麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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幼児が自ら対応する木下式

大阪の幼稚園に研修にうかがってきました。内容は年中児30名の指導と教諭の研修でした。木下式は指導者の声による模範唱によって刺激を与え、幼児に反応させることに特徴があります。その際、全員が反応したくなるように「高めの声」で手本や模範唱を示すことが鉄則となっています。

e0143522_15475320.jpg訓練を行う過程で幼児は「先生の声に集中する」「先生に注視する」などを身につき、無駄な動きも減っていきます。そのため、「木下式を受けると、行儀が改善される」と言われていますが、実際は「行儀がよくなる」のは子供の身体が育った結果かもしれません。

もちろん、お稽古の途中で隣の子に寄り掛かったり、ちょっかいをかけたりすれば、「行儀」を注意しますし、「まっすぐ立とう」なども伝えます。しかし、幼い時期から「行儀のことばかり」をうるさく言ったら、レッスンができません。手短に必要なことを知らせたら、スムーズにお稽古を開始することを、現場の先生に指導させていただきました。

木下式は導入時には幼児が思わず応えたくなったり、集中したくなる「緊張感のある声」でレッスンをすることになっています。けれど、幼児が成長して、自ら適切な声を出せるようになったら、いつまでも指導者は声を張り上げる必要はありません。幼児が自分で考えて活動できるようになるからです。そうなると、指導者に手本に関係なく、正しい声で歌ったり、音を聴いたりができるようになるのです。そして、このことを、指導する先生自身が、身に付けていただく必要があります。

木下式の効果が高いのは、幼児たちが「音感かるたのカリキュラム」を学ぶことで、日常生活で、話が聞けたり、注意深く見たり、手指を使ったり、身体が育ったり、指示行動ができるようになることです。つまり、音感教育を行うことで、「音楽」から離れた場面で効果が見えるのです。これが、幼稚園、保育園で、「音楽」以外にも「必要な教育」として認識されている理由なのですが、効果を出すためには、教諭のみなさんの努力がとても大切だからこそ、定期的に研修や指導の要請があるのだと思っています。
by k-onkan | 2017-04-25 23:46 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

何をしたいかは自分次第!

数日間、ネット上で「返還型奨学金(学資ローン)の滞納率の高い大学の偏差値を調べてみた」と題した記事が回ってきました。内容は、国立大学や有名私立を出た人の平均年収は全体的に高く、偏差値が低い大学出身者が全体的に低いことから奨学金を返済するのが難しく滞納率がより高くなるということのようです。個人的には「みんなが大学に行くから自分も……」という理由で、奨学金を借りてまで大学へ行ったら滞納者が増えるのは当然だと感じます。

e0143522_0253361.jpg本来、義務教育ではない大学に行く際には、本人によほど「学びたいこと」「成し遂げたい夢」がなければ、「大学卒業証書」だけにはあまり意味がないと年寄りは思います。でも、実際は「皆も大学へ行くなら、自分も後4年、就職までの時間が欲しい」という気持ちも分かるのです。私も若い頃には、一日も長く学生でいたいと思った未熟ものだからです。しかし、年をとった今だからわかるのは、まっとうな学生は18歳から22歳までの貴重な時間を有意義に過ごすことができていたということです。

奨学金という名の学資ローンの元本は税金です。それを滞納したり、踏み倒す人が増えたら、制度そのものが続かなくなっていくでしょう。お金を借りてまで大学に行って安定した収入が得られる人がわずかなら、無理をして大学に行くより手に職をつけるなど、自分にしかできないことを見つける方が、生きる上で役に立ちそうにも感じます。

一般に「手に職を付ける」というと、「ならば中卒でいいのね。うちの子は漢字も計算も苦手で、いくら教えてもできないから、中卒ならそれでいい」という意見も耳にしたりします。しかし、たとえ、大学に行かないからといって、小学校の勉強はしなくていい、というわけでもありません。この国では何の仕事に就くには最低限、小学校で学ぶ「漢字や計算」は必要だからです。

そして、何があっても、「わが子を大学まで行かせたい」と考える家庭ならば、子供が小さい内から「自分から楽しく好奇心をもって学ぶ習慣」「コツコツ地道に勉強する習慣」を親子で意識する必要があるのかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-24 00:25 | 教育 | Comments(0)

