麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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もう誘わないから!

「子供の頃から麻奈はしつこかった!」と未だに母に叱られるのですが、私は子供に愛情を示す時にも、しつこくベタベタしてしまう方です。その割りに、自分が忙しくなると目もくれないので、「子供にとっては身勝手な愛情で、絶対にお母さんには向かない」と言われてきました。それでも、周りに集まってくる子供たちは、可愛く、時間があれば、結構世話もやくので、子供たちがいろいろと面白い話をもってきてくれます。

e0143522_2224797.jpgそんな中で、特に身近にいるのは、毎日、顔を合わせる甥です。最近、何気なく、「ねぇ? 私のどこが好き?」と聞いてみました。子供にそんなことを聞く必要もなかったのですが、何かの拍子に軽い気持ちで聞いたのが、いけなかったのです。しばらく考えて「ご飯をご馳走してくれるところ・・・」と言われてしまいました。「え? それが好きな理由なの?じゃ、ご飯をご馳走しなかったら、嫌いってこと?」「ううん。そうじゃないけど・・・」。それでも何度聞いても、「ご飯をご馳走してくれること」というのです。相手は年中ですから、「やさしい心が好き」「頼りになる」など大人顔負けのお世辞を望んでいたわけではありません。「ただ好き」と子供らしい答えを期待したばかりに、そのショックは大きいものです。

さて、この話で思い出したことがあります。それは、昨年のオペラの時のことです。プログラムに載せるプロフィールのために、「自分の親御さんの尊敬するところを書く」というテーマに作文を書かせたことがありました。子供たちは「尊敬!って何?」「すごいなぁ・・・!えらいなぁと思うことよ」「分からない」「じゃぁ、好きなところでもいいわよ」そういうと、「ご飯を作ってくれる」「本を買ってくれること」「自分の世話をしてくれること」というのです。「それは、お母さんやお父さんが、あなたたちのために『してくれること』であって、好きなところとは違うんじゃない?」そう言っても、子供たちは、何も思い浮かばないようです。これを見て、考えてしまいました。「してくれる=好き」というのは、「何かが間違っているのでは?」 他の人の人間性や内面も深く考えるような導き方をしなければならないのではないか? そう思っていたのに、身近にも同じようなことを言う子供を発見してしまいました。

今は、親子の間でも、物質的に愛情を表現することが増え、それ以外の心のつながりが希薄になってきているように感じます。親子で同じ目標をもって、何かに取り組んだり、苦労したりして、お互いの良さや尊敬できるところを見つけないと、「欲しいものを買ってくれる存在」になってしまいかねません。私も外食担当を辞めなければ・・・。
# by k-onkan | 2008-09-20 22:24 | しつけ | Comments(0)

無の中にある「何か」

毎日、学校の帰りにピアノを練習しにくるKくんと、甥のYが、廊下を歩きながら、どちらともなく何か口ずさんでいます。よく聞いてみると「ミミ、ミミ、レレドシラソ、ファシ、ファシ、レレド・・・」と、口ずさんでいるのです。これは、天使のこえ合唱団が、次の音楽会のために練習している「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の冒頭です。「いつの間に覚えたのかしら?自然に口ずさんだりして可愛いわね~」と思ってみていると、「ソソラじゃなくて、レレドだよ」と間違いを訂正までしています。

e0143522_936245.jpgさて、この「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は、ニューイヤーコンサートなどでよく聞く管弦楽の曲です。プロの演奏家の方が、「え、そんなに難しい曲に挑戦するの?」というほど難しいものです。子供が、それも、自分の声で演奏するためには、音程はもちろん、声の響き、音楽性などを統一しなければなりません。毎週、一生懸命練習していますが、音楽会では、ベストメンバーでお送りすることになるはずです。来てくださったお客様に「失敗」を見せることはできないからです。つまり、冒頭に出てきた1年生のKくんや、年中のYが、この舞台に一緒に出してもらえるまでには、まだ、何年もかかるということなのです。

こういうと、「せっかく練習しても、本番に出られないなら、練習に参加させるだけ無駄」と思うお母さんもいらっしゃることと思います。けれど、一緒に練習して、覚え、それを身に付けるまでには、たいへんな時間がかかります。自分一人で結果を出す「独唱」とは違って、合唱は皆で声を聞きあい、指揮を見て、何かを感じ取り表現して成立します。自分だけ、頑張って目立ってもいけませんし、皆と同じことができなくても、迷惑になります。つまり、メロディーを記憶しただけでは、身に付いたことにならないのです。見学したり、一緒に歌ったりして、子供たちは、「あ、この曲好きだな」とか「ぼくも、お兄さんたちと一緒に参加できるようになりたい」。そういう意識を持った子から、仲間に入れるようになっていくのです。反対に、学年が大きくなっても、我関せずで、ぼんやりと見学していると、なかなか参加できる子になっていきません。それでも、「これでもか」「これでもか」と練習に参加させ、少しずつ、できるようにさせていくのが、楽院の厳しいところですが・・・。でも、真に必要なのは、自主性なのです。

