麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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時代の流れに逆らいたい・・・

私は最近まで「楽院を信頼して、通わせてくださる方のお子様」だけに責任があるのだと未熟なことを考えていました。楽院の子に厳しいことをいって鍛えることも、ダメなことをダメということも、欠点を見つけ改善することも、「音感教育を行う」という「生業」の一部として精一杯努力して来たつもりです。でも、楽院でお預かりしていない「よそのお子さん」に対しては、愛情が足りないのか、単に口うるさいおばさんに見られたくないのか、自分から好んで注意したくないと考えていました。さすがに、道で危ないことをしていたり、みなで誰かをいじめていたら、「大人として」見ないふりはしませんが・・・。

e0143522_161456.jpgけれど、どんなに楽院の子を鍛え立派に育てても、子供たちが出ていく社会が悪かったり卑怯なことがあったり、常識が常識として通用しないとしたら、うちの子供たちのためにも、「よその子も見ないふりをしてはいけないのかも・・・」と強く感じるようになりました。私たちが子供の頃は、悪いことをすると、知らない人にも叱られたものでした。そういう正義感にあふれた大人らしい大人はどこにでもいたものです。

最近、どこのテレビをみても「おバカタレント」と呼ばれる人がたくさん登場します。そして「おばかも個性でいいじゃないか」と我が物顔です。どんなに「お」をつけても、中身が変わるわけではありません。本来、大学教授や弁護士、政治家などの職業の人たちと対等に軽口をかわすこと自体、いかがなものかと思うのです。こういう職種に就くためには、人一倍努力したり、専門を追求してその肩書きを得ている。それだけで尊敬に値するはずなのに、一緒に茶化しふざけることで、「おばかも弁護士もみな平等・・・」という方向性で、テレビが作られているのだとか・・・。

子供たちに、「勉強して立派な職種に就くより、勉強せずにテレビに出たり、楽してお金もうけができるなら、楽しそう!」。子供がそんなことを思わないように、立派な方には低劣な番組に出ていただきたくないなぁと思います。上から目線でも、高飛車でも、毅然とした態度でいていただきたいものです。人間は一生懸命努力をしても、望むとおりの結果が出ないものです。その努力さえしなければ、レースが始まる前に参加放棄したのと同じことだと思うのです。昔は、あんなに優秀だった「日本人」がどんどんダメになることは、「時代の流れ」だから仕方がないことなのでしょうか。悪いところまで行き着かなければ直らないとしたら、それは、とても悲しくさびしいことだと思うのですが・・・。
# by k-onkan | 2008-06-27 00:00 | 教育 | Comments(3)

家族を見直すチャンスかも~小学校受験について~

「小学校受験について」よく質問を受けることがあります。テレビなどで、公立校の様子を見聞きし、落ち着いて勉強できない様子が報道されたりすると、各ご家庭の教育方針e0143522_23181555.jpgに従って考えるのは大事なことだと思います。楽院では、事前に受験をすることが分っているお子さんには、入学時にお知らせいただき、年中児までに音感能力が定着するよう、ご家庭にも協力をあおぐことになります。能力が定着していれば、多少、欠席をされても問題はないのですが、能力が定着していない内に長期欠席をされると、絶対音感は身につかず、相対音感を訓練することになるからです。聴覚の臨界期である6歳に、近づけば近づくほど定着が難しくなります。楽院の入学可能な年齢が4歳6ヶ月までなのも、この理由によるもので、だからこそ、乳幼児期からの躾や教育の中で試験に臨める「意欲ある子」に育てていただきたいというのが、私たちの本音です。乳幼児期から家庭教育が行われ、ルールや規範を徹底された子は、朝から晩まで塾に通わなくても、平素の生活の中で「受験準備」をして乗り越えているように感じます。

