麻奈先生のブログ~木下式の子育て論~
by k-onkan
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作者について
木下式音感教育法認定講師
  木下麻奈
     
 木下式の基本は、幼児期に「躾・規律」を教え、高度な音楽基礎教育を施すことです。詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.kinoshita-onkan.com

イラスト:「ケイ&シュート」
 By ケンイチ・シライ
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<   2011年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

幼児の力は大人次第

今日は、木下先生と共に、埼玉県の妻沼幼稚園の歌唱指導に出かけました。この子たちは、昨年1年間、毎月、私が指導に出向いて公開学習を迎えた園児たちなので、顔なじみがたくさんいて、とても、懐かしそうに迎えてくれました。

e0143522_13413815.jpg今年の妻沼幼稚園は、例年よりも、歌唱力も理解力も備わっていました。また、何より、全員のお行儀がよくなったことがとても嬉しく感じました。いつもは、最初に一生懸命、取り組んでいても、時間が経つにつれて、集中が途切れ、騒がしくなったりとボロを出していたのです。しかし、今年は、独唱児が指導されている際にも、とても静かに待っていました。何より、木下先生の指導に即、反応して、歌い方を変えられる子供たちの反応の良さに、「今年の妻沼の子供はおりこうだ」と木下先生から褒められる場面もありました。

教諭の方々は、「今年の子供は特別のようです」と不思議そうでしたが、子供が特別なわけではないのです。何しろ、ほんの数ヶ月前の木下先生の視察では、「今年はあまり良くないぞ。麻奈先生が指導に来ているのに何をしていたのだ」と叱られたと同じメンバーなのですから。

この子供たちが、音楽祭の練習で木下先生に褒められるほど急激に進歩したのは、これまで、公開学習や音楽祭のために、コツコツ積み重ねてきたことが花開いたに過ぎないのです。この子たちは、行事の直前に慌てて準備を始めるのではんなく、年中の時からコツコツと勉強を重ねています。そのため、「学ぶとはどのようなことか」ということが備わりつつあるのかもしれません。幼児であっても、「練習はたいへんだが、一生懸命、取り組んで舞台に立つと達成感がある」、そして、「木下先生の指導に応えて、上手になると心地よい」ということを公開学習の経験を通して幼児自身が身を持って体験したのかもしれません。

幼児に物を教えるのは、手間がかかるので、たいへんなことですが、基礎さえ身に付けさせれば、後は、大人と比べものにならない加速度によって物事を習得できるのが幼児教育の強みです。この子たちが、少しのアドバイスで、大人顔負けの情感で歌うようになると、先生たちがよほど、しっかりしないと、子供の足をひっぱってしまう・・・と心配になってしまいます。本番で、この子供たちが、上手にできるかどうかは、指揮者をはじめ、関わる大人の先生次第です。そう考えると、幼児教育とあなどってはいられません。何しろ、大人が少し怠けると、幼児に能力を追い越されたり、幼児の足をひっぱることになってしまいます。幼児以上に指導者の能力を高めることが幼児教育の秘訣だと改めて思わされた妻沼幼稚園での指導風景でした。
by k-onkan | 2011-02-08 13:39 | 教育 | Comments(0)

反復が力になる

音楽祭を2週間後に控え、幼児部と児童部の合同練習が始まりました。特別練習を開始した時には、行儀よく立っていることさえ難しかった幼児が、指揮者に注目して一生懸命、口を開ける姿に「何事も反復練習を重ねることが大事」と思い知らされます。

e0143522_21444650.jpg「独唱ならともかく、みんなで合唱をするために、なぜそんなに練習を重ねる必要があるのか?」と思う方もあるかもしれませんが、40人近い子供たちが1つの音楽を作り出すためには、それぞれが、独唱できる力を備えていなければなりません。たった一人でも音程を外したり、違う響きの声を出すと、それが雑音になって表れるからです。

