麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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孫弟子が歌えるのは当たり前!!

2歳児クラスのAちゃんとSちゃんは、親御さんが子ども時代に楽院の生徒だったこともあり、普段から、音楽に馴染みのある生活をしています。その上、親御さんが子どもの頃に勉強した「音感かるた」を自分も勉強しているのですから、他の同級生に比べて、覚えが速いのも、歌が得意なのも、当たり前です。

e0143522_18435744.jpgそのため、私はそのことを特別に褒めるつもりはありません。もっと、厳しい言い方をするなら、恵まれた環境で、恵まれたタイミングで能力を開発される機会を得られたのですから、「できて当たり前、できなければ心配」というスタンスで付き合っているつもりです。

けれど、子どもたちは、知らず知らずのうちに「お友達よりできることがある」ことに少しずつ気付きはじめ、生意気な言動も増えてきました。そのため、2学期からは、年上のクラスに入れることになりました。

初回は、小さな間違えがあったり、大きなお兄さんやお姉さんの存在に興味津々で、レッスンに集中できない様子や気が散る場面もありましたが、涙を見せずに、最後まで、「ついていこう」とする姿に、「進級させてよかった」と感じました。

でも、親御さんの気持ちは複雑だったようです。これまで、同級生のクラスで問題なくできていた課題が突然、難しくなり、二学年大きいお子さんと一緒に取り組むと、時に間違えたりすることもあります。すると、「このクラスで、自分ばかりできないと劣等感が生まれてしまうのではないか」と不安になってしまったようです。

でも、子ども同士は、「注意されるのは、みんな一緒でお互い様」だと思っているので、「自分だけができない」とは思っていないと断言できます。なぜなら、2歳児であっても、「自分だけができない」と思った途端に、「取り組むこと」を諦めて放り出したり、嫌がったりするものだからです。二人は最後まで、お姉さんとお兄さんと対等に同じ課題に取り組んだことに、すっきりした表情でかえっていきました。

基本的に、親がわが子を思い、心配したり、過保護になるのは、親ゆえの特権だと思うので、それを止めるつもりはありません。また、親御さんは止められれば、止めるほど、心配するものです。でも、いくら親であっても、わが子が少し難しいことに挑戦したり、失敗したりする機会を奪う権利はないと私は思っています。

言い換えると、年齢が幼い時期に、いろいろなミスをすることは、「ミスをした時の自分との付き合い方」や「失敗した後の解決法を知る」ための練習になります。幼児期から、人並みに、なんとなく、「うまくやること」を覚えさせ、大人になるまで、実体験で失敗したり、恥ずかしい思いもしたことがなかったら、後で困るのは本人ではないでしょうか。

そして、何より、大事なことがあります。それは、楽院の少人数のクラスの「1番」を取ったからといって、外の社会に出たら、もっと優秀な人はたくさんいるはずです。小さな場所で「お山の大将」になるより、それぞれの子どもの長所や短所に気付き、改善できることは改善して、気を付けるべきことは気を付けておくことで、将来、外の大きな世界に出た時の一助になると思うのです。

音感のレッスンで大事なことは、その場しのぎに「麻奈先生に気にいられること、褒められることをしよう」とする子どもより、指導を受けた事柄を素直に吸収できる子、たとえ、自分が一番になれなくても、ふてくされたりせずに、苦難や面倒を途中で放り出さずに地道な努力ができる子が最終的には伸びていく、このことをわすれないでいただきたいのです。

それでも、現時点で、同学年の中で、わが子が少し先を進んでいるのも、事実であり、特別に褒めるつもりはないと言っても、「困難に挑戦してできるようになったこと」に対しては最大限の賛辞を与えるつもりです。その際、親御さんに気を付けていただきたいことは、どんなにわが子が褒められても、親は謙虚でい続けること、そして、「今できていること」に安心して停滞することなく、常にわが子に必要な課題をみつけ、親子で挑戦する好奇心と意欲を持って育てていってほしいと思っています。
by k-onkan | 2017-08-31 18:44 | 名誉団員・卒業生 | Comments(0)

音感の指導をしても好かれていい!