これは何も音楽だけでなく、人生についてもいえることです。親や先生に、無理強いされて、取り組んでいる何かは、なかなか身にならないのです。幼児期ならば、大人が、一生懸命努力して子供に成果を出させることも必要ですが、児童部になってきたら、「自主性」を持たせることに力点をおいて教育しないと、目的意識がないまま成長することになってしまいます。

何年も前になりますが、音楽祭の練習の途中で辞めてしまった1年生の男の子T君がいました。それは、「練習に参加しても、難しい曲の時には外されるから・・・」というのが、その理由でした。子供は、楽しく練習に通い、他の子ともとても仲良くしていたので、かわいそうでした。私はこの出来事を見て、お母さんというものは、「自分の子供」のことを大切に思うあまり、一番大事なことが見えなくなる可能性があるのだと感じたものです。

当時1年生だったT君は、お母さんが望むように、大曲にも参加したかったでしょうか? たぶん、そんなことはないと思います。自分の中に確信や自信がなければ、歌えないからです。大人の私たちも、自信のないものにひっぱりだされたら、嫌なものです。合唱団が取り組む曲の中には、一般の子供のレベルでないものが多くあります。木下先生が目指しているものが、もっと高みにあるからです。その期待にこたえ、自信を持って歌えるようになるまでに、何年も何年もの下積みが必要です。「あ。今、木下先生は手で、こんなことを教えてくれている」そういう「あうん」の呼吸がわかるようになった子、「自分も皆と同じように分かりたい」と思った子から、開花する順番がくるのです。そして、それは、お兄さんの歌声を聴いたり、先生の指導を見学することから、自分の中に「何か」が育ってくるのです。教育には、「変化を待つ時間」もまた大事な時間なのです。
# by k-onkan | 2008-09-19 08:43 | 音楽 | Comments(1)

かるたがつなぐ、みんなの輪!

今日は、埼玉県熊谷市にある妻沼幼稚園で年長児59名の子供たちと教諭の方々を指導させていただきました。この幼稚園は、由緒あるお寺に附属の幼稚園で、木下式を実践しているのです。12月の講習会で公開学習をするために、視察を兼ねて指導に出かけました。教諭の方々のほとんどが「人生の先輩」が多いこの園は、若い人を教えるのとは異なる難しさがあります。こういうと、ベテランだから、「上手で当たり前。教えるのは簡単なのでは?!」と思われるかもしれませんが、「慣れ」でできるほど木下式は簡単ではなく、奥が深いから難しいのかもしれません。

e0143522_2320995.jpg一通りの視察を終え、子供たちを借りて、「こんな風に教えてほしい」という授業のあり方を実践して見ていただきました。子供たちは、初めて会う私にも臆せず、楽しそうに授業を受けます。木下式を勉強する子供には、「音感かるた」という共通語があるため、私の言葉がけから、何かを感じ、一生懸命答えてくれます。目を輝かせ学ぶ子供の姿は本当に可愛いものです。2時間の勉強を終え、「音感の勉強して楽しかった人!」というと9割近い子供が手をあげます。一生懸命打ち込んだ達成感があるのでしょう。

さて、認定講師の私が上手に指導して見せるのは当然です。別にみせびらかしているのではありませんが、私の指導から何かを盗んでいただきたいと思うのです。指導する際の、語調、声の出し方、模範唱の提供の仕方、合図などの理論だけでなく、「子供の褒め方・叱り方」「意識を向けさせる話術」、また、子供以上に、真剣に打ち込む姿を見せることによって、子供に一生懸命取り組ませることができるのです。ベテランの先生たちに、いかに「熱く」音感指導を行っていただけるようにするかも、また、私の真剣さ次第だと、深く考えさせられながら帰ってきました。

福田政権ではありませんが、「他人事」では何も生まれません。何かをやり遂げようとするとき、そこには、真剣さと強い願いが必要です。子供の教育も一緒です。何を教えようとする時に「できても、できなくても、どちらでもいい」と思っていたのでは何も身に付けさせられません。

それぞれ、子供には苦手なことがあるはずです。「うちの子は、○○ができない・・・」とただ嘆くお母様と、「できない」と気づいたら、なぜできないか、その原因を見つけ、一緒に付き合い、何とかできるようにと取り組むお母さんでは、圧倒的に後者の子ができるようになります。どんなに「良いお教室」や「良い学校」に通っても、他人事では、できるようにならないのです。子供が幼児のうちは、まず親が自分のこととして考えなければ・・・。
# by k-onkan | 2008-09-18 23:18 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

心の神様、いますか?

