麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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子供の変化に気づいて!

数日前から、小学校での子供の暴力行為が、年々、凄まじく増えている話を見かけ、私自身が小中9年間に亘って「いじめられっ子」だったことや、現在、中学2年の兄甥が小学生になった当事に、「いじめられた事件」を思い出してしまいました。

e0143522_212161.jpg自分自身の経験から、「一度、いじめられたら、学校ではなるべく目立たずに静かに我慢すること」しかできないと感じていました。そして、外にいる親や親族ができることがあるとしたら、子どもの社会に属するよりずっと前から、その日のために能力や知恵を付けておくこしかないように思うのです。

私と気質の似た兄甥も、幼稚園に入ると「たたかいごっこ」が苦手で、毎日、メソメソして、帰ってきたものでした。その姿を見て、幼稚園でいじめられていた私のことをと重なったのか、父から「いじめられないように、合気道を習え」と、レッスンに通うことになったのです。それ以外にも、「いじめられないためにはスポーツや勉強が人並みにできることも大事」と感じていたので、幼児期から意識して人並みに、何でも満遍なくできるようにすることは、心掛けていました。しかし、そのことが特別視され、かえってまわりから反感を買ったこともあるようです。

小学校に入学すると、毎日、消しゴムがなくなったり、ノートに「死ね」と書かれたりしてくるようになりました。当事、小学1年生で「死ね」と書く子供がいることに私たちは強くショックを受けたものでした。私の子ども時代は中学生になってから耳にした悪い言葉だったからでした。

そんな中、事件が起きました。小一の三学期のある日、11人の同級生が校庭にある高い遊具の上から甥を突き落とし小さな怪我を負ってきたのです。担任から経緯を説明がありましたが、妹には腑に落ちないことがたくさんあったようです。

それは、担任が、甥自身に突き落とした友達を諭すように指導されたこと、そして、その場にいた11人の内、実際に手を出していないお子さんの保護者には、事実も連絡をしないという方針であったこと、また、「他の子がYくんほど発達していないから、いじめられてしまう」というニュアンスが伝えられたことでした。

妹は、「教育の現場で働く者」として、学校の指導に納得がいかず、直接、校長先生にお話をさせていただいたようです。同時に、甥自身も、「もう学校は行きたくない」「担任の先生からの電話も出ない」と、はっきりと自分の意思を表明していました。

私も父も「何のために、合気道を習っているのか」と不甲斐なく思いましたが、「合気道を習っているボクがやり返したら怪我をさせてしまうから」とやり返すことはありませんでした。1週間ほど、学校を休み、気が済んだので、また、学校に行くようになりました。

結局、いじめ防止のために始めた合気道は、低学年の間は出番はありませんでしたが、高学年になって支援級の女性の先生が身体の大きい凸凹っ子が暴れて困っていた時に、後ろからその子を抑えて、合気道が役に立ったという話を聞きました。

その話を聞いた合気道の先生から「合気道は、人をあやめることもできる武術なので、気を付けるように」とのご注意を頂きました。もし、自分なら「自分より、大きい人も倒せるなんて、すごい?」と調子にのってしまうところですが、甥には「自分が他者を制する力を持っていること」を実感した瞬間に、諌めてくださる指導者が存在したことに、深く感謝したのです。

私たちは、誰にでも「いじめられたら、やり返せ!」といいたいわけではありません。しかし、大声で泣いたり、思わずやり返したりなど、相手に対して「これ以上はやめて!」という意思を見せられる強さは大事だと思うのです。

もちろん、わが子がいじめられないためにも、「いじめっ子」を育てないという考えも大事です。しかし、実際は、大人の世界にも存在する「いじめ」を、子供の世界だけ否定するのは、無理があると感じます。「自分と違うものを排除しよう」とする感覚は人間には、だれしも持っているものかもしれませんし、子供は大人のする通りを見ていて真似るものです。いじめられっ子は、いじめっ子が好ましい指導によって、改心するまで待つ余裕はありません。自分に近い子供が、学校で、理不尽な目に合っていないか、気づく大人でありたいと思っています。
by k-onkan | 2017-10-30 21:01 | 児童 | Comments(0)

