麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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音感が邪魔ってどういうこと?

両親が音楽を職業とする環境で育った私は、一般から比べると「良い音楽環境」にあり、気づいたら「ドレミ・・・」を口ずさんでいました。もしかすると、木下達也・まゆみ夫妻の子供という環境でピアノの練習をするだけで、一般で言う音感は自然に身についたでしょう。けれど、木下式は「自分の喉を楽器のように操って正しい音程で歌を歌うこと」を基本としています。音感教育と言っても、ただ「聴き分ける」のではなく、自身で歌えるようにするのです。歌は音楽の基本で、自分で歌えない人はどんな楽器も決して情感を持って演奏できないというのが、木下先生の持論だからです。

「音感がない」ということは漠然とですが、不便だろうと思います。「ピアノの音を聴いて合わせているつもりが音痴になってしまう」「テレビから流れる音楽を聴いて同じメロディーがすぐ口ずさめない!」「カラオケの前奏を聴きながら調子を外す」・・・。音感があったら、日常生活でもっと音楽を楽しめるのにと思います。

e0143522_0101675.jpg楽院に通う保護者Kさんからこんなメールをいただきました。「小学4年の時、バイオリンを勉強しました。自分で音を作らなくてはならないバイオリンは、音感がないと弾けない楽器ですね。「その音は高すぎる」あるいは「低すぎる」と言われても、さっぱりわかりませんでした。 結局2年くらいで、辞めてしまいました。ピアノはドの鍵盤を押せばドの音がしますから、さして問題ではなかったのですが、このところ譜面をみて、自分が思った音と鍵盤の音が違うのです。音感がないって恐ろしいことです」。実は、木下式も「子どもには音感がない苦労を味わって欲しくない!」という気持ちから生まれているのです。これが楽院の強い信念であるため、子供の教室とは思えない「緊張感」「厳しさ」「真剣さ」があるのです。

「音感について」といろいろな話を聞きますが、それぞれの人が、自分の音感能力を基準に論じているように思います。しかし、個々の能力はそれぞれの音楽環境や音楽勉強に対する取り組み、勉強の方法、専門の楽器によって、その鋭敏さや使い方が違うように思えます。
 相対音感と絶対音感、どちらが優れているのか? と聞かれたら、迷わず「絶対音感」と答えます。音を捉える鋭敏さが違うからです。ただし、相対音感を駆使して演奏する立派な音楽家がいるのも事実です。そういう人は、私たちが想像できないような修練や努力を積んでいて、それだけで尊敬に値します。

絶対音感の方が、能力として優れていると言いましたが、幅広く音楽を理解し、演奏をするためには、相対的な感覚も必要です。絶対音感を持つオーボエ奏者から聞いたことがあるのですが、周りの演奏家(他の楽器)が低めに演奏を始めたら、自分もそれに合わせて、音を下げて演奏することができるそうです。さもないと、自分だけ皆の調子から外れることになるからです。絶対音感があっても、相対的な感覚を用いて合わせることができるのですから、「絶対音感」は一般の人が思うように「面倒な能力」ではないと言えるのです。

自分には「絶対音感」があるが、「子供にはあえて訓練する気になれない。自然につけばいい」と言う人もいます。その人は、きっと自身の能力をあまりに「当然」と考え、音感のない苦しみは理解していない人だと思います。誰にでも自然に身についたら、それに越したことはありません。けれど、自然に任せていては、「音感」のない子であふれてしまいます。

「音感があると何でもドレミで聴こえて生活に支障があって邪魔・・・」と言う話を良く耳にします。こういう人は、残念ながら、せっかくの音感能力を「音楽」という段階にまで到達させていない人でしょう。音感を持っていると、それだけで不思議な能力だと、もてはやされることもありますが、能力を用いないのでは、無用の長物です。なんでも、ドレミで捉え、音楽に存在する「ハーモニーの調和」や「旋律(メロディー)の美しさ」を感じられないとしたら、真に音楽を楽しめない人だと思います。

音楽には「聴く楽しみ」と「演奏する楽しみ」とがあります。「音楽」を「エベレスト山」にたとえると、音楽を聴く人は、「遊覧飛行でエベレストの美しさを知る人」。そして、演奏する人は、「自力で山頂まで登る人」です。どちらも、「美しさを楽しむ」ことは共通しています。しかし、エベレストを登るには軽装ではなく、十分な準備が必要ですよね。演奏するためには、「音感」という基礎が必要なのです。
# by k-onkan | 2008-05-06 00:10 | 木下式音感教育法 | Comments(0)