音楽は素晴らしい

先日、「子供時代に音楽を習った人は、習っていない人に比べて、幸福だと感じる率が高い」という話を耳にしたのですが、すぐにインターネットで「大手音楽教室とどこかの大学が協力して集めたリサーチ結果」として、同じ趣旨の記事が回ってきました。音楽にたずさわる人は異口同音「音楽は癒し」と言います。音楽を楽しめる人は、自分の気持ちが折れそうな時も、人の演奏を聴いたり、自分で演奏することで、自己治療できるかもしれません。

e0143522_221324100.jpgそういえば、6年前の東日本大震災の後は、東京中がうす暗くなって、さすがの私もかなり心が折れそうになりました。信じていたものが一気に崩れ落ちたような焦燥感と不安感は今思い出しても、ドキドキしてしまいます。そんな時に救われたのは、ライブハウスで聴いた生演奏、そして、友人に誘われてイヤイヤ付き合ったカラオケでした。それまでの不安は一掃されて「また明日から頑張ろう」と気持ちを変えられたのです。

音楽を学んでも、裕福にはしてくれないかもしれませんが、「幸せ」を敏感に感じ取れる能力を与えられるかもしれません。だから、いつの時代であっても、音楽はなくならないのかもしれません。

そんな話を、小学生のレッスンの時に、4年生のKちゃんにしました。女の子は高学年になると、木下式の発声がしづらくなる時期がやってきます。身体が発達することで、それまでの腹式が急に胸式になり、上手にブレス(息)がとれなくなるのです。自分の身体の変化に慣れるまで、「いつ声がひっくり返るか分からない」という状態で歌うことになります。

私自身、小学6年の頃に同じ経験をしているので、女の子たちの不安な気持ちはよく分かります。しかし、そんな時、心配すればするほど、その不安は確実に的中して失敗して、もっと自分に自信が持てなくなるのです。

なんとか、リラックスして自分の声を出すコツを掴ませたいと思い、こんな話をしました。「大昔、何も無い時代にも、きっと人は歌ったり踊ったりしていたと思うの。なんで、歌ったり、踊ったりしたんだと思う? 先生は、地震や大雨とか天変地異が起きた時に、神様に「どうか守ってください」とお願いするために歌ったり踊ったりして、神様に捧げたのではないかと思うの。神様は、きっと、すごく高い場所にいるでしょ?『高い声を失敗したら、どうしよう』とオドオドしながら歌ったら、絶対に声は高くならないでしょ? だから、高いところへ向かって声を出そう」と思って息を取ってみて?」。

本当か嘘か、分からない想像の話でも、子供はそれをきっかけに高いところを目指して深い息をとることで、難なく声が出ることもあります。でも、心のどこかで、音楽は神様に捧げられるために存在するものだと、確信している自分もいるのです。だからこそ、美しく、心地よいものであって欲しいと願ってしまうのかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-23 22:13 | 音楽 | Comments(0)

立場が違うと正解も違う!

昨日のブログで「凸凹っこの減らず口は集団レッスンでは止める」ことを書きました。それは、家庭で許されることでも社会では許されないことがあることを、知らせたいからです。けれど、一つ、誤解していただきたくないことがあるのです。それは、もし、私たちに、十分な時間がある際には、「1対1」で本人の話を聞くこともあるということです。

e0143522_21481855.jpgお稽古事や学校などの場は、家庭とは存在意義が異なるものです。そのため、特定の子どもが一人だけ、勝手な話を続けると、授業に支障があり、他の生徒から反感を持たれることもあります。私が「凸凹っこ」の誤った言動をキビキビつむのは、他の生徒が不公平を感じさせないためでもあります。

だからといって、家庭では、私がレッスンで取り締まるようにわが子の私語を禁じたり、姿勢を正させていただきたいわけではありません。家庭では子供が話したいことを十分に発言でき、親御さんもそれに耳を傾け、楽しい時間を過ごしたり、スキンシップをとったり、忙しいお父さんと遊ぶ時間も大事だと思います。