幼稚園から帰った甥が「3時のおやつにして」と言いにきました。私はなぜか、「外から帰ったら手を洗う」という約束が、きちんと行われてないように感じたのです。そこで、「手は洗ったの?」というと「うん。ほら」と、濡れた手を見せるのですが、どうも怪しいのです。そこで、手に鼻を近づけてみました。石鹸の匂いがしません。「あ、石鹸つけずに洗ったでしょ? ちゃんともう一度洗ってきなさい」。石鹸で洗った手からは、やわらかな香りがします。「ほら、石鹸で洗うと、その匂いがするでしょ?」子供が約束を守っているかどうか、親が遠くから観察する必要は常にあります。子供が「やった。やった」という言葉を100パーセント鵜呑みにしていると、実は何もできていないことがよくあります。そして、子供は「大人は簡単にだませる」とあなどることも・・・・。

e0143522_2352739.jpg昔から、「母親の勘」というものは、恐ろしいほど良く当たるものでした。けれど、最近は、その神通力が弱っているように感じます。たぶん、勘を働かせるのは、労力が必要だからかもしれません。子供の言葉を信じることは、全てを確認するよりずっと簡単なことです。けれど、きちんと、確認していないと、楽なことに流されてしまいます。中には、「子供を信じているから確認したくない」と感じる方もいるかもしれませんが、それは、残念ながら、きれいごとかいい訳になってしまいます。

私たち大人も、忙しかったり、人が見ていなければ、「これくらい大丈夫」と罪のないズルをすることがあります。例えば、人通りが少ない場所で赤信号を渡る・・・などもそれに該当するかもしれません。人間は、心が弱いものです。「これくらいなら・・・」という誘惑は常にあります。子供ならなおさらです。親も何も言わずに、確認もしなければ、楽な方に流されるのが当たり前なのです。

楽院では合唱練習の時に、だれかが違う声を出すことがあります。そんな時、絶対に、放置しません。一人づつ、歌わせて、誰の声が原因であるかを調べるのです。間違った声を出しているという意識がない子は、正すことができないのです。「先生は聴いている。皆で歌っても誠実な声を出そう」と習慣づけているのです。発声にも目を光らせているから、子供は気をつけるようになるのです。

お母様には、成人するまでは、我が子の行動に目を光らせておいていただきたいと思うのです。もちろん、大きくなったら、口うるさく言う必要はないでしょうが、「お母さんは知っている」と思うことで、自重するのです。親の目が行き届いていると、子供には「そう簡単に誤魔化せない」という価値観が生まれるのではないかと思います。

「このくらいの農薬は米に入っていても、体に毒はない」。そういって、事故米を売ったお役人は、「人が見ていなければ大丈夫」「誰も気づかなければ大丈夫」と思った人でしょう。つまり、自分の中に「正義」を持っていなかったのでしょう。「どんなに利益が大事とはいっても、格安の事故米を、高いお金で食用にして売るなどということは、して良いわけがない!」。そういう声が心の中にあることが、大事なのだと思います。

子供が「良い選択」をするかどうかは、小さい時の親の接し方や概念付けによるものです。「人にみつからなければ、何をしても大丈夫」という価値観の人と、「人が見ていないようでも、必ず見ている。人がいてもいなくても正直に!」と育てた人では、その子供の将来の人間性を左右すると思うのです。たかが、「石鹸を使ったか、使わなかったか大げさだ!」と思うかもしれませんが、物事は、最初のうちに気づくことができたら、それに越したことはないのですから・・・。
# by k-onkan | 2008-09-17 23:58 | しつけ | Comments(1)

動物の子育てに学ぶ!

最近、テレビ番組で、いかに動物の世界の子育てが厳しいかを目にしました。動物は、仔が一人前になるまでに、弱肉強食の世界で生きられるように必要な知識を与えること。そして、獲物が獲れるようになると子離れの儀式をしてよそへと追いやるのです。そして、次は、また同じように、子を産み、育て、子離れをして。畜生と呼ばれる動物ですが、無駄に命を殺めたりもせずに、食べるため、生きるために必要な分だけを捕る様子を見ると、私たち人間よりずっと優れているのかもしれないとさえ思ってしまいます。動物の世界で、人間のように「我が子可愛さ」で、ただ大事に守っていたら、その子にも親にも、将来、困ることが起きてしまわないかと心配です。

e0143522_22401199.jpg連休中に、櫻井よしこ氏と金美齢氏の対談形式の「女は賢く勁くあれ!」を読みました。
「親の甘さが子供を不幸にする」と言う副題で「日本が忘れた躾と教育」について書かれた中に、子供に約束を守らせることがいかに大切であるか、また、親が心を鬼にすることがいかに愛情に裏打ちされた行為であり、子供の願い通りに与えるよりよほど難しいと書かれており、私自身、何度もうなづく場面の多い本でした。

楽院では、入学してすぐは何事にも手取り足取り丁寧に教えます。そして年齢に合わせ、少しずつ、大人の手杖を外し自信をもって取り組めるように育てていくのです。時に、厳しく、しかし、愛情をもって、自立的に音楽活動ができるようにしていきます。それは、一朝一夕でできることではありません。優しいこと、耳障りの良いことだけを言って育てたのでは、親御さんが望む能力を身に付けさせることはできません。本当は、「優しく教え嫌われないこと」の方が簡単なのです。生徒ももっと増えるかもしれません。けれど、その時は良くても、将来、必ず悪い影響が出てしまいます。丁度、20年前、のびのび教育が導入され、現在、学力の低下が起きているように・・・。
# by k-onkan | 2008-09-16 22:39 | 教育 | Comments(2)