なぜ、辞めちゃいけないの?

e0143522_0183778.jpg楽院は「音楽」を教える教室だと思うでしょうが、それだけではありません。他人との協調、人と助け合い、空気を読むこと、妥協しないこと、信念を持って取り組む、あきらめないこと、地道に頑張ること、人を認めること、他人を尊敬すること、自分より小さいものを助けること、協力して何かを作る、縦割りの人間関係、自尊心を持つこと等など、音楽面だけでなく人として生きる基本的なことも学びます。そう考えると、昔の「寺子屋」のような存在かもしれません。

10年近く前になりますが、あるお母さんが、「親のエゴで通わせ始めた音感のレッスンなので、子供に才能がないと気づいた今、親の意思で辞めさせるのも、親のつとめだと思います」と小学1年生になった女の子のレッスンを辞めさせたことがありました。この子は2歳から勉強をはじめ、人一倍、体の小さい子でしたが、理解力もあり勝気で、子供らしいやる気に満ち溢れた女の子でした。音感も歌唱力も、同学年の中では評価されていたのですが、同じ学年にはYちゃん(現名誉団員)という優等生がいて、いつも後を追っているようでお母様は不満だったのかもしれません。

この親子が、お稽古事に通う一番の目的は小学校受験でした。その年は、楽院の歴史で一番、お受験が過熱した年でした。この子もたくさんのお稽古事に通い、希望通りの小学校に入学しました。そして、楽院の幼児部を修了して卒業するのかと思っていたら、児童部に進級し、その後、急に辞めてしまいました。どうせなら幼稚園卒園に合わせ、楽院も修了すれば、子供にとって、達成感と良い思い出で卒業できたと思うのです。けれど、Yちゃんを追い越せないことに対する八つ当たりのような方法で半端な時期に辞めさせてしまいました。本人はピアノも歌も一生懸命、取り組んでいただけに、自分が辞める理由が最後まで分からず、かわいそうでした。

これが職場だったらどうでしょう? 専門外の部署につかされ、一生懸命取り組み、やっと自信を持てる様になった矢先、「あなたにこの仕事は向いていない。辞めなさい」と言われるような感じではないでしょうか。まだ、大きな失敗もしていない。これから頑張ろうとやる気に溢れている時です。そう思うと、この子が可愛そうで、「今まで、ありがとうございました」と言っているその子の目を見て「がんばってね」と言うのが、とてもつらかったことを覚えています。

お稽古事は、特技になるまで続けなければ意味がありません。年齢が幼い時には、「受験勉強の役に立つから一生懸命頑張れ!」と励ましていたのに、小学校に上がったら、「学校の勉強の妨げになるから、もうやらなくて良い」と姿勢を変えられることは、将来、親に対する不信や不満につながることはよくあります。よほどの理由がない限り、大人のエゴで簡単に始めたり、簡単に辞めさせたりして良いものではありません。もちろん、家庭の事情で、どうしても辞めなければならない時には、年齢相応に理解できる理由を話してあげましょう。恋愛ではありませんが、きちんと終わらせ、あきらめないと、心が残り、先に進めないものです。一生懸命、打ち込んだ子供なら尚更です。うやむやにせず、誠意をもって話しましょう
http://www.kinoshita-onkan.com
# by k-onkan | 2008-05-05 00:20 | お稽古事 | Comments(2)

お預け教育ではダメ!

e0143522_2358865.jpg幼稚園の保護者会から帰ってきた妹から聞いた話です。その幼稚園は、先生と保護者が団結して、行事参加や園に対して協力することが義務付けられている、今時珍しい、教育熱心な幼稚園です。園長先生による親子セミナーや、親子遠足、クリスマス会や運動会には、お母さんが練習して参加する種目もあるそうです。一つひとつの行事は、時間もとられ、苦労もありますが、一度体験すると、その良さや教育意義も理解できる。けれど10人いたら、10通りの考え方があり、中には、「月謝を払っているのに、親がたいへんな思いをして、なぜ、幼稚園に協力する必要があるのか」と不満を持つ人もいるそうです。もちろん、幼稚園の熱烈なファンや、子供を兄弟で通わせるベテランママさんもいますが、少子化の世の中で、年々、園児は減っているため、「母親が参加する行事を減らした方が良いのでは・・・」と問題になっていると言います。幼稚園に理解のあるお母さんは、「どうしたら、幼稚園のために、園児が増えるお手伝いができるのだろう」と悩んでいるというのです。なんだか、どこかで聞いた話で、とても人事とは思えません。教育の場もついに「サービス業の一種」と考えられるようになっているのだと残念に感じました。