他の誰かにはなれない!から

楽院では、最近、生後8ヶ月から2歳までのお子さんが通う「望クラス」が充実しています。もしかすると、楽院の生徒の中で、一番、人数が多いのが赤ちゃんの年代かもしれません。望クラスに通う母子は、1年先輩、2年先輩の母子の行動を見て真似て、より早い時期に、いろいろなことができるようになっていきます。

e0143522_19543268.jpgその様子を見ると、縦割りの年齢で関わると、母子ともに、子育ての少し先を目標にできて、大事なことだと感じます。但し、親子が「同じ価値観」を持って、同じようなことを目標に育てたいと思っている時に限るのですが……。

現在、2歳9ヶ月になる孫弟子のAちゃんは、楽院に1年半通う間に、いろいろな母子と一緒のクラスを経験しました。その姿を見てきた後輩のとあるお母さんが、「うちの子もこのまま、成長したらAちゃんみたいになれますか?」との質問を口にされました。

楽院で教える知育課題や、言語力、歌唱力、音感能力は、私たちが責任を持って教えるので、Aちゃんと同じことができるようになるはずと、お約束できます。しかし、それ以外の生活習慣や躾については、同じ家庭は一つもないので、それが、どう影響するかはわからないと言えます。

たとえば、同じ両親を持つ子供であっても、誰ひとり、同じ環境で同じようには育ちません。まして、両親も違えば、生活環境も違ったら、それぞれの子どもが出合う試練も違います。言い換えると、「同じ教育」を与えた成果は同じになっても、「気質」の違いは教育によって、替えることはできないように思うのです。

たとえば、Aちゃんは、両親ともに卒業生で、小さい頃から、楽院に出入りしているので、言葉がとても鮮明です。木下式が望む「50音はすべて共通した響きを持つ」を2歳児でありながら、すでにほぼ完ぺきに習得しています。

しかし、この子にも弱点があります。それは、繊細で気が弱い面があることであり、この気質はお母さんの兄である伯父さんと共通するものを感じます。但し、伯父さんより、早い時期に楽院に通っているため、いろいろな体験をさせ、繊細で気弱でも、自分で乗り越えられる強さを持たせたいと、現在、鍛えているところです。

「Aちゃんと同じになれますか?」と聞いたお母さんの一人娘は、これから保育園生活が始まります。保育園に通うことで、母子離ればなれになって、お母さんは辛い思いをするかもしれませんが、娘はよその人にも愛想をよくして、もしかすると、お母さんよりも世渡り上手に育つかもしれません。3歳までお母さんとべったり生活したAちゃんにはない、強さを身につけることもあるはずです。

子育てをしているお母さんは、「他人の子どもの性質がよく見える」もののようです。活発な子供を持ったお母さんは、おとなしい子を見ると「静かにできていい子ですね」と言われますし、おとなしい子のお母さんは、身体がよく動く子を見て「自分の子は動きが足りない」と心配になったりします。

でも、それぞれに長所もあれば、短所もあります。活発な子は好奇心に満ち溢れている分、落ち着いて行動するのが苦手だったり、静かな子はおとなしく本を読んだり勉強が好きな分、身体を動かすのが不得手で感覚的に行動できないなど、長所と短所が存在します。だれ一人として、長所ばかりを持つ人間などいません。そう考えると、人をうらやむより、もっている手札で勝負できるようにしてあげたいと思うのです。

自分の持っている手札で勝負する!というと苦手なことを一切やらなくていいと思われそうですが、苦手なことでもコツコツ地道に続けた方がいいと思います。得意なことと不得意なことの差が大きければ大きいほど社会では生きづらくなるように感じるからです。

そして、「よその子供がうらやましい」とお母さんが感じた時に、忘れないでいただきたいことがあるのです。それは、わが子がよその子になれないように、親御さん自身も、よその親御さんにはなれない、ということです。ぜひ、自分に似た気質を持つわが子を、「自分とそっくりな長所も短所も愛しい」と思っていただきたいのです。それを認めた上で「長所は伸ばし、短所については、どのように、上手に付き合うか」を一緒に克服していただきたいと思うのです。
by k-onkan | 2017-10-30 19:53 | のぞみクラス | Comments(0)

外交の話題も子育てに役立つ!?