先日、地方のある保育園でこんな話を耳にしました。それは、「木下式を指導する担任は、教育やしつけに対して厳しいので、子どもたちが優しい副担任に逃げ込んでしまうが、担任は憎まれ役だと腹をくくって頑張っている」ということでした。

e0143522_18595647.jpg確かに、保育園のようにクラスに担任がと副担任、そして、補助の先生がいる教室では、担任がしっかり指導する分、副担任や補助の先生が、優しく接して、バランスを取ることもあるでしょう。ちょうど、古きよき時代の少し怖いお父さんと、優しく間を取り持つお母さんのような関係かもしれません。

ですが、私は、担任の先生にも、音感で教育やしつけを妥協なくする代わりに、遊びの時間や自由時間に、思いっきり子どもたちを可愛がったり、スキンシップを取ったり、優しい言葉をかけていただきたいと、お伝えしています。

古き良き時代なら、お父さんが「頑固おやじ」で家族に優しい言葉のひとつもかけなくても、一生懸命、外で働いてく経済的に家族を支えてさえいれば、それでよかったかもしれません。それでも、時々、子どもがぐれたり、家族が崩壊したりすることはあって、寡黙で厳しいお父さんの全てが許されたわけではないようです。

そして、今や実のお父さんでさえ、わが子との絆を深めるために、一緒に遊んだり、お風呂に入れたり、家族旅行をしたり、子どもに「お父さん」として受け入れてもらうための努力をします。

木下式音感教育法を担当する担任も「厳しいところ」ばかりを担当するのではなく、おおらかな愛情で、子どもを可愛がらないと、子どもに嫌われてしまうこともあるかもしれません。子どもに心を閉ざさせてしまうとどんなにいい教育やしつけをしたいと願っても、受け入れてもらえないこともあるでしょう。

実は、私も20年ほど前は、音感を教える際は、厳しくても、教えるべきことを教え、責任を全うしていれば、いつか、子どもはそれを理解してくれると信じていた時期がありました。しかし、それが子どもに伝わるには、8年以上の年月が必要でした。それほど、長く子どもと関わる時間があるなら、いつか、互いを理解しあえることも可能ですが、幼児期の数年間の限られた時間で、関わるなら、直接、「子どもが頑張ると先生も嬉しいこと」を子どもの理解できる言葉で伝える必要を感じます。

また、私も木下先生も、音感を教える時間以外は、かなり、子どもに甘い大人だと思います。毎年、木下先生が、千葉の海に、長く楽院に通っている生徒や、合宿で特に厳しく鍛えている子たちを招待するのは、少しでも楽しい思いをさせることで、楽院の先生たちに心を開けるようにと、思ってのことです。

幼い頃から、保育園などに預けられているお子さんたちは、どんなに恵まれて親御さんから愛されていたとしても、それでも、やはり、大人の愛情に飢えていると感じます。それは、夏休みは毎日、母親と一緒にいた甥兄弟を見ていて感じることです。

甥兄弟は、中学2年と小学2年とずいぶん大きいですが、常に「お母さんは、にぃにのことばかり、勉強を見たり世話をやいている」とか「お母さんはKちゃんにばかりやさしくして、少しはボクにもやさしくしてよ」などと、はたで聞くと恥ずかしいことを理由に愛情の取り合いをしています。保育園に通うお子さんは、もっと年齢が幼く、親御さんと離れている時間が長い分、愛情やスキンシップ、優しい言葉がないと荒んでしまいます。保育園で関わる先生は、音感を教える時間は、厳しくても、それ以外の時間は、面白かったり、優しかったり、子どもに好かれる先生でいていいと思うのです。

