麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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どっちの水が甘い?

子供にとって親はいくつになっても親であり、頼りにしたい存在です。たとえ、身体的に親より強くなっても、知識が豊富になっても、経済的に一人立ちしたとしても、やはり、親は親だからです。

e0143522_21205214.jpg最近、「反抗期に入った我が子に親の真意を伝えることができない」という相談を受けることがよくあります。共通することは、お母さまにも、お父さまにも、「これだけは我が子に伝えたい」というはっきりとした意思が感じられないこと、「子供に無理強いはしたくない」という遠慮のようなものが見えることに特徴があります。自分が親に無理強いされることが嫌だったのかもしれませんが、それも含めて、今の自分があるのです。生きる上で必要な知識は、良いことも悪いことも、身近な親から学んだものです。次は、子供にその「何か」を伝えていかなければと思います。

ただ漠然と「悪いことをせず、人に迷惑をかけず、日々、有意義に好きな人生を歩んで欲しい。普通でいいから・・・」。親として当たり前の願いなのですが、未熟な子供にとっては、曖昧でよく分からないようなのです。親は自分の人生の良いこと、悪いことを含め、子供に伝える義務があると感じます。子供がそれを知って、自分は「親のようになりたい」と考えるか、反対に「親のようにはならない」と考えるかに差はありますが、そのどちらも、親を基準に子供が自分で考えることです。「子供にえらそうなことをいう自信がない」というのは簡単ですが、自信がなくても人の親になってしまっているのですから、子どもには何かを伝えなければ。そう思うのです。どんな大人にも昔「子供」だった時があることを知るのは、とても心強いことなのです。

父の兄弟は、祖父母の希望もあって、サラリーマンや教師という堅い職業を生業とした人が多く、皆、それぞれ、自分が目指したゴールを達成しています。けれど、一番、「自分の生き方」を子供に伝えたのは、祖父母の言うことをきかずに、一人で東京に出て、「音楽の道に進む」という夢のようなことをいって心配をかけ自分の生き方を貫いた我が父でした。

日常生活が、父の仕事と直結していた我が家は、常に、親の働く姿、苦悩する姿、苦労する姿を見る機会が頻繁にありました。また、親の言うことを聞かなかた分、誰にも頼れないという切羽詰った様子は、子供心にも理解でき、不安や心配もありましたが、良くも悪くも、親の姿から学ぶことが多かったのです。

反対に、子供に何の不自由もかけず、安定した生活を与えたけれど、子供に何も伝わっていないとい嘆く人もいます。「サラリーマンの家庭では、酔っ払ってご機嫌のお父さんか、休日にダラけるお父さんの姿しか見せることができない。仕事の時の真剣な姿を子供に見せてやってくれていたら、何かが違っていたかも・・・」。そんな話も耳にします。子供に苦労をかけないことも親の愛情ですが、苦難に立ち向かう姿を身を持って子供に見せることも、また、親の愛のように思うのです。
# by k-onkan | 2008-10-14 15:48 | 教育 | Comments(0)

浦島太郎?

今日は、三重県のK先生のところへ指導にうかがうため、朝から新幹線に乗って出かけました。往きの新幹線の中、あまりに幸せそうな家族4人が、「ウノ」というカードゲームに興じる声が車両中に響き、とても疲れてしまいました。「パパ、ダメだよ。今は青だよ。青!」「ママ、黄色になったよ」とゲームが佳境に入り、声はどんどん大きくなっていきます。子供の声がするのは、活気があってとても良いものです。しかし、それは自宅のリビングルームであって欲しいと思います。新幹線の車両には、私のように、躾をされていない子供が大嫌いな人間もたくさんいるものです。私たちも、子連れで電車に乗る時は、気をつけなければ!

e0143522_21223998.jpg途中の駅から、若いお嬢さんが乗ってきて、今度は、何度も自分のチケットと私の座っている番号を確認しています。どうも、私が間違って座っていると疑っているようです。でも、声に出して尋ねるわけではありません。仕草で目でそれを訴えます。「私が間違っているかしら?」とチケットを確認すると、どうも相手の勘違いのようでした。「いえ・・・」と隣の座席に腰を下ろします。しばらくして、通路を越えた空席に移っていきました。そして、おもむろに、500ミリリットルの缶ビールをテーブルの上に置きます。