そのため、幼児たちは、毎回、一人ずつ練習をして、「Aくんが大きな声になってきた」「Bくんは記憶が確実でよい」「Cくんは、お行儀がよくなってきた」「Dちゃんは、誰よりも一生懸命頑張っている」「汚い声を出してはいけない」と、お互いの長所、短所に関心を持つよう仕向けてきたのです。世の中が平等主義になり、順位付けをしたり、子供の良いところや悪いところを指摘することを避ける傾向が強くなって久しくなりますが、子供に何の指摘もせずに、能力だけを上達させることは不可能であると感じます。子供には厳しい訓練ではありますが、その成果が合同練習の子供たちの姿だと感じます。

幼児たちがせっかく、上手になっているので、一人ずつ歌う姿を保護者の方にお見せしなければと思っています。子供は、大好きなお父さんやお母さんが「上手になった」と喜んでくださることで、より上達するものです。たとえ、「よその子の方が、もっと声が大きくて上手」と思ったとしても、我が子の変化と練習の成果を認めて、一緒に喜んでいただきたいと思っています。何しろ、お母さんやお父さんでも、上手に歌おうと思ったら、子供たちほどに練習しなければうたえないほど、難しい曲を歌っているのですから・・・。
by k-onkan | 2011-02-07 21:39 | 幼児 | Comments(0)

知っていると思っていたら・・・

特別練習によって、子供たちと長い時間を過ごすと、面白い話に遭遇します。今日はおやつの時間にこんなことがありました。3年生のMちゃんが、「親戚関係で言ったら、麻奈先生はYのおばあちゃん?」と私に聞くのです。周りの女の子たちは、「何を言っているの?Yの伯母さんでしょ?」「え~?そうだったの?」。本気で私と瑠音先生が親子だと思っていたようです。

e0143522_2229910.jpg「私がおばあさんなら、まゆみ先生はYの何だと思っていたの?」あまりに面白かったので聞いてみました。すると「曾お祖母さんだと思っていた・・・」。長い間、楽院に通っていれば「知っていて当然」のことを賢い女の子が知らなかったことに、みんなで大笑いしてしまいました。

さて、卒業生が、今の合唱練習を見たら、「木下先生は昔に比べて、全然、怒らなくなった」と絶対に思うでしょう。それには理由があるのです。この20年間で世の中の基準が変わり、昔のように親も先生も叱らないのが当たり前になりました。叱られたことがない子供には、木下先生が少し声をあげるだけで十分に怖いのです。ですから、昔のように、ちょっと違う声を出しただけで、コツンとすることはありません。その分、昔の子供たちと比べ、距離は遠いかもしれません。

そんな中、結局、昔と同様に叱られているのが孫にあたるYです。「違う声を出しているのは誰だ。Yか!」といってコツン。正しい声が出せずに悔し泣きをするYに「なぜ、そんなに簡単に涙を流すのだ!男は泣くな!」コツン、と鍛えられています。「Yばっかり殴れられてかわいそう」と思う人もいるかもしれませんが、恵まれた音楽環境に育った故に先輩たちのお手本になる機会も多くあります。そんな時に、友達から妬まれないように、祖父は憎まれ役に徹しているのかもしれません。1年生の分際で第1声部にいることが、「孫だから特別扱いをされている」と思わせないために、特に厳しく鍛え、実力を備えさせているのです。

とはいえ、1年生の子供にそんな親心(祖父心?)が分かるはずはないので、私たちは意図的に「Yは、怖いおじいさんがいて幸せよね。よそでどんなにいじめられても、絶対に負けない強い男になれる。そのために、意地悪おじいさんをしてくれているのよ」「叱ってもらえるのは、幸せなこと。叱られなくなったら、見捨てられたということだから・・・」など、くどいですが説明しています。今は「いやだ」と感じることも、いつか「ありがたかった」と思う日がきます。しかし、それまでは、大人の心情を理解させるための努力が周囲に必要だと感じます。「分かっているだろう」と思うことを理解していないのが、子供なのですから・・・。
by k-onkan | 2011-02-06 22:29 | 児童 | Comments(0)

大事にしよう!美しい声!