同級生の孫弟子のAちゃんとBくんの関わりを見ていて、子供を育て社会に出すことは、国際外交と似ている、と感じます。私たちは誰も、争いごとなどしたくありません。また、自分のまわりには気が合う人、好きな人にだけ、いて欲しいものです。しかし、実際は、突然、喧嘩を仕掛けてくる人がいたり、自分が悪いのに、責任転嫁をしたり、意味なく逆ギレをされることもあるかもしれません。

e0143522_1448762.jpg
ずいぶん前になりますが、「お友達の嫌がることをしない」と言った政治家がいます。確か、「隣りの大国が嫌がることをしなければ、相手もこちらにマイナスなことをしない」という意味で使われた言葉だったと記憶しています。しかし、そうしたことが通用するのは、「お互いに礼を尽くし優しくし合う」というルールや価値観が共通する場合のみなのです。

実際は、外交の相手は、異なる文化、異なる価値観、異なる常識を持っています。その中で、「これだけは、絶対に受け入れられない」という自分の意思を「NO」とはっきり伝えられる強さは、外国に暮らしたことがある私は、絶対に必要だと感じます。

国際社会の中で、経済力のある国もあれば、教育熱心な国もあるでしょう。軍事力がある国もあれば、資源がや農作物が豊富な国もあるでしょう。貧しそうに見えても人間らしい生活を大事にしている国もあれば、戦争をしないと誓う代わりに、国民一人一人が自宅に武器を持っている国もあり、それぞれの国は、それぞれの強みで他国と関わっています。そして、それは、私たち人間にも同じことが言えるのではないでしょうか。

たとえば、勉強によって相手に一目、置かせる子どももいれば、スポーツが得意で、相手に、尊敬されることもあるでしょう。もしかすると、武術をきわめて「自分に手を出したら、いつでも相手になるぞ」というポーズを見せるのも、自分を守る術になるかもしれません。

子供に何を与えて、どんな能力を強みに社会に送り出すかは、それぞれのご家庭と親御さんの考え方しだいです。しかし、個人的には、いつまでも、大国に守られる「パラサイトシングル」のような甘えん坊の国や、社会のルールを無視し、他国から人を誘拐したり、恫喝して金銭を要求したり、無鉄砲にミサイルを打ち上げる、そんな独りよがりの独裁国家のような子どもだけは、できれば育てないでほしいと、願っています。
by k-onkan | 2017-10-29 14:48 | しつけ | Comments(0)

子供よりショックなのはお母さん!?

久しぶりに同級生の男の子のクラスに一緒に参加したお母さんは、娘のAちゃんが、ポカンと軽くですが、叩かれたことにショックを受けてしまいました。「Bくんママも、Bくんも前からよく知っていて、いい子だと知っているのに。それでもAがポカンとさて、これほど自分がショックを受けるとは思わなかった……」と顔面蒼白になってしまいました。

e0143522_10564162.jpg「こういうときは、どうしたらいいですか?」とAちゃんママから質問されたので、少しきついとは思いましたが、常日頃、「自分には、本当のことを言ってください」と言われているので、「これくらいでショックを受けていたら、もうすぐ始まる保育園生活でお母さんの心が折れてしまうかもしれない」とお話しました。

Bくんの肩を持つわけではありませんが、ポカンと手をあげた時に怖い声で「ダメ」と叱りましたが、内心、「加減は知っている……」と感じました。大勢、子供がいる場所には、全力でたたく子どもも、残念ながら、存在するのです。

そして、手をあげるのが日常茶飯事になると、子供もそれなりに対処法を覚えるものです。時には、叩かれて叩き返すこともするようになることもあります。「とにかく、子供の世界ではお互い様なことが多い」ので、「自分の子どもだけが、被害者と思わないように、心を強く持つことをお話しました。

一般に、親というものは、自分の子どもだけが、いい子で優しくて、ひどい目に合っている、と思いがちですが、子供はそれなりに、やり返したり、言い返したり、強くなっていきます。そして、いつ、自分の子どものことで、よそ様に謝まる機会がやってくるか、分かりません。自分の子どもも、相手の子どもも、双方の気持ちを慮りながら、大人として、「ダメよ」とか、「やめて」等を、冷静に平等にいうことも、大事だと思います。

子育ては、学校のテストと違って、「間違えないようにしよう」とか「無駄なことをせずに、効率的に学ぼう!」などということは不可能です。子育てのいいことは、間違えたら軌道修正をすればすむことです。そして、どんなに無駄のように見えても、無駄なことは、何一つないと思うのです。たとえ、子供にとって、間違えたり、マイナスに見えることさえ、そこから、何かを学び、子供の成長の糧となることを忘れないようにしたいものです。
by k-onkan | 2017-10-27 23:56 | のぞみクラス | Comments(0)

手をあげる方もつらい!