子供も大人も、自分の希望がかなえられていないのに、他者のルールだけに従うのは難しいものです。大人が「わが子にこうあってほしい」と願うのと同様に、子供も「お母さん、お父さんにこうあって欲しい」という思いはあるはずです。そして、正解は場所や状況、人間の立場によって変わることもあり、決して正しいことは一つではないと、子供以前に、親御さんには忘れないでいただきたいと思うのです。

これまで、大勢の凸凹の気質お子さんと関わっていますが、その中で一番、劇的に発達をしたと思うYくんは、とても恵まれていたと感じますそれは経済的な余裕以上に人間に恵まれていたと思うのです。わが子のことを思う両親をはじめ、両方の祖父母に親戚、そして、信頼できる幼稚園、小学校、そして、親子二代で通う教室に通えたのは、とてもラッキーでした。

その中には、怒るとこわいけれど、いつも自分のことを考えくれるお母さん、寡黙なところがあって少し怖いお父さん、いつも面白いことをいって笑わせるお祖父さん、無条件で進歩を喜んで甘やかしてくれるお祖母さんたち、厳しいけれど分からないことがあったら絶対に分かるようにフォローする先生、それぞれには異なる役割と関わりがありました。

一般にはいろいろな人がいるので、「親は苦手だから子育てに関わらせたくない」とか「親戚づきあいが嫌」という考えの方もいるようです。しかし、子供の成長と発達に関してだけ考えると、家族の仲がいい、協力して目的に向かって力を合わせられることがマイナスになることはないと感じます。

こう書くと、「身近に祖父母や親戚がおらずに、頼れる人が誰もいないから、うちの子供はもうダメ、発達はしないんだ」とあきらめる人がいるのではと心配になりますが、子供にとって必要な「厳しさも」「甘さも」「優しさも」「面白さも」すべて大事なことを忘れずに、関わっていれば状況に合わせて、子供も成長していくのでは、と感じます。何より、家庭と社会の価値観が異なることを知らせるためには、親御さん自身がそのことを忘れないようにすること、かもしれません。
by k-onkan | 2017-04-22 21:47 | 発達障害 | Comments(0)

子供の言動に要注意!

低学年に高いIQと凸凹の特性を持つ男児がいます。彼はレッスンの際、みんなで話をしている時に、自分の興味がある話題へ導いたり、何か指摘されると、自分を正当化するために、難しい言葉を使ったりします。私たち大人「幼い子が使う難しい単語」につい感心してしまいますが、ほんの少しでも感心したり、同意すると、「ということは、すべてぼくが正しいということですね」と違う結果へと転がっていきます。

e0143522_19182948.jpgネット上で出合う揚げ足取りや、一般によくいる「モンスターペアレント」などは、まさしくこのタイプで、人の揚げ足をとり、喧嘩をふっかけたり、自分のルールで自己を正当化して迷惑をかけたりしています。しかし、私は将来、生徒にそんな大人に育って欲しくはありません。そこで、子供の減らず口に気が付いたら「今はその話ではありません」「そういう意味ではありません」等、一つずつ「誤解」をつぶすようにしています。

先日、メロディーを種々の音符で五線譜に記す「旋律書き取り」をしていた時のことです。
その男児は他人の何倍もの時間をかけて音符を黒く塗りつぶすのです。私は「そんなにいつまでも塗らないでもっと短く切り上げて!」というと「僕はじっくり丁寧なことが好きなタイプなのです」といい出しました。

自分の時間にじっくり丁寧にやるなら、好きにして!と思いますが、グループで速さを競って聴音する時間に、「丁寧が好きだから」とちっとも急がないのは、あまりに他の人の迷惑です。「みんなが待っていてくれるのだから、早くしてください!」。そう言ってもいっこうに自分を変えるつもりはないようです。そこで、私がピアノを弾く速度をあげてみました。すると、時間内に書き終わらなくなり、「ウウウウ」と恨めしい声を出し私を非難しはじめました。

このまま、私に「不当な目にあった」と恨みだけ持たせるのもいけないので、説明を試みました。「じっくり丁寧が好きと言うけど、例えばあなたのお父様が「3月31日まで」の仕事を丁寧に4月5日までかけてやったら、どうなるか分かる? 次の仕事はなくなることもあります」「つまり、無職ってことですね」「無職の話などしていません。限られた時間ででき上がらないと意味がないこともあるってことです」「いい加減にやっていいということですね」「違います。世の中には丁寧にやっても、3月31日までにきちんとできる人がいるのです。だから、丁寧だから遅くていい!のではなく、少しは急ぐ努力をしなさい」。