親御さんが、他人の愛情を必要としないほど、べったり手元で可愛がった時代なら、「おけいこごと」や幼稚園保育園の先生は、厳しさだけを担当すればよかったかもしれませんが、今や、教育もしつけも幼い頃から、親以外の幼稚園や保育園の先生やお稽古ごとの先生が担当するなら、「先生」と呼ばれる私たちも、厳しさだけでなく、親が持つ優しさや甘さも、兼ね備える必要があるかもしれません。
by k-onkan | 2017-08-30 19:00 | 保育園 | Comments(0)

木下式の成果は音楽以外で分かる

8月最後の保育園指導がありました。子どもたちはそれぞれ、厳しい暑さの中でも頑張っています。3歳児は全員が自分から声を出そうとして、大きな声で歌えるようになってきました。幼い子どもの音程を正すためには、口先だけのフワフワした歌い方ではダメなのです。

e0143522_193477.jpg4歳児は、それぞれが注目を浴びたい気持ちが強いお子さんと、他人の後ろに隠れてしまう二種類のタイプが多く、クラス全体としては、集団行動が苦手でしたが、それぞれが、「自分から声を出そう」「友達の声も聴こう」とする姿勢が生まれて、成長を感じます。

5歳児は、昼食の後の眠くなりやすい時間でも、集中してレッスンを受けられるようになったと感じたのは、数か月前ですが、最近は、行儀がよくなってきたように感じます。音楽を学ぶにしても、他の科目を学ぶにしても、行儀がいいということは、大事なことです。

さて、秋が近づくと、幼稚園や保育園では運動会の練習が始まると思います。そして、その際に、音感で身に付けた課題が役に立つはずです。現在、子どもたちが体操を学ぶ先生に、担任の先生を通して、「よその園と違うところがあるか」を聞いていただきました。すると、よその園の子どもたちより「動きが速い」「気を付けの姿勢でしっかり立っていられる」「並んで走ることができる」などの感想を頂きました。

担任の先生は、これまで木下式を受けたことで体幹や意欲を持って取り組む習慣が育っていると、喜んでくださっています。実は、木下式が音感教育を通して教えていることは、「音楽の課題」というより、小学校にあがったり、社会に出てから、自分に必要なことを自発的に学ぶための「基礎となる事柄」です。長い時間でも、姿勢を維持できること、目を見て話を聴くこと、大事なことを聞く時は静かにする、などです。こうしたことができないと、どんなに「記憶力」や「理解力」があっても、結果的に点数がよくなかったり、持っている能力をきちんと発揮でいないことがあるのです。
by k-onkan | 2017-08-29 19:03 | 保育園 | Comments(0)

水の事故に思うこと

毎年、夏になると、悲しい水の事故が起きます。今年はとある保育園で4歳のお子さんが溺死したという悲しいニュースがあり、ただただ、「もっと水に対して危機感を持って」と願うばかりです。亡くなったお子さんには、とても気の毒なことですが、若き保育士たちも一生背負っていくには重すぎる十字架です。できれば、時間を戻して、「水の事故」について、もっと口を酸っぱくなるまで指導できなかったのかと、思えてなりません。

e0143522_21291360.jpg幼児19人の水遊びに大人がたった2人。これは保育園がいくら人手不足だと言っても、もう少し、大人を配置できなかったのだろうかと感じます。楽院の夏合宿も、小学生19人と川遊びにいきましたが、引率者は6人もいました。それでも、サンダルを流されたり、子どもが一人で自由に動き回ったりすると、多すぎると感じることはありませんでした。

何より、この事故で一番、残念なことは、幼児たちがプールにいる間に、監督の大人がその場を離れて、片づけを優先したことです。幼児たちにとって「いいこと」より「きれいに片づけられた施設」の優先順位が高い保育園だったのかと、勘ぐってしまいます。