楽院では、音楽教育を通して「先生の目を見る」などの学ぶ姿勢や「先生の指示に従う」等の規律を教えます。また、音感かるたを使った言語訓練は、言葉がはっきりとして、声高位(話し声の高さ)が高くなるため、平素の話し方も鮮明になり、挨拶や返事がはっきりとできるなど、受験に有利だと考えて通われる方もいます。けれど、受験塾に通っても、楽院に通っても、「人任せ」の教育では成功しないと感じます。家族で一丸となって、お父さんの考え、お母さんの考え、子供に対する夢など、いろいろなものを含めた「家族のあり方や教育観」を見つめることが受験の意義なのだろうと思います。

「楽院に通えば受験は大丈夫」。30年近く前によく言われていたことです。実際、たくさんの生徒が私学や国立の名門校に合格してきました。昔の親御さんは良くも悪くも「先生に従う方」が多く「欠点」を指摘すると家庭で努力しくださったものでした。今のように、受験塾もたくさんなかったので、お母さまの努力、労力は相当なものでした。また、素直にアドバイスを聞き、自分も学ぼうとする真剣な方が多くいました。でも、今は、欠点を指摘すると親御さんに叱られるのが一般的なのだとか・・・。楽院は、それでも指摘する方ですが、昔に比べたらしなくなったかもしれません。

楽院の教育は厳しいですが、子供を社会に出すための「基本」だと思います。けれど、いくら、楽院に通わせて厳しい躾や教育を受けていても、家庭で子供に「好き放題」を許したのなら良い結果は生まれないと思います。大人は「試験の時だけ、何とか乗り切ってくれれば」と考えがちですが、子供には無理なことです。何事も平素の通り行動すると思っていて間違いはないだろうと思います。

長年、たくさんの子を見てきましたが、学ぶ意欲のある子は、一目みた瞬間に分かります。教える立場の人間が見て、伸びる可能性があるのは、「自分をわきまえられる子供」「素直な子供」です。どんなに記憶力が良く社会性があっても、大人をばかにした態度をとったり、生意気な言動が見られる子、頭でっかちで人の考えを受け入れられない面があると、伸び悩みが生じるからです。ですから、楽院では、多少、理不尽であっても、子供には「大人の言葉に従わせる」「ルールに従う大切さ」を教えこむのです。でも、若いお母さまには、抵抗があるようで、「キノシタほど高圧的な教室はない」と言われることも・・・。でも、教育をサービス業にしたら、良い結果は絶対に出ないことは、経験で知っているため、どうしても曲げられません。

「試験」と称して子供同士で自由遊びをさせたり、ケーキを食べさせたり、洋服の脱ぎ着をさせるなど、親の力の及ばないところで、「ふだんどのように育てられているのか」を見る試験が多いと聞きます。「何ができるようになっているか」より、学校に入ってから、どれだけ「先生の話を聞き進歩できるか」を見られているのでしょう。「受験する、しない」に関わらず、乳幼児期に両親がわが子の成長や教育について、お互いの考えを話し合うことは、家族の考えを理解する一助になると思います。受験の有無に関わらず、子供の将来のために考える良い機会だと思います。そして、受験に成功したからと、ゴールではないことを忘れないでいただきたいと思います。今度は、その学校の生徒としてふさわしい努力を親子で続けることが大事だと思うのです。公立に通おうとも、私立に通おうとも、意欲をもって学ぶことが楽しいと思えるようにすることが大事だと思うのです・・・。
# by k-onkan | 2008-06-26 00:00 | 教育 | Comments(0)

喜怒哀楽をもって叱っていますか?

「幼稚園の先生より、絶対に麻奈先生の方が厳しい」と甥が言うので、ルネ先生と一緒に「厳しさの違い」を検証してみました。
「楽院の叱り方は「男らしい」のよね。今までニコニコしていたのに、何か悪いことをしたり、やったりした瞬間に「こらぁ!」って突然、怒鳴るでしょ?」
「剣道の時と一緒だよ。園長先生は、いつもは優しいけれど、剣道の時間はコラ!誰だ!って厳しいよ。剣道の時の園長先生と音感の時の麻奈先生が同じくらいの怖さだよ」。
「幼稚園の先生は厳しいけれど、声がおだやかで優しいから、震えるのは子供よりお母さんかも・・・」