最近、それぞれ別にお稽古をしていた1歳8ヶ月のAちゃんと1歳10ヶ月のBくんの二人を一緒にレッスンする機会を持ちました。それぞれ、発達し成長が見えることから、久しぶりに顔を合わせたら、どんな反応を示すか楽しみでもありました。

e0143522_10375640.jpg一般に、同じ年齢の男の子と女の子では、約1年から1年半、脳の発達に差があると言われています。同じ年でも、女の子の方が、言葉を理解していたり、発達が早いのは当たり前なのです。しかし、子どもはそんなことを知りません。最初は機嫌よくしていたBくんですが、自分より色々できる女の子の存在に少し気持が荒れたのも事実です。

女の子が椅子に座ると、頭をポカンと軽くたたいてしまいました。決して、強い叩き方ではなかったため、女の子も「???」と不思議な顔をしただけでした。「叩いちゃ、ダメ」と低い声で注意されたBくんは「ギャー」と泣き、更に気分が荒んだようです。お母さんは「最近、どこへ行っても、謝りっぱなしで……」ととても悲しそうでした。

幼い子供が相手に手を出す時は、たいてい、自分の気持ちを表現できる言葉がない時が多いものです。たとえ、短い言葉でも「ダメ」とか「どいて」など、自分の感情を表す言葉を知っていれば、それを口にしますが、どうしていいか分からないと、つい手が出てしまうものなのです。幼い子どもでも、歩けるようになって、自我がはっきりしたら、自分の気持ちを表す言葉を一日も早く育みたいと、私が思う理由が、これなのです。言葉で説明できれば、手は出さなくて済むのですから――。

よく幼稚園や小学校で、鮮明な言葉で生意気なことをペラペラ話せる女の子に対して、言葉が足りない男の子が思わず、手を出してしまう場面を見かけますが、これも、口では女の子にかなわないから、手をあげて怒りを表現してしまう悪い例と言えるでしょう。

Bくんのお母さんに話を聞いてみると「どいて」という言葉を、子どもに使って欲しくなかったので、教えたことがないとのことでした。たとえ、お母さんが使ってほしくない言葉でも、日本語の辞書にある言葉は、教えてほしいとお伝えしましました。

お母さんが失礼に感じる行動を表す言葉を全部、排除していったら、子供は自分の近くで起きていることさえ、言葉で説明できなくなってしまいます。また、子どもに「悪い(失礼だと感じる)行為を意味する言葉」を教えたからといって、その行為をすぐにするわけではありません。むしろ、きちんと、言葉を教えて「こういうことは、してはいけない」と伝える方が、理解できるはずです。

木下式の音感かるたには、「しかられた」「らんぼうはやめよう」などの言葉が使われています。親御さんの中には、「子どもに教えたくないこと」だと思われる方もいるでしょう。しかし、幼稚園、保育園の生活の中では、少なからず起きることだから、「らんぼうは、していいかな?悪いかな?」と尋ね、子どもぁら「ダメ」「いけません」という言葉を引き出して、「らんぼうは・やめようの・ラ」に結びつけることで、躾面でも、「らんぼうはしてはいけない」と概念づけているのです。

「わが子に優しいお母さんでありたい、純粋に子どもだけを見つめていたい」というお母さんの気持ちも、なんとなく想像はできますが、実際、子どもはすぐに、お母さんから離れて、社会に出ていくものです。その時に、よその人と意思疎通ができるためには、いろいろな体験を持ち、いろいろな言葉を持っていることが大事です。

子どもがどんなに悪いことをしても、怒らず、ひたすら子どもの気持ちに寄り添い、優しく受け止めていると、子供はどんどん悪い行動をするようになっていくものです。子供に「喜怒哀楽」があるように、どんなに優しい親にも「喜怒哀楽」があるものです。それを知らせることは、悪いことではなく、人間、それぞれに尊厳があることを知らせるいい機会だと感じます。

「嬉しい気持ち」「怒っている気持ち」「哀しい気持ち」「楽しい気持ち」は、人間が当たり前に持っている感情です。これを、「大人だから」「親だから」と不自然に隠していると、子供は、親はどんなつらいことがあっても強くて、いつでも、自分のわがままを受け止めるのが当たり前と勘違い、傲慢になっていきます。子どもは強くて愛情深く優しい親御さんほど、わがままでワカランチンに育っていくことを忘れないようにしたいものです。
by k-onkan | 2017-10-26 23:36 | のぞみクラス | Comments(0)

子供の問題行動はだれの責任!?

