麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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音感も合宿もお宅訪問も一緒③

わが家にやってきた小学生の女の子たちに「させたいことリスト」の一つに「0歳児をもつ卒業生ママの赤ちゃん」と交流することがありました。子供を持つお母さんになってから、乳幼児の特性を知ったのでは遅いと感じるからです。そこで、毎週、楽院に母子同伴の「望クラス」に通ってくる卒業生ママYちゃんとAちゃんにお願いして、0歳児の男女にも遊びにきていただきました。

e0143522_061350.jpg初めて出会う先輩に、6人の女の子たちが自己紹介をしました。「名まえ、学年、楽院に何歳から通っているか、得意なこと」などを披露して、「よろしくお願いします」とあいさつしていました。数年前、私が社会人のための「話し方教室」に通った際に「大人になっても人前で話すのが苦手な人がこんなにいるのだ」と知り、機会を見つけ練習させてきたので、ずいぶん慣れて、自分の個性を出せる子も出てきたように感じます。

その後は、楽院の先輩であり0歳児のママたちも「私は~です。Tのママです。Tは1歳2か月です。私は2歳から楽院に通っていました。子どもの頃、私は体力がなくて、合唱の時、よく木下先生に叱られていました。○○というあだ名で呼ばれていました」「私は~です。1歳のYのママです。子どもの頃は、歌より音感やピアノが得意でした」など後輩たちにお話してくれました。

その後、私は子供たちに赤ちゃんと関わる際の大事なお話しました。「赤ちゃんの近くに居る人は、赤ちゃんの目線の先に何があって、何を見ているか、何をしたがっているかを感じること。一緒にいる先輩は、赤ちゃんに怪我をさせない責任があること。そして、自分の担当の赤ちゃんじゃなくても、近くにいたら、必ず、赤ちゃんのことを観察して危険がないように気を付けること」というと、「だったら、抱っこしてあげればいいじゃない!」という言葉が返ってきました。

子どもたちの気持ちも分かりますが、赤ちゃんたちは1歳になって「ハイハイ」や「アンヨ」ができるようになったので自分の自由が謳歌したいのです。お姉さんたちがどんなに優しくても、抱っこされて束縛されたら、泣いて嫌がるでしょう。赤ちゃんの居心地が悪くならないように自由をゆるしながら、危険がないように見守り、友達を叩く、髪をひっぱるなどいけないことをしたら、「メ!」と注意しながら一緒に遊びます。

自慢に聞こえると恐縮ですが、楽院の生徒は、同年代のお子さんと比べれば、小さな子どもと関わる機会が多くあります。合宿や音楽祭で、年下の幼児と関わったり、お世話をするチャンスがあるからです。そのため、小さい子に出会うと女の子はみんな「可愛がりたい」という欲求はあるようです。

赤ちゃんたちは、毎週、私がレッスンしているので私の顔をちゃんと覚えているようです。いつもと違う場所でも、私だと分かっているようです。その上、ママたちが卒業生なので「先生、ちょっと、お手洗いに行ってもいいですか」と赤ちゃんを置いていきます。最初はママがいないことに気付かず、お姉さんたちと楽しく過ごしていたTくんは、途中で、急にママの不在に気づき「ママー」と不安そうな声を上げました。

あわてたのは三人の二年生組です。一斉に、後ろから、「ママはトイレだよすぐに帰ってくるから泣かないでー」と多重音声で話しかけています。でも、Tくんの不安は収まりません。私は床にしゃがんでTくんの真正面から目を見て「Tちゃん、ママはトイレ! すぐに戻ってくるから、先生と待ってて!」と単語一つひとつを区切って、高めにはっきり伝えると、Tちゃんは言葉を理解して、落ち着きました。「赤ちゃんに何か言いたい時は、3人で一緒に後ろから、いくら騒いでもダメよ。ちゃんと目を見て、短い言葉で、はっきりと」と教えました。

最近は、保育士さんの中にも「言葉が分からない0歳児の担当になることを嫌がる」という方も多いと聞くことがあります。ですが、0歳児でも、ちゃんと言葉は理解できるのです。ただし、言葉をわかるように育てるには、文章の中から単語の抜き出しがしやすいように、身の回りの物の名称を教えたり、御本を読んだり、話しかけたりしたうえで、赤ちゃんが好む「高めの声」でコツで、単語を抜出やすい話し方が必要なのです。保育士という資格を持つ人であっても指示の出し方のまずさが、赤ちゃんが言葉を理解できない原因であることを知らない人もいるということかもしれません。

自己紹介が終り、落ち着いたところで、私たちは赤ちゃんを連れて公園に行って遊びました。一緒に滑り台をすべってあげたり、楽しいひと時となりました。家に戻ってからは、グループに分かれて、水彩絵の具でお絵描きの相手もしました。お姉さんたちは自分の担当の赤ちゃんの画用紙にいろいろなイラストを描いて見せていました。その中でAちゃんは二人の赤ちゃんに一枚ずつ、名前と可愛いイラスト入りの作品を描いてあげていました。

赤ちゃんたちは、大勢のお姉さんに囲まれて、緊張していたようです。が、お姉さんたちが手芸を始めると、0歳児だけで自由に水彩を楽しみ始めました。きっと、大きな子どもたちがいなくなり、年齢の近い同士で、自由に筆を使えるようになって、ホッとしたのかもしれません。

夕方になり、赤ちゃんたちは眠くなる時間で、帰っていきました。みんなで記念写真をとって、玄関まで見送りにいきました。おうちに着いたYちゃんママからは、「みんな可愛かった上に、今の私より子供とも遊び上手で、自己紹介も上手なお利口さんたちで、自分の鈍さを反省しています」というメッセージが届きました。