音楽祭まで残すところ2週間となりました。今年の天使のこえ合唱団は、ヨハン・シュトラウスの「アンネンポルカ」という難しい曲に挑戦しています。オーケストラ曲を合唱で歌うのは、とても難しいのですが、中高生の名誉団員6名も加わって、歌声に幅が出てきたところです。

e0143522_18241130.jpgさて、今日は、中学受験のためにお休みをしていた6年生たちが出てきました。それぞれ、進学先が決まり、子供たちはすっきりとした顔をしていました。低学年の子供たちも、お兄さん、お姉さんの姿に大喜びで、にぎやかな一日となりました。どんなに長く休んでも、子供たちがすぐに仲良くなれるのは、これまで、一緒に音楽作りをした仲間だからでしょう。

休学によって音楽に飢餓状態であった6年生のYくんは、以前よりも意欲的に取り組んでいるように見えます。勉強一色の生活だったことで、「音楽と関われる幸せ」「歌える喜び」を再確認できたのかもしれません。何より、「休んでいる間に声変わりをするかも」という不安が現実にならなかったことは、嬉しいことだったに違いありません。

現在、合唱を手伝って歌う高校生のKくんも6年生の時に休学し、希望通りの難関中学に入学したのですが、一つ、とても残念なことがありました。それは、その期間に声変わりが到来してしまったこと。それまで、誰よりも美しいボーイソプラノだっただけに、別人のような低い男性の声に本人が一番、ショックを受けたようです。「こんな声になるとは思っていなかったですよ。こんなことなら、あの声の時にもっと頑張れば良かった・・・。昔の声に戻りたいですよ・・・」。そんなことをしばらく口にしていました。

「いつまでもあると思うな、親と金」ということわざがありますが、男の子の声も一生、あるわけではありません。この可愛い声は今しか出ない貴重なものです。だからこそ、一生懸命取り組んで欲しいですし、学校で怒鳴ったり、悪い声の出し方をしたりして、喉をつぶすようなことがあってはならないと思うのです。
by k-onkan | 2011-02-05 18:22 | 児童 | Comments(0)

悪い子育てをしないように・・・

1歳7ヶ月の甥Kは、動物から人間へと進化を遂げています。最近では、自分でみかんに穴をあけ、そこから皮をむく知恵もついてきました。その姿は、まるで小猿のようで、とても愛らしいのです。また、周囲の言葉を真似て、「さようなら」と言えば「サオアナ」と似たことを言って、赤ん坊の成長の速さを感じています。しかし、心配なこともあります。それは、Kが赤ん坊とは思えないほど荒い気性をしていることです。食べていたヨーグルトが空っぽになったと言っては、「ギャー」。お兄ちゃんがボールを貸してくれないと言っては、「ギャー」と怒鳴り散らします。この気性は間違えなく、「木下家」の血筋でしょう。

e0143522_1256125.jpgそして、それを助長させているのが、弟に優しく接する兄甥Yの存在です。「Kちゃん、これが欲しいの?」「次は、これをやってあげようか?」。弟が望む前に欲しいものを与え、何でも弟の言いなりです。もちろん、「Kちゃん、やめてよ。これはニィニのだよ」といきなり怒ることもありますが、たいていは世話焼きで優しいお兄ちゃんです。弟が生まれたことで家族の「可愛い子供」の座を奪われたので、「世話やきで面倒見の良いお兄さん」という新しい役柄を見つけたのかもしれません。

そんなYの姿を見ると私は心配になります。なぜなら、その昔、私自身、妹の世話を焼くことで、自分の存在をアピールした長子だったからです。仕事の忙しい両親にかわって、妹を甘やかして、何でも願いをかなえてしまいました。そんな私が高校を卒業して、アメリカに留学することになりました。その時、妹はまだ10歳くらいだったのだろうと思います。それまで、母が不在でも困らないほど、世話をやいた姉の私が突然いなくなり、それは、それは、母に手を焼かせたといいます。つまり、私と弟で、この世で一番してはならない甘やかしの子育て-自立させない子育てーをしていたことが発覚したのでした。