女性がビールを飲んでいけないという法律はありません。私だって、夕方、仕事がすんでいれば、お弁当と一緒にビールを買うでしょう。家なら、一人でも、飲むかもしれません。でも、一人で新幹線に乗った時に大きな缶? その上、太陽が高いうちは申し訳なくて飲めません。誰にも迷惑をかけていないじゃない?と言われるかもしれませんが、周りに警戒感を持たせます。「こんなに飲んで、何が始まるのかしら??」「何かいやなことでもあったのかしら?」「失恋?」「上司とけんか?」こちらが身構えてしまいます。私も、一人の時は気をつけなければと思います。

ふだん、自宅と楽院までのたった2キロしか移動しない私が、たまに世の中に出ると、浦島太郎にでもなったかのような気持ちになります。最近も久しぶりに夕方のラッシュアワーを体験した時のことです。大きな駅で皆が降車しようとする中、「降りまい、降りまい」と流れを逆行する若い女性がいるのです。その強引さに、人の流れが車内に押し戻されるのです。なぜ、一緒に降りて、乗りなおさないのかと思うのですが、「自分はこの駅では降りない」というのがその理由なのでしょう。

私も、若い頃、そういう身勝手な行動をしたことがあるはずです。そんな時、年配の方が「降りる人を通してあげて、それからまた、お乗りなさい」と教えていただき、恥ずかしい思いをして、学んだものです。でも、今は、誰も、そんなことを教えてくれません。寂しいものですね。
# by k-onkan | 2008-10-13 13:53 | 自分のこと | Comments(0)

とうとう、やっちゃった!?

あるところに、お母さんの言うことを聞かない「へそ曲がりの鳩」がいました。いつも、お母さんがいうことと反対のことをするのです。ある時、お母さんが病気になってしまいました。お母さんは自分が死んだら、山の上に埋めて欲しいと願いました。山の上ならば、雨が降っても流されることがないからです。けれど、へそ曲がりの息子のことです。きっと、山に埋めて欲しいと言ったら、低地に埋めてしまうかもしれません。そこで、お母さんは、「私が死んだら、川のそばに埋めておくれ」と子供に言い残しました。息子は、お母さんの言うことを聞かなかった自分を反省し、最後こそ、お母さんの言うことを聞こうと決心します。お母さんの言う通り、川のそばにお母さんを埋めたのです。すると、大雨が降って、川の水が増え、お母さんの亡骸が流されてしまいました。だから鳩の鳴き声は、「トートーヤッチャッター」って聞こえるのよ。親の言うことを聞かないと、いつか自分が悲しい思いをする。確かに耳を済ませると、鳩の「ホーホー」という鳴き声が、「トートー、ヤッチャッター」と聞こえる気がします。

e0143522_2126285.jpg亡くなった友人の子どもたちが、「ママの大好きだった海が見える高台に、お墓を買って、やっと、ママを入れてあげることができるんだよ。だから、今度はオーストラリアに来てね」。そう言われたから、祖母からよく聞かされたこのストーリーを思い出したのかもしれません。「子供に悲しいことを知らせてはいけない」という風潮があります。けれど、私は子供にも、年齢に相応した話し方で、なるべく本当のことを知らせなければ・・・と考えています。人間は、永久に生きられるわけではありませんし、皆それぞれ一緒にいられる時間に限りがあります。親は一般的に子どもより先に死んでしまうものです。そんな当たり前のことを真に知っていたら、自分のことだけでなく、他人の気持ちも考えられる優しい人に育つ気がします。

昔を懐かしむのは好きではありませんが、20年前には、日本人は勤勉で親切な民族だと言われていました。アメリカの大学では、社会学の時間に日本の会社が、皆で協力したり信頼したりして結果を出すことを良い例としてあげていました。けれど、経済的に余裕が生まれ、何でも手に入るようになったら、人に優しくて損をする人より、悪いことをしてでも経済的余裕がある方が良いという価値観が幅をきかせるようになってきたようです。算数や国語という教育以前に、親がしなければならない教育があります。人間としての教育です。それを子供に正しく知らせるためには、大人もやはり日々、努力し続けなければと思うのです。「トートーヤッチャッター」といわなくて良いように。
# by k-onkan | 2008-10-12 20:25 | 教育 | Comments(0)