本来、教育とは、指導する先生、育てる親、子供が努力して、共通の目標に向かって進んでいくものです。目標は「子供の成長」です。ところが、インスタント食品を安易に手に入れるように、幼稚園選びも、便利で簡単、安いが決め手となっているようなのです。どんなに良い幼稚園でも、自分が協力したり、苦労するのは嫌! それなら、教育をしてくれなくても長時間預かってくれる方が、有難いと考えるようです。教育現場を求めているのではなく、便利な託児室を求めているようです。年に親が顔を出さなければいけないのは2回だけ。子供の様子を見に来る必要がほとんどないという幼稚園に預けて、安心なのでしょうか? 働いてるお母さんが、長時間預かってくれる幼稚園を探すというなら、分るのです。それでも、時間の許す範囲で、関わることは大事だと思います。けれど、自分が楽をするため、子供から自由になる時間を長く持つため、預かり時間が安くて長く、親の協力や参加が最小限なことが良いというのは、どうしても感心できません。

子供の教育は、インスタントではできません。植物が芽を出し、枝や幹が年々太くなっていくように、長い年月が必要なものです。種に水をやったら、すぐに実がなるという簡単なものではありません。幼児教育の怖いところは、幼児期の結果が、後に大きな影響を及ぼすことがあることなのです。

親の姿勢は子供に大きな影響を与えます。特に教育の場にある「無関心」「自分勝手」「ルール違反」はいけません。無関心なお母さんの子が、子供だけ進んで意欲的に参加できるでしょうか? 自分だけ身勝手にふるまうお母さんの姿を見て、わが子だけ優等生になるわけがありません。集団の中で、浮いた行動をするでしょう。お母さんが「いいわよ。これくらい分らないわ」とルール違反やズルをして見せたら、その子の価値観は、「ばれなければいいんだよ」と善悪の判断が甘い子になってしまいます。子供は親の姿をそのまま、素直に学び生きているのです。とても怖いと思いませんか?

「うちは大丈夫。子供の教育にも関心があるし行事にも参加しているから!!」そう思ったお母さん、子供に手を貸しすぎていませんか? 何事もほどほどが大事です。5歳児の競争に大人が手を貸したら、当然、わが子は勝つでしょう。しかし、いつか、大人の手助けなしで地道に努力した子に敵わなくなってしまう時がきます。大人が一緒に競えなくなって、初めて、子供は気づくのです。「自分に力がないではないか・・・」「もう親のやり方に従っていられない」等など。一番の味方である親に反旗をひるがえす時でもあります。「一生、助けるから大丈夫?」そんなことはできません。子供の人生は、子供のもの。「じゃ、やっぱり無関心の方がいいの?」そうではありません。やはり、一歩下がって冷静に、子供の力を観察し、不足がある時には、人並みに補う努力をすることは大事ですが、自分が競ってはいけないのです。お母さん同士のつながりで一番怖いのは、いつしか、子供対子供の競争が、お母さん対お母さんに発展することです。自分の子供を武器に戦ってはいけません。誰が誰のためする努力かが分らなくなってしまいます。

一番大事なことは、親は「大人の土俵」で、努力をしている姿を見せることです。自分が学ぶ姿、真摯に努力する姿、仕事をしたり、家事をしたり、園の行事を手伝ったり、地道に生活する姿を見れば、「努力することが当たり前」だと身につくのです。手抜きをしたり、楽なことへと流されていれば、子供も当然、同じことを求めます。だから、本当に良い幼稚園は、親に手抜きをさせるのではなく、一緒に参加することを求め、子供に「親の協力する背中」を見せようとしているのです。一緒に育てる気持ちがない親になってはいけません。「月謝を払っているのだから、良くしてもらって当たり前」そんな風に思っていませんか? 自分と子供と先生、協力して良くする気持ちがないと、どんなに良い教育機関に預けても、それは「ベビールーム」と化してしまいます。
# by k-onkan | 2008-05-04 00:00 | 教育 | Comments(1)

おんかんの原稿・・・

e0143522_20541085.jpg木下式の機関誌「おんかん」の原稿の締め切りが近づいています。
それなのに、毎日のブログ更新やら、諸雑事におわれ、全然、手がついていません。あぁ、どうしよう・・・。編集長の大垣先生に迷惑をかけてしまう。