妹にそんなひどいことをしているので、甥たちに甘やかしの子育てをするわけにはいかないのです。「何でも、いいなりになってあげるのが、良いお兄さんではないのよ。ダメなことはダメと言わないで、あとで、困るのはKちゃんよ。Kちゃんが「小さいから」と言って何でも許していると傍若無人な人間になってしまう。よいお兄さんというのは、お兄さんがいなくてもちゃんと、一人で何でもできるようにさせることなのよ・・・。」。

親がした通りの子育てをすれば、その子も同じくらいに育つと言われます。確かにその通りなのですが、時代や環境が劇的に変化する中、親がした通りの子育てをするためには、その思いや信念を意識的に継承しなければ不可能だと感じます。たった一人の人間でも、全うに育てるのは、簡単な仕事ではありません。親だけでなく、周囲の大人の協力も得て、立派な人間に育てていかなければ・・・。甥たちや子供たちを見るたびに痛感しているのです。
by k-onkan | 2011-02-04 12:55 | 幼児 | Comments(0)

出会いがあれば・・・

人間と関わるのが好きな私にとって、子供に音感を教えることを生業にできることは、とても幸せなことです。世の中には、「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と割り切って、好きでない仕事をする人もいるそうですが、「好きなこと」しかできない私にはとても真似できないことです。しかし、どんな仕事にも長所があれば短所があります。この仕事の辛いところは、子供たちとの突然の別れでしょう。出会いがあれば、別れがあるので、致し方ないことではあるのですが・・・。

e0143522_132926100.jpgそれでも、子供が自分の意志で次の進路を見つけて辞める時は、新しい挑戦に対して、「頑張ってね」と送り出すことができます。しかし、「音感が大好き」という子が、後ろ髪をひかれながら、「さようなら」の挨拶に来ると、こちらの方が辛くなることもあるのです。楽院は一人ひとりの生徒に手をかけるからこそ、手をかけられなくなる寂しさが大きいのでしょう。

そんな話を友人にしたら、「必ず別れはあるのだから、あまり深く関わらないように教えるわけにはいかないの?」とアドバイスされました。しかし、真剣に物を教えようと考える時、深く関わらないという選択肢は、ないように思います。明日、何があるか分からないからこそ、一日、一日に後悔がないように、やはり、一生懸命、関わっておきたいと思っているのです。
by k-onkan | 2011-02-03 23:29 | 発達障害 | Comments(0)

やっぱり、教育はすごい!

数週間前に体験入学した4歳のKちゃんは、出生時にとても、とても小さく生まれた女の子です。そのためでしょうか。4歳とは思えないほど弱々しい声をしていました。例えると、生まれて数ヶ月の赤ちゃんが言葉を発しているかのようなのです。もちろん、話声位もとても低いものでした。ハ長調の音階「ドレミファソラシド」を例にすると、一番低い「ド」の高さの声でやっと、なんとか真似できる状態です。この20年、低い声の子供にはたくさん出会いましたが、どんなに低い声の子供でも、「ドレミ・・・」で「ソ」の声までは出せるのが普通の「声の低さ」だったのです。

e0143522_18313081.jpgこのお子さんが入学することになった時、「喉に何の問題もないかを病院で調べていただきたい」とお母様にお願いをしました。もし、声が出ないことに身体的な理由があったら、知らずに発声練習をするのはとても心配だったからです。しかし、特に何の問題もないということでレッスンを始めることになりました。4歳半を過ぎての入学ですので、レッスンは週に2日行うことになりました。

木下式には音感かるたを用いた言語訓練があります。子供たちは、指導者の鮮明な「意味づけ語」を真似する内に喋る声がはっきり鮮明になり、話す声も高くなるのです。それが、歌唱に適した声域を身につける訓練にもなるのです。今日は、Kちゃんの3回目のレッスンでした。言葉の発達の遅れを取り戻すため、音感かるた以外に、木下式の「あいうえお教本」でも言語訓練を行なっています。その結果、少しずつですが、細い声に芯ができ、おけいこの帰りには、「ドレミファソラシド」の高いドまで、同じ高さの声を出せるようになりました。

