うMを見るのははじめてだ。ちゃんとやれば、Mは合唱団の宝だぞ」と褒められMくんも嬉しそうです。私たちも幸せそうなMくんを見ると、ホッとします。3年前に亡くなったお母さんとの約束を少しだけ果たせたような気がするからです。

瑠音先生の幼馴染だったMくんのお母さんが亡くなったのは、Mくんが1年生の時でした。瑠音先生はお葬式で「子どもたちは一生懸命、楽院で育てていきます」と友人として言葉を送りました。しかし、この1年、Mくんは年齢的なものや、いろいろな事情で荒んでいて、音楽にも一生懸命、打ちこめないように感じていたのです。「Mが一生懸命、心をこめて歌うと、亡くなったお母さんも聴いているんだ。ちゃんとお母さんを思い出して手を合わせなければ、ダメだぞ」。木下先生に言われるとMくんはうんうんと頷きます。

一般の大人の中には、子どもたちに「死」について話すべきでないと言う人もいます。けれど、現実に私たちは「死」に向かって生きています。その「死」について、子どもに見ないふりをさせたり、話題にしないようにしたり、体験させないようにすることが、かえって子どもたちが悪意なく危険なことをしたり、人を殺めてしまうことにつながっているように思えるのです。誰かの「死」は悲しいものです。けれど、きちんと手を合わせて、平穏を祈れば、恐ろしさより、守られているという安堵が感じられます。

音楽祭の本番では、Mくんが全身全霊を込めて歌い、その美しい歌声が、天国のお母さんに届くことを私たちは心より願っています。
by k-onkan | 2017-01-23 23:00 | 児童 | Comments(0)

手がかかるほど子供はかわいい!!

週末の特別練習に、富山からお客さまがありました。音楽祭の独唱に出演するUくんが幼稚園の先生方とレッスンを受けに来られたのです。1ヶ月前、三期講習会の際、はじめて木下先生の指導に受けた時は緊張のあまり、プクっとほっぺを膨らませてしまいました。しかし、今回は、別人のように立派な態度で、木下先生の指導を受け、楽院の生徒の一緒に合唱の練習に参加する姿がありました。

e0143522_2325296.jpg楽院の生徒たちは、「木下先生の指導を受ける時は、ダメ出しをされても素直に聞く」を徹底しているので、レッスンを受ける前に、プくっと膨れてしまった様子が、ある意味、とても新鮮で驚きでした。しかし、担任の先生方には「音感を教える以前に、『ダメなことはダメ』をきちんと教えないのは、一緒にいる大人の責任放棄」と苦言も呈したため、園の先生方が一丸となって協力してUくんの指導をした様子を嬉しく拝見しました。

地方の幼稚園や認可教室の先生たちが楽院に見学にこられると、楽院は才能のある子どもばかりを集めて指導しているわけではないことを、お分かりいただけると思います。それぞれ、いろいろな事情や気質を持つ子どもたちの、個々のいいところを伸ばし、悪いところを注意して、その時々、発揮できる最大限の能力を発揮させているにすぎないのです。今は未熟ですが、音楽祭の本番には、「さすが、楽院の生徒」と言われるように仕上げていく予定です。

そんな生徒たちの能力を引き出すためには、私たち大人も、本気で生徒たちと関わっています。叱る時も、褒める時も本気です。そして、週末の特別練習では、合間の時間に、子どもと遊ぶ時間も大切にしています。Uくんの滞在中もおやつの時間に暇を持て余す子がいたので、トランポリンを飛びながらカードを見るビジョントレーニングをさせて遊ばせました。Uくんも興味深々だったので、お客様として最初に挑戦させました。

楽院の生徒たちは、誰かひとりが可愛がられていると、「ボクもやりたい」「俺もやらせて」と集まってきます。そこで、小さい順に一人ずつ交替で挑戦させました。すると、順番が住んだUくんが手持無沙汰になり、人が飛んでいるトランポリンを持ち上げようとしたのです。咄嗟に「危ない!ダメ」と怖い声で叱りました。「トランポリンを持ち上げて、大事なUくんが怪我をしたらどうするの。自分の番が終わってつまらなくても絶対にしてはダメよ」と。

どんなに合唱で頑張っていても、どんなに歌が上手になっても、どんなに立派な姿勢になっても、人と譲り合えなかったり、人の邪魔をしたり、危険なことをしたら、烈火のごとく怒り狂うのが、楽院の私たちです。そして、叱るのは、子どもたちが大切だからです。

楽院の生徒になったら、発達障害があっても、1~2歳という幼い年齢でも、まして、普通に幸せに育っている子どもなら、なおさら、絶対に許さないことがあります。それは、自分より弱いものに手をあげたり、卑怯なことをしたり、誰かを危険な目に合わせたり、他人のことを思いやれない行為をする時です。一般では、そういう時にあまり厳しく叱る大人はいないようですが、私たちは一日も早く、「動物ではなく人間らしく」育てるために音感を教えているので、思いやりや心づかいなどは、音楽のこと以上にうるさいと思います。

そして、こうしたことを厳しく指導できるのは、子供たちがきちんと親御さんに愛され、心が満たされ、十分に構っていただき、健全に育てられていることが、大前提なのです。子どもが幸せに育っていないと、どんなに「子どものために正しいこと」であっても、「先生に嫌なことを言われている」と悪意に伝わってしまうこともあるからです。楽院の子どもたちは、よそから来たお友達を、すぐに優しく迎え入れられるのは、他人と関わる際のルールだけは、徹底しているからだと自負しています。
by k-onkan | 2017-01-22 23:20 | 楽院だより | Comments(0)