e0143522_187337.jpg楽院の叱り方は、木下達也先生の直伝ですから、男らしいのだろうと思います。「ワッ」と叱って、できるようになったら、ほおずりして、自分のことのように一緒に喜ぶ!!いたってシンプルです。子供は叱られても、必ず、できるようにさせてもらうので、大きくなると、安心感もあり、心が満たされます。卒業した子供たちは、「たくさん叱られた子ほど、愛され、可愛がられた」と知っているので、「自分が在学中、どれくらい叱られたか」を思い出話で競います。もちろん、その時は、辛い思いもして、涙も流しているのですが、「正すため」に叱られていることが分かるので、ありのままの自分を受け入れる「ホームグラウンド」だと感じるのかもしれません。

最近、口調は優しく、はっきりときついことを言うという叱り方が主流のようです。大人は優しい言葉で、キツイことを言われることを「怖い」と感じますが、子供は、言葉の理解力が甘いので、いやみや反対表現などは、よほど、言葉に敏感で理解力のある子でないと、大人の真意を測りかねるかもしれません。子供相手の時は、その場の空気をガラっとかえて、その場にいる全員が「あ、怒った!」と気づかせます。「サッと着火して、鎮火させ、子供が行動を改めたら、いつまもでグチグチいわない」。こんな叱り方が効果的です。

子どもは、何度も同じ間違いをするものですが、口うるさくいっても、注意散漫になるだけなので、あえて「失敗をさせて」また叱るという繰り返しをします。「失敗させずに事前に注意したい」という親心もあるでしょうが、子供は自分が意識をもって行動したことしか身にならないものです。同じことをしたら「こら!」。いつまでも、グチグチ言わず、しばらく放置して、また見つけて叱る。この繰り返しです。

叱られる時は、「怒」の感情だけでなく「哀」を見せるのも有効です。私が子供のために、涙を流して、泣いて叱ったのは、合宿で高学年の女の子たちが下級生にスタンツを教える際に、隠れて辛くあたったと聞いた時でした。子供たち全員を大広間に集め正座させ、こんな話をしました。「先生たちは、物を教える時、確かに厳しいと思うわよ。でも、その前に、一生懸命、何度も、何度も繰り返し丁寧に教える努力をするわよね。その後で、本気を出せなかったり、できるのに、やらない子は厳しく叱るでしょ?でも、なにも教えないで、「だめじゃない!なんで、できないの? 」と辛くあたったりしたことは、一度もありません。小さい子が、お姉さんがきついから、自分の班に帰りたくない。幼児班にいきたい」という班にした班長も副班長もひどすぎる。先生は情けなくて、悲しい」と泣いて叱りました。いじめた子、いじめられた子、関係ない子も含めて全員を叱りました。もうずいぶん、前のことです。

いじめてしまった子は泣きながら、「でも、うちのお母さんもこうやって私にものを教えるから、それがいけないことだなんて思わなかったの・・・。ごめんなさい」と反省しました。
「どれほど、情けないか」、先生が泣いて「哀しさ」を表現したので、子供もかなり反省していました。うそ泣きをするつもりでしたが、本当に情けない気持ちになり、涙は自然に出ました。子供にとって「大人に泣かれる」ほど辛いことは、ありません。でも、いつも、この方法を使うと「ママはすぐ、涙で脅す!」と言われてしまいます。泣くほど情けない悪いことをした時のために、使わずにとっておいてください。

子供が嫌いなのが「無視の刑」です。一生懸命、ご機嫌をとって話かけてきます。小さい頃、生意気だった私もよく母に「無視の刑」にあわされました。「あれ?口きかない。たいへん、何を怒っているのだろう?」自分以外の人にも感情があることを考えます。でも、これも、あまり、学年が大きい子にすると、「卑怯もの!」自分の言いたいことも言わず黙るなんて!正々堂々と戦ってよ!」と言った6年生の女の子もいましたっけ。