凸凹の気質を持ちIQが高いと、IQが低くても苦労するお子さんとは、また違った面倒やご苦労があると感じます。しかし、わが子の様子をよく観察して、子供があらぬ方向へ進まないように、大人もしっかり、見極める必要があるのは、凸凹の特性を持つ子どもの保護者だけではありません。どんな子供にも、勘違いや間違った言動はあるものです。また、自分を正当性して、他人に責任転嫁をするのも、「子ども」の特性かもしれません。親だからこそ、子供の言動を観察して、気づいたら、現行犯で正していきたいものです。
by k-onkan | 2017-04-21 19:18 | 発達障害 | Comments(0)

1歳から始めるメリットは?

最近、1歳のお子さんとお母さんが体験授業を希望される方が多くなっています。今日も2名の親子が既存の望クラスに参加されました。その際、「1歳という時期から音感教育を開始するメリットは?」という質問をいただきました。

e0143522_19125010.jpg早期に開始するメリットはいくつかありますが、一番の理由は子供が「好き嫌い」を判断する3~4歳より前に、自然に音楽を楽しむ気持ちを育て、声を出すことに抵抗を示さないように育ってほしいからです。これは、以前、楽院を見学された東北大学加齢医学研究所の瀧靖之先生に教えていただいたことですが、親が子供に好きになってほしいことがあるなら、早いうちに親が楽しんでいる姿を見せることが大事、だそうです。

思えば、子供は親のいう通りにしなくても、親がすることは呼吸をするように自然に吸収していくと感じます。たとえば、音楽家の家庭の子供が音楽家になりやすいのは生まれてすぐから、音楽があるのが当然の環境に育つから、といえそうです。また、本が好きな親御さんの子どもは当然のように本を読みますし、論理的に話す家庭のお子さんは、幼児であっても順序を追って説明するのが上手なものです。そう考えると、自分ができることは、早期に子どもに見せておくことは大事だと思います。まして、「自分が苦手なこと」をわが子にできるようになってほしいなら、「適した時期」に「好ましい方法」で訓練を始めるのが、好ましいと感じます。

音楽教育の中でも、特に「音感教育」は聴覚の発達に関連があるため、遅くとも4歳半には訓練を開始して、7歳までには能力の定着を図りたいと感じます。最近の脳医学では音感がつく臨界期は7歳より、もう少し後までと言われるようになってきましたが、木下式で発声を通して音感能力を付けるのであれば、4歳半がギリギリのタイムリミットです。聴覚の良し悪しは、それぞれ個人差があるものですが、それでも、早期に意識して耳を使い始めたお子さんの方が、鋭敏な聴感覚を持つと感じるからです。

私たちが生後数か月からベビークラスを開講したのは、早期に先どり教育をして幼稚園受験に役立てたり、よその生徒を出し抜きたいから、などの理由ではありません。3歳に木下式を開始して最大限に効果を出すためには、2歳のうちに家庭でやっておいていただきたいことがあったことから、2歳の望クラスを開講しました。

2歳の子どもに負担なく、望クラスの授業を行うためには、1歳の間に絵本を読んだり、身体を使ったりすることが、大事になりました。1歳で言葉を吸収したり、お母さんの言葉が理解できるようにするためには、0歳の頃の身体の動かし方やスキンシップが大事になります。それぞれの時期に、家庭で親御さんにしておいていただきたいことがされていないと、どんなに木下式が素晴らしく効果的な音感教育でも、どんなに楽院が手をかけて教えても、昔と同じ成果をあげることはできない、これが0歳からクラスを開設した理由です。

0歳からお稽古ごとを始めたからといって、後で楽をしたり、手抜きができるようになるわけではありません。けれど、親御さんに時間的余裕があるうちに、親子一緒に、日々、少しずつ、当たり前の努力をする習慣を持つための最初の「教育やしつけの第一歩」が1歳から始めるお稽古なのかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-20 19:12 | 乳児 | Comments(0)