Tくんママからは、「久しぶりに小学生の相手をしている麻奈先生を見て新鮮でした。『みんなも小言を言われているのね』なんて失言してごめんなさい。先生の子どもに伝えたいという情熱を改めて感じました」と恥ずかしくなるメッセージをいただきました。でも、実際に私は、小学生の子どもたちと一緒にいると、本当にたくさんのお小言ばかり言わされているため、「失言ではなく、本当のことだから気にしないで」と伝えたのです。

赤ちゃんを連れて電車や車で移動するのは、たいへんな時期に、後輩たちのために来てくださって、「卒業生はありがたい」と感謝の気持ちでいっぱいです。そして、この経験が、赤ちゃんたちの次回のお稽古にどんな変化として、現れるか、今から楽しみにしてます。
by k-onkan | 2017-02-28 00:06 | 児童 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒②

楽院のレッスンの時は「勝手なおしゃべりはしない」と教えているため、何か質問しても、適切に答えられる子が少なくなっていると感じていました。わが家で行う課外体験は「授業」ではないので、なるべく自由にさせて、「自分で考えさせること」「自分の意見を引き出すこと」に重点を置くことにしました。ところが、「なんでも好きなことを言っていい」となると、2~3年生の子どもたちは止まることなく自分のことを話だします。「あのね、今、Dちゃんがしゃべっているでしょ?どうして人がしゃべっているのに話し始めるの? 先生は聖徳太子じゃないから同時に全部聞けないわよ」。

e0143522_1921586.jpg毎週、保育園に指導に出かける私には、この様子に馴染みがあります。それは、保育園で生活する子供たちが「自分の言いたいこと、聴いてほしいことを話し出すと、他の人が話しているのを遮っても話し続け、友達の話は聞かない」状態です。その上、「話を聞いてほしい」という時期の子どもは、女の子といっても、男の子のように思いついたことを自由に口にするため、デリカシーのない発言をしてしまうことも多々あるのです。

たとえば、二人いた赤ちゃんの担当グループを決めると「あぁ、良かった。泣かない方の子だぁ。泣くと面倒くさいもん」と口に出したりします。「もし、Aちゃんがだれかに『よかった。Aちゃんじゃなくて、だって、Aちゃんはうるさいもん』といわれたらどう?」「いやだ」「赤ちゃんだって、一緒よ。赤ちゃんが泣くのは、場所に慣れていないからなのに、そんな風にいわれると、赤ちゃんのお母さんだって、「いやな子ね」と思うでしょ?言葉には気をつけなさい」。簡単に他人に言ってしまう言葉を、「もし自分が言われたらどうだろう?」と置き換えて考える練習や相手の気持ちを考えることは、普段の日常生活の中で、採り入れなければと感じたひとときでした。

わが家に生徒がくる時は目に余ることがない限り、先生としてではなく「子供の頃から彼らを知る1人の大人」として寛容に接し、自由な発言や行動を許しています。よく「うるさいことや厳しいことを言う人より、何もいわない人が一番こわい」と子どものころ、聞かされたものですが、自由な環境によって自分の本質とそ良し悪しまで浮き彫りにされることが、こわいのかもしれません。

女の子を大勢預かると、子供時代に両家の祖母に「食べ方」「姿勢」「歩き方」「言葉づかい」など、口うるさく言われたことを思い出します。当時は煩わしく思いましたが、子どもたちを見ていると、「うるさく言ってくれた人がいてくれたこと」に感謝の気持ちが湧きました。

夕食のときに、お味噌汁の豆腐をおわんに口をつけて「シュッ」と吸った子がいたのです。それが、結構、頼りにしている賢い子だったので、「今、何か動物が獲物をシュッと飲み込んだみたいな音がしたんだけど。まさか、お椀に口をつけてお豆腐を吸ったんじゃないわよね。ほら、お豆腐だって、ちゃんとお箸でつかめるでしょ?」と、間接的にやんわりと非難しました。お行儀は私立の小学校で建学の精神などとともに、いわれている子供の方がいいと感じます。最近の公立では「勉強のこと以外」は先生が指導していけないことになったので、家庭で意識的に気を付けないと、女の子なのにどんどん乱暴な言動や行動を知らない間に、身に付けていくこともあると思います。

そんな中、音感ではあまり目立たないCちゃんが一人黙々と赤ちゃんの面倒を見たり、クッキー作りや手芸を指示通りにこなしていきます。一度で私の説明を理解して、なんでもすぐにこなします。まわりが楽しくなって、大はしゃぎをする中で、よけいなことは一切、言わないのですが、卒業生ママの前で自己紹介する時は、誰よりも文章がうまく工夫がありました。「この子に、こんなにいいところがあったのだ」と嬉しくなりました。

そして、益々楽院で教える「声を出して自分を表現する」ということができれば、もっと評価があがると改めて感じたのです。現時点では、まわりの女の子が、ぐいぐいと自分をアピールしてくる中で、あえて声を出す必要がないと感じて、家庭でだけ本当の自分を出しているのかもしれません。

公立小学校に通っている女の子は、自分の居場所がないこと、友達との関係に不満がある子が多いようです。2年生のBちゃんは、「学校の友達とは趣味も合わないし、うるさい人が多いし、知っていることも違うんだもん」といいます。私は、「うるさいのがいやなの?でもこのAちゃんも相当うるさいと思うけど、それはいいの?」「だって、Aちゃんはそういう性格だって知っているから」「よかったね。Aちゃんがうるさくてもいいらしいよ」。たぶん、これは楽院の友達は長い年月をかけてお互いを知りあって受け入れた相手ですが、小学校の友達は親しくなる以前に、授業中に騒がしかったりするのがいやだと言っているようなのです。