喜怒哀楽が激しいと「子供っぽい印象が強いですよね。ということは、喜怒哀楽は、子供には必要なのだと思います。最近、喜怒哀楽の表情が乏しい子が増えています。親が平素の生活の中で、喜怒哀楽を示して子供に接するのは、とても大事なことです。楽院の先生がどんなに厳しくても、嫌いにならないのは、喜怒哀楽がはっきりと表現され「いつ喜んでいて、いつ怒っていて、いつ哀しんでいて、いつ楽しんでいるか」が分かるからだと思うのですが・・・。
# by k-onkan | 2008-06-25 18:16 | しつけ | Comments(1)

子供に絶対に教えて欲しいこと

e0143522_22472767.jpg金美齢著「戦後日本人の忘れもの」を読みました。その中で「戦後教育の落し物」として、「親が子供をしつけ、保護し、教育する立場にある」「人は人を助け、人から助けられ生きていく」等など良いことが随所に書かれていました。また、台湾人であるのに、私たち日本人以上に日本についての見識があり、自分が日本人であることに喜びを持たなければいけないのだと深く反省させられました。その中に、「家のルールを守らせれば、社会のルールを守る人間になる」と書かれていました。金美齢さんを真似て、「楽院で守らせるルール」を箇条書きにしてみます。ご家庭でも、似たようなことがないか、冷静に観察していただきたいと思います。そして、見つけたら、毅然とした態度で「○○ちゃん、やめなさい」と叱っていただきたいと思います。子供が大人になった時に「自分の規範」を持てるように、先生や親がいなくても「してはいけないこと」だと身につくまで、地道にコツコツと教え続けることが大事だと思います。

1・唾をはかない
どんな理由があっても、子供につばを吐かせてはいけません。友達や親、他人に対してつばを吐いたら、私なら、お尻を出してその場で「ピン」と叩きます。子供同士の喧嘩や、威嚇、やつ当たりの表現で口からペッと唾をはくのをみたことがありませんか? 人として「他人を敬う精神に欠けている」と思います。目上の人、友人、目下の人、だれが相手でも、絶対にさせてはならないことです。特に、親や先生に対して、つばを吐く時は、「尊敬の念」を持っていない証です。それに、大人が道で「ペッ」と唾を吐くのを見て、愉快な気持ちになる人はいないと思います。子供のうちに「つばをはかないこと」を教えましょう。

2・うそをつかない・人のものをとらない
昔から「うそつきは泥棒の始まり」といって「小さな嘘」を見逃すと、大人を侮り、どんな大事件を引き起こさないとも限りません。親として、教えなければならない最低限のことです。世の中は、自分を中心に回っているわけではありません。しかし、大事にされすぎた子供は、自分の思い通りになるのが当たり前だと思ってしまいます。人のおもちゃだろうが、公共のものだろうが、自分のことだけ考えて使います。人のものを借りる時は、「かして」と言うこと。公共のものを独り占めしたりせずに他人の気持ちも考え行動する子に育てましょう。

3・卑怯なことはしない
卑怯なことをしても、「勝ったもの勝ち」などという若者もいます。しかし、卑怯な手段で、何かを手に入れたり、盗んだお金で買ったものなど、本来は何の意味もないと思います。人が自分のことだけを考え、卑怯なことをして暮すと世の中は悪くなります。弱いものいじめも卑怯ですよね。喧嘩をするなら、正々堂々と!!と思います。

4・大人に口答えしない・すぐに返事をする
子供と大人はどちらが偉いか!といったら、自活して、自分の面倒を見られる大人が偉いにきまっています。けれど、子供は「子供である」というだけで、大事にされるため、「大人に口答えしたり、生意気な言動をしたり、返事をしなかったりすることがあります。これは見逃してはいけません。「呼ばれたら返事をしなさい」「大人に言われたことを素直に聞きなさい」。これは幼児期に平素の家庭生活で教えましょう。年齢が上がり、思春期になるころに、自我が芽生え、口をきかなくなったりする時もくるでしょうが、幼児のうちは、大人に不遜な態度をとらせないように育てましょう。「自分に自信がないから、子供を叱れない。子供に尊敬されない」といわれる親御さんがいます。ならば、自分が努力をしてでも子供の規範とならなければ、子供は何を目指して成長すれば良いのでしょう。