恵まれているからこそ

先週の音楽会が終わった後に、中国側の指導者が訪問され、「楽院の子供たちと民族楽団の基礎能力の異なりに驚いた」と言われ、基礎能力なく、楽器、特に弦楽器から習い始めることがいかに子供にとってたいへんなことであるかを再確認された方も多いと思います。楽院では、どんなに親御さんが希望されても、「弦楽器を習うこと」を簡単には許していません。それは、自分で音を作る弦楽器は、よほど基礎が定着しているか、両親が音楽が分からないと習得がとても難しいからです。

e0143522_12105663.jpg私に音感を身につけさせたいと、木下式を考案した父ですが、そこには、さまざまな葛藤がありました。母方の祖父母は夫婦で音楽を生業にしていたので、子供たちは皆、幼少より音楽勉強をはじめ、自然に「音感」を身につけ苦労なく音楽の道に進みました。反対に、父は中学生になってから、「君は音楽の才能がある。ぜひ音楽の道へ進め」と薦められたのですが、幼少期に適切な聴覚訓練がなされていなかったため、いろいろな苦労があったようです。「だからこそ娘には・・・」。そう思ったのでしょう。しかし、当時、音感を身につけるための「これ」と言った方法はありませんでした。戦時中に、「音感能力」を鍛え敵の戦闘機の位置を判断させようとする訓練があったことから、「音感教育」に対する悪いイメージもあったようです。育児書を読みあさり、7歳が聴覚の発達の臨界期であることを知ると、手探りで教えはじめました。

近所に住む幼馴染たちを観察しながら、音楽環境のない子供にも抵抗なく教えられる方法はないかと試行錯誤を繰り返したようです。そうして生まれたのが、合唱団の子供も、地方の幼稚園の子供も使う「音感かるた」「歌唱曲」「カラー五線」による連合学習なのです。これによって音楽の基礎(正しい声で歌う、音を聴き分ける、音符を書く、音符を読む、リズム感を持つ)を身につけることができるのです。

一般の音楽教育は、器楽から導入します。正しい声で歌えなくても、何の音か分からなくても、音符が読めなくても、かけなくても、楽器を奏でることを学んでいきます。そんな方法で勉強して、誰もが、音に意識を持って取り組むようにはなりません。音楽に造けいが深い人の子供や、音楽のプロの子供という特殊な環境に育つのではなければ、器楽突入方式で、自信を持てる演奏ができるようにはならないといえます。

平素、「音楽で一番恥ずかしいのは、音程が外れることだ」と指導されている子供たちが申し訳なさそうに「楽器の伴奏は少し歌いにくかったです」と音楽会の感想を書いていました。伴奏の具合によって、歌の上手下手も左右されてしまいます。そんなことが体験できる子供たちは、幸せなのだと思います。せっかく恵まれた環境で音楽の勉強をしているのだから、子供たち、家でピアノの練習もしましょうね!
# by k-onkan | 2008-10-11 23:08 | 音楽 | Comments(0)

人生いろいろ、涙もいろいろ?

10月とは思えないほど暑い日ざしを浴びながらの音楽会を終えて、まだ、一週間しか経っていないのですが、もうずいぶん昔のような気がします。今週、なんだか、体調がすぐれなかったのは、音楽会の後遺症か、それとも、出張が多いためかと思っていましたが、世間でも風邪が流行っているようです。今週はどのクラスもお休みの子がたくさんいました。

e0143522_0355733.jpgそんな中、年少のクラスでこんなことがありました。「風邪で声がかれていますが、連れてきました」というお母様がありました。私たちは、お子様が具合が悪くても、お母様が判断して連れてきてくださった際には、お預かりします。「喉が痛い」「風邪気味」など大病でない時に、欠席してしまうと、重病の時に休みづらくなってしまったり、反対に何事にも休み癖がついてしまうこともあります。

その女の子に「こんにちは~」と声をかけてみると、確かに声はガラガラで、こんな時に、大声を出させると、喉に悪い影響が出てしまいます。そこで、「体操やカスタネット、声を出さないものだけ、一緒にやろうね。後は、静かにしていてね」と言いました。ところが、いつもの習慣だからでしょう。お友達が一生懸命やる姿に、誰よりも張り切って参加してしまいます。声が出にくい時に力んで声を出すと「声枯れ」の原因になります。専門家の大人なら、声が出にくい時には「どのように声を出すと楽か」また、腹式を意識して声を出し、疲れずに声を出すこともできますが、年少の子供に求められることではありません。

そこで、「あのね。喉が痛くなるから声を出さないでいいのよ」すると、目に涙をためて、「やる!」というではありませんか。「あのね、先生は、意地悪を言っているのではなくて、声が出ない時に無理に声を出すと、いけないから」「やだ」。

「やりたくない」と言って、泣く子にはよく出会いますが、「やりたい」と言って泣かれたのは、はじめてで困ってしまいました。そこで、座らせ音符書き教材をやったりして、みんなで取り組む発声課題はやり過ごしました。涙にもいろいろな意味があるようです。
# by k-onkan | 2008-10-10 23:07 | お稽古事 | Comments(0)