Bちゃんは私が通った近所の小学校に通っています。そのため、近くの公園に遊びにいくと、同級生に出会いました。すると、「Bちゃん、一緒に遊ぼう」と声をかけられたのです。すると、Bちゃんは困った顔をして、「ムリ」と言い放ったのです。「あのね、「ムリ」だけでは嫌な感じがするでしょ? こういう時は『音楽教室のお友達と一緒だから、今日はムリなの。また今度ね』と言うのよ」と教えました。どんなに合わないと感じる相手でも、お互いを不愉快にしない物言いを教える必要はあると思いました。

公立の小学校に通っている楽院の生徒は、間違いなく成績は上位のはずです。小さい頃から早期教育を受けた『貯金』があるのですから、普通に授業を聞いていれば、いい成績を取るのは当たり前でしょう。そのため、できない人の気持ちが分からず、迷惑に感じることも多いのかもしれません。

また、高学年になると班長や委員などいろいろな役割をいただいてくるようです。そんな時「なぜ、自分ばかり係をしなくちゃいけないの?」という不満も感じてしまうかもしれません。しかし、仕事が回ってくるのは「できるから」です。その中で、あまり「やっていますアピール」をすると、女の子の世界では、煙たがられたりいじめられたりする原因になることもあります。

誰かから当てにされるのは嬉しいことです。しかし、責任も生じます。そのため、つい「まわりの人が全然、やってくれない」と不満や愚痴を口にしたくなるのでしょうが、一度、引き受けるなら「自分が必要とされていること」に喜びをもって取り組んだ方がいいと感じます。また、本当に手伝ってほしいなら「これをやって」と何をどう手助けしたらいいか、相手に分かるように、言葉で伝えることも大事です。また、本当に「やりたくない」「できない」と思うなら、先生に「今回は他のことを頑張りたいので、できません」と自分の考えを言える女性になって欲しいと感じたので、子供たちにやんわりと伝えました。

家族であっても、言葉が足りないと誤解があったり、理解し合えないことがあります。まして他人ならなおさら、きちんと言葉で自分の気持ちを伝えられないと、誤解が軋轢の原因になることもあるでしょう。一般的に8歳から10歳は子どもが言語に対して、敏感になる時で、敬語を使いこなせるようになる時期でもあります。だからこそ、家庭でも、よその人と関わるための言葉づかい、分かりやすい説明ができているか、気を付けてみる必要があるのだと、再認識したのでした。
by k-onkan | 2017-02-27 19:21 | 児童 | Comments(0)

真剣に音楽を教える

早朝、まだあたりが真っ暗な中、携帯電話がなり始めました。すぐに見つからず応答しそこなうと、今度は家の電話が鳴り始めました。留守番電話が作動して母の「まなー、起きた? いないの? 行った?のよね……」と優しい声が録音されていました。

e0143522_15403817.jpg前日、子どもたちが帰って後片付けが終わった頃に、「どうだった?うまくいった?」と電話があったことを思い出しました。その際、「明日の朝、何時?」と聞かれたので「なんで? 起こしてくれるの? 5時半には出ると思うけれど…」と答えていたのですが、本当にモーニングコールがかかってきました。

昔から、失礼なことをすれば厳しい母ですが、40代後半の娘にまで早朝モーニンコールをするほど優しいのです。そんな母に育てられた私だから、ブチブチと小言をいって雷を落としつつ、生徒たちの「もっと遅くまでいたい」という気持ちも、なんやかんやと受け入れられるのかもしれません。

さて、2ヶ月ぶりにうかがった津市の教室指導ではいろいろと面白いことがありました。これまで、数か月に1度、ベビークラスで指導してきた2~3歳の女児たちに目覚ましい成長ぶりがありました。また、これまで決して涙を流したことがない3年生の女の子が悔し涙を見せた後、歌声に大きな変化が見えて「悔しい思い」が子どもの成長を促すことを再認識しました。一番、驚いたのは、1年前から通い始めた発達障害の疑いを持つ女の子の進歩でした。

ちょうど、一年前の音楽祭を鑑賞にこられたご家族は、「療育ではなく木下式でなんとかしたい」ということで、翌月から新幹線で1時間以上かけて津の教室に通ってくることになりました。私が指導するのは月1回、後はK先生生が毎週、指導を続けてくださいました。

途中、引率するご家族の病気があり、お休みの時期もありましたが、最初のレッスンでかんしゃくを起こしたことが嘘のように、言葉が通じる女の子に成長していました。幼稚園にも何の問題もなく通えるようになったようで「木下式のお蔭」と言っていただきました。はじめてお稽古に来た日にK先生のお宅の前で虐待を疑われそうな大声でギャン泣きをして「望クラス」のレッスンもできなかったことが、嘘のようです。

家族とも意思疎通ができずに、泣いてばかりだった女の子には、絵カードで単語を教え、知育教材など自信をもってできることから取り組ませました。それでも音感かるただけは「1枚だけ」しかできませんでしたが、少しずつ枚数を増やしていくようにK先生にお願いしてありました。

障害を持つお子さんの指導は、特性に配慮しながらも『譲れない善悪』のラインを決めて、それだけは忠実に守らせながら指導するのがコツだと感じています。今後、音感のレッスンはどんどん進み、音感や歌唱力も伸びていくはずです。

よく音感を指導していると、「音楽は楽しむものだから、そこまで必死になって教えたら音楽を楽しめず、かわいそうなのではないか」という質問をいただきます。もちろん、生涯、幸せに生き続けるためにという考えなら「楽しい音楽」でで十分なのでしょう。