楽院は、これまで、40回近く夏期合宿をして、山や川に子どもたちを連れていっています。その間、事故を起こさないで来られたのは、長年、合宿に引率してくださった山登りのプロやボーイスカウト経験のある方々が、子どもに危険が及ばないように、いろいろなシチュエーションに対応できるマニュアルを作り続けてくださったからです。もちろん、マニュアルだけに頼ることは、危険であり、一緒にいる大人が観察眼や勘を働かせて子どもを監督することが一番、大切なことです。

自然は人間には、計り知れないいろいろなことを教えてくれて、とても貴いものですが、一方で、侮ってしまうと、手痛いしっぺ返しがあることもあります。そんなことをわすれずに、川や海、山と付き合っていかなければと、今年も、思い知らされる事件でした。
by k-onkan | 2017-08-28 21:29 | 児童 | Comments(0)

結果と向き合おう

ご自身も楽院の卒業生であるお母さんが、夏休み明けのレッスンで木下先生から、「息子を甘やかし過ぎ」と注意を受けたようです。

e0143522_2103772.jpg実は、お母さんは私のブログで「海のお泊り会」の様子をご存知だったので、砂浜で手渡されたおにぎりやお菓子をすぐに落としてしまったり、「タネのある果物は食べたことがないから、スイカは食べない」と言ったり、砂に埋められるとすぐに「フー」と悲しい溜息をついて、大人が手を貸すのを待っていた姿を木下先生が不甲斐なく感じたことはすでにご存知でした。そして、「最後まで、子どもが何かをやり遂げるまで待っていなかったこと」はとても反省されていたのです。

でも、子どもが一人で何もできない姿は、大昔に生まれ育った木下先生には、「親御さんの甘やかし」に感じたのだと思いますが、両親ともに忙しく働き、普段は、保育園(学童)や祖父母に預けられる、現代の子どもたちは、忙しい大人の時間で動いているため、「最後まで何かをやり遂げるまで待ってもらう経験」がないようです。

親御さんが手元に子どもを置いて、育てた時代であれば、小学生になった子が一人で何もできなければ、一緒にいるお母さんやお祖母ちゃんが大切して手を貸し過ぎたということもありますが、現代の共働きの子育ては、大人が多忙な上に、そのことが不憫にならないように、家庭でも保育園でも、生活を整えることで、結果的に子どもが「一人ではできないことがある」という事態に陥っているともいえあそうです。

ご家族が甘やかしたのか、最後まで子どもの行動を待てないかは、「同じ事象ではない」かもしれませんが、小学生になっても一人では何もできないように育つという結果は、厳しい言い方ですが、同じです。

共働きのお子さんの多くは、親御さんがたいへん忙しく、その間、保育園や学童に預かっていただくことになります。保育園や学童保育では、働く親御さんの子どもたちが不自由な思いをしないように、みなが平等に、いやな思いをしないように生活を整えられています。

たとえば、子どもが万が一、食べ物を落としても大丈夫なように、余分を考えて用意するかもしれません。そのため、「落としたらもうない」ということもたぶん、ないでしょう。「保育料を払っているから食べられて当たり前」と言われたらそれまでですが、「食べ物を大切にすること」「落としたら、無くなることがあること」などを経験する機会がないまま、子どもは成長していきます。

これが、家庭で起きた出来事なら、数に限りがあれば、家族で分けて食べるなどを経験して、「落とさないように気を付ける」とか、「食べ物を大切にすること」を考える機会があるかもしれません。

現代の子育ては、甘やかしているようで、実は早期から子どもを集団生活に置き、一見、自立させているように見えながら、個々の子どもの発達や成長を観察して、それぞれに適した時間を費やすという大事なことができていないことが、多いようです。

昔は、子育ての失敗は、「甘やかし」が原因でしたが、現代の子育ての心配は、親が子どもときちんと向き合う時間を持てないことにあるように思えます。親御さんが働くことも、人に預けることも、それぞれの自由です。ただし、選んだことには結果があります。その結果に目をそむけずに、子育てやわが子に向き合っていかなければと思うのです。
by k-onkan | 2017-08-27 23:59 | 児童 | Comments(0)

合宿が一番ってホントウ!?