ネットで、2年前の記事が回ってきました。それは、「2014年度に全国の小学校で起きた児童の暴力行為は前年度比572件増の1万1468件と4年連続で増え、過去最多を更新したこと」を文部科学省の問題行動調査として、発表したものでした。

e0143522_18553729.jpg小学校での暴力行為の内訳は「児童間の暴力」が最も多く、その次は「教師への暴力」、「器物損壊」となっています。小学校で問題行動が増えた背景については「同じ学校で繰り返し暴力行為が発生したり、同じ児童が複数回暴力行為に及んだりする」「感情のコントロールがうまくできない児童が増え、ささいなことで暴力に至る」との回答があったようですが、この翌年の2015年は、1万7千件に増えているそうなのです。

中学、高校の問題行動が減り、その分、小学校に増えたことから、問題を起こす子どもの気持ちに寄り添って、早期にカウンセリングなどで対応することが大切と記されていましたが、子供が荒れる原因の多くは、親子関係が良好でなかったり、家庭内で子どもの尊厳が保たれていないなどもあるように、個人的には感じます。本来、子どもが認められたい、愛されたいと願う相手は、両親をはじめ、親族です。但し、その家族が、機能していないと、子どもは諦めて家庭の外に愛情を求めたり、荒れたりするように思うのです。

「荒れた小学校」の話を耳にすると、幼児期に音感教育を行なうことの意義を感じます。幼児期の音感教育は、小学校就学にあたり、「学習の土台」を育てることができるからです。先生が前に立ったら注目する、先生が話している間は、静かに聞く、先生の指示を理解する、先生の指示に従うなど、大人にとっては当たり前のことでも、子どもは知らされていません。そして、これができない子に、小学校で学ぶ内容を習得させるのは、無理があると思います。

よく「幼児期は十分に遊ばせてあげたい。小学校に入ったらいやでも勉強しなければいけないから」という意見を耳にしますが、小学校で授業内容を無理せず理解するためには、事前に、学ぶことに好奇心が育っている必要があります。また、文字や数字の存在も、多少は知っていて「ぼく、それ!知っている」と言えることが大事です。

子どもは、「今日から小学生」と言って、いきなり「ヨーイドン」で勉強に向けて猛ダッシュできるわけではありません。もし、傍から見て、「勉強ができる!1」と思われるお子さんは、就学前から時間をかけて、学習する準備がしてあったはずなのです。 「学校」という勉強する場で、勉強もできず、スポーツも得意でない子どもが、まわりから一目置かれるためには、問題行動を起こす以外ないかもしれません。そう考えると、すごくかわいそうな気持ちになります。

思えば、私が、小学校1年の時のクラスにも力で人を従わせる、乱暴な男児がいたことが思い出されます。1年生とは思えないほど身体が大きくて、新任の先生も言いなりだったことは、大人になった今でも、覚えています。目を合わせたくないほど苦手な相手だったのに、不思議なことに、クラスで唯一、フルネームを覚えているのは、その男児の名前なのです。

その後、1年も経たない内に、転校していきましたが、今思うと、いろいろな方面から、苦情があったのかもしれません。しかし、私が6年、通った小学校では、後にも先にも、問題行動をした生徒は、その1件だけでした。それが、1年間で1万7000人も問題行動を起す小学生が増えているとしたら、それだけ、心が寂しい子どもが増えたということでもあるかもしれません。
by k-onkan | 2017-10-25 23:54 | 児童 | Comments(0)

木下式の成果が分かった!?

大型台風の翌日の保育園指導は、交通にいろいろな影響があったためか、途中、何度か、一生懸命、本気で走る機会がありました。そのためでしょうか、朝いちばんのクラスでは、いつもより、自分の声の調子がよいことに気付きました。

e0143522_216177.jpg長年、この訓練を受けて、人に教えてきた私でさえ、身体を動かした後には、らくらくと声が出るのですから、子どもたちにも、声を出す前に、十分に身体を動かす機会を与え、音感のレッスンの時には、のびやかな声を出せるように、準備運動が大切かもしれません。

1ヶ月近く、保育園の音感がお休みだったことから、3歳児クラスの半数の子どもたちは、「音感のお稽古」の存在さえ忘れていたようです。しかし、幼い子のいいところは、毎週、継続すれば、すぐに、思い出すことなのです。1週間前に比べると、意欲を持って取り組む子が増えてきたことに、嬉しくなりました。