でも、私たちが木下式を教えるのは子どもに音楽の基礎を教えて、自分の生涯を誠実に生き抜くための基本的な力と自信を備えさせたいからであり、発達障害のお子さんには、音楽という課題を伸ばすことで他の方面も発達させたいと思っているからです。そして、そのためには、「楽しいだけのお遊び」の音楽では、十分でないと、経験から知っているからです。
by k-onkan | 2017-02-26 23:39 | 発達障害 | Comments(0)

音感も合宿もお宅訪問も一緒!①

土曜日の今日は、楽院の児童部の女の子たちをわが家に呼び、合宿でする「楽しいところ」だけをギュギュっと凝縮した一日、課外保育をしました。子どもたちには「お楽しみ会」かもしれませんが、音楽を教えるのが、年々難しくなる女の子たちに「私が今、教えられることを小言つきで教えておこう」と思って企画したのです。

e0143522_13444611.jpg思えば、幼い頃、とても頑張り屋だった生徒の反抗期が悪化して我が家に家出をしてきたのは17歳のとき、約10年前のことでした。現在、小学生の女児たちが反抗期に突入して、万一、何かあった時に、夜中に繁華街に探しにいったり、我が家で預かって更生させたりする自信がありません。ですから、在籍中にできることの全てをして楽院を卒業させたいと思っているのです。

社会人になったその卒業生は、今でも合宿を手伝いに来て後輩たちのお世話をしてくれます。そして、言うのです。「麻奈先生に迷惑をかけた自分が言うのもなんだけど、自分が心配するほど、今の楽院生はダメ!!だって、あんなに情熱的に木下先生が指導しているのに無気力でいられるなんて信じられない……」と。

そんな話から、「先生は7年後にあなた達を探しにいける気がしないし、1ヶ月預かって毎日、お弁当を作って高校へ通わせる自信もない。だから、今のうちにシッカリしてほしい」。お見送りに来てくださったお母さんと子どもたちを前に、その話をすると、Dちゃんが、「大丈夫ですよ。先生、いつも元気ですもん!」とつっこみが入ります。

「麻奈先生は2歳の頃から教えているみんなの良いところも悪いところもよく分かっているから、どんなことをしても、「自分の生徒」だと思って受け入れると思う。でも、瑠音先生は、男の子を育てているでしょ? だから、女子が変なことをすると、「こんな女の子が息子の彼女だったら、どうしよう?」という見方もしていると思うよ。まして、よその人ならもっと厳しく見られているかもしれない」。

「もしかすると、『別に誰かのお嫁さんに選んでもらわなくてもいいもん!』と思っている子もいるかもしれない。でも自分の兄弟が彼女を連れてきた時に、家に入ってきても挨拶はしない、行儀は悪い、食べたら食べっぱなしだったら、どんな気持ち?」「それは絶対にいやだ~」「だったら、自分もそうならないように気を付けなくちゃいけないよね」。

女の子だけが男性から選ばれることを想定して躾をすることは「女性軽視」とお叱り受けるかもしれませんが、私は「男の子選び」についても、女の子にヒントは与えています。「姿形が格好が良くても他人に優しくない男性は彼女にもやさしくない」「お金がたくさんあっても、忙しくて一緒にいられないかも」「親兄弟の悪口をいう人は、いつか、あなたの悪口もいうと思う」など、公立の小学校では絶対に教えられないことを子どもたちに伝えています。男の子を持った母でも、女の子を持つ母でもない私にとって「男女同権」とは、双方、お互いさまです。まして、生徒は男女どちらも可愛く、不幸になってほしくないと思っています。

この一日で、本当にいろいろなことがあり、お迎えを一時間延ばしていただいても、あっという間で子どもたちは、もっと遊びたかったのかもしれません。細かなエピソードは、これから、小出しにブログに載せていく予定です。今後の子育てのヒントや注意点が見つかればといますが、自分の子どもの話となると、顔から火が出そうになったり、穴があったら入りたくなって卒倒するエピソードもあるかもしれません。娘を怒りたくなることもあるでしょう。しかし、どうか、怒らないでいただきたいのです。親のいうことをきかなくなる思春期までに、どうにか改善したり、教えられればいいのですからーー。

本当に怖いのは「楽院など管理された場」ではなく、自由を許されたときの子どもです。本心を語り、思ったままを口にして、普段通りの癖が露呈します。子どもたちが、現時点で、間違った行動するのは、その子どもだけの責任ではなく、それを許してきた私たち大人にも責任があります。

おもえば、我が家に家出してきた卒業生も、小学校の高学年から中学生の間に、「難しい私学に通っているのに、こんな知識が足りていない」とか「他のお子さんに比べて、これが経験不足ですよ」とよく、お知らせしたものでした。それは、お子さんを叱っていただきたいからではなく御家庭で、お子さんに時間をかけて教えてあげていただけたらと思ったからでした。でも、いつも子どもが叱られただけで、根本的な問題は解決しないままだったから、我が家に助けを求めてきたのだと思うのです。どうか、お母さん方には「うちの子に限って、そんなことはしない」と思わず、平常心で現状を受け入れていただけたらと思っています。
by k-onkan | 2017-02-25 23:42 | 児童 | Comments(0)