夏休みが終わって久しぶりの小学生のレッスンがありました。今年は、学校行事で尾瀬合宿に参加できなかった女の子が「合宿は、どうだったの?」と興味津々です。もしかすると、「たいへんだった」「つらくて嫌だった」という言葉を期待したのかもしれませんが、子どもたちは「楽しかった」「スタンツがたいへんだったけど」など、興奮気味に話していました。

e0143522_18435463.jpg楽院の長い歴史の中では、どんなに尾瀬合宿で協力して、共同生活をしても、夏休み後半に家族や親せきと楽しい時間を過ごすと、夏休みすぐに開催された楽院の合宿の記憶など薄れているのが当たり前でした。しかし、今年は、夏休み明けのレッスンでも、合宿で取り組んだスタンツの思い出話をしたり、合宿の写真を嬉しそうに眺めたりする姿がありました。それほど、子どもにとって刺激的だったのかもしれません。

これまで、なにごとも受け身でぼんやりしていた男児たちも、夏休み明けのレッスンでは、しっかり目を見開いて、自分から意欲を持って取り組む姿が見えました。たった5日間、寝食を共にしただけで、こんなに変化が見えるのですから「一緒に時間を過ごし、協力する」経験は、大事です。そして、できれば、親子でそうした時間を共有できるのが、理想なのだと思ったのです。

私たち大人は、幼い子どもには「厳しいこと」や「つらいこと」、「理不尽な経験」をさせてはいけないと思いがちです。しかし、常に生活の中で、大人に安全を守られ、たとえ、どんな悪いことをしても、他の人と同じことがする権利があり、同じものが食べる権利があり、同じおもちゃを手にする権利があると、自分の義務や責任を果たすことをわすれて、ただ、受け身で、与えられるのを待ってしまいます。

楽院の合宿は、自分がぼんやりしていたり、大人の話を聞いていないと自分に危険が及びます。たとえば、「肝試し」にしても、山登りにしても、飯盒炊爨にしても、誰一人、ぼんやりしている暇はないのです。そうした経験が子どもには刺激的であり、結果的に「面白かった」という感想になるのかもしれません。

子どもたちの「夏休みの思い出」の作文を読むと、「夏休みは合宿以外は、塾に行っただけ」であったり、「旅行に行って遊覧船に乗ってホテルに泊まって帰ってきた」「みんなで温泉に入った」「~を食べた」など、「夏休みにした出来事」が淡々と書かれています。それもまた、家族で一緒に過ごした貴重な思い出なのですが、やはり、子どもたちには、汗だくになって遊んだり、親子一緒に自然の厳しさを感じたり、心の底から喜怒哀楽を感じる経験が必要なはずなのに、そう思う夏休み明けの児童部のレッスンだったのでした。
by k-onkan | 2017-08-26 18:43 | 児童 | Comments(0)

発達障害について思うこと

発達障害を持つ子どもが、世の中にとても増えていると言われ、いろいろな場所でそれらしき子どもに出会うことが多くなりました。その一方、木下式を教えていると、最初はそれらしきお子さんが少しずつ、その特性と折り合いをつけて、友達と学習できるようになることも目にします。そう考えると発達障害は「改善する」と感じ、「障害」と呼ぶことに、少々、抵抗も感じるのです。

e0143522_11394514.jpg私が子どもの頃は「発達障害」などという診断名はありませんでしたが、「それらしき子ども」はいたと感じます。ただし、親は現代のように医師に連れていくのではなく、親をはじめ、まわりの大人がそれぞれ一生懸命、子どもと関わり、結果的に「働く大人」に育て、社会へと巣立っていたように思います。