親でなくていいと言っても・・・・・

数日前、「経済的な理由で育てられない子」を里子として引き取って暮らすある家族の話がテレビで放映されました。里親のもとで愛情をかけられ、なおかつ、生みの親のことも小さな頃から真実を伝えられ、里子という事実を受け入れながら生活する姿を見ると、血のつながりがなくても愛情で結びつけられた家族が、これからは増えていくと感じます。

e0143522_20391323.jpgそんな中、ツイッターで「幼児にとって愛着を形成することは重要だが、愛着は親でなくとも問題はない」という考えを知りました。前述のテレビのように生みの親でなくても、それ以上に子どもを愛して守り、一緒に過ごしてくれる人であれば、他人の里親でも愛着は形成できると思うのです。けれど、「親でなくても問題はない」といっても1日に何回も交替する保育士さんや、月3回の音感のレッスン時しか会わない私とでは、愛着の形成はできないと感じます。

保育園に教えにいくと、帰り際、必ず、子供たちが「あ、麻奈先生だ」と言って、手に触れたり、抱きついたりしようとします。三年前にはじめて保育園に教えに行った頃は、たまらなく抵抗がありました。なぜなら、子供たちが本当に求めているのは、月に数回しか会わない私の抱擁ではなく、親御さんとのスキンシップであると痛感していたからです。

保育園指導も3年になると、「とりあえず、誰でもいいから甘えさせてほしいのだろう」と感じるので、来れば受け入れるようにはしています。但し、保育園で一人に触れることを許したら全員が触れたがるのも、覚悟の上です。中には、胸に顔を押し当ててくるほど、寂しがりやの男の子もいて、不憫になります。個人的な経験ですが、親御さんから家庭で十分にスキンシップを受けて満足している子どもは、そこまで他人の私に遠慮なく抱きついてきたりはしないものだからです。

愛着の問題を言われると、「親ばかりに責任を押し付けられても」と逃げだしたくなる気持ちになるかもしれません。それでも、やはり縁あって親子として一緒に暮らせているなら、わが子を受け入れてほしいと願うばかりです。先のテレビ番組の中では、里子に出た男の子も、生んだお母さんも、分かれる時は、とても切なそうでした。どんなに里親家族に愛されていても、自分の親と離ればなれになることは、子供にとってやるせないものでしょう。そして、それが、一日にたった8時間~11時間でも、母を求める時に手に入らない距離にいるのは切ないものなのではないでしょうか。
by k-onkan | 2017-04-19 20:39 | 親業 | Comments(0)

目を見て、話を聞いて!

「音感の先生は、台風や雨とやってくる」といわれるくらい、なぜか、火曜日は悪天候なことが多いようです。今日も「春の嵐が吹く」という気象庁のニュースで、いつもより早めに家を出たのですが、到着したらいつもと同時刻で、その頃にはすっかりいい天気になっていました。

e0143522_19505663.jpg3歳児にとっては2回目の音感のお稽古です。第一回目のお稽古では「名前を呼ばれたら、返事をすること」「物には名前があること」「色にも名前があること」を教えて、「音感教育」を行う準備を整えました。最初のレッスンから1週間、担任の先生にも名前を呼んだら目を見て返事をすること、クレヨンの箱から指示されたクレヨンを取り出して色を塗るなどの練習もしておいていただきました。

「おはようございます」と部屋に入ると、子供たちからも嬉しそうな挨拶の言葉が返ってきました。「すごい風だったわね~」というと「飛ばされそうになっちゃった」とか「雨はもう降っていなかったよ」など、月齢が大きく口が達者な三歳児が一斉に話しはじめました。

保育園に通うお子さんたちは、誰もが「自分の話を聞いてほしい」と思っているのか、我先に話しはじめると、他人が聞いていなくてもお構いなしで話し続けるように、私には見えます。自分のいいたいことを言えば、「誰かに聞いてもらったような気」になるのかもしれませんが、実際は一方通行です。自分の話をきちんと聞いてもらえないのに、相手の話に耳を傾けられるようにならないでしょう。