音楽祭は終わったけれど・・・

音楽祭が終わると、楽院は1週間の休講をいただいています。レッスンのない方もお休みにさせていただくのは、この間に音楽祭に関することが目白押しだからです。音楽祭の会場から戻ってきた荷物の整理、音楽祭にご臨席くださった方へのお礼状の発送は、純子先生、音楽祭翌日にすぐに対応します。その後、千葉まで木下先生夫妻を送り届け、音楽祭前の杉山教室の振替レッスンを行っているはずです。

e0143522_8273541.jpg私は、音楽祭のビデオの編集チェックに立ち会い、舞台裏からは見えない正面からの音楽祭を見て「ひとり反省会」をします。昨年から底冷えする編集スタジオに出向かずに、自分のパソコンでチェックできるようになったのですが、音楽祭の様子は一人で見るのはつらいことも多いため、このビデオ製作に携わっている伯母と一緒に確認します。画面に入るテロップの名前に間違いがないかも確認するのですが、間違えがあっても編集のNさんが快く直してくださるので、助けられています。こうしたいろいろな方のご協力があって音楽祭の記録ビデオは残されています。

最近、スマホやタブレットなどが便利で客席からビデオや写真をとり、音楽祭ビデオを購入くださる方も減っていますが、テレビ番組を作るように、多方面から撮影したビデオは子どもの顔がアップで見られ、「ここ部分で緊張して赤面したから、言葉を飲んでしまったのか……」とか「目に涙をためて歌っているけど調子が悪かったのかしら?」など、客席からは絶対に見えない臨場感あふれる映像が見られる貴重なものです。

そうそう、卒業生は我が家に遊びに来ると必ず「自分たちが出ていた音楽祭のビデオが見たい」と言い出します。それぞれの家庭で購入しているはずなのですが仲間と一緒にみるのが、感慨深いのでしょう。「音楽は消えてなくなるからこそいい。その場で全力で聴く」という考えがある中で子どもの成長の記録にビデオは残すべきだと、ビデオ撮影を導入された、先輩の先生方には感謝しかありません。その時は、「失敗だ」と思っても何十年も経てば、やはり、懐かしいもののようです。

今回の音楽祭で、一番、無理をお願いしたのがスカイフォトさんです。何千枚にもおよぶ音楽祭の写真を各園のお子さんが申し込めるように整理してくださるのですが、今年は無理を言って音楽祭の翌日に写真データを貸していただきました。機関誌の「音楽祭特集号」を作るために写真が必要だったからです。

毎年、機関誌「おんかん」の三期号は時間との勝負です。音楽祭特集は、音楽祭当日が終わるまでそのページは出来上がりません。その上、今年は、開催がいつもより遅かったため、のんびり作っていると年長児の卒園してしまいます。表紙と特集ページ以外はすでに印刷屋さんに入稿してありましたが、3ページを機関誌に関わる方々にも無理をお願いして特急で仕上げ、無事に入稿することができました。

楽院が休講でも、恒例の保育園指導はお休みではありません。最近は、2年お音感を勉強すると、ずいぶん上手になるのだと、嬉しく思っていましたが、音楽祭で登録園の子どもたちの歌声をきいた直後のお稽古なので、「声の響きや行儀がもっとよくなるはず」と、たくさんの課題が見つかりました。

話は飛びますが、今年の音楽祭を舞台裏で聴いた中で、私が一番、声が美しく音程が良かったと感じたのは妻沼幼稚園の子どもたちでした。そして、ビデオでもそれを確認できました。30年近く前、私がはじめて、この幼稚園にうかがった際のエピソードは、拙著「折れない子どもを育てる」に記しましたが、とにかく園児たちがあまりに自由奔放で、「音感を実践している」というのが恥ずかしくなるほどだったのです。その子どもたちが、長年の実践で、ここまで上手になるのです。保育園の子どもたちも、時間をかけて上手になっていくと信じています。

3年前、初めて保育園で木下式を導入した時、現場の先生は「幼児に正しい声を求めるのはかわいそう、ひどい」と思ったそうです。きっと、長年、現場で幼児に歌わせる中で、「幼児は正しい声で歌えるはずはない」と信じていたのでしょう。ですが、木下式は、「どんな幼児でも、ピアノを聴いたら、音程を合わせて歌うものだと、思うようになる教育です。そして、その成果は、毎年、東京合同音楽祭として発表されてきあした。来年は第40回は、東京合同音楽祭の節目の年となります。どんなステージにしたいから、木下先生の頭の中は、もうそのことでいっぱいで、毎朝、忙しい時間に長い電話がかかってくるのです。
by k-onkan | 2017-02-24 23:24 | 楽院だより | Comments(0)

女の子の無意識を賢くするために

私が幼児教育の世界に関わってきた年数は、私の年齢とほぼ同じです。幼い頃は幼児教育を受ける側として、学生時代は幼い子どもたちの先輩として、成人してからは指導者として関わってきました。そんな私が、最近、とても気になっていることがあるのです。それは40年前には存在した「賢い女の子」が今の時代にあまりに少なくなってきていることです。

e0143522_2171558.jpg私が子供時代の女の子はお母さんや親戚のお姉さんなど真似をして鏡の前で自分を見たりする遊びに興じたものでした。しかし、今は女の子にとって、真似をする対象を探すことが極端に難しくなっています。幼い子どもは男女問わず、基本的に真似をして学ぶものです。特に、脳の発達が早い女の子は、自分より年上、大人の真似を好む子どもが多くいたものでした。

でも、幼稚園、保育園に長い時間、滞在しているお子さんは真似をする相手は担任の先生、もしくは、同級生で目立つ子、強い子ではないかと思います。友達のの行為が「いいことか、悪いことか」は二の次で、刺激のあること、目につくことを真似ていきます。だれかが乱暴な口をきけばすぐに乱暴な言葉が蔓延しますし、人の物をとる子がいれば、自分も取り返すでしょう。手を出す子をみれば自分も手を出すように育っていきます。もちろん、先生は注意しているとは思いますが、子どものいざこざは日常茶飯事であり、すべてを大人が監督するのは、実質的には無理があるでしょう。そんな中で行儀よくしつけられている子は、静かに誰に迷惑をかけることなく、自己主張もせず過ごしていることもあるのです。