ただし、その間、「もっと配慮されるべきだった」「辛かった」と感じた当事者も多くいたことから、この10年ほど、「発達障害に理解を」「その子のありのままを受け入れて」と配慮を求められるようになった結果、一生懸命、子どもと向き合うことさえ、その子のトラウマになるのではと、戸惑いながら子どもと対峙してきたのも事実です。

しかし、最近、発達障害は神経発達のアンバランスが原因であり、治る障害だという医師も出てきたと知り、発達障害の有無に関わらず、子どもを伸ばす基本は、愛情をもって相手を観察し、「丁寧な子育て」「細やかな教育」が基本なのだと、初心に戻っています。

最近は、健常に生まれたわが子であっても、お母さんが自分の赤ちゃんと意思疎通ができずに、「可愛いと思えない」「優しくできない」という方も増えています。まして、発達障害による「難しい一面」を持った子どもに丁寧に手間をかけて関わることは難しいでしょう。でも、親子で関わることで、発達することは、たくさんあると思うのです。

子どもは社会の宝です。せっかく生まれてきた命を丁寧に大事に、細やかに育てることは、とても大事です。障害があってもなくても、私たちは、どこかにアンバランスを抱えて生きています。そして、その凸凹差を少しでも、小さくするために、いろいろなことを身に付けていくのだと思うのです。
by k-onkan | 2017-08-25 23:36 | 発達障害 | Comments(0)

みんなで協力して育てる時代!

知人が所有するアパートで、「赤ちゃんの夜泣きがひどい。自分も、子育てをしたから、赤ちゃんが泣くのは仕方ない。だがあの泣き方は尋常ではない。虐待なのではないか」と、住人から相談があったといいます。

知人は、地域の子育て支援に出向き、どうしたらいいか、相談した上で、不動産業者の立会のもと、お母さんに、「地域の子育てセンター」を紹介して、「できることがあったら言ってくださいね。近くに住む者として、手を貸すつもりはあるから」と諭して、お母さんは何度も涙を流したという話でした。

e0143522_19462760.jpgその話を聞いて、「話を聞いて、諭したからと言って、安心せずに、しばらくはよく観察した方がいいと思う」とお話しました。もし、本当に、「虐待」であって、他人から責められたと感じて、もっとひどく子どもに当たる可能性も皆無ではありません。もし、本当に虐待であっても、通報もせずに悲しい事故が起きたら、そのショックは図り知れません。

その反面、若いお母さんが初めての子どもを相手に、どうしたらいいか、分からず、赤ちゃんが泣いていても、どうすることもできないこともあるでしょう。私の身近にも、お腹を痛めて子どもの母親になったのに、言葉を話さない赤ちゃんとの意思の疎通ができず、親族に預かってもらった話は聞いたことがあります。

これからの時代は、親が家庭だけで子育てをするのは、限界があるのだろうと思います。家族や隣人、地域の人や行政など、気軽に「たすけてください」と言えるようなコミュニケーション能力、そして、子ども時代に、小さい子どもと関わる機会は、絶対に必要だと、再確認した出来事でした。
by k-onkan | 2017-08-24 19:45 | 子育て | Comments(0)

スキンシップは愛情表現だけど

先日、中2の甥が、「友達から、スキンシップが多いよねって言われちゃったんだ」という一言がありました。なんでも、同級生の男子と肩を組んだ時に、そのように指摘されたようです。私は中学生の男児ともなるとそれぞれに、パーソナルスペースができて、たとえ、親しい友達であっても軽々しく踏み込んで欲しくない人もいるのではないか、とそんなことを伝えました。

e0143522_11123992.jpgすると、「これは、お母さんやみんなのせいだと思う」という答えが返ってきたのです。「えぇ?なんで」というと、「小さい頃から、木下家の人は可愛がる時はいつも、スキンシップだったから、ぼくも親しいと思うと、スキンシップが当たり前だと思ってきた」というのです。