5・自分のすべきことを一生懸命させる
ご褒美や報酬について書いた時に触れましたが、自分のために勉強をできる環境にあることを幸せだと思える子に育てましょう。「親が命ずるから」「先生が怖いから」「ご褒美に釣られて」「親が期待しているから」という理由で勉強する子は、自我が芽生えた時に、「誰のために生きているのか」について悩みます。自分から意欲をもって生きられるように幼児期に教えましょう。

6・大人を尊敬する
「親と子」「先生と生徒」は対等ではありません。親しさのあまり、馴れ馴れしい口を聞いたり、失礼な態度を取るような子供が多くなりましたが、ダメなものはダメです。今は社会にでても、上司の言うことを素直に聞けずに、数ヶ月で退職する新卒社員が多いとききます。幼児期に「親子」や「先生と生徒」の関係で、リスペクトの精神を教えましょう。これがなくなったから、日本人は、学ばなくなったのだといいます。その責任は私たち大人にあると思います。社会は自分ひとりで成り立っているわけではありません。自己を主張しても、人と協調するためには、不遜な態度は禁物です。「勉強ができれば生意気でもいい」わけではありません。「人間として可愛がられる子」に育てなければと思います。

こういうことを基本に、平素の音感授業を行っています。人の答えを見て書かない。友達にいじわるをしないは「ひきょうなことをしない」。友達の声を聞くは「自分のすべきことをする」。先生の指示に従うことは、「大人を尊敬する」に通じるものです。こうしたことを家庭生活でも教えられている子は、音感授業も、抵抗なく受けることができます。反対に、家庭で自由に暮らす子には、「音感授業」は苦痛が多くあるように感じます。

最後に・・・
あまりに当たり前で書き忘れたことがありました。「あいさつをする」です。でも、これまで書いたこと全ては、子供に教える前に、私たち大人が、本当に実行できているか自分を見つめる必要がありますね。私は子供とつきあって、気をつけるようになったことがあります。それは、「子供は、周りにいる大人がした通りのことを真似ている・・・」と感じさせられることが多いからです。大人が身勝手な行動をして、子供に「やめなさい」といっても、効果は、ありません!!良いお手本が示せるように、大人自身が自分の生活も見つめなければと思います。

そういう私も、今週はまだお習字の練習をしていませんでした。一生懸命、生きる姿を示すことはたいへんなことだと思います。でも、やっぱり、大切な人生です。一生懸命生きたいと思います。
# by k-onkan | 2008-06-24 00:00 | しつけ | Comments(0)

餌付け? ご褒美? 楽院のおやつ

e0143522_21595969.jpg楽院は、幼児部の間、おけいこの後に「おやつ」があります。甘いもの、塩味のもの、そして、麦茶です。この「おやつ」は「子供が頑張ったご褒美」です。楽院のおけいこは、皆さんがおっしゃるとおり、長いし厳しいし疲れます。体力的にも、頭脳的にも、です。脳を使い、目を使い、耳を使い、喉も使い、全神経を集中しての1時間~3時間。特に、声を出すと疲労します。私たちもレッスンが終わると、甘いものが欲しくなります。のどもかわきます。大人の私たちでさえ、そうなのですから、子供にもおやつを出します。「こんなに頑張ったから、おやつを食べてもいいわよね」。そんな優しい気持ちでもあります。いつも優しい親御さんからではなくて、一緒に頑張った厳しい先生からの「おやつ」に意味があるのです。