4歳児クラスには声域が狭く、高い声が全然、出なかった男児たちが5人ほどいたのですが、少しずつ、自分から声を出す姿も見られるようになってきました。そして、音感教育のための歌唱曲「ドレミはみんなの仲良しさん」のメロディーであれば、どうにか、全員が歌えるようになってきました。1年前は、「できるようになるだろうか?」と心配した子どもたちも、皆に近い音程で歌えるようになり、ホッとしました。

5歳児クラスは、運動会で歌詞のない難しい曲でダンスを踊ったそうですが、メロディーの違いをそれぞれが覚えて、ピタリと格好よく合せて踊ることができ、応援団の子ども達の声が音感教育を受ける以前と比べて、声の出し方が全く違うことから、「3年間、継続して音感教育を受ける違い」に保育園の先生たちが気づかれたと日誌に記されていました。

この保育園で3年継続して木下式を受けた初めての年長児ですが、つい半年前までは、「自宅で歌う音程が悪い」とか「音感に苦手意識を持っている」と親御さんが心配した子どもたちもたくさんいました。しかし、現在、練習している童謡の最初から最後まで、どの子も、ほぼ音程を外さずに、歌えるようになり、私も進歩を感じています。

運動会の次に、親御さんに子どもたちの成果を感じていただけるのは、12月の発表会であり、年長児が歌う童謡です。練習は、あと4回しかありませんが、少しでも上手にしなければと思っているところなのです。
by k-onkan | 2017-10-24 23:14 | 保育園 | Comments(0)

小学生も、おもしろい・・・・・

小学生の子どもたちには、レッスンの合間に、作文を書かせる機会を設けています。その中で文章を書くことが苦にならない子どもは、どんどん書きますが、面倒なことを好まない子は、数行で終わらせてしまうため、先日は、「麻奈先生に質問したいことを書いていい」と言ってみました。

e0143522_123737.jpg質問の文章は、短くて済むため、低学年の子どもたちが、たくさん文字を書いていました。「麻奈先生に、どんな質問をしてもいい」と言った手前、作文ノートにその答えを自分で書かなければならず、時間を取られていますが、子どもが他の人に好奇心や興味を持つのは、大事なことなので、時間を見つけて、答えを書きこんでいます。

なぜか、同じ質問が複数の子からあり、それは、「麻奈先生は、学校をずる休みをしたことはありますか?」とかいうものでした。「楽院のオペラの練習の時や音楽会の翌日などは、まゆみ先生に「風邪です」と学校に電話してもらってズル休みをしたことがあります」と書きました。

他にも、同じ質問があったのは、「土曜日の午前中は何をしていますか?」とか「日曜日は何をしていますか?」などがありましたが、音感を教える以外に、音感の先生が何をしているのか、まったく想像がつかないのだと、感じました。

そんな中で、小2の甥Kの質問は近しい存在だけに、痛いところをつくものばかりでした。「なんで、麻奈先生は、歌詞を忘れた時に、両手を頭に乗せるのですか?」「どうして、麻奈先生はうそみたいなことをいうんですか?」「なんで、麻奈先生は、こわいんですか?」「麻奈先生は日曜日に何をしますか?」「麻奈先生は、ご飯はどうしていますか?」「なんで麻奈先生はひどいことを、言うんですか?」

親戚ゆえに、私の軽口や辛辣な言葉を批判的に思っているようです。その上、日曜日に一人で何をしているのか、ご飯をちゃんと作っているのかまで、心配されたようで、恥ずかしくなってしまいました。

歌詞を間違った時に、両手を頭にやるのは「失敗しちゃったぁ」のポーズです。嘘みたいなことをいうのは、Kの反応が面白いので、つい言ってしまう悪い癖です。生徒たちが騒いだり、注意してもいうことを聞かない時には、恐ろしいほど怖くなれます。

日曜日は、お掃除をしたり、のんびりしたり、英語の映画を見たり、お友達と神社やお寺巡りをしたりします。晩御飯は、まゆみ先生が作ったお惣菜を持ち帰ることもあれば自分で作ることもあります。最後の「なんでひどいことを、いうの?」には、数か月前に女性議員が、秘書の男性に「バカなのかぁ?」と罵倒した音声が流失して問題になりましたが、甥に「悪い言葉を使わないで」と注意されたような気がしました。