そこで、音感のレッスンを始める前に、一人づつ、話していい時間を作ってみました。「すごい嵐だったね。風は大丈夫だった?」「朝、雨は降っていたの?」「保育園には誰ときたの?」「自転車できたの?」「車は何色なの?」「誰が運転したの?」など、答えやすい質問を全員にしてみました。無口な子でも「誰と来たの?」と聞かれたら、「パパ」「ママ」と言葉が返ってきます。そして、まわりの子にも、「○ちゃんは誰と来たって?」「△ちゃんの家の車は、何色だって?」と質問をしてみるのです。すると、関係ない子も興味を持って話を聞くようになります。

全員にたった一言二言、話をさせるだけでも、結構、長い時間が必要です。しかし、子供たちに「目を見て自分の話を聞いてくれたから、次は麻奈先生の話も聞いてみよう」と思わせるためには、大切な時間です。実際に話を聞いた後では、前回以上に「音感かるたの説明」に目を輝かせてくれました。

しかし、可能であれば「音感の時間」に一人ずつ発言する時間を持つのではなく、毎日の家庭生活や保育園で親御さんや担任の先生方に、目を見て話を聞いてもらえていると、子供は満足して、「音感の時間」は心置きなく、音感に取り組めるにようになるはずです。

3歳児に質問をするときに、私が気を付けているのは、決して「どうだった?」などの曖昧な聞き方をしないことです。低年齢の幼児にはなるべく具体的で答えやすい質問を心掛けましょう。但し、幼稚園や保育園の先生は、「全員平等に話す機会を与える」と言われると、「同じ質問」を全員に平等にしがちなので、気を付けてください。

子供たちは同学年でもそれぞれ言語力や観察力、理解力に差があります。「すごい天気だったね」と言って「飛ばされそうなほど、風が強かった」という子もいれば、天気の良し悪しに気付かない幼い子もいるでしょう。大事なのは子供が答えたくなるような質問をすることであり、決して、先生が「答えてほしいこと」を言わせる質問であってはなりません。

保育園で音感を教えるようになって今年で3年。「音感教育」を行う上で、子供たちに身についていない能力をプラスするために世間話をしたり、いろいろな体操をさせたり、さまざまな工夫しながら気づいたことがあります。それは、保育園の先生も親御さんも、仕事で忙しいこととは思いますが、それでも「もっと目を見て、一人ひとりの話をよく聞いてあげてほしい!」ということです。子供たちはまわりの大人との会話や関わり方によって発達が促されます。どうか、子供が静かにしているから安心と放っておかないでいただきたいのです。

その昔、保育園より幼稚園の子どもが比較的、大人の話を聞けたのは、家庭で自分の話を聞いてもらうチャンスが、保育園に預けられる働くお母さんの子どもよりは多かったからだと感じます。でも、今は幼稚園でも前後にお預かり時間を付けると、保育園並みの長さで、預かっていただける幼稚園もあり、「幼稚園だから安心」「保育園だから心配」ということはありません。それぞれの家庭で、わが子の話に耳を傾けたり、子供の話を興味を持って聞かないと、小学校に入っても、集団の中で、先生の話に耳を傾けられない子どもが育っていくかもしれません。
by k-onkan | 2017-04-18 19:49 | 保育園 | Comments(0)

幸せな誕生日を迎えて

2歳から教えた卒業生のAちゃんが「私の誕生日を祝ってくれる」ということで親しい知人や妹一家が我が家に集まりました。10年前、高校二年生の時に、我が家で一か月ともに生活したこの子こそ、私が拙著「折れない子どもを育てる」を書くきっかけを与えてくれた生徒です。

e0143522_18502245.jpg10年経って社会人になった今でも、「これくらいでは恩返しにならない」と、毎年3月になると私の誕生日を祝い続けてくれています。今年は、私の仕事の都合で、きっかり1ヶ月遅れの誕生日会となりましたが、思えば10年前、節目の誕生日も同じメンバーでお祝いをしてくれました。

当事、3歳だった兄甥Yが13歳となり、姿形もなかった弟甥Kは7歳です。17歳だったAが27歳と、10年の歳月は子供たちを大人に、私たちをかなり疲れさせたと思いますが、大きくなった甥たちやAが我が家でピアノを弾いたり、遠慮なく私に甘える姿に、誰よりも、私が幸せな気持ちになりました。