よそで「物が食べられる」ということは、心を許した証でもあります。「同じ釜の飯を食す」という表現がありますが、それぞれの家庭の子供としてではなく、一緒に頑張った友達と「同じおやつ」を食べることで連帯感も生まれます。15年ほど前になりますが、絶対におやつを食べないお子さんがいました。物を習う際に、「心を許さない。素直になれない」ことは致命的な欠陥です。小さい頃から通いながら、音感が身につくのに、人の何倍もかかったものです。おやつだけでなく、授業中も、素直に受け入れない頑固な面があったからです。

親以外の人に心を許せる素直な子もいれば、そうでない子もいます。「一生懸命、頑張らない人にはおやつがこないのよ」と言いますと、泣きそうになりながら「食べるぅ~」と頑張る子は可愛いです。「おやつに釣られる」というと言葉が悪いですが、たった3歳~5歳の子供たちです。「おやつ」に釣られて欲しいと思います。「1切れ1万円のカステラ」もあるようですが、身分相応という言葉があります。働かざるもの、食うべからず。自分で働いて贅沢ができるようになってからにして欲しいかも・・・と思います。

「こんなおやつ、いらない」といった子もいました。きっと高価なおやつを食べるご家庭なのでしょうね。「ケーキは○○のものじゃなくちゃ」という子もいました。でも、これは、子供としては「可愛い気」はありません。「食べなくてもいいけれど、そういうことは言ってはいけない」と教えた気がします。そんな子も、心を許せば「こういうのも、おいしい」と喜んで食べたりするようになります。餌付けではありませんが、心の距離を計るバロメーターになります。

20年ほど前の未就園児の子のお母様にこんなエピソードもありました。最初の授業が終わっておやつを出した時のことです。その子がおやつを口にいれたとたん、教室のドアが開き、お母さまが走って入ってこられ、「何を食べたの?出しなさい!」子供の口を検閲します。口の中のものが、飴でないことが分かると、安心して教室から退室されました。楽院は、2歳児に飴を出したりはしませんが、おやつのお盆が廊下を通る時に、気軽に「おやつは何ですか?」と聞いてくださったら・・・と思います。お母様が、人付き合いが苦手だったのでしょうが、いきなり口を開けさせられた子供の驚きよう、そして、他の子供たちや私たちの方が動揺したことが忘れられません。

説明をしてみると、「おやつ」にいろいろな意味合いはありますが、基本的には、「おやつ」は子供のおけいこに対するご褒美です。ですから、その後、「泣かなかったらミニカー」「喫茶店でアイス」は二重取りです。子供は賢くて、「今日のおけいこ、いつもより、がんばったでしょ?」とか、「お母さんも疲れたでしょ?一緒にアイスクリーム食べよう」と上手に親御さんを誘導する姿を見かけます。でも、考えていただきたいことがあるのです。

ご両親は、何のために、だれのために「音感」の授業を受けさせているのか? ということです。幼児のおけいこごとにしては、「高額な月謝」を捻出し子供に勉強させ、その上、勉強する子供に親御さんがご褒美を出す・・・。何かおかしくはありませんか? 子供が小さいうちに、親が自分の本心としっかりむきあわないと、子供の「考え違い」を増幅させる結果となります。おけいこや勉強は、親のためにしている。ご飯を残さずに食べることもお母さんのため。そんな考えを持つ子に育ててはいけないと思います。

子供は親のために生きているのでしょうか? 
せっかく、この世に生を受け生まれてきたのです。子供たちには、一生懸命生きて欲しいと思います。どんな育ち方をしても最終的には本人の責任になる時がきます。真綿に包み、大事に育て、勉強だけさせるだけでは、子供のためにならないこともある・・・。最近の嫌な事件が教えてくれます。人間としての「規範(行動や判断の基準となる模範)」を教えましょう。残念ながら「勉強」が全てを可能にする「オールマイティのカード」ではないのです。ご褒美や報酬も、ただ、機械的に与えるのではなく、お互いの感情や心、思いやる気持ち、お財布の状態を見ながら、上手に活用したいものです。心の中に、1本筋が通っていれば、細かいことは、臨機応変でいいのだと思います。
# by k-onkan | 2008-06-23 00:00 | しつけ | Comments(0)