ブログを始めた時は、日々、書き溜めておけば、きっと「おんかん」の原稿を書くなんて、「御茶の子さいさい」だと思っていたのです。けれど、31人(現在の一日の最高数)とは言え、読んでくださる方がいるというのに、ブログで書いたことを、再利用するなんて、失礼なことは、できないという、「真面目で融通がきかない自分」に追い詰められています。

このゴールデンウィークは、真面目に、原稿書きをしたいものです。
幸い、この5日間分アップするブログ分は、書き溜めてあるのです。でも、毎日必ずブログに書きたいことがあるのです。こうなると、何時間でもパソコンに向かえる「良い目」が欲しいものです。最近、目と肩が痛いのは、コンピュータースクリーンの見すぎでしょうか? 老眼も、足音を忍ばせ、近づいているような気がします。

さて、機関誌「おんかん」に掲載された原稿が、ブログに再利用してあっても、皆さん、寛大な気持ちで許してくださいね。なるべく、時期をずらしますが・・・。
# by k-onkan | 2008-05-03 12:49 | 発達障害 | Comments(1)

おけいこが人生の糧になるように 

「楽院も小さい頃から厳しくて大嫌いだったけど、卒業したら、どこの教室にいっても厳しいところばかりで・・・」。と嬉しそうに卒業生Yちゃん(14)が言います。夏に参加するオーストリアのスキー強化合宿のことだそうです。今夏は、1ヶ月間、オーストリアに言って、オリンピック選手からスキーを習うのだそうです。「何語で習うの?」「英語・・・」「誰でも参加できるの?」「ゴールドとセミゴールドの人だけで、すごく厳しいらしいの・・・」そう話す声がちっとも嫌そうではないのです。むしろ、そういう厳しい環境でも、自分が能力を発揮できることに充実感や満足感を覚えている様子です。

これを聞いて、「お稽古事」について考えさせられてしまいました。確かに、楽院は幼児の教室としては厳しいところです。それは、私たちが、親御さんからお預かりする子供たちに対して、能力を身につけさせる責任があるため、真剣に子供と向き合うからです。「音感教育」の直接の目的となる「音感能力」「歌唱力」をはじめ、「ピアノ」「合唱」など、音楽大学に入学ができるだけの基礎能力は付けられると自負しています。そのため、「厳しい」「実力主義」と言われますが、世の中の厳しさに比べたら、やはり、子供は守られていて、幸せです。一生懸命、先生や親御さんの期待に答え、歌ったり、オペラに出たりしていれば褒められ尊敬され、充実感があるのですから・・・。

e0143522_0103450.jpg子供たちは、楽院以外にもいろいろなお稽古事をしています。しかし、楽院ほど、はっきりと「成果」が見られるお稽古事は少ないと言われます。それは、子供主体のおけいこごとが多く、本人にやる気があれば伸びるでしょうが、イヤイヤだったり、やる気がないと、なかなか結果は出ないということなのでしょう。楽院のように、嫌がる子供でも、能力を最大限引き出したりはしないのが普通です。楽院では、成果発表で独唱や独奏をしたり、オペラ公演、音楽祭だと、機会を作りそれぞれを鍛えるため、成長しないわけにはいきません。在学中はたいして一生懸命取り組まなかった子でも、卒業後に、一番得意なことが「音感」などと言うこともあります。

しかし、楽院で長きにわたって、厳しさに耐えたと言っても、本来、全ての事柄に、私たちが「音感」を教えるほどの真剣さを持って取り組まないと、真の実力社会で頭角を現すことはできません。よく、髪の毛を赤く染めることが個性だ!などという若者がいますが、真のアイデンティティを持つために、自分にしかできないと誇れる特技が必要です。

Yちゃんは、小さい頃から、何事も堅実に取り組み、自分で結果を出す子でした。親御さんも、手を出しすぎたり、与えすぎたりするのではなく、彼女が自分で考え行動できるヒントを与えていました。勉強だけでなく適度にお手伝いもさせ、欲しいものも欲しいだけ与えたりはしませんでした。ママの苦手なアイロンがけ(だった?)をすると「1回30円」なんだと勤労の喜びを語っていたのが小学3年生の頃でした。名誉団員になった今も、毎週、真面目にピアノのレッスンには通っています。何事も真剣にやるこの子が、将来、スキー選手になるのか、音楽大学に進むのか、キャリアウーマンになるのか、お母さんになるのか・・・。それは、まだ分かりませんが、一つだけ確信を持って言えることがあります。それは、何を選んだとしても、これまで学んださまざまなことを糧に、自信を持って生きていくだろうということです。
# by k-onkan | 2008-05-03 00:01 | お稽古事 | Comments(0)