子供の頃は、何事にも全力投球して、いろいろな才能を見せていたAが思春期のふとしたきっかけで、親御さんとの関係がすれ違い、自分を信じられなくなり、何を目的に頑張ったらいいのか、分からないと長く迷う時期がありました。その間、Aがどんなに「目をそむけたくなること」をして大人を困らせても、絶対に途中で見捨てることだけはしないと心に誓って関わってきたのです。

子どもの頃、あれほど無邪気に頑張った子が、こんなことに悩み、困難に遭遇する様子を目の当たりにしながら、「何かができるから」とか「成績がいいから」だけではなく、人間として、バランスよく育てることの大切さを教えられました。

10年経った今、社会人として働きながら、再び、心底、打ちこめることを見つけ、一生懸命、努力する姿を見ると、「やはり、この道を選ぶなら、なぜ、もっと早く気が付かなかったのか……」と遠回りをした切なさを私たち大人は感じます。しかし、それでも自分が迷い苦労して選んだ道であることが何より、大事なのだと思います。願わくば、10年後の私の誕生日には、この子の夢がかなって新たな道を歩んでいること祈るばかりです。
by k-onkan | 2017-04-17 23:47 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

途中で見捨てないで・・・・・

たとえば、男女が痴話喧嘩をした時に、女性が「放っておいて」と言ったからといって言葉通りに放って帰ったら、「女心がわからない、優しさがない」と男性は女性から責められる可能性は高いように思います。もちろん、女性の中には「放っておいて」は「本当に構わないで」とストレートな意味の男気にあふれた人もいるでしょう。しかし、そういう人は、子供時代から自分の願いを素直に口にして受け入れられた人なのだろうと、想像します。

e0143522_20231052.jpg本当は「放っておいてほしくない」のに「放っておいて」というのは、子供時代に親が忙しかったり、自分から「いい子でいなければ」とわがままを言わなかった人かもしれません。本当は「構ってほしい」のに素直に言えない代わりに病気になったり、わざと問題を起こす「面倒なタイプ」の話です。

私自身に、まさしくそんなところがあり、大学生になってアメリカで一人暮らしをしていた頃には、ずいぶん周りの友人に迷惑をかけたものでした。ストレートな表現が多いアメリカで、ストレートな表現をすることで、ずいぶん、素直に自分の気持ちを言えるようになったと思いますが、それまでの道のりは長かったと感じます。

よく「子どもの頃、いい子だった子が危ない」と言われるのは、自分の気持ちを素直に出せないまま、思春期に突入して、その感情をコントロールできなくなるからだろうと思います。10代で面倒なぐれ方をする子どもは、必ず、「大人なんて」とか「こっちに来るな」と乱暴な拒絶の言葉を発します。でも、そこには、「自分に愛情がないなら」とか、「途中で見捨てるつもりなら」構わないでほしいと聞こえます。私が思春期の子の面倒に関わったら、最後まで絶対に見放してはいけない、と感じるのは、そんな理由からなのです。

10代の子どもや、成人した大人になっても、そんな表現をする人がいるのですから、幼児が「ママ、嫌い、あっちへ行って」と走って逃げたり、部屋に閉じこもったときでも、「本人が望んだことだから」と放っておかないであげてほしいのです。きちんと子供を抱きしめて、「どうしたの? 何がいやだったの? ちゃんとママに話して」と話を聞いてあげてほしいと思います。そして、お母さんの側の話もきちんと伝えてほしいのです。

大人に余裕がないと、親御さんが「だったら、もう勝手にしなさい」と怒ってしまうこともあるでしょう。すると、子供は自分の「負の感情が誰にも受け入れられない」と思い、益々、素直な表現が苦手になると感じます。

はじめての子育てで、お母さんも、お父さんも余裕がないのかもしれません。でも、子供はそれ以上に、もっと心配ごとが多いものなのです。どうか、子供の気持ちは途中で見捨てずに、最後まで付き合ってください。その過程で、「ダメなことはダメ」と言っていいのです。また、親御さんばかりが我慢したり、自己犠牲を払う必要はありません。ただ、「人間」と「人間」として、「していいこと、悪いこと」を伝えたり、「受け止められること、受け止められないこと」をきちんと伝え、親としてわが子を愛しているを示してほしいのです。それが、将来、子供が幸せに生きていくために、絶対に必要なことだと思うから――。
by k-onkan | 2017-04-16 22:21 | 子育て | Comments(0)