でも、一つだけ、言い訳をすると、真面目に頑張っている子、一生懸命、やっている子には「ひどいこと」など言いません。やればできるのに、真剣にやらずに、わざと私たちを挑発する男児、何をいっても感じないふりをして、一向に自分を変えなようとしないと、女の先生だからと侮られないように、かなり、辛辣なことを言っていますが、誰にでもいうわけではありません。

赤ちゃんの頃は、あんなに可愛かったのに、小学校の高学年ともなると、一部の子どもはかなり、生意気になるものです。その時に、いつまでニコニコと優しい顔を見せているだけでは、子どもの心に響かないこともあるのですが、それを甥が理解するまでに、まだまだ長い時間がかかるだろうと思います。

他には、「いつピアノを始めたの?」「いつから、歌が好きになりましたか?」「木下先生に叱られたことはありますか?」「どこに住んでいますか?」など、「そんなことに興味があるの?」と思う質問ばかりでしたが、その中に、大人がするような質問があり、感心ました。それは、小学3年生のCちゃんのものでした。

「麻奈先生は、セレヘメ…(口型エの発声課題)とオトモロ…(口型オの課題)とカマラヤ(口型アの課題)の中で、何が一番得意ですか?」「麻奈先生は、発声で間違ったときに、いろいろなたとえを教えてくれるけど、どうやって考えているんですか?」「麻奈先生は、どのぐらいで歌がうまくなりましたか?」「麻奈先生が教えるときに気を付けていることはなんですか?」

「セレヘメもオトモロもカマラヤも、どれもお手本ができるように気を付けて歌っています。でも、一番、簡単なのは、セレヘメです」「普段から、色々なことをよく観察して、覚えておくことで、教える時に自然に思い出します」「先生は子供の頃、声を出すのが嫌いだったので、歌もそんなに上手ではありませんでした。でも、5年生ごろには好きになっていました」「教える時は、Cちゃんが違う声を出さないように、気を付けて教えています。それでも、違う声が出ることも……。頑張って!」

そう書き込んでいたら、1年生の男児が「木下先生の子供だから、最初から上手だったにきまってる」というので、驚きました。実は私は歌うことが好きだったわけは本当にないのです。教えこまれて、刷り込まれて、ようやく自分が気づいたら歌うようになったのは、小学校の高学年の頃だったような気がします。

子どもたちとのやりとりは、いろいろなことも観察できて、今の子どもの世界を教えてくれて、本当に面白いと感じます。ですが、子ども嫌いの大人や、子どもとの関わりを面倒くさいと、思う人には、たとえ、自分の子どもの言動でもわずらわしいものかもしれない-----。

そんなことを考えると、寂しくなりますが、人づきあいが好きな私は、これからも、子どもたちの言葉を面白がっていきたいと思っています。
by k-onkan | 2017-10-23 23:01 | 児童 | Comments(0)

悪いことばかり教えてごめんなさい

卒業生ママたちに子ども時代の苦労話をすると、妹からは「末っ子の苦労」が飛び出ました。昔から、きょうだいの誰かが悪いことをすると、母は3人を前に、泣き落としのお説教を聞かせたものでした。

e0143522_23445521.jpgティーンエイジの私たちは、「また始まった」と右の耳から左へと、お説教は抜けていきましたが、年の離れた小さな妹だけは母の言葉を本気にして、泣きながら聞いていたものでした。そして、とにかく「悪いことをしないいい子」に育っていったのですが、その分、私たちほどは親の考えを知る機会がなかったことを気の毒にも思っています。

妹が小学生の頃、両親は益々、忙しく、私たち姉弟で家庭のことを解決していました。妹に対しては、小さな保護者のように感じて学校で不憫な思いをさせないように、「宿題ができない」と泣かれれば代わりにやり、「忘れものをした」と言われれば、学校を抜け出して取に帰ったり、「ピアノの宿題が弾けない」と言われれば、聴かせて覚えさせ、「やってはいけないこと」を全てしていました。

学校の宿題も忘れものも、本当は、誰かが代わりにやるべきではなく、自分でできるようにするために、やり方を教えながら一緒にやるべきでしたが、身体は大きくても、中身は子どもの中学生、高校生が教えられることは、限られていました。

妹の話では、「虫の取り方」や「隣の家のビワの取り方」などの子どものいたずらから始まり、母に「ピアノの練習をした、と思わせる方法」など、ろくなことを教えなかったことを再確認させられました。