もっと「、女の子たちの能力を伸ばすことをさせたい、年上の人との関わりを大事にさせたい」と考えていたところ、「女の子が年上の真似をしたら生きづらい。同学年の中で生きるのだから」という意見をいただきました。でも、子どもたちは、幼稚園、保育園を卒園した後、ずっと同級生と平等に生きていけるわけではありません。

残念ながら、小学校で勉強が始まると「できる、できない」という不平等に出合います。そこに女の子特有のグループの付き合いや、誰が主導権をとるかなど面倒なことが起きてきます。誰もが主導権を取れる子になる必要はありませんが、だれかに従う側であっても「自分で考えて、自分で選んで、したいことをできるようにする」ためには、同級生だけでなく、年上の人から学ぶ知識やいろいろな体験による自分の考えが必要だと思うのです。

女の子は本来、器用な生き物だと思っています。一つのことをじっくり時間をかけてこなす男性と比べて、洗い物をしながら料理をしたり、料理をしながら子どもの会話を聞いたり、同時に二つ以上の物事を処理できるのは女性ならではの特性だと思います。ですが、現代社会ではそうした特性を伸ばすためには、私たちが子どもの頃とあまりに環境が異なり、自分が「当たり前にできたこと」をわが子にできるように育てるのが難しいのです。

手を洗おうと思って蛇口に手をかざせば、水が自然に流れ出て、車のドアは自動開閉、部屋のドアは小さい子どもでも簡単に動かせるレバーがついていて、今やドアノブの存在を知らない子どももいるかもしれません。小学校でHBの鉛筆がなくなりつつあるのは、手指の力が弱く筆圧が出ず、子どもたちが書いたものが見えないからです。私たちの便利になってありがたいことも増えた分、私たちが子どもの頃、あたりまにできたことを、できるようにするのが、難しい。特に、女の子たちにその弊害が出ているように感じるのです。

そんなことから、音楽祭のお疲れ休みの土曜日に、高学年の女児を集めて、課外体験学習をすることにしたのです。一日の予定は、食事やお菓子作り、赤ちゃんを連れた先輩との交流、フェルトを使って手芸をします。毎年、尾瀬合宿の飯盒炊爨で、女子班はカレーライスを作っているので、今回は生地こねてピザやクッキーを焼いたり、パスタを茹でることに挑戦します。

また、夜ごはんには、お米を洗ってご飯を炊き、みそ汁作って、ハンバーグと目玉焼きを焼いたり、ほうれん草のソテーをいためたり、粉ふきいもを作ろうと思っています。子供時代に野菜の皮をむき、包丁で切ること。そして、食材を焼いたり、炒めたり、茹でることができれば、あとは工夫次第で料理はいくらでもできるようになると、自分自身の体験を通して感じます。現在、私は2日後に向けて、材料を用意して大掃除しているところです。
by k-onkan | 2017-02-23 12:52 | 児童 | Comments(0)

聴覚を生かすために必要なこと

音楽祭が終わり、ビデオ編集や機関誌作りなどの傍ら、中1の甥Yの壊滅的な英語を改善するプロジェクトの再開です。英語の試験の後、出張先から「どうだった?一緒に勉強した甲斐はあった?」と電話をすると、「あったと思う。これまでは時間が足りなくて、最後は勘を頼りに適当な答えを書いてたけど、今回は3分も時間があまって、その上、最後の30秒に前の晩に復習した慣用句を思い出して書いた。リスニングがよく分かるようになった」と明るい声の報告がありました。

e0143522_23534141.jpgところが、妹と答え合わせをすると最初の一問目から「これはbe 動詞をいれなければいけないのでは?」とか「those boys はhimじゃなくthem って、まぁちゃんに教わっていたのに……」とミスを指摘されたようです。「せっかく、いい気分だったのに、お母さんたら追い詰めないでよ!」と友達と遊びに出かけていったそうです。

さすが、英語は壊滅的だっただけのことはあります。あれほど同じことを再三再四、教えたにも関わらず、Yの「忘却曲線」は定着には至っていないようです。ですが、実は内心ほっとしたのです。なぜなら、たった一週間、私と一緒に勉強しただけで、テストの点数が大きく跳ね上がったら、地道な努力を怠るようになるかもしれません。

その昔、私自身、幼児教育によって培った短期記憶を使ってテストの前に瞬間芸のように勉強していい点数を取ってしまったことで、後から、そのつけが回ってきてしまいました。内容が簡単なうちは、瞬間芸の勉強で対応できても、内容が難しくなると、付け焼刃の勉強ではなく、地道な努力ができることが、何より大事になります。

今年の音楽祭の「音感部門」では、2020年から小学3年から英語が必修科されるというお話をさせていただきました。音感教育によって、鍛えた聴覚は英語の勉強をする際に子音を聴き取る一助になるといわれています。しかし、耳で違いを聴くためには、「英単語」を知っている必要があるのです。つまり、鍛えた耳を生かすためには、知識を習得する努力も、忘れないようにしないと、せっかくの耳が生かせないということになります。

兄甥には英語の導入で苦労をさせてたので、地道な努力が苦手なのに自尊心が強い弟甥Kは今から少しずつ、家庭学習で英単語を教えていかなければと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-02-22 23:53 | 教育 | Comments(0)

失敗には理由がある!