最初は、「木下式が、どんなにすごい教育でも、この声を直すのは無理では?」と私の方が及び腰になりましたが、「保護者が勉強させたいという強い希望を持っているのなら、それに応えるのが人の道」というまゆみ先生の言葉で、楽院はこのお子さんをお受けすることになったのです。Kちゃんとの出会いによって、私は、「教育の大切さ」と共に、「木下式の有効性」を再認識するできました。もし、「この声ではとても無理ですから、あきらめてください」とお断りしていたら、この声はずっと変わることはなかったでしょう。しかし、教育を施せば、たった3回でも何かの変化はある、これが教育の力です。

木下式を考案するに当たり、木下先生は、たくさんの子供たちからいろいろなことを教えてもらったといいます。その結果、刺激度を駆使する模範唱や先導理論などの現在の体系が考案されたのです。私も、難しい状況のお子さんを教える度に、指導者としていろいろなことを学んでいます。生まれてからの4年間、周囲の大人から、高い声、鮮明な声、力強い声、母音を考慮した日本語を聞かされなかったこのKちゃんに、一日も、早く子供らしい声を取り戻させたいと思っています。
by k-onkan | 2011-02-02 22:30 | 幼児 | Comments(0)

正座が好き!

音楽祭の特別練習を始めて1ヶ月。幼児部の子供たちの歌も、だいぶ、聞けるようになってきました。しかし、練習開始当初、今年の幼児部には「何か」が欠如していました。それは「競争心」です。毎年、「競争心がない子」はいましたが、各学年に一人いるか、いないかの割合です。ところが、今年は、全員がなんだか、おっとりしていて競争心を見せません。

e0143522_13583425.jpg自信が持てないのか、大人に期待させまいとしているのか、みんな、周りに合わせているように見えるのです。これを「協調性がある」と誤解されては困ります。自分の最大限の力を出し切らないのは、「皆で怠ければ怖くない」ということにつながっています。それでは、よい音楽作りはできません。音楽には、協調性も必要ですが、「私が一番上手」という自己主張も不可欠だからです。それがあれば、集団の中でも、「他の子の真似をして上手になろう」「耳から入る情報を自分のものにしよう」という意欲を持てるようになるからでます。

この1ヶ月、子供たちに意欲を持たせるために、合唱練習以外でも、いろいろな手段を講じてきました。その一つが、「正座」です。3時から6時の合唱練習は、平素の音感授業と同じ長さです。しかし、3時間歌い続ける合唱と、15分程度の細かな訓練が多種存在する音感授業では、前者の方が集中しづらいのです。そのため、子供たちは私に目で「疲れた」と訴えます。私は、「少し座りたい?」と聞くと、みんな「うん、うん」とうなずきます。「でも、先生のところで座るというのは、正座のことだけど、いい?」。子供たちが「いい」というので、正座をさせます。いつもと違う状態を与えるだけで、子供たちの目が輝き、歌にも集中できる。これが「正座効果」です。もう一つ、正座の役割は、「正座は足がしびれるから、きちんと立って歌う方がまし!」と子供たちに気づかせることです。

ところが、小柄な今年の幼児部は、自分の体重をかけても、足はまったくしびれないようで、「ずっと、正座で歌いたい」と言うではありませんか。私は、「これは困った」と思い、「正座で練習する人は、音楽祭の本番も正座で歌うことになるけれど。それでいい?正座に似合うのは、合唱団の制服よりお坊さんの袈裟だけれど、それでも、正座がいい?」。何とか、子供たちに「立って歌いたい」と自分の意思で言わせなければならないので、誘導する私も必死です。「袈裟に似合う髪型は、髪の毛を短くした丸刈りだね~」。ここまで来ると、やっと子供たちも「立って歌う」と言ってくれます。もう少し大きくなったら、「大人はずるい」と子供たちから批判を受けそうですが、幼い子供に「正しい選択」をさせるために、時に、大人は賢く誘導する必要があると感じます。ただし、その誘導は、結果として、子供のためになることでなければと思いますが・・・。
by k-onkan | 2011-02-01 13:57 | 幼児 | Comments(0)