母は仕事から帰ると、「ピアノは練習したの?」「宿題はやった?」と確認したものですが、私たちは、練習をしていなくても、「やった」と答えていました。しかし、ピアノの上に乗せた楽譜の開けた場所で、「昨日と同じ場所が開いているから、やっていないに違いない」とすぐに見抜かれたものでした。

そこで私たちは、「ピアノの楽譜は、ページを変えないと、練習をさぼったことがばれる」という知恵をつけたようです。それでも、休みの日に演奏を聴けば、練習をしていないことがばれて、普段の分まで練習する苦労があるのですが、そうした習慣が私の「追い詰められないとやる気になれない」性質を育てていたと思い当たるのです。


当事、手探りで仕事と子育ての両立をしていた母に、いまさら、子ども時代の不満を述べて、責めるつもりはありません。むしろ、負の記憶があるから、現在、妹は甥たちを育てる上で役立てているのでしょう。また、私も音感を教えながら、大勢の子どもたちと、関わり、育てる経験は、未熟だった頃の自分を思い出し、その時、諦めずに関わってくれた多くの方々への感謝を実感するよき材料となっています。
by k-onkan | 2017-10-22 23:44 | 我が家のこと | Comments(0)

自分の経験だから分かること

1歳から通い始めた孫弟子が音感を学ぶようになって、いろいろな面で、「遺伝子の不思議」を感じています。30年近く前に似た性質の親族を教えた経験から、それぞれの子どもの長所ゆえの弱点をエピソードと交えてお話しています。そして、音感教育を受けた子どもが、陥りやすい課題を知っているのは、自分自身が、「わが子のために」と作られた早期教育を受け、そのありがたさも、マイナス点も誰よりも、実感しているからかもしれません。

e0143522_22321923.jpg私が確信していることの一つに、素晴らしい教育法や学びの場を与えることは大切ですが、それ以上に、子どもにとって健全な日常生活の土台をつくる家庭があることが、何より大切だと感じています。

「父が私のために、教育法を作った」というと、誰もが「いかに、親に恵まれているか」と言ってくださるのですが、父が苦労して教育法を編み出していた頃は、私たち子どもにも、苦労がなかったわけではありませんでした。父の仕事を手伝っていた母は忙しく、家庭のことは私たち子どもが判断して、解決していました。

親が働いていれば他に選択肢はなく、仕方ないと分かってはいても、「子どもの知恵」は、小学校、中学校という社会で生き抜くには十分でなかったと思います。特に、公立校で親の存在が見えない家庭の子どもは先生の心象は好ましくなく、成績が悪くなれば、自然と好ましくない道しか残っていないのも事実です。

幼児教育の恩恵は、小学校3年生までは、授業を聞いていなくても、内容が理解できることかもしれません。しかし、それ以降は、自分で努力できないと、幼児教育で培った「貯金」はなくなっています。

小学校の低学年の頃の私は、先生の話をきいていなくても、授業についていくことができていました。しかし、3年生にもなると、まわりが塾通いや家庭学習をはじめ、みるみるうちに追い抜かれていったのです。それまで、先生の話を聞いたことがなかったため、どうやって努力をすればいいか、分かりませんでした。中学生になって塾通いを始めて、なんとか取り戻すことができましたが、小学校での過ごし方が違っていたら、もっと違う道があったのかもしれません。

そんな私たちの経験から、妹は小学校でも、真面目に勉強していましたし、甥たちを公立小学校に送り出す時には、「授業が簡単に感じても、先生の話はきちんと聞く」「授業の邪魔をするようなことをしないこと」に気を付けていました。また、ゆとり教育が終わった今、学校の宿題とは関係なく、少し先を家庭で予習することも、公立小学校で落ちこぼれずに授業についていくために必要だと感じています。

甥たちを見ていると、気質は私や弟妹に似ていても、学校での授業態度や成績はまったく違うと感じます。私はといえば、「やればできるのに、やらない子」と思われていたと感じますが、子供が「やらない」のは「できない」ということなのだと思います。もし、本当にできたなら、自分でやっていたと思うのです。しかし、地道な繰り返しや適時の努力は、家庭で大人が生活習慣を整えることを通してしか、子供に教えることはできないように思うのです。

保育園が増えて、親御さんの目が家庭にない時間が多くなるこれからの時代は、子どもの居場所を見つけることが、いかに大事かを感じています。それは、親の不在に道を見失った子どもの苦労は、誰よりも自分が知っているからかもしれません。
by k-onkan | 2017-10-21 22:31 | 自分のこと | Comments(0)