音楽祭の出演児の中で、一番、楽院の出し物を助けてくれたのは5年生のYくんでしたが、一番、ダメだったのは、1年生の甥Kだったようです。舞台袖で聴いた私は機械を通した歌声だったので、いつも通りの音程と歌声に聞こえましたが、実際は、いつも以上のガサガサ声だったといいます。ひどいアレルギー体質でチックのような症状も出るKに、親としても、指導者としても、瑠音先生はとても気をつけて生活させていました。独唱の直前にも「水を飲みなさい」と袖まで持っていったのですが、他の小学生が「大丈夫です」というと、Kも「大丈夫。いらない」と断ったそうです。

ところが、いざ歌い出すと声はガサガサで、歌の途中で何度も咳払いをして、練習通りの歌声ではありませんでした。袖に戻ってくると、瑠音先生は「どうして、あんなガサガサの声になるの?」と思わず手が出ていました。「Kちゃんは大人のいうことをもっと真剣にききなさい。水を持っていったのに飲まなかったのは誰!?」。合唱団の制服への早着替えを手伝いながら、Kはガンガン怒られたようです。そのまわりには、出番を持つ楽院の小学生が全員いました。ダストアレルギーでチック症も出ているKに、よその人が見たら「ひどい」と思うかもしれません。ですが、我が家ではいろいろな人に一生懸命、尽力いただいたのに、力を出し切れないと、「あんな思いは二度としたくない、絶対に二度と失敗したくない」と思うほど、ガツンと叱られるのです。

失敗した後に「いいよ、いいよ。失敗しても気にしなくて、また、次を頑張ればいいよ」と慰められたら、子どもは、また同じ間違えをします。勝負は一度しかないのです。そのチャンスに、力を発揮させるには、大人もそれだけ、真剣に向き合っています。楽院の生徒たちが舞台裏でどんなに、態度が悪かったり、口ごたえしても、「本番の合唱だけは、力を合わせて最大限のことをしてくるだろう」と信頼できるのは、どの子も一度は、「失敗したら、どんなに嫌な気持ちになるか」を直接的、もしくは、間接的に経験したことがあるからだと思っています。よく「置かれた場所で咲くことが大事」と言われます。置かれた場所で咲くためには、自分に課せられた責任は絶対に果たすという強い信念と心構えが必要です。そしてその練習は子ども時代から始まっていると、私たちは思っています。

音楽祭の本番でよく見かける光景に、本番で失敗した子どもが、担任の先生の胸の中で泣き崩れる様子があります。失敗が残念だから泣いているのだと思いますが、覆水盆に返らず。失敗は消せません。その上、一緒にいる大人から「失敗しても心配しなくていいよ。大丈夫。大丈夫」などと、慰められたら、「大人の望む到達点の低さ」に、それ以上、子供が真剣になることはないでしょう。実際、独唱が終わって泣いていた子が、しばらくしたら、友達と悪ふざけをして大人から厳しく叱るられるという場面が今回もありました。泣くことで、自分に言い訳をして、それを大人が許したら、あっという間に忘れてスッキリするのが愛されて育ってきた子供たちです。ある程度、能力を引き出して自分に自信を持った子供には、その自信をへし折られる経験も、また大事なことだと感じます。

音楽祭で大合唱の指揮を任された中学1年の甥Yがこんなことを口にしていました。「本当に無事に指揮が終わってよかった。もし、失敗していたら、1週間は立ち直れないし、試験の問題も、絶対に頭に入ってこないくらいショックだったと思う」。何かをする前に、そこまで想像して努力する習慣が生まれれば、大人になっても恥をかかないための努力ができるような気がするのです。

小1の甥にはまだそれほどの緊張感はなく、「自分は上手に歌えたのに、みんながひどい」と思っている節があります。ですが、音楽会の成果は「自分がいいと思ったからいい」ではなく、演奏を聴いた人の判断の上に成り立つものです。また、教えた先生の期待に応えるというのも、とても大事ですが、今回、Kにも手をかけたつもりですが、結果が芳しくなかったのは、Kに必要なだけの「十分な手のかけ方」を私たち大人も足りなかったということなのだと反省もしているのです。

by k-onkan | 2017-02-21 23:24 | 児童 | Comments(0)

手をかけた子が助けてくれる!

今回の音楽祭で出演児の功一番の労者は間違いなく楽院の5年生のYくんです。朝一番の出番は音楽祭の開始をつげる開会宣言です。Yくんが自分で考えた長い文章は、1分50秒もの長さがありました。自分でいいたいことを全て盛り込んだ文章を一語一句誤ることなく暗記して朗々と話しました。

e0143522_1432185.jpg「ただいまより第39回木下式音感教育法東京合同音楽祭を開催いたします。本日はお忙しい中、ぼくたちのために、来てくださってありがとうございます。ぼくは4歳の頃から音感を習い始めましたが、僕のお母さん、そして、二人のおじさんも木下先生の下で勉強しました。小さい頃には音感がイヤだと思った時期もありましたが、お父さん、お母さんは、粘り強く僕を音感に通わせ続けてくれました。おかげで、最近は木下先生に褒められることが多くなっています。

今日は沖縄、大阪、愛知、富山、宮城という遠いところから、木下式を学ぶお友達が集まっています。今まで練習してきた合唱や独唱、そして、聴音やカスタネットなど、一人ひとりが一生懸命、取り組みます。今は、とてもドキドキしていますが、客席にいる皆様の拍手が大きな力になります。どうぞ最後まで、応援をよろしくお願いします。指揮の先生をはじめ、オーケストラの皆さん、よろしくお願いします。小学五年 S○○○ Y○○」

2分近くにわたって鮮明な発音と美しい声は会場いっぱい響きわたりました。あまりの素晴らしさに、氏名の途中で拍手が鳴り出しました。その後は、楽院の合唱でメロディーとは異なるハーモニーを担当し、午後は聴音書き取りの直後に、独唱のトリで「イタリア歌曲・イディアーレ」で素晴らしい歌声を響かせました。歌い終わると会場から「ブラボー」の声があがりました。