確かに、我が家は幼い時は、抱きあったり、撫でたり、と全身で触れ合ってきました。ですが中学生になって、身体も大きくなってきました。そろそろ、親や親族とは言っても触れあいたくない時期に入っていいはずですが、別れ際には、アメリカ式にハグを求めることもあり、身体だけ大きくても、中身は幼いのだと、実感しています。

保育園に教えにいくと、幼い子どもたちが、スキンシップや愛着に飢えていると感じます。音感のレッスンで、音符書き教材の採点をしたりする際に、私の手に触れたり、握ってきたりする子が大勢いるからです。音感を教える私には、保育園の園児全員に平等に触れられる時間がないため、担任の先生に登園の際は握手をしたり、帰りには抱き合ったりなど、スキンシップをお願いしています。

家庭で親御さんと十分に触れあっているお子さんであれば、よその大人とのスキンシップは必要ないかもしれませんが、保育園で担任の先生から生活面から教育やしつけのほとんどを受ける子どもにとって、先生がただ、「うるさくこわい相手」では心が荒んでしまいます。保育園の担任の先生には、愛情を持って可愛がりながらも、「悪いことは悪い」「ダメなことはダメ」と伝えていると、子供が理解できるように、最低限のスキンシップをお願いしています。

子どもにとって、親子のスキンシップは大事だと感じますが、軽々しく異性とスキンシップをするのが当たり前になることは、違う問題が発生するため、園児同士の男女が抱き合っていたり、なめ合っていたりする時には、「それはダメ」と教えています。私が思うに、友人から「スキンシップが多い」と指摘される甥も、同級生の女の子とは軽々しくスキンシップはしていないことを祈るばかりです。
by k-onkan | 2017-08-23 23:11 | 保育園 | Comments(0)

ジョリーフォニクスの公開セミナーに参加しました

今日はジョリーフォニックスの公開セミナーに参加しました。ジョリーフォニックスは、イギリスの学校をはじめ、120ヶ国で導入されている英語の教科書です。その日本語版が、出版されたことから、公開セミナーと模擬授業を受けたのです。

e0143522_19324719.jpg英語を学び、習得する上では、フォニックス(アルファベットの発音)の理解は、大きな鍵となることは、私自身、英語学校に通っていた時に、感じていたことでした。

ジョリーフォニックスはアルファベットが持つ音と形を、低年齢の子どもや、英語が母国語ではない子どもに、教えるプログラムです。アルファベットが持つ音を声に出して言うことで、英単語を読めるようにするというものです。

但し、それぞれの音声をただ声に出して言うだけでは、記憶が定着しないため、お話が用意されています。また、そのお話の中には、同じアルファベットを持つ単語が多く登場して、語彙を増やします。子どもは、それぞれの音を発する時に決められた身体の動きをするので、楽しく発音を覚えることができるそうです。

「文字と音」を説明を通して、目と耳と動きで、覚えて、どんな子どもでも英単語を読めるようにするという言葉に、私は「木下式の音感かるたと似ている」と思いました。なぜなら、木下式は、12個の音を知らせるために、12枚の音感かるたとストーリーと、そのメロディーを発声することで、音感を付けていくからです。

ジョリーフォニクスは、どんな子どもであっても、お話があるため、楽しく、落ちこぼれなく英語の発音を覚えられるそうですが、音感かるたも、最初は、音楽に興味がない子どもでも、反復すする内に意味づけを覚え、正しい声で歌ったり、聴き分けたりできるのです。

ジョリーフォニクスの教材は、もともと、イギリスで英語を教えていた現場の先生二人が、子どもに英語を教える上では、「これだけは絶対に教えなければならない」と痛感したことを、基礎に教育関係の出版社が改良してきたことにも、たいへん、興味深く拝見しました。
by k-onkan | 2017-08-22 19:28 | 教育 | Comments(0)