木下先生は本番でも自分の力を全て、出し切ったYくんに感激して、天使のこえ合唱団の出番に突然、「Yに自分を迎えにこさせよ」と言い出しました。木下先生を舞台袖まで迎えにいったYくんの手をとり、独唱の素晴らしさを観客の前で称え、その後「ビバルディ―の春」と「君を忘れない」の披露をしました。楽院の合唱団は、どんなに人数が少なくても、きちんと歌える子どもだけを選抜して出演させます。中でも、第一声部は一番、責任が重く、団員は全員Yくんに助けられているといっても、過言ではないでしょう。

そんなYくんの成長を誰より喜んでくださったのはご家族であり、中でも二代にわたって楽院に通ってこられたTお祖母ちゃまでした。Yくんがはじめて楽院に来たのは4歳の時でした。彼の持つ特性によって「他の子とおなじことをできないのが当たり前。でも、木下先生のところに通わせたら、よくなるはず」と信じて通わせてくださったのです。

年中ではじめての音楽祭の合唱に出す時は、「制服の生地に過敏な反応を示して泣いたりするかもしれない。その際は出られなくても仕方ない』とお母さんは理解を示されました。でも、私たちは、「慣れ親しんだものしか着れないなら、音楽祭より前に制服を着せて慣れさせる」など工夫して、彼のマイナスの特性が出ないようにして、他の子とおなじことをさせてきました。その時は、舞台の端で、どうか2曲歌い終わるまで不快感で泣いたりしないようにと、指揮をした瑠音先生はとてもドキドキしたといいます。

Yくんの持つ「生きづらい特性」は取り除くのではなく、どうしたらうまく付き合えるかを考えながら、他の子と全ておなじことをさせてきました。音楽会、お泊り、ピアノ、何事も、はじめて取り組むと、すごく難しそうにしますが、手間を惜しまず、反復すれば絶対にできるようになっていったので、「必要な配慮はしても、特別扱いはしない」というモットーを貫き通せたと思っています。

途中、発達障害を専門にする方のアドバイスを受ける度に「本当に正しいことをしているだろうか。一生懸命、楽院の行事に参加させることが何かマイナスな影響があったらどうしよう?」と悩んだこともありました。でも、Tお祖母ちゃまに「木下式でよくする」とお約束していたので、手加減はせずに頑張って教えてきたことが、Yくんを成長させたのだと思っています。

この音楽祭を終えて私はYくんに対して大きな決意が生まれました。それは「もう彼が「発達障害を持っていたこと」は封印しよう!」ということでした。もちろん、凸凹の特性やいろいろな難しいことが皆無になったわけではなく、これからもたいへんなことはあるでしょう。それでも、来年の音楽祭のために「次は指揮をしたいと、影で練習して挑戦意欲にあふれるYくんを、私たち大人がいつまでも、「3歳の頃に検診で言われたこと」を当てはめていたら、これ以上のステップアップは期待できないように感じるからです。
by k-onkan | 2017-02-20 23:40 | 児童 | Comments(0)

第39回東京合同音楽祭

「木下式音感教育法 第39回東京合同音楽祭」は無事に終了しました。遠路はるばるお越しいただいたお客さま、そして、保護者の皆さま、園長先生方、舞台づくりや音楽作りに関わって下さった関係者の皆さま、子どもたちを引率された教諭、最後まで、頑張った子どもたちに御礼申し上げます。途中、大きな事件や自然災害もなく、どうにか第39回の幕をおろすことができました。

e0143522_142473.jpg長年、お嬢さんが楽院に通われた保護者の方から「天使のこえ合唱団は人数が減っても、木下先生がその小さい構成に応じて歌い方を工夫されていて、素晴らしかった」とのご感想をいただきました。実は、楽院の生徒たちが前日のリハーサル時に、なかなか本気にならないので私は「音楽祭はこれが最後だと思ってやりなさい。物事で未来永劫つづくものなど何もないのよ。みんなはこれまで、毎年、音楽祭に出ているから、来年も再来年もあるのが当たり前と思っているかもしれない。だけど、あと数年でなくなることもあるのよ。だから、今、目の前に与えられたことにきちんと結果を出しなさい」と伝えました。

本番の日も、音楽祭の舞台慣れをした楽院の子どもたちは、私たちのことを怒らせることばかりします。きっと、よその先生からは「なんて困った子どもたちなのだ」と思われていたことでしょう。それでも楽院の生徒は本番の合唱だけは絶対に「きちんとやる」と信頼できるのです。

個人主義を重んじるようになった時代に育つ子どもたちは、他の人と合わせて、何かをすることが苦手です。皆で協調するより、個人で結果を出すことを求められるためか合唱をする楽しさを教えるのが年々、難しくなっています。合唱の声は、全員の声が一本に揃って、はじめて美しいと思えますが、自分の子供の声が目立たないと歌っていない、口パクをしているのは思う保護者もあるほどです。私たちと「ものの感じ方」が違うと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、他人と一切協力せずに個人主義で生きるのは、私にはあまりに寂しいと感じられます。

そんな中、南は沖縄から北は仙台まで、10の団体が音楽祭に参加して音楽祭を開催できることは本当にすごいことなのです。来年は40回という輝かしい年を迎える音楽祭ではありますが、現実的にはこの会を永遠に続けることは、難しくなっていくのかもしれません。そんな中、音楽祭に出演できた園児の方々は、とても幸運であることを、どうか忘れないでいただきたと思うのです。
by k-onkan | 2017-02-19 23:22 | 木下式音感教育